1054.対決篇:村上春樹氏の文体1/3

 あと三回で「対決篇」は終わりです。

 村上春樹氏の長編十四タイトルを『47のルール』で寸評しているところをさらに批評するという無茶ぶり。

 これを読めば、なぜ村上春樹氏は嫌われるのかが如実にわかると思います。





村上春樹氏の文体1/3


 今回もちくま文庫・ナカムラクニオ氏『村上春樹にならう「おいしい文章」のための47のルール』を引いていきます。タイトルが長いので『47のルール』と呼びます。

 ナカムラクニオ氏が村上春樹氏の長編十四タイトルを寸評しているところを元にツッコんでみましょう。




『風の歌を聴け』

「完璧な文章などといったものは存在しない。/ 完璧な絶望が存在しないようにね。」

「この書き出しは中国の魯迅氏『野草』の中の一文「絶望は虚妄だ、希望がそうであるように」の影響が感じられ」ると『47のルール』では言及されています。

「実は、村上文学の魅力は、この新旧の名文を混ぜたリミックス力なのです」「村上さんも外国文学や古典・名作の中から美しいことばを掘り起こし、切り刻み、混ぜ合わせて読者を踊らせてくれるのです」とあります。

 つまりハルキストから見ても、名作から「無断拝借」「パクっ」て書くのが村上春樹氏流なのです。




『1973年のピンボール』

「直接的には描かれていませんが、双子はどうやら〈僕〉と肉体関係を持っているようです。美しい双子の女の子を両側に従えてベッドで眠るなんて、男性にとっては究極の妄想です」「読者は、ありえないくらいの妄想をどこまでも叶えてくれる物語こそ、やみつきになるほど「魅力的」だと感じるのだと思います。」とあります。

 主人公を「うらやましい」と感じるような設定が、読み手を惹きつけると言うのです。

 現在小説投稿サイトで人気のある「主人公最強」や「ハーレム」は「羨ましい」を満たしているからウケているのでしょうか。




『羊をめぐる冒険』

「実は、英語に翻訳しても、文章の魅力が消えない「国際力」が村上春樹の成功の秘密なのです」とあります。

「何かを探し求めるロードムービーのような作風は、まずアジアで翻訳され爆発的に人気が出ました。さらにロシアでもすぐにブレイクします」「世界中の誰もが村上作品を「自分の物語」だと感じると言います。中国語やロシア語に翻訳しても伝わる、英語的な発想の文章が、独自の国際力を生んだのでしょう」とも言っているのです。

 日本語の小説として成立していない村上作品は、元から英語に翻訳する際の手間を省くための文体で成り立っています。それなら最初から英語で書けばよいものを。

 そもそも「英語に翻訳しても、文章の魅力が消えない」は、物語の面白さがあればどんな作品であろうと備えているものです。

 ノーベル文学賞を授かった川端康成氏と大江健三郎氏は、純粋に日本語で魅力のある物語を書きました。だから英訳しても物語の魅力は損なわれないのです。これはライトノベルにも言えます。海外でもヒットするライトノベルは、物語が根本的に面白いものが多いのです。なにも村上春樹氏だから海外翻訳でもウケるというわけではありません。




『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』

「この物語は、ルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』(アリス・イン・ワンダーランド)を意識したオマージュ的作品です。皮肉、ナンセンス、夢、幻覚、パロディ、ゲーム、なぞなぞなどの要素がぎっしり詰まった物語は、まさに東京版アリスです」「エレベーターの着いたところは、まだ普通の部屋。そこからクローゼットの中を通って、闇の世界へ入ります。/ このクローゼットを通って別世界に入るというシーンは、『ナルニア国物語』に似ています。名作ファンタジーに対するオマージュをちりばめているのでしょう」とあります。

 この作品は「村上作品の中でも最高傑作と呼ばれています」と書いてあるのです。

 有名な作品から「オマージュ」と言えば聞こえはよいのです。要は「無断拝借」「パクリ」をした物語が「最高傑作」だと言うのですから呆れます。

 村上春樹氏は「無断拝借」「パクリ」を恥とも思わない、強烈な承認欲求で成り立っている人物なのです。こんなことがまかり通っていれば、そのうち手痛いしっぺ返しを食らうでしょう。なにしろ自力では物語が作れないと暴露しているのですから。




『ノルウェイの森』

「飛行機のスピーカーからビートルズの「ノルウェーの森」のBGMが小さく流れてきて、〈僕〉はどういうわけか混乱してしまう」とあります。つまり曲名をタイトルにパクっているのです。本当に「無断拝借」「パクリ」をしないと小説が書けないのだなと思わせます。

「さらに、「死は生の対極としてではなく、その一部として存在している」という名台詞。直子が入院する阿美寮を連想させるサナトリウムを舞台にしたトーマス・マンの長編小説『魔の山』からの引用だとも考えられます」「村上さんは、名作を引用して、さらなる名作を書き上げる天才なのです」ともあります。

 名作を引用する、というより「無断拝借」「パクリ」こそが村上春樹氏の文体なのです。もし「無断拝借」「パクリ」を禁止されたら、村上春樹氏はどのような小説が書けるのでしょうか。かなり怪しいものだと思います。




『ダンス・ダンス・ダンス』

「羊男が、「踊るんだ。踊り続けるんだ」と言う『ダンス・ダンス・ダンス』の名場面です」「「あきらめ」を認めなさい、という風にも捉えられます。あきらめたとき、新しい人生が開ける。この時代を生きている人間は、あきらめる勇気が必要なのだと言っているようにも聞こえます」「踊るというのは、「生きる」ということなのでしょう。社会に期待するのをあきらめろ、結果をコントロールするのをあきらめろ、神さまはあきらめた人を責めたりしない、幸せはあきらめから生まれる。そんなことを繰り返し、ささやかれているような気持ちになります。/ 村上さんの作品には、いつもこのような無力感が描かれています。少し離れて世の中を斜めから見つめる「あきらめ力」こそ、村上作品の重要な魅力のひとつなのです」とあります。

 村上春樹氏の退廃的な物語の源流は、「あきらめ」から生まれているのでしょうか。努力を放棄して流されるままに生きれば幸せになれる。本当にそうなら、誰も悩みませんよね。机上の空論でしかありません。





最後に

 今回は「村上春樹氏の文体1/3」をまとめました。

『47のルール』でナカムラクニオ氏が挙げた村上春樹氏の長編寸評、初期六作品を並べたのですが、基本的に「無断拝借」「パクリ」だらけで呆れてしまいました。

 ハルキストが寸評すると、「無断拝借」「パクリ」も「村上春樹氏独特の文体」と持ち上げられるようです。



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