400.深化篇:偶然という名の必然

 今回は毎日連載連載400回記念というわけではありませんが「偶然と必然」についてです。

 400回という区切りに「偶然と必然」について書く。これも「偶然」かもしれません。





偶然という名の必然


 小説は基本的に「偶然」を嫌います。

「異世界ファンタジー」において主人公がラッキーで勝ってしまう展開を読んで「面白い」と思うでしょうか。

「恋愛小説」で主人公が恋い焦がれる意中の異性が「たまたま主人公のことが好きだった」というのも褒められた展開ではありません。

 「偶然」ほど興醒めする要素はないでしょう。




偶然から始まる物語

 童話や寓話であれば「偶然」から始まる物語は多数あります。

『桃太郎』ではお婆さんが川で洗濯をしているとなぜか大きな桃がどんぶらこと流れてきますよね。

『浦島太郎』ではなぜか海辺で子どもたちにイジメられている亀がいるのです。

『竹取物語』ではお爺さんがなぜか竹やぶで光る竹を見つけます。

 マンガの尾田栄一郎氏『ONE PIECE』ではモンキー・D・ルフィが偶然手に入れた「ゴムゴムの実」を食べてゴム人間になりました。

 話を動き出させるため、あえて冒頭に「偶然」を放り込む作品は意外と多いのです。

 ただし冒頭に「偶然」を出してしまうと、物語中にさらなる「偶然」を出すのが厳しくなります。

「書き手のご都合主義」が透けて見えるからです。

 小説を数多く読んでいる方はおわかりかもしれません。

 物語中に複数の「偶然」が発生する小説が大半です。

「興醒め」するはずの「偶然」をなぜ複数起こす必要があるのでしょうか。




一度しか起こらないから偶然

 人生において「偶然」は「一度しか起こらない」と思います。

「奇跡」も「偶然」に入れてしまっていいでしょう。

 その人にとって一生に一度あるかないかが「偶然」であり「奇跡」なのです。

 そのくらいの希少性がなければ「偶然」の羅列となり「興醒め」を引き起こします。

 たとえばジャンボ宝くじで一等前後賞合わせて七億円を当てるのは三千万分の一という著しく低い確率であり、当たれば確実に「偶然」になるのです。

 現在はホームドアの導入が進んでいる鉄道の駅ですが、まだ導入されていない駅でホームから転落する利用者もいることでしょう。

 それがたまたま電車が入線してくるタイミングと重なったら。

 そしてなんとか退避エリアに潜り込んで電車に轢かれずに済んだとしたら。

 これは「偶然」「奇跡」ですよね。

 では主人公が「ジャンボ宝くじ」で七億円を当て、ホームから転落するというふたつの「偶然」が起こったらどうでしょう。

 なにか話が出来すぎているように感じませんか。

 まるで「七億円を奪い取るために、誰かがわざと主人公をホームから転落させた」ように感じられるはずです。

 実はここに「偶然」の秘密が隠されています。




偶然も度重なると必然になる

「偶然」の対語は「必然」です。

 たまたま起こったことなのか、起こることが当たり前なのか。

 本来正反対の意味を持ちますが、実は表裏一体なのです。

 一万分の一の「偶然」が二回起こると一億分の一の「偶然」ということになります。

 しかし「そんなに都合の良い話があるのだろうか」と感じませんか。

 裏で何者かがいて「偶然」に見せかけて「出来事」を引き起こしているような。そんな感じが。

「偶然」とは「一回」しか起こらないから「偶然」なのです。

 それが二回も三回も起こるということはまず考えづらい。

 何者かによる作為を感じざるをえません。

 そうです。「『偶然』も度重なると『必然』になる」のです。

 ミステリー小説や二時間サスペンスドラマが典例だと思います。

 犯人がトリックを用いてひとりを殺害します。

 するとその場面を目撃していた人に気づき、その人の口を封じるのです。

 最初はただの「偶然」だったのかもしれませんが、目撃者を殺害したのは「偶然」ではありません。

「目撃者を殺さなければ犯行がバレる」と犯人が確信を持って殺すのです。

 ミステリー小説を読んだりミステリードラマを観たりしていると、必ず「偶然」が立て続けに起こることに違和感を覚えなければなりません。

 もし「偶然」が度重なっていることに違和感を覚えなければ、犯人を絞り込むことが出来ないからです。

「偶然」が複数起こるとき、その「偶然」同士が連携して「必然」を形成します。

「偶然」とは「必然」の端緒でしかないのです。




小説でも偶然は必然の端緒

 冒頭に書きましたが「小説は基本的に「偶然」を嫌います」。

 でもそれは「偶然」だから嫌われるのであって、「必然」の端緒であったのなら、かえって読み手から喝采を浴びるのです。

「偶然」を「必然」の端緒にするには「伏線」を用いましょう。

 もう何度もしつこいくらい繰り返していますが、小説は「伏線」なしでは面白みに欠けます。


 たとえば釣り竿も餌も持たずにタイやヒラメを獲ることができるでしょうか。

 それこそ「偶然」でも起きない限り捕まえることはできません。

 そこで「釣り竿」と「餌」という「伏線」を用意してタイやヒラメを捕まえてみましょう。

「偶然」がなくても釣り上げることができますよね。


「恋愛小説」で思いを寄せる異性に告白したいのだけれども、勇気がなくてこちらから切り出せない。

 そんな場面も多いですよね。

 この状況で意中の異性の側から告白してくれることは「偶然」以外にありえません。

 しかし「意中の異性がひょんなことからこちらの気持ちを知ってしまった」という「伏線」が書いてあれば「偶然」は「必然」に変わります。


「伏線」が張られていない出来事を起こそうとするから「偶然」の連発になって興醒めするのです。

「伏線」が張ってあれば、以後起こる出来事は「必然」の流れに乗ります。

 だからこそムダな「伏線」を張るべきではありません。

 小説にムダなことを書いておくスペースなどないのです。

 とくに小説投稿サイトにおいて、回収されない「伏線」を張りまくる書き手が散見されます。

「連載小説だから伏線をたくさん出さないと物語が面白くなくなる」という理由からかもしれません。

 しかしその心配は当たりません。

 マンガの青山剛昌氏『名探偵コナン』は、「黒の組織」というたったひとつの「伏線」によって二十年以上の連載を続けています。

「伏線」がひとつしかなくてもやりようはあるのです。

 マンガの美内すずえ氏『ガラスの仮面』も「紅天女」というたったひとつの「伏線」を軸にして不定期連載を続けています。

 こちらは少女マンガでもあり主人公・北島マヤを陰ながら支援している「紫のバラの人」の「伏線」もありますが、それを含めても「伏線」は二本しかありません。





最後に

 今回は「偶然という名の必然」について述べてみました。

「伏線」が書いてあることで「偶然」は「必然」になります。

 しっかりとした「伏線」を張ることで、ピンチに陥ったときの一発逆転の奇策が「偶然」によるものに見えながらも、しっかりと読めば「必然」だったのだと気づくわけです。

 奥深い小説を書こうとするなら「偶然」には「伏線」を張って「必然」に変わるようにしてください。




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