905.文法篇:だろう、に頼っていませんか

 今回は「だろう」に頼ってしまうことについてです。

 小説の書き手はあなたであり、物語世界のことを誰よりも知っているのはあなたです。

 地の文は「だろう」に頼らず、決然と「断定」してこそ、物語世界がしっかりと現れます。





だろう、に頼っていませんか


 小説を読むと、かなりの文に推量形「だろう」が付いている作品を見かけます。

 これは効果を狙っているのであれば是なのですが、ただ書き手のクセであれば否です。




だろう、は消極的

「告白が成就しないとがっかりするだろう。」

 この文は「消極的」に感じませんか。

「告白が成就しないとがっかりする。」

「だろう」を抜くと明言して「断定」になりました。語り手の強い意志を感じますよね。

 これが「がっかりするだろう。」では今ひとつはっきりしません。

 自信がないから「だろう」に託します。

 この小説の書き手はあなた。それは間違いないですよね。

 であれば、地の文はもっと明言して「断定」したほうが得ではありませんか。


 たとえば世界観や舞台を読み手へ伝えたいのに「この世界には魔法があるだろう。そしてドラゴンが生態系の頂点にいるだろう。だが人間もドラゴンに殺されまいと討伐隊を編成しているだろう。」と書いてしまう。

 ここに書かれている「だろう」は、あなたの気が小さいからかもしれませんが、文をとても「消極的」にさせています。

 この手の設定は「断定」して書かなければ説得力を持ちません。

「だろう」と書くだけで説得力がなくなるのです。


 設定は「根拠」と言ってもよいでしょう。

 この文には確かな「根拠」がある。だから「断定」できます。

「根拠」が弱いから「断定」できなくなるのです。

「この世界には魔法があるだろう。」と書く必要はありますか。「根拠」が弱くて「断定」できない、というのであれば、その設定は要らないかもしれません。

 作品に「魔法」が登場するのなら、「この世界には魔法がある。」と「断定」するべきです。

「魔法」が存在するのか怪しい世界観にしたいのなら、設定として「魔法」に言及する必要はありません。すっぱりと削除するべきです。冒頭の説明文からは削除して、のちに「魔法」を使うシーンが出てきたら、読み手は「この世界には魔法があるんだな」と納得します。だからこそ「この世界には魔法があるだろう。」のような不明瞭な設定を書く必要なんてないのです。

 同様に「そしてドラゴンが生態系の頂点にいるだろう。」も「だが人間もドラゴンに殺されまいと討伐隊を編成しているだろう。」も、「だろう」を加えて不明瞭にする必要なんてありません。

「だろう」を省いて「この世界には魔法がある。そしてドラゴンが生態系の頂点にいる。だが人間もドラゴンに殺されまいと討伐隊を編成している。」と、すべて「断定」して書けばいいのです。




という、と言われている、かもしれない

 せっかく「だろう」を削除して推量を断定に変えようとしているのに、要らないことをする書き手もいます。

 先ほどの例を次のように変換するのです。

「この世界には魔法があるという。そしてドラゴンが生態系の頂点にいるかもしれない。だが人間もドラゴンに殺されまいと討伐隊を編成していると言われている。」

 確かに「だろう」はなくなりました。しかし漂う「推量」の臭い。

 それが「〜という。」「〜と言われている。」「〜かもしれない。」の三つの文末です。


「〜という。」「〜と言われている」は、他の人はそう言っているみたいですよ、という文末を表しています。

「この世界には魔法があるという。」は、語り手は直接見たことはないが、見たことのある人がいる、のです。

 同じような文末に「〜らしい。」「〜ようだ。」があります。

「この世界には魔法があるらしい。」「この世界には魔法があるようだ。」

 これらもやはり、語り手は直接見たことはないが、見たことのある人がいるの「推量」、ということですよね。

「だが人間もドラゴンに殺されまいと討伐隊を編成していると言われている。」の文も同様です。

 これらの言葉は、語り手は直接見たことはなく「聞いたところによると」という枕詞まくらことばを省いた「推量」になっています。

 また「〜とか。」と書かれたらどうでしょう。「この世界には魔法があるとか。」。砕けた雰囲気でちょっと馴れ馴れしさを感じさせますよね。口語文としては「あり」なのですが、書き言葉で書くべき場面、たとえば設定を読ませる部分に用いるのは「なし」です。


「そしてドラゴンが生態系の頂点にいるかもしれない。」は、「だろう」のニュアンスを若干弱めただけで、ほとんど同じ意味合いです。

「だろう」ほどの強さがないため、語り手の自信のなさがより強まります。ここまで語り手の自信がないと、「小説賞・新人賞」の選考では間違いなく一次落選となるでしょう。

 また「しれない」を削除して「そしてドラゴンが生態系の頂点にいるかも。」と書かれたら、文章が一気に砕けてしまいますよね。自信のなさは「だろう」と「かもしれない」の中間ですが、文章がカジュアルになってしまいますので、視点保有者の語り口として用いるだけにしておきましょう。




信頼性・信憑性を高めたければ断定する

「推量」のなにがいけないのか。それは文の信頼性・信憑性が欠けてしまうからです。

 責任を放り投げて、読み手に適当なことを吹聴しています。

 とくに世界観や舞台を「推量」で書くのは、書き手が責任逃れをしていると見られるのです。

 だから「小説賞・新人賞」の一次選考で確実に落とされます。

 世界観や舞台はあなた自身が創り上げたものです。それに責任を持てないのであれば、小説を書く資格などありません。

「断定することで矛盾が発生するのだけは避けたい」なんて責任逃れでしかないのです。

「矛盾」は発生して困ればいい。困るから改善しようと手を尽くすし、二度とこんな苦労はしたくないと思い知るのです。

 結果としては「断定」したほうが将来大成します。

 絶対に自分から逃げないこと。

 困難に立ち向かい、苦労を重ねて突破すること。

 そうでなくては、向上心がないのと一緒です。

 だからこそ「小説賞・新人賞」では「推量」が多くなるほど一次選考を通過しなくなります。

 これを機に、あなたの小説から「推量」を可能なかぎり省いてみませんか。





最後に

 今回は「だろう、に頼っていませんか」について述べました。

 あなたの小説は、あなたが創った世界観であり舞台です。

 それを明確に「断定」して読み手に示せなければ、小説など書かないほうがよい。

 誤解や矛盾を承知で、それでも「断定」できるからこそ、書き手として進歩するのです。



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