866.創作篇:視点を決める

 今回は「視点」を決めることについてです。

 特段理由がなければ「一人称視点」で書いてください。

 読み手をワクワク・ハラハラ・ドキドキさせるには「一人称視点」が最も効果的だからです。

 群像劇の場合は「三人称一元視点」が主になります。





視点を決める


「企画書」と「登場人物」が出来あがったら、この小説の「視点」を決めます。

 主人公がひとりと明確であるなら「一人称視点」が断然オススメです。




一人称視点がオススメ

 臨場感たっぷりで主人公に感情移入しやすい「一人称視点」は、すべての小説で機能させるべき「視点」となっています。

 主人公格がふたり、三人程度なら、やはり「一人称視点」を採用すべきです。ただし、それぞれの場面シーンでは「視点」を有する人物はひとりに限りましょう。

 節や項単位でも「視点」を変えられますが、読み手が違和感を抱きやすいのです。とくに「神の視点」に見えてしまい、感情移入が阻害されやすくなります。

 だから「視点」を切り替えるのであれば、最低限「場面シーン」単位にしましょう。

 ただひとつ空行を入れるだけで、読み手へ「視点」が切り替った合図となります。

 小説投稿サイトなら、一回の投稿ぶんで「視点」を統一すべきです。たった千五百字〜二千字程度をひとりの「一人称視点」で書けないのなら、筆力がないと見なされます。

 一回の投稿ぶんで「一人称視点」が統一されていれば、毎回「一人称視点」を持つ主人公を切り替えてもかまいません。そのほうがワクワク感も高められますし、物語を多面的にとらえられます。

 ひとりの主人公だけでは知ることのできない情報を、読み手が知れるのです。主人公にはナイショの、書き手と読み手で「秘密」を共有します。

 これだけの利点を有している「一人称視点」は、小説の初心者だけでなく熟達した書き手にも大きなメリットがあります。

「破綻しない物語を書ける」だけでなく、主人公への感情移入が深くなり、物語が躍動しダイナミックになるのです。

 主人公は自分以外のことを知りませんから、先の展開が読めず緊迫感が増してハラハラ・ドキドキしてきます。これは「三人称視点」の類いでは出せません。

 面白い小説を書きたい、先が気になるような小説が書きたい。

 そうお思いなら「一人称視点」が最も理に適っているのです。




三人称視点には複数ある

 一方「三人称視点」にはいくつかの種類があります。


 まず通常の「三人称視点」があります。これは主人公にも「対になる存在」でもない「第三者」が視点を持っていて、誰の心の中も覗けない(書けない)視点です。

 主に中国古典に多く見られます。

 たとえば『論語』には「子曰く、学びて時にこれを習う、また悦しからずや」という著名な書き出しがあります。

 これに代表されるように、「子」つまり孔子のことは書き手が見たもの聞いたものをそのまま文字にして残しているのです。それを書いた人物の主観はいっさい入りません。あくまでも孔子の言行、主君や弟子とのやりとりをそのまま文章として書いてあるだけです。中国古典の書き手のことを「史官」と呼びます。彼らは主君と謁見者との会話のやりとりを竹簡などに書き記していました。そして誰の目にも触れさせずに倉庫で保管していたのです。主君が代替わりしたら、前為政者の竹簡を取り出して過去を反省していました。つまり当代の主君は、竹簡になにを書かれたのか知るすべがなかったのです。春秋時代の「五覇」に数えられる斉の桓公は、この竹簡をどうしても見せてくれと史官に無理強いしますが、史官はいっさい公開しなかったとされています。

 それくらい「三人称視点」は書き手の主観を排して、主人公と「対になる存在」との言行をただ記録するだけの「視点」なのです。


「語り手」が視点を持っていながら、主人公の心を書けるのが「三人称一元視点」です。

 これは主にライトノベルや乙女系ノベルに見られる記述スタイルになります。

 三人称としての情報の多さに、一人称として主人公の心の声や感じ方を直接書ける手軽さから、今最も人気のある書き方です。

 ただし「三人称一元視点」と「一人称視点」とでは、ハラハラ・ドキドキ感は「一人称視点」のほうが上だと思います。


 次に挙げるのは「神の視点」です。これは現在では禁忌タブーとされています。主人公の心も「対になる存在」の心も読み放題見放題で、すべて開けっぴろげです。そうなると「ここで主人公はこう思っているが、対になる存在はこう思っていて、主人公の試みは頓挫する」というような経緯いきさつが丸わかりになってしまいます。しかもそれ以外の人物の心も、たとえその場にいない人物であっても丸わかりですから、なんら波乱が起きないのです。

 そうなると選択に迷っている主人公の苦悩は矮小化してしまい、「対になる存在」の意図が明確なので、主人公がどれを選択しても「はい、そうですか」とハラハラ・ドキドキしてきません。多くの大衆娯楽小説(エンターテインメント小説)で、ハラハラ・ドキドキが感じられない小説は例外なく駄作です。

 だから「神の視点」は現在では禁忌タブーとされています。どうしても他の人の心を読ませたければ、その人の「一人称視点」の節を作ればよいだけです。

「神の視点」でなくても、やりようはあります。


 最後に「三人称空間視点」とでも呼ぶべき「視点」があります。

「三人称一元視点」のように主人公の心は断定できません。しかもそもそも主人公を眺めている「語り手」が存在しないのです。

 だから主人公と「対になる存在」しかいなくても、あたかも「三人称視点」のように書けます。また主人公だけ、「対になる存在」だけでも「三人称視点」で書けますし、誰もその場にいなくても状況を描写できます。

 つまり空間に「センサー」が付いていて、それで対象を見たり音声を拾ったり行動を眺めたり、誰もいない場所の風景描写もできます。

「三人称視点」の中では最も自由度が高い書き方ができますので、多くの小説で利用されているのです。とくに群像劇では必須の「視点」といえます。




結局どれが小説賞・新人賞に適しているのか

 では、どの「視点」が「小説賞・新人賞」を授かりやすいのでしょうか。

 ずばり「一人称視点」です。

「小説賞・新人賞」を勝ち残るためには、キャラクターに魅力がなければなりません。

 そしてキャラクターの魅力は外面の行動だけでなく、内面の心理を読ませることによって引き立ちます。

 そうなれば「主人公の心」を書ける「視点」がベストですよね。

 上記した中で「主人公の心」が書けるのは「一人称視点」と「三人称一元視点」そして「神の視点」だけです。

 しかし「神の視点」は現在では原則的に禁忌タブーとされています。

 残るのは「一人称視点」と「三人称一元視点」だけです。

 ですが「三人称一元視点」は筆力がなくてもそれなりに書けてしまうため、筆力がわかりにくい。

 その点「一人称視点」をきっちりと書ききれれば、それだけで一人前の書き手として認められます。

「小説賞・新人賞」を狙いたいのなら「一人称視点」で書きましょう。場面シーンごとに「視点」を持つ者が変わってもかまいません。

 しかし気をつけたいのは、「視点」を持つ者が多くなればなるほど「神の視点」のようになってしまうことです。

 だから「視点」を持つのは、主人公と「対になる存在」、そして他に主人公や「対になる存在」に近しい人物のみと限りましょう。





最後に

 今回は「視点を決める」ことについてです。

 特段の理由がないかぎり、小説は「一人称視点」で書きましょう。

 現在人気のある「三人称一元視点」で書いてもかまいません。ただ若干感情移入が阻害されるので注意してください。

 稀に「二人称小説」で大賞を射止める書き手が現れますが、これはあくまでも例外です。破綻しない「二人称小説」が書ける人は、相当筆力が高いと見なされます。それほど難しいのが「二人称小説」なのです。

 だから今回は「二人称小説」について述べていません。私自身が書けないからです。



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