133.応用篇:バトル小説の面白さは

 派手な小説だからとにかく戦って戦って戦いまくる!!

 そんな小説は果たして面白いのでしょうか。

 あなたの小説はバトルに重心を置きすぎてキャラが薄くなっていませんか。





バトル小説の面白さは


 バトル小説の醍醐味はなんといっても主人公とライバルや「対になる存在」とのバトルシーンです。

 ボクシングであればチャンピオンと挑戦者とで熾烈な戦いが繰り広げられます。まさに「血湧き肉躍る」状態です。

 ですので「バトル小説の面白さはバトル以外で決まってくる」と言っても信じてもらえないかもしれません。





バトル小説はバトル以外で面白さが決まる

 バトル小説はとにかく誰かと戦って勝敗をつけるから面白い。

 そうお思いの方が多いでしょう。


 実際バトル小説の見せ場は「バトル」そのものが大きな比重を占めています。

 しかしよく読めばわかりますが、ほとんどのバトル小説は肝心の「バトル」以外の場面で面白さが決まってくるものです。


 バトル小説であっても、日常の人付き合いや生活などの息遣いが感じられる要素によって登場人物の人間像を深掘りし、キャラの背骨バックボーンや考え方を読み手に伝えることはできます。


 そういったキャラたちがバトルするから真実味リアリティーも増すのです。

 人物像を深掘りせず、ただバトル一辺倒では、キャラが薄すぎて読み手は感情移入できません。

 こうなると読み手は面白く感じないのです。



 賀東招二氏『フルメタル・パニック!』は巨大ロボットのアーバレストによるバトルが最大の見せ場になります。

 ですが主人公の相良宗介がヒロインの千鳥かなめを守るためになんでもないことでガンアクションを繰り広げたり靴箱を爆破したりします。

 そしてかなめにハリセンで張り倒される日常が描かれているからこそアーバレストによるバトルが引き立つのです。





日常シーンでキャラに感情移入させる

 つまり日常シーンでいかにキャラを魅力的に見せ、読み手をキャラに感情移入しやすくするかが求められます。

 「バトル小説なんだからバトルシーンだけを書けば読み手の血はたぎるんだよ」とお思いならそう書いてもいいでしょう。

 それで読み手の支持が得られるのであれば、その道を進むべきです。


 ですが、バトルシーンしかないバトル小説は誰に感情移入してよいのかわかりかねます。

 バトル以外の日常でキャラのことをつまびらかにしていけば、読み手は少しずつキャラに愛着を覚えてくるものです。



 鎌池和馬氏『とある魔術の禁書目録』は主人公・上条当麻の『幻想殺し(イマジンブレイカー)』によるバトルが見どころであることは確かでしょう。

 しかし単行本の中ではバトルシーンよりも日常シーンのほうが紙面を大きく割いて書かれています。

 そうしなければ上条当麻のキャラは立っていたでしょうか。

 インデックスや御坂美琴のことをしっかり描写しないで脇役が引き立つでしょうか。

 いずれも無理だと思います。

 だからこそバトル小説であっても日常シーンが鍵を握るのです。


 川原礫氏『ソードアート・オンライン』もバトル一辺倒な小説だと思われがちです。

 主人公のキリトとヒロインのアスナの結婚生活を描くことで緊迫している前線と穏やかな生活とのギャップを出すことで、最終決戦がより盛り上がりました。



 日常シーンがうまく書けて、読み手にはできれば名のある登場人物全員に愛着を抱いてもらいます。

 そうすれば登場人物たちがどんな事態に陥るのかワクワクしてきますし、出来事が起きたらこれから登場人物たちはどうなるのだろうとハラハラ・ドキドキしてくるのです。





戦争ものや群雄伝なども

 王国などの戦記ものや群雄伝などを書く場合、どうしても派手な戦争にばかり注目が行きがちです。

 しかしこちらも戦争一辺倒ではなく、常日頃どのような内政・外交を行なっているのか、国王はどんな人となりをしているのか。

 そういったものを書くことで、どういった国体で主義主張の国が他の国々と対決するのかという背骨バックボーンとなって、戦争にももっと深みが出てきます。


 中国の歴史を記してきた書物の中でも著者不明の『春秋』『戦国策』、それを受けた司馬遷氏『史記』には確かに戦争のダイナミズムが載っていますが、戦争ではない日常のエピソードのほうが文字数が多いのです。


 このあたりは私が(『ピクシブ文芸』に)投稿している小説『暁の神話』の反省も含まれています。(すでに削除しています)。

 キャラをもっと深掘りできていたら、三度の合戦はもっと説得力があったのではないか。

 国王と皇帝の内政・外交をもっと書けていたら物語はもっと盛り上がったのではないか。

 そう思っています。

 「あらすじ」の段階から三度の合戦は想定していましたし、「プロット」の段階でも合戦を中心にして組み立てていたのです。

 でもその合間にあるキャラの深掘りや立ち居振る舞いができていたのか、という点を省みると「もっとキャラを立てておけばよかったな」と今さらながら感じます。

 本コラムの執筆を始めてから、自分の書いた小説が客観的に見られるようになったので「こういう点が悪かった」「こうしておけばよかった」と今さらながら反省しきりです。

 とくに王国側は名前のない将軍が多いため抽象に過ぎたきらいもあります。


 まぁ一度に把握できる数は五つが基準だと私自身が判断しているので、主要キャラ以外は粗略に扱わざるを得なかった面もあるにはあるのです。王国軍は国王、宰相、軍務長官、ミゲル将軍、ガリウス将軍の五名、帝国軍は皇帝、宰相、クレイド大将、ヒューイット大将、マシャード大将の五名が最初の段階で存在しています。

 それを殺してから新キャラを追加し、双方ある程度数が五になるよう調整していたのです。

 このあたりはもっと柔軟に考えればよかったなと思います。


 『暁の神話』は『小説家になろう』様と『カクヨム』様と『ピクシブ文芸』様で連載小説として、もっとキャラを深掘りしながらリライトしたいなと思っています。(『カクヨム』様オンリーで『秋暁の霧、地を治む』として投稿しております)。

 なにしろ私の書く一連の小説の出発点となる作品であり、書き手である私自身がある程度納得した物語になっていないと、続きを書こうという意欲が湧かないからです。

 『暁の神話』の傍流である短編『始まりの勇者』という小説が手元にありますが、私のWebサイト以外に掲載していません。

 そのWebサイトも10月で公開終了となるため、近いうちに『小説家になろう』様と『ピクシブ文芸』様へリライトしたのち投稿したいと思っています。(すでに『小説家になろう』様と『ピクシブ文芸』様へ投稿済みです)。


 私としては久しぶりの小説投稿となるため、いろいろと考えながら進めなければなりません。

 百三十を超えるコラムが肥やしとなって、よりよい短編小説になるようにしたいと思っています。





最後に

 今回は「バトル小説の面白さ」について述べてみました。

 バトル小説はバトルシーンが面白ければよいのかといったら大間違いです。

 バトル以外の日常シーンでいかにキャラを魅力的に書けているのかが重要になります。

 日常シーンでキャラを深掘りするのです。


 すると読み手はキャラに感情移入しやすくなって、肝心のバトルシーンのワクワク・ハラハラ・ドキドキが高まりやすくなります。


 バトル小説の肝はバトルシーンではなく日常シーンにあるのです。



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