150.応用篇:感情は割り増しで書く
今回は「感情」の描写についてです。
小説は「一次元の芸術」です。それがわかると書くことがわかりやすくなります。
感情は割り増しで書く
感情はそのものを示す言葉を使うと陳腐になります。
単に「嬉しい」「楽しい」「悲しい」「憤る」「哀れだ」などと書いても読み手には伝わりません。
だからといって、それらの言葉をいっさい排除すると書き手としては「これで本当に感情が伝わるのだろうか」と疑心暗鬼に陥ります。
感情は割り増す
感情語をそのまま使うのは野暮です。
「嬉しい」と書くか「胸が高鳴る」と書くかでは違いますし、「悲しい」と書くか「胸が張り裂けそうだ」と書くかで印象が異なります。
ですがその一言を置き換えるだけでは、主人公の感情は読み手に伝わりづらいのも確かです。
そこで感情の表現を重複させて感情を割り増しましょう。
「嬉しい」なら「上気して顔が赤くなった。鼓動が高鳴る」と書けば先ほどより感情が伝わってきませんか。
「悲しい」なら「今にも泣き出しそうな顔をした。胸が張り裂けそうだ」と書くのも先ほどより伝わってくるはずです。
このように、感情語を一文に置き換えるだけでなく、二文以上や重文にして感情表現を割り増していきます。
今まで以上に主人公の感情が読み手の心に届くはずです。
だからといってさまざまな描写をすべて書き込んでいたのではムダに文字数を費やすだけで、感情表現だけが冗長してしまうことになります。
ここで必要になるのが「省く技術」です。
感情表現を増減させる
感情表現は一文だけだと弱い。だからといって十も二十も書き連ねたら冗長になるだけで効果が薄まってしまい、最悪その時点で飽きられます。
適当な文字数で書く必要があるのです。
感情表現の文字数を増減させる目安は「どれだけその感情を読み手に伝えるべきか」という書き手の主観によります。
つまり「この感情はさらっと流したい」と思えば「嬉しい」「悲しい」と書いてもいいのです。
「この感情は重要だから読み手の『心に痕跡を残す』ようにしたい」と思えば感情表現の文字数を多くし畳みかけます。
小説は登場人物とくに主人公の感情の移ろいを書くことが主眼です。
売りがキャラ同士の軽妙な会話のやりとりであっても、感情の変化を読ませましょう。
このように小説では多様な感情表現が要求されます。
なんでもかんでも「嬉しかった」「楽しかった」「悲しかった」「憤った」「怒った」「哀れだ」とだけ書いてしまうと、「シーン」の中で同じ用言が繰り返されてとたんにつまらない小説になるのです。
内容がどれほど感動的で名作と呼べるような作品であっても、それだけで評価が下がってしまいます。
だから「感情を読ませるために重要」であれば感情表現を用いることが必須になるのです。
でも前述したように書きすぎてはいけません。
感情表現は多くするべきですが増やしすぎてもダメなのです。
そこで「とくに読ませたい感情表現に絞る」ことに注力してください。
それ以外は省いてしまってかまいません。
その一文が無くても意味はじゅうぶんに通じる。そうならばその一文は必要ないのです。
その一文を削ってしまうと感情表現が弱まると判断するのであれば残しておきましょう。
慣用句や常套句はできるだけ避ける
「鼓動が高鳴る」「胸が張り裂けそうだ」という感情表現は慣用句・常套句です。
もしあなたの感性でこれらに代わる描写が可能なのであれば、慣用句・常套句を省いてオリジナルな描写だけにしましょう。
慣用句・常套句は使いやすいのですが、読み手が見慣れていて新鮮味がないからです。
とくに文学小説で小説賞を取ろうと思っているのならば、慣用句・常套句の多用は避けたほうがよいでしょう。
その点ライトノベルは小説を読み慣れない中高生が主要層です。慣用句・常套句を用いても比較的に感情が伝わりやすくなります。
ですが慣用句・常套句ばかり使っていると、同じ表現ばかりになってしまい、小説の新鮮味がなくなります。
「この描写はさっき読んだな」と思われたら「語彙力がない」と思われてしまうのです。
だからライトノベルであっても慣用句・常套句はできるかぎり避けるほうが無難だといえます。
マンガやアニメ以上に
感情を書くときはマンガやアニメのように、あるいはそれ以上に「誇張」させましょう。
現実世界は高さと幅と奥行きのある三次元、マンガやアニメは平面の二次元といえます。それに対して小説は文字だけで構成された直線状の表現形式です。つまり「一次元の芸術」になります。
演劇を観に行ったことがある人はわかると思いますが、三次元の演出にはとても多くの情報が詰まっているのです。
まるで自分がそこにいるかのような感覚を与えてくれます。
それに対してマンガやアニメなどの二次元の演出は現実世界よりも「誇張」が求められます。
「笑う」「泣く」「怒る」などの感情を誇張して描くのです。
だからこそマンガやアニメは年代も性別も国境さえも越えて読まれ観られています。
「笑う」ときは腹を抱えて笑う、「泣く」ときは滝のような涙の流れを描くなどです。
またアニメでは通常声優が声を当てます。
三次元の俳優がアニメのキャラクター・ボイスを担当するとひじょうに平板で感情の起伏のない声になってしまうのです。
本業が声優の方の演技は日常よりかなり「誇張」した表現をしています。
そうしないとアニメが淡々としすぎてキャラクターが魅力的に映らないからです。
ただの芸能人がアニメの吹き替えを演じてバッシングを受ける理由もそこにあります。
マンガやアニメは二次元になるため感情表現を「誇張」せざるをえません。
では「一次元の芸術」である小説はどうでしょうか。
舞台やドラマなど三次元の感情表現をそのまま持ち込んでも淡々としすぎです。
マンガやアニメなど二次元の感情表現を持ち込めば、三次元よりも馴染みます。
ですが次元が一つ高いので、どうしても印象が薄くなるのです。
となれば小説は「マンガやアニメ以上に」感情表現を「誇張」しなければなりません。
「過激に書きすぎかな」くらいがちょうどよいのです。
多くの書き手は小説の次元を理解していません。
マンガやアニメが好きだからそれらを小説化にすればいいや。そう思いがちなのです。
とくに『pixiv小説』の二次創作で多く見受けられます。
小説には「一次元の芸術」として小説特有の演出技術があるのです。
それを会得するには「自分の好きな小説家」の文章をよく読みこなす必要があります。
そしてどの程度感情表現が「誇張」されているのかをわきまえるのです。
マンガやアニメの小説化作品はかなりの数があります。
それらをよく見比べて、どのくらい表現が「誇張」されているのかを知れば、あなたの小説はより読み手の心を揺さぶって「心に痕跡を残す」ことができるのです。
最後に
今回は「感情は割増で書く」ことについて述べました。
小説が「一次元の芸術」であることを再確認してください。
そこにただ単にマンガやアニメなどの「二次元の芸術」の感情表現を持ってくるだけでは程度が低くなります。
それは舞台やドラマや映画などの「三次元の芸術」「二.五次元の芸術」を担っている俳優がアニメの吹き替えをするのと同じことです。
読み手は物足りなさを覚えます。
「アニメの吹き替えは声優に任せろ」と言う人は多いのです。
それなのに「小説を書くのなら書き手の感情表現に任せろ」と言う人は少ないと思います。
簡単にいえば水嶋ヒロ氏『KAGEROU』のようなものです。
こちらはさらに悲惨で「三次元の芸術」のドラマを「一次元の芸術」の小説に持ち込んでしまいました。
そのせいでほとんど小説の体をなしていません。
小説の書き手としての私は「それでよくポプラ社小説大賞が獲れたものだ」と半ば呆れるしかないのです。
つまり「一次元の芸術」である小説には、マンガやアニメ以上の「誇張」が求められるということです。
そうすれば読み手に幅広く受け入れられます。
将来アニメ化されるときが来れば、脚本さんが「誇張」を二次元レベルまで落としてくれるので、小説の段階ではできるかぎり「誇張」して書きましょう。
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