1326.物語篇:物語70.出会いと別れ

「出会いと別れ」はひと夏の恋だったり昔の恋人とであったり、「出会って始まり別れて終わる」物語です。

 この人間関係だけを抽出した物語のため、一種の無常観を読み手に与えます。





物語70.出会いと別れ


 これまで書いたかなと思ったのですが、どうやら書いていないようなので一本書きました。

「出会い」は「物語40.ボーイ・ミーツ・ガール」で書きましたし、「別れ」は「物語48.別離と絆」で説いていますね。

 しかし「物語が始まって人と出会い、物語の終わりに別れる」という話はなかったはず。

 物語篇はできるだけ重複を避けるように書いていますが、どうしても重複してしまいますね。少しだけポイントがズレているので、「同じような物語でも少し違う」は実践できているようですが。

 私の記憶力が悪いせいかなと。そろそろ物語篇も終わりが近いということでしょう。




人生は出会いと別れで出来ている

 どんな人も経験するのが「出会いと別れ」です。

 あまりにも当たり前すぎて案外気づかない。

 たとえば赤ん坊として産まれたら、母親と出会います。そして数十年後にはその母親と別れます。独り立ちかもしれませんし、死に別れかもしれません。少なくとも歳の順に死ぬのであれば、母親は確実にあなたより先に死にます。

 だから少なくとも母親とは「出会いと別れ」を経験するのです。

 また幼稚園保育園の児童たちや先生たちとは入園で出会い、卒園で別れます。

 学校だって入学と卒業で「出会いと別れ」になっていますよね。上級生と出会い、上級生の卒業で別れを表現する物語もかなりあります。

 恋愛ゲームはたいてい中学二年生か高校二年生が主人公です。同級生はもちろん三年生の先輩や一年生の後輩との「出会いと別れ」を演出できます。中学二年生と高校二年生は人間関係が最も豊富な時期と言えるでしょう。

 二年生に上がると同時に新一年生が学校にやってくる。これで出会いが生まれます。また三年生は来年には卒業するため、別れまであと一年です。

「出会い」に注力したければ一年生との「出会い」を印象深く、「別れ」に注力したければ三年生との「別れ」を際立てたい。もちろん先生との「出会いと別れ」もテーマになりえます。

 大人になっても、運命の人と「出会い」、大恋愛の末に結婚して子供をもうける。子供たちが独り立ちして夫婦水入らずの生活を続けて老衰し、どちらかが先にこの世を去るのです。

 結婚相手との「出会いと別れ」、実子との「出会いと別れ」があります。

 人生「出会いと別れ」を経験しない方はまずいません。

 愛するペットとの「出会いと別れ」でもよいのです。




偶然の出会いは必然に

「出会い」は偶然に思えますが、ある程度必然で起こります。

 あなたの住まいの隣に美人や美男が引っ越してきた。一見偶然ですが、美人や美男がそこに引っ越してくるのは彼ら彼女らの自由意志です。たまたまあなたの隣に美人や美男が引っ越してきたのではありません。選んでやってきています。

 だからお隣さんが好みのタイプでも、それは偶然ではなく必然なのです。

 あなたがそこに引っ越してきたり暮らしていたりするのも偶然ではなく必然。住みたくて住んでいます。

 もちろんお隣さんがストーカーかもしれません。それも偶然ではなく必然なのです。

 よく青春ラブコメもので、アパートに一人暮らししている主人公の隣の部屋に美人が引っ越してくることがありますよね。あれを作為的と呼ぶのは簡単ですが、まったく歯牙にもかけないタイプの人物が引っ越してきたら、それをいちいち文章に書きますか。書かないですよね。「冴えない中年男性が引っ越してきた。」なんて書いてもドラマが生まれそうにありません。本当になんのドラマも起こらないのであれば、書く必要なんてないのです。

 多数の引っ越しが行なわれている中でわざわざ文章で書いたのは、物語に関係してくるから。無関係の人をあえて書く余裕なんてありません。

 だから小説で「偶然の出会い」なんてものはなく、物語に絡んでくる人物だからこそ書き及ぶのです。「偶然」隣に引っ越してきたのではなく、物語に絡んでくるから隣に引っ越してきたことまで書きます。だから物語としてみれば「必然」の人物だけが「引っ越し」について書かれるのです。

 物語はひじょうに作為的に出来ています。文章に書かれるのは物語に絡む人物や事物だけです。無関係の人物や事物を書いている隙間などありません。

 物語に登場する人はなにか役割があるのです。ただそこに登場するだけでなんら物語に絡まない人は蛇足でしかない。長編小説や連載小説では、事前にしっかりと登場人物の役割を分担しておくものです。しかし読み手からのリクエストでエピソードを加えるとき、そのエピソードにしか登場しない人物が出てきてしまっては困ります。

 ただ、たとえば外伝だけにしか登場しない人物というものは存在するのです。ライトノベルの祖のひとつ神坂一氏『スレイヤーズ』にも、外伝にだけ出てくる「白蛇のナーガ」というキャラクターがいます。外伝は本伝の番外編の場合とテイストを変える場合のいずれかで作られます。『スレイヤーズ』の外伝はテイストを変えるために書かれているのです。面白いことに外伝がヒットしてしまい、アニメではナーガが頻繁に登場するようになりました。

 本伝と外伝でテイストを変えるのは『スレイヤーズ』以降多くなりました。賀東招二氏『フルメタル・パニック!』も本伝は比較的真面目なエピソードで進み、外伝はハチャメチャギャグ満載の楽しいお話です。アニメでは『フルメタルパニック!ふもっふ』が外伝のエピソードを取り扱っていましたね。





別れは前向きか後ろ暗いか

「出会い」があれば「別れ」もあります。

 とくに「出会いと別れ」の物語はセットでメインストーリーとなりますので、より「別れ」の描写がたいせつです。

 どんな「別れ」がよいのでしょうか。

 一般的にハッピーエンドなら「前向きな別れ」がよく、バッドエンドなら「後ろ暗い別れ」がよいとされます。

 つまり「別れてせいせいした」と思えたらハッピーエンドになりますし、「なぜ別れなければならなかったのか」と思えたらバッドエンドになるのです。

 物語の最後にやってくる「別れ」は、一時的なものかもしれません。後日再会して結婚するかもしれないのです。

 同窓会で顔を合わせて意気投合し、そのままお付き合いが始まり、結婚に至る夫婦もいます。

 それでも本編のラストをあえてバッドエンドにして「なぜ別れなければならなかったのか」と悔恨させるのもひとつの方法論です。その後のエピソードとして同窓会エピソードを付け加えれば「メリーバッドエンド(メリバ)」にもできます。

 このパターンをやりたいときは、いったん本編をバッドエンドで締めてください。

 その後、エピローグとして追記してもよいですし、別の物語として同窓会エピソードを新たに書いて「あの作品の後日談か」と思わせるのもよいですね。

 もちろんバッドエンドを極めるつもりでテンションを下げ続ける「別れ」もあります。

 小説はマンガやアニメと違い、絵や動きを見せられません。そのぶん主人公の心の中を丁寧に書けますから、「別れ」のツラさを切々と書き連ねられます。つまりどんどん憂鬱にさせられるのです。これはマンガやアニメではなかなかできません。

 心にドロドロと沈殿したものを描き出す点で、小説は他の追随を許さない。

 底にどれだけのものが溜まっているのか。それを表現できるのは小説だけです。





最後に

 今回は「出会いと別れ」について述べました。

 どんな物語にも人との「出会い」があり「別れ」があります。

 しかし今回のように「出会いと別れ」をメインに据えた作品も定番です。

 突然現れた転校生。転校生と楽しい日々を過ごし、その人はまた別の学校へと転校していく。

 その中でいかに思い出を作れるか。絆を深められるか。

 別れるのが既定路線であっても、そのときが来るまではできるだけ楽しみたい。

 転校を繰り返す人は、妙にサバサバしているか、鬱屈しているか。どちらにしても感覚が他の人とはちょっと違います。

 また「出会いと別れ」は一時の逢瀬でも用いられるのです。



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