1126.鍛錬篇:これだけの人にしか読まれなかった
今回は「何人にしか読まれなかった」についてです。
そこに向上心はあるのでしょうか。
これだけの人にしか読まれなかった
小説投稿サイトあるあるネタに「今日は十人にしか読まれなかった」があります。
私などは小説を書いたところでひとりも読んでくれない作品を何本も抱えているのです。
そんな私から見れば「十人も読んでくれたのなら万々歳じゃないか」と思えます。
ではなぜ「今日は十人にしか読まれなかった」と愚痴ってしまうのでしょうか。
本来ならもっと読まれたはず
「今日は十人にしか読まれなかった」と言っている方々がいます。
本心は「本来ならもっと多くの人に読まれているはずなのに」です。
「(もっと読まれているはずなのに)今日は十人にしか読まれなかった」と愚痴っています。
これ、贅沢もよいところではないでしょうか。
上記しましたが、私の小説には誰にも読まれていない掲載作品がいくつかあります。そんな私は「十人も読んでくれた」と判断する。「十人にしか」でなく「十人も」です。
しかも「十人にしか」と愚痴っている書き手には向上心がありません。
なにせ「本来ならもっと多くの人に読まれているはず」と思い込んでいるからです。
「今日はたまたま読み手が少なかっただけ。明日には本来の数に戻るからドンマイで」くらいの認識しかありません。
これで向上心を持てと言われても「本来ならもっと読まれているから」で片づけられてしまいます。
だから「十人にしか」と愚痴っている書き手には向上心がないのです。
小説投稿サイトへ掲載するたびに「今回は何人が読んでくれるかな」と期待に胸を躍らせていた頃を思い返してください。あの頃はもっと向上心があったはずです。
「これだけの人数に読んでもらえたから満足」なんて思えません。たとえ百人に読まれても「今回は百人だった。次回は最低でも百五十人には読まれたい」と貪欲に閲覧数を追い求めていたはずです。
「十人にしか」と愚痴っている方は、何人に読まれれば「これだけの人に読んでもらえた」と喜べるのでしょうか。
おそらく何人に読まれても喜べません。
作品の面白さではなく「何人に読まれるか」を追い求めた結果、読み手がただの数字と化してしまったからです。
「今回は十。前回は五十だからタイミングが悪かったんだ。本来ならもっと読まれているはずなんだ」のように、読み手を人ではなく数で捉えます。
読み手がただの数字と化してしまえば、どれだけ読まれようとも満足できなくなるのです。
あなたは「今回の作品はありがたいことに十人も読んでくれた」と考えられるでしょうか。ブックマークが付いただけでうれしくなりませんか。評価までされたら舞い上がってしまうでしょうか。
より多くの方に読まれたいと思いますか
読み手を数字で認識すると、執筆する動機が「数字を上げる」ことに終始してしまいます。
本来なら「前回よりも楽しめる作品を書きたい」と思わなければならないところが「前回よりも多くの人数に読まれたい」になってしまうのです。
「前回よりも楽しめる作品」であれば、閲覧数もブックマークも評価も前回より高まります。しかし「前回よりも多くの人数に読まれたい」であれば、オリジナリティーが希薄になりやすいのです。
なにせ「読まれる作品を書きたい」わけですから、今流行りのジャンル、流行りのキーワード、流行りのキャラクターで書けば、確実に「読まれる作品」に仕上がります。
でもオリジナリティーがなくなってしまうのです。そうなると、読み手は別にあなたの作品でなくてもよくなります。ランキング上位の、似たような作品を読めば事足りるのです。
だから「流行り」を取り入れて「数字を上げる」ことにこだわると、数回はそれで「数字が上がって」も後が続かなくなります。
そうではなく「前回よりも楽しめる作品を書きたい」と作品の質をブラッシュアップしたほうが、将来性も高まるのです。
「数字を追わない」で「質を高める」努力を欠かさないようにしてください。
「十人にしか」でなく「もっと楽しめる物語にしよう」と考えるのです。
小説投稿サイトでランキングを競っている書き手にこの考え方は「パラダイムシフト」かもしれません。
でも、前回よりも読まれたいなら「前回よりも楽しめる作品を書く」ほうが断然読まれるのは事実です。
へたに「流行り」を取り込んでしまうと、読み手は別にあなたの作品でなくてもかまわない。それならランキング上位の作品を読んだほうが、将来「紙の書籍」化や「アニメ化」などの先取りとして「先見の明」を誇れるでしょう。
「私はこの作品が紙の書籍化やアニメ化される前から読んでいた」と。
愚痴るより気にするな
読み手が「数字」と化してしまうと、閲覧数が少なくなるだけで「なんだよ。今回は十人しか読まなかったのかよ」と愚痴ってしまいます。
もしあなたの周りに小説を書く仲間がいたら、なんて言うのでしょうか。
「そうだよな。前回は五十人に読まれたのにな」と同意してくれますか。
「私も今回は十人にしか読まれなかったな」と共感してくれますか。
「私なんて三人よ。あなた十人にも読まれているじゃないの。それで不満?」とつっかかってきますか。
仲間意識が強ければ同意・共感が増えますが、ただインターネットでつながっているだけの創作仲間であればつっかかってくる方が増えるのです。
読み手を「数字」だけで判断してしまうと、その「数字」を見るだけで一喜一憂してしまいます。
閲覧数が少ないからと一喜一憂するのではなく、閲覧数なんていっさい気にしないでください。
「前回よりも楽しめる作品を書く」ことだけに集中しましょう。
閲覧数が減ったのは、読み手が楽しめない作品だったから。
一回投稿の短編小説であれば、読み手同士で広め合ってくれれば自然と閲覧数は増えますから、閲覧数が減ったのは「楽しめない作品」だったということです。
もし連載小説でいきなり閲覧数が減ったのなら、先細りは必須なので早期に対策を講じなければなりません。できれば次話が「楽しめる作品」になるようテコ入れします。もしテコ入れできそうになければ、潔く連載を終了する準備を進めてください。一度物語が終結に向かうと、読み手の注目は自然と集まるのです。そして「第一部・完」とでもすればよい。終わると見せかけて、物語を続ける手法もあります。
連載小説で「楽しめる作品」であり続けるのは「プロ」でも難しいのです。
アマチュアのあなたに「楽しめる作品」であり続けさせるだけの実力はありません。
「十人にしか」ではなく「十人も」と考えられるか。
読み手を「数字」でなく「楽しんでくれる観客」と捉えられますか。
小説はサーカスなのです。
読み手は目の前で繰り広げられる芸を観て楽しみたくて、ワクワクしたくて小説を読みます。
楽しめない、ワクワクできないサーカスに需要はあるのでしょうか。
最後に
今回は「これだけの人にしか読まれなかった」について述べました。
あなたは読み手を「数字」として見ていませんか。それではいつまで経ってもよい作品は書けないですよ。
考えなければならないのは「前回よりも楽しめる作品」にする。ただそれだけです。
閲覧数が、ブックマークが、評価が。すべて後づけの理由です。
もし「楽しめる作品」であるならば、読み手同士で情報交換されて口コミで閲覧数は高まっていきます。
読み手を「数字」として見ていると「楽しめない作品」か「どこにでもある作品」にしかなりません。それでは閲覧数は高まらないのです。
「あなただから書ける作品」であること。
それこそがあなたの作品に求められているものです。
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