346.不調篇:興味のあるものなら必ず書ける

 今回は「興味のあるものなら書ける」ことについてです。

 猫好きな方は猫についていくらでも話せますよね。

 興味があるから書く材料があるのです。

 小説を書くときに、あなたが興味を持っているものを書きましょう。





興味のあるものなら必ず書ける


 猫好きな人に猫の話をさせると何時間でも語ってくれます。

 目を輝かせて拳を握りしめて話に花が咲くのです。

 猫に興味のない人は「よく猫でそれだけ話せるなぁ」と思います。

 小説を書くときも同じです。

 猫好きな人は猫のことならいくらでもすらすらと書けます。

 しかも読めばかなり面白い。

 猫に興味のない人に猫の話を書かせてもなかなかうまく書けません。

 苦労の末にようやく書きあげた作品も、情熱がありませんから正直面白くないのです。




興味があれば書きたいことが山のようにある

 猫好きな人は猫に対して書きたいことが山のようにあります。

「この子はペルシャ猫」で「この子で三代目」で「寂しがり屋」で「やんちゃばかり」して「その割に人見知りするんですよ」のように。

「ご飯を食べるときは私が出すまでじっと待ってくれる」し「少し寒くなるとパソコンの前で丸くなる」し「毛糸玉があるとじゃれてしまう」し。

 猫に興味のない人から見れば、猫はただの動物でしかありません。

 しかし猫好きな人にとって猫は愛すべき家族の一員です。

 書きたいことに満ちあふれています。

 猫に寄せる愛情が言葉の端々から垣間見えるのです。

 ペットがいなくても子どもや弟妹がいる方ならおわかりではないでしょうか。

 家族の一員であり、興味と愛情があるから、書きたいことが山のようにあります。

 書く内容に意義を感じていなければ、誰もそれについて書こうとは思いません。

 愛着のあるものについては「書かずにいられない」のです。

 あなたは「書かなければならない」小説と「書かずにいられない」小説のどちらが書きたいですか。また読みたいですか。

「書かなければならない」文章は、書かなければと思っていても筆がたびたび止まります。

 読んでみると猫にまったく魅力を感じません。

「書かずにいられない」文章は、書きたいことがありすぎて、どれを書けばいいのかで悩むことはあっても、なにを書けばいいのかとは無縁です。

 読んでみると猫好きな人でなくても「猫ってかわいい生き物なんですね」と魅力的に感じられます。


 書き手のことなんて書かなくてよいのです。

 書きたい対象がなにをしているのか、なにをしたのか。それを書くことに意味があります。

 猫を猫としか見ていなければ、猫についての小説は書けません。

 夏目漱石氏は『吾輩は猫である』において、猫を人のように書きましたよね。

 だから『吾輩は猫である』は多くの人に読まれる小説となったのです。




勉強だけでは書けない

 興味と勉強の関係は裏表です。

 興味があれば自ら積極的に情報を集めて、その物事のことを知ろうまた理解しようとします。

 勉強は必要に迫られて情報を集めますから、受動的になってその物事は浅い知識にとどまります。

 ここにも「書かなければならない」と「書かずにいられない」の違いが現れるのです。

 興味は「書かずにいられない」状態になり、勉強は「書かなければならない」状態になるのです。


 興味があれば小説は必ず書けます。

 ご自身の興味に従って、飽くことなくいくらでも情報を収集しているからです。

 コンピュータのことが好きな人は、コンピュータの動向を敏感に察知します。

 一眼レフカメラを愛していても同様です。

 興味があるのに情報収集を怠るなんてことはありえません。

「誰よりも詳しく知りたい」という欲求があるからです。


 興味があるものについては、皆様自分なりの価値観を持っているはずです。

 この洗濯機は動作音が小さく、振動が少ないところが好きだ。

 逆に動作音は大きくなるけど圧倒的な洗浄力を有する洗濯機が好きな人もいます。

 そういう価値観です。

 価値観から小説の生き生きとした描写が紡ぎ出されます。

 それほどの価値観を有していないことを題材にしても、すぐに知識が底をつくのです。

 だからといって価値観の押しつけはやめましょう。

 たとえば「猫というものはきまぐれな動物である」や「洗濯機というものは衣服に付いた汚れが落ちればどのメーカーでもいいのだ」と書いても読み手に響きません。

 猫のきまぐれな態度を描写するだけでいい、洗濯機の汚れ落とし性能を描写するだけでいい。

 それを「〜というものは」などと書くのは野暮です。


 対して勉強は知識を浅く収集することになりますから、どうしても底の浅い小説しか書けません。

 もっと興味を持てば、さまざまな文献を読みに行ったり現地に赴いて取材したりできます。

 意欲がまったく異なるのですね。

 少なくとも自分が書きたい小説に関する知識には貪欲になってください。

 そしてその分野を好きになって興味を持ってください。

「歴史小説」を書きたいのなら、図書館などで専門書を読み込んだり、たとえば岩波文庫や講談社文庫などの一次資料・二次資料を購入したり、当時の文献を探して理解しようとしてみたり、生存者やその子孫がいるのなら直接話しを聞きに行ったりしましょう。

 それができないのなら「歴史小説」など書かないほうがいい。

 いずれ目の肥えた読み手から非難の嵐が巻き起こることが目に見えているからです。


 そうやって興味のないジャンルを切り離していった結果「ファンタジー小説」しか残らなかった。

 小説投稿サイト『小説家になろう』で活躍している人に最も多い傾向です。

『小説家になろう』は「ファンタジー小説」の投稿が多いのが顕著な小説投稿サイトで、さらに「異世界転移」「異世界転生」といった類いの作品が多いのも特徴になります。

「恋愛小説」しか残らなかった人は『エブリスタ』『ピクシブ文芸』が主戦場です。

 異世界を舞台にしても「恋愛小説」として投稿することができます。

『小説家になろう』でもそれなりの作品数があるのですが、総合評価ポイントは「ファンタジー小説」より一桁少なくなります。

 ですが「恋愛小説」はコアなファンが多いため、一度読み手を惹きつけたら最後まで読んでくれる方が多いので、閲覧数(PV)は総合評価ポイントの比率よりも高くなるのです。




自尊心は観察眼を狂わせる

 オスの三毛猫は突然変異でしか生まれません。

 世のたいていの三毛猫はメスなのです。

 だから金持ちは「オスの三毛猫」を飼いたくなるのでしょう。

 しかし「オスの三毛猫」に興味があったわけではありません。

 希少な「オスの三毛猫」を飼っている自分に自尊心や優越感を抱いているだけなのです。

 自尊心は満たされ優越感に浸れるでしょうが、「オスの三毛猫」に対する知識はどの程度有しているのでしょうか。

 かなり怪しいと思います。


 なんにでも関心を持つことはいいことです。

 しかしそれがただの自尊心や優越感のためだけだったら、なんの知識も得られません。

 小説を書いたとしても知ったかぶりで恥をかくだけです。

 関心を持つだけにとどまらず、興味を持つところまで高めていってください。

 それからようやく小説を書くレベルにまで知識を高められます。





最後に

 今回は「興味のあるものなら必ず書ける」ことについて述べました。

 興味があれば誰に言われるでもなく積極的に情報収集を始めます。

 興味がなければ、たとえ小説を「書かなければならない」状態になっても知識や情報量に大きな差が生まれてしまうものです。

 出来あがった作品の差は言わずもがなでしょう。




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