68.中級篇:改めて「小説」とは
いったん総括して改めて「小説」について書いてみました。
「実体のない」ものをさも「実在した」かのごとく書いたもの。
それが「小説」です。
改めて「小説」とは
今回は、改めて「小説」というものについて考えてみます。
小説は散文の一種
「小説」とは「散文」の一種です。「散文」とは「韻律や定型にとらわれない通常の文章」(『デジタル大辞泉』より)を指します。
「散文」の対語は「韻文」です。こちらは「一定の韻律をもち、形式の整った文章。漢文では句末に韻字を置いた詩・賦などをいい、和文では和歌・俳句などをいう。狭義には詩と同義に用いられる」(『デジタル大辞泉』より)となります。
つまり俳句や川柳、短歌や和歌(たとえば五・七・五)のように句や音数が制限されているものは「韻文」です。「狭義には詩と同義に用いられる」のですから、詩も「韻文」として扱うべきだと思いますので、本コラムでは除外することにしました。
記事やルポルタージュや論文、エッセイや小説のように句や音数に制限がないものはすべて「散文」といいます。
ではその「散文」の中で何を「記事」といい、何を「小説」とするのでしょうか。
散文の大別
「記事」は新聞や雑誌などで「読み手へ実際に起きた出来事を伝えるために書かれた『散文』」です。
こう書くとルポルタージュも論文もエッセイも「記事」に分類されます。
それだけでなく「ノンフィクション小説」も「実際に起きた出来事を伝えるために書かれた」ので「記事」に含まれてしまうのです。
よって以後「小説」と書くときは「ノンフィクション小説」を除外し「フィクション有りの小説」だけとします。
「小説」とは「読み手に不確かな出来事や架空の出来事を伝えるために書かれた『散文』」です。
つまり書かれた内容には「実際に存在した」という明確な実体がありません。
実体がないものを読み、読み手が頭の中で空想し
「散文」としては他に「日記」もありますよね。
「日記」は「書き手が実際に経験した出来事を記録しておくために書かれた『散文』」ということになります。
読み手は「将来の自分」であって他の誰かに読ませるために書いていません。
「将来の自分」のために残しておく記録文なのです。
そうなると「ネタ帳」も「散文」に入れてしまっていいでしょう。
「ネタ帳」は「書き手がそのときに記録しておきたいものを忘れないよう残しておくために書かれた『散文』」ということになります。
読み手は「日記」同様「将来の自分」です。
ネタ帳を作ろう
小説を書こうという人、すでに書いている人は必ず「ネタ帳」を作ってください。
「ネタ帳」があるからこそ「いい出来事が思いつかない」ときでもネタの泉が尽きないのです。
でも「ネタ帳」を持っただけで終わっては意味がありません。
「ネタ帳」は大きく分けて、報道やSNSなどで扱われた事件や事故や知識になることなどの「ニュース」を書くものと、他人の創作物に触れて気づいたことや感じたことや思いついたことなどの「イメージ」を書くものの二つ持つべきです。
これを交ぜ書きしてしまうと、「イメージ」のネタを読みたいのに開いた「ネタ帳」には「ニュース」のネタが山積していた事態が生じてしまいます。
これではせっかく効率よく出来事を思いつくために「ネタ帳」を作った意味がありません。
またデジタル時代ですが「ネタ帳」は紙のノートに手書きする事をオススメします。できればルーズリーフのような「ページを差し替えられる」ノートがよいでしょう。
そして右利きなら見開きの右側ページだけに書いてください。これは「差し替え」を前提にしているためです。
左側に書いてしまうと、右側を頼りに「差し替え」たら左側の情報がてんでんばらばらになってしまいます。
だから右利きなら右側ページだけに書くほうが効率がいいのです。鉛筆や万年筆などで書いた場合、右側ページに裏写りすることもありません。
「箱書き」で使う「ハガキサイズのメモ用紙」を使う手もあります。この場合も綴じ穴が空いていてバインダーにまとめられるものがオススメです。
ただしルーズリーフに比べて費用はかかります。
差し替えのできる「システム手帳」でもいいでしょう。「ハガキサイズのメモ用紙」と「システム手帳」の二つは小説を書くときに、そのまま「箱書き」として使用できる利点があります。
小説を書こうと思い立ち「ニュース」と「イメージ」の「箱書き」を適当に選んで並べ替えるだけであらすじができてしまうのです。
多くの作品を書く人にとってはとても便利なので、検討してみてはいかがでしょうか。
小説とは実体のないもの
閑話休題。
「小説」とは「実体のない」ものを書いて、読み手にさも「実在した」かのごとく空想しイメージを膨らませてもらうために存在します。
それには「読み手が空想しイメージを膨らませる」ための情報が書かれていることが不可欠です。
意識をしないと書き漏らしてしまうことがあります。そのような小説は「書き手の独り言」と同じにみなされるのです。
せっかく苦労して書いたのに「書き手の独り言」呼ばわりされます。
読み手が主人公に感情移入するためには、主人公が見たり聞いたりして感じていることや思っていること考えていることを書く必要があります。
書き手は頭の中で「主人公の五感をイメージ」して思い浮かんだものを文章として綴っていくのです。
感覚が書かれてある文章を読んで、読み手は「五感で疑似体験」します。
それが感覚を伝える唯一の手段です。
つまり読み手の「五感で疑似体験できない」文章をいくら書いたところで、書き手がイメージした主人公の感覚は伝わりません。
主人公目線で書いてあるからこそ、読み手は主人公に感情移入するのです。
一人称視点で書かれた小説は読み手が感情移入しやすく、三人称視点で書かれた小説は感情移入しづらいという特性があります。
神の視点は「対になる存在」を含む登場人物すべての心の内を覗けてしまうため、人生の疑似体験というよりも物語や歴史を読まされている感がとても強くなるのです。
(「神の視点」は田中芳樹氏『銀河英雄伝説』が参考になると思います)。
そのため小説を書いて大ヒットを狙うなら、まずは一人称視点で書くことをオススメします。
「小説」には主人公が行動する「舞台」が必要です。
「舞台」の状況を書かなければ、登場人物は暗幕の前で芝居をしているのと同じことになります。味気ないですよね。
きちんと「舞台」について説明し描写しなければなりません。
どの銀河のどの星系のどの惑星のというのはSF小説の領域でしょう。
どの大陸のどの島のどの地域のどの国のいうのは一般の小説でも必要になります。
東京都の府中市が舞台だとするなら「東京都府中市」という説明がないと場所が明確にどこだと断定できません。府中市は広島県にもあるからです。
「異世界転生」などの「異世界ファンタジー」だと惑星の構造が地球と異なるかもしれませんし、大陸も地球の世界地図通りとはならないでしょう。
気候や風土や慣習なども実世界の地球とは別になるはずです。
そこをきちんと説明し描写しなければ、書かれている「実体のない」ものをさも「実在した」かのように読み手が感じることはできません。
これも「書き手の独り言」呼ばわりされる
最後に
今回はこれまでを振り返りつつ「小説」というものについて向かい合ってみました。
「散文」であり「実体のない」ものを「実在した」かのように書いてあるもの。それが「小説」です。
この条件が満たされているからこそ読み手は「小説」に没入してくれます。
主人公の見聞きする感覚や感情や言動と、主人公が行動する舞台の説明と描写は「小説」にとって必要不可欠です。
それを書き漏らせば「書き手の独り言」呼ばわりされます。
感覚や感情や言動と説明や描写が足りないのは困りますが、過剰になりすぎてもいけません。
ムダな文が増えるほどに読み手は「没入するのに必要のない情報」を与えられます。それがあまりに続くようなら「とても読んでいられない」とあなたの小説を放り投げてしまうでしょう。
せっかく時間をかけて書くのです。投げ捨てられたくはないと思います。過不足のない文章を書くようにしましょう。
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