323.執筆篇:私はウソつきだ

 今回は「矛盾」についてです。

「私はウソつきだ」と言っている人は、ウソつきでしょうか正直でしょうか。





私はウソつきだ


 今回のお題は「私はウソつきだ」です。

 ほとんどの方はこの一文を読んで、なんのことだかわからないと思います。

 書き手である私が「ウソつき」だという意味に受け取られそうですね。

 たしかに私は「ウソつき」です。それはときどきであってすべてではありません。

 実はこの一文、哲学に属しています。




論理のパラドックス

「私はウソつきだ」と言っている人がいます。

 この人は本当にウソつきなのでしょうか、それとも本当は正直なのでしょうか。

 それぞれ検証してみましょう。


 仮にこの人を「ウソつき」だと認定します。

 すると「私はウソつきだ」の言葉は本当のことですよね。

 つまり「ウソをついていない」ことになります。

 結果としてこの人は「正直」だということになってしまうのです。


 ではこの人を「正直」だと認定します。

 すると「私はウソつきだ」の言葉はウソになってしまうのです。

 つまり「ウソをついた」ことになります。

 結果としてこの人は「ウソつき」だということになってしまいます。


 これが論理の矛盾パラドックスです。


 小説を書いているとき、普通ならこんなパラドックスを起こさないはずなのです。

 しかし小説を書き慣れてくるにしたがって、論理のパラドックスを書いてしまうようになります。

 とくに書きたい内容がすらすらと思い浮かんで高速ライティングをしている際に起こしやすい。

「企画」⇒「あらすじ」⇒「箱書き」⇒「プロット」までを矛盾なく完璧に作ってあったとしても、いざ執筆しているときについ「私はウソつきだ」と書いてしまいます。

 しかも、たちが悪いのは、いくら推敲してもこの論理のパラドックスは発見しづらいということなのです。

「文として誤っている」わけではなく「書いてある意味が誤っている」のですからとくに見つけにくくなっています。


 似たものに「絶対なんて存在しない」という言葉があります。

 完全に「絶対が存在しない」のなら、「絶対なんて存在しない」の一文が成立して、結局「絶対は存在している」ことになります。

「絶対は存在する」のなら「絶対なんて存在しない」の一文がウソとなって、やはり「絶対は存在している」ことになるのです。


 頭の中がスパゲティーになっていると思います。

 このように「論理のパラドックス」は書き手には気づきにくいものなのです。




比較のパラドックス

「論理のパラドックス」同様なのが「基準の不確定」です。

「私は背が高い」という一文があるとします。

 ではどのくらい背が高いのでしょうか。


 恩賜上野動物園で話題の子パンダ・シャンシャンより「背が高い」のでしょうか。

 キリンより「背が高い」のでしょうか。

 子パンダより「背が高い」人はたくさんいますね。

 しかしキリンより「背が高い」人はいるのでしょうか。

 これも矛盾を起こしています。


 比較対象である「基準」が明確でないから起こる「比較のパラドックス」です。


「私の彼は背が高い」は本当に「背が高い」のでしょうか。

 少なくとも「私」より「背が高い」のは事実です。

 ですが私が小学生で130センチメートルしか身長がなければ、彼が140センチメートルであっても「背が高い」ことになります。

 私が200センチメートルの身長なら、彼が200センチメートルよりも高くなければ「背が高い」ことにはならないのです。

 140センチメートルでも200センチメートル超でも「私」から見れば「背が高い」ことに変わりはない。

 では日本人成年男子の平均身長と比べたらどうでしょうか。

 現在の日本人成年男子の平均身長は170センチメートルほどです。

 すると140センチメートルの彼は「背が低い」ことになりますし、200センチメートルの彼は「背が高い」ことになります。


 この「比較のパラドックス」は「絶対値」で書けば解消します。

「私の彼は身長二メートルだ」と書けば平均身長よりも「背が高い」ことが明確です。

 「私の彼は身長百四十センチメートルだ」と書けば平均身長よりも「背が低い」ことになりますよね。

 これでどのくらい高いのかは一目瞭然です。


 ですが「あえて比較で書きたくなる」ときがあります。

 単位を出したくないときです。


 小説投稿サイト『小説家になろう』では「ファンタジー」ジャンルの「ハイファンタジー」が一番人気です。

 舞台が異世界であるため、現実の単位であるメートルやグラム、またはヤードやポンドを使うのは明らかに不自然ですよね。

 となれば「独自単位」を考えなければなりません。

 しかし一作ごとに「独自単位」を考えていくのは正直に言って面倒くさすぎます。

 とくに短編小説を専門に書く人なら毎回「独自単位」を作るなんてムダなことこのうえない。

 書き手が同じであれば、どの異世界でも同じ「独自単位」を使う。

 そういう決まりにしても誰からも文句は言われません。

 だから「独自単位」は使いまわせます。


 でも異世界を書き慣れていない書き手は「独自単位」という発想が思いつきません。

 そのため「メートルやグラムをそのまま使うのは無理があるよね」と感じはしても、つい「比較」で書きてしまいがちなのです。


「比較のパラドックス」は「絶対値」で解消できます。

「比較」を使うと逆にわかりにくくなるわけです。

 とくに単位を使いたくない短編小説なら、「比較」で書いても矛盾は表出しにくい。

 でも長編小説や連載小説を書いているのなら、できるかぎり「絶対値」で書くようにしましょう。





最後に

 今回は「私はウソつきだ」について述べてみました。

「論理のパラドックス」と「比較のパラドックス」があります。

 とくに意図がないかぎり矛盾パラドックスは作らないようにしましょう。

 推理小説(ミステリー小説)であれば、意図的にパラドックスを仕掛けていきます。

 叙述トリックにはパラドックスによる読み手の困惑が欠かせません。

 パラドックスも使いようなわけですね。



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