322.執筆篇:小説にはリアリティーが必要

 今回は「リアリティー」についてです。

 小説は基本的に「フィクション」で出来ています。

 ですが「リアリティー」がなければ読み手が感情移入できないのです。





小説にはリアリティーが必要


 小説とは「フィクション」を組み立てて、さも「本当に起こった」ことのように読み手に伝える文章のことです。

「本当に起こった」ことのように書くには、文章に「リアリティー」がなければなりません。

「フィクション」を組み立てて「リアリティー」を築きあげるのです。

 なにか言っていることが相反していますね。




感覚を刺激する文の連なり

「フィクション」はその一文を読むだけではただの「フィクション」に他なりません。

 ですが「フィクション」の文を読ませることによって、読み手の感覚を刺激することはできます。

 その刺激の連なりによって、読み手は小説世界へと一歩ずつ踏み入ってくるのです。

 ジャンルによって踏み入る速度に差が生じます。

 現実世界の小説なら、書き出しから読み進めるにしたがってみるみるうちに小説世界へ引き込まれていくのです。

 ですが「事実」や「真実」と明らかに異なる一文を目にした途端、読み手は現実に引き戻されてしまいます。

 たとえば氷点下40度の極寒地にいながら「今日も暑いな」という人はまずいませんよね。

 寒いか寒くないかという判断はあっても「暑い」と思う人なんているのでしょうか。

 このように「事実」や「真実」と異なる一文にはじゅうぶん注意してください。

 感覚を刺激する文を読み進めることで、読み手は小説世界へと誘われます。

 一度でも刺激の仕方を間違えてしまうと、小説世界から弾け出てしまうのです。

 小説の質とは詰まるところ、いかに「事実」や「真実」に根ざした「フィクション」文を読ませ続けることができるかにかかっています。




リアリティーを支えるもの

 リアリティーを追求するためにはできるかぎり「取材」や「情報収集」および「情報の取捨選択」することが求められます。

「現実にあるもの」を根底とするから、「フィクション」文にも「事実」や「真実」を取り込めるのです。

 たとえば三千メートル上空から自由落下する際、空気抵抗を受けて時速280キロメートル以上の落下速度は出ないとされています。

 高さを五千メートル、一万メートルに変えても同様だそうです。

「万有引力」があるので「高いところから落ちるほど、地面に激突する速度は高くなる」と思いがちです。

 でも現実に地球には大気が存在し、空気抵抗を無視した前提は地球上に存在しません。

 このように「取材」「情報収集」「情報の取捨選択」は、小説にリアリティーを与えてくれます。

 それを無視してリアリティーを感じさせるのは、「SF小説」や「ファンタジー小説」などごくわずかな分野です。




SF小説では

 では「SF小説」だとどうでしょうか。

「SF小説」には現実世界ではまだ作られていない装置が出てくることがあります。

「未知のテクノロジー」ですね。

 読み手はこの「未知のテクノロジー」を読んだとき、現実世界の小説と同様現実に引き戻されてしまうものでしょうか。

 結論から先に言うと「より小説世界に入り込む」ことになります。

 現実世界であれば「未知のテクノロジー」なんて登場しようものなら、即座に我に返ってしまうのです。

 なのに「SF小説」では「より入り込む」。

 なぜかと言えば「SF小説であることを前提として小説を読んでいる」からです。

 読み手は「未知のテクノロジー」がこの小説世界に存在するものだと、端から信じています。

 だから「未知のテクノロジー」が出てきても我に返ることがないのです。


 ですが「未知のテクノロジー」と整合性のとれない「フィクション」を書いてしまうと、矛盾を感じて我に返ります。

「SF小説」は「なんでもあり」の世界ではありません。

 テクノロジーの整合性がとれなければ「矛盾」が発生するのです。

「未知のテクノロジー」を登場させるからには整合性にじゅうぶん配慮しましょう。


 たとえば『ドラえもん』の「どこでもドア」が出てくる「SF小説」を書いたとして、「どこでもドア」を開いたらその先は深海だった、という物語は成立するのでしょうか。

 成立しませんよね。

 だって深海とつながってしまったらのび太の部屋はおろか東京都東部は水没してしまうはずだからです。

 整合性がとれず「矛盾」が発生してしまいますよね。

 これが「なんでもあり」の世界ではない理由です。




ファンタジー小説では

 では「ファンタジー小説」だとどうでしょうか。

「ファンタジー小説」では刀剣や槍や斧などが出てきてもいいですし、戦車があってもいい。

 なんだったら戦闘機やロケットが飛んでいたってかまわないのです。

「ファンタジー小説」はまさに「なんでもあり」の世界になります。

 だからよほどのことがないかぎり、読み手は小説世界を味わい尽くそうとするのです。

 神と天使や魔神と悪魔がいようと、魔法があろうと、物理法則を無視しようとかまいません。

 そういったものを含めて「ファンタジー小説」と言いますからね。


 ただし注意してほしいのが「設定のひるがえし」です。

 ある場面で「こういうことはできない」という設定にしてあったのに、ある場面で「こういうことはできる」と設定を翻してしまうと、「じゃあなんであのとき『できない』ってことになっていたんだよ」と必ずツッコまれます。

 たとえば「結界の中では魔法は使えない」と設定してあるにもかかわらず、「結界の中で治癒魔法を使って傷を癒やす」場面というのが出てくる可能性があるのです。

 これはそれが可能となった「原因」を事前に「説明」してあればある程度回避できます。

「結界の中では魔術師の用いる魔法は使えないが、神官の用いる魔法は使える」という「設定」をあらかじめ「説明」してあれば矛盾せずに使用可能です。


 この「設定の翻し」は行為が行なわれる直前や行なわれた後になって説明する書き手が殊のほか多い。

 ですがそれでは「書き手の自己都合」つまり「行き当たりばったり」な展開を読ませているようなものです。

 この手の「設定」は小説の初めのうちから言及する必要があります。

 つまり「伏線」にしてしまうのですね。

「伏線」として「この状況でもこれは可能」と触れておくだけでもだいぶ印象が異なってきます。

「行き当たりばったり」ではなく「計算通り」なわけですね。





最後に

 今回は「小説にはリアリティーが必要」なことについて述べてみました。

 小説は「フィクション」です。でも「リアリティー」がなければ読み手に響きません。

 書き手には「フィクション」をさも「実際に目の前で起こっている」かのように書くことが求められます。

 そのためには「読み手の感覚を刺激する」文が連なることと、それが一般常識から外れないだけの知識・常識として提示される「リアリティー」が必要です。

「SF小説」「ファンタジー小説」ではさらに別の束縛が存在します。

 あなたの「フィクション」は「リアリティー」を伴っているでしょうか。



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