49.中級篇:フィクションレベル

 小説の基本である「視点」ですが、同時に必要になるのが「フィクションレベル」です。





フィクションレベル


 私が以前保有していたWebページで「小説作法」を取り上げているページがありました。

 これまでは概ねそれにしたがって書いてきたのですが、とてもたいせつなことを今まで書き忘れていることに気づきました。

 もっともそれは「小説作法」内でも最終盤に出てくるくらいなので、私自身が頭の中で順序をまとめきれなかったせいでした。

 申し訳ございません。


 ということで今回は「視点」や「人物キャラクター設定」「舞台設定」よりもさらに根本的な問題である「フィクションレベル」について述べます。


 小説を書く前段階で最初にやるべきこと。それが「フィクションレベル」の設定です。

 どんな小説もここからスタートします。「人物キャラクター設定」「舞台設定」をしながら定めていってもかまいません。





フィクションレベルとは

 これから書き手が書き、そして読み手が読む小説に、フィクション(虚構)がどれだけ含まれるのかを、あらかじめ明確にしておかなければなりません。

 小説が想像力を活用する娯楽だからです。


 文章とくに小説として書いてしまえば、現実ではどんなに不可能なことでもどんなに困難なことであっても、キャラは楽々とこなしてしまう。

 どんなことでも可能にしてしまう。


 小説は日常とは一線を画した「書いたものは存在する」世界なのです。

 それが小説の魔力でもあります。


 もちろん現実世界を舞台にしたミステリーなどでは現実の物理法則を無視した行動をとらせることは不可能です。

 この場合は「フィクションレベル(虚構水準)」は「ゼロ」ということになります。

 もし「フィクションレベル」が上がってしまうと、本当になんでもありの世界になり、犯人は現実では考えられないトリックを使って殺人を行なうこともできるのです。

 これでは推理を楽しむ読み手はバカにされたように感じて、憤然としてあなたの小説が床に叩きつけられます。





歴史小説に見るフィクションレベル

 歴史小説は多かれ少なかれ「フィクション」が含まれています。

 なぜなら「過去の人物の言動を事細かに知っている人は存在しない」からです。


 本稿執筆中はまだ平成の世の中ですが大正・昭和の人物のことを知っている人はいると思います。その人物がどういう言動をしたのかも事細かに知っている人がいるかもしれません。

 だから近現代の歴史的な人物を取り扱った小説は、書き手がじゅうぶんに取材することで判明する事実を見つけられます。


 小説ではありませんがウォルター・アイザックソン氏『スティーブ・ジョブズ』という公式伝記があります。

 ウォルター・アイザックソン氏がスティーブ・ジョブズ氏本人や周辺の人物を丹念に取材することで「スティーブ・ジョブズ」という人物の一面を語ることができたのです。

 だからこの伝記はいちおうノンフィクションの伝記に分類されています。


 これがもし「聖徳太子(厩戸皇子)を主人公にした歴史小説を書きたい」となったらどうでしょうか。

 現在聖徳太子の言動や人となりを事細かに知っている人物など誰ひとりとしていません。

「十七条憲法」に見られる役所務めの規律や「日出処の天子、書を、日没する処の天子に致す。恙なきや」という書物の文言などはよく知られています。

 でも彼の出生に立ち会った者も、その死に立ち会った者も現在まで生きてはいません。

 つまり「聖徳太子を主人公にした歴史小説を書きたい」となれば、必ず書き手が自らの基準で定めた「フィクション」が必要になるということです。


 では「坂本龍馬を主人公にした歴史小説を書きたい」についてはどうでしょうか。

 こちらは聖徳太子ほど遠い時代の話ではなく、彼の直筆書簡などもかなり現存しています。

 生まれはわかりませんが死んだ場所が近江屋だということも断定されているのです。

 となれば必要になる「フィクション」の数は聖徳太子のときよりも少なくなりますよね。


 どれだけの「フィクション」を小説に盛り込むのか。これが「フィクションレベル」です。

 一般に「フィクション」の数が多いほど「フィクションレベル」は高くなります。





SFやファンタジーのフィクションレベル

 SF小説なら科学の水準はどれほどで、どんな便利なコンピュータ・ガジェットがあるのか。

 剣と魔法のファンタジー小説なら魔法の水準がどれほどで、どんな便利な呪文や魔道具があるのか。

 これが「フィクション」の度合いを定めます。

 科学と魔術の水準は、日常的にやれることと限界との水準をきちんと定めるべきです。

 何ができて、何ができないのか。


 「物質転移装置」やその類の魔法のある世界で郵便屋さんは存在するでしょうか。まず、いないと思いますよね。

 ただ完全にいないと決めつけるわけにもいきません。


 日本で携帯電話保有者の約半数がスマートフォンを持ち、メールやSNSなどで繋がっている社会であっても、手紙や電報はいまだに存在しています。

 代替技術があるからといって旧来の技術が完全に消滅することはまずありません。

 だから「物質転移装置」が存在する世界であっても郵便屋さんは存在できます。


 そういう視点で小説を書くのもいいかもしれません。

 少数者マイノリティーを描くのも小説ならではですからね。




ご都合主義を防ぐため

 「フィクションレベル」を設定するのは「ご都合主義」を防ぐのがそもそもの目的です。

 一度定めた「フィクションレベル」は作品内で決して変えないようにしましょう。


 今までできなかったはずのことが、なんの理由もなく突然できるようになっているというのでは、あまりにも「ご都合主義」にすぎます。

 物語の途中で技術水準が変化してしまっては「フィクションレベル」が統一されず、小説は途端に「ご都合主義」に陥るのです。

 読み手は「ご都合主義」に直面すると、それまでのめり込んでいた小説の世界から現実に返り、「この小説つまんない」と電車の網棚にでも放り投げるでしょう。

 あくまでも比喩なので、皆様は網棚へ置き去りにせず、ゴミ箱に捨ててください。





現実世界のフィクション

 小説の舞台として現実のリアリティーを追求することもあります。

 その場合でも「フィクション」をどこまで許容するかは明らかでなければなりません。


 現代の日常の風景を描く場合。

 たとえば架空の国や町、団体や個人、職業や能力や道具に至るまで。

 どこまで「フィクション」にするかは書き手に委ねられます。


 ノンフィクション小説でもない限り、国や町、団体や個人などは「フィクション」を用いて書くのが普通です。


 フィクション小説だとしても実在の社名や個人名などを配慮もなく用いてしまうとあとあと厄介なことになります。

 地名も純愛物や友情物など内容が穏当ならばとくに問題にはならないでしょうが、殺人事件や強盗事件などが起きたら、なにかとクレームをつけられるでしょう。

 「実在するものをそのまま用いる」のはそれだけリスクがあることなのです。


 ノンフィクションでない小説にも「フィクション」が必要になります。

 後はどこまでを「フィクション」とするか決めるだけです。





現在が舞台のフィクション小説

 現代劇でありながら、主人公など何人かの登場人物キャラクターが超能力や魔法を使えるという場合もあるでしょう。

 この場合世界は現実と同じく「フィクションレベル」を「ゼロ」に設定します。

 そのうえで主人公たちには特別な力があるという「フィクション」を入れたほうが特徴が出るのでオススメです。

 人物キャラクター設定の段階で、キャラ別に「フィクションレベル」を設定して、そのキャラにできること、できないことを明確にします。


 このあたりは鎌池和馬氏『とある魔術の禁書目録』シリーズが大いに参考になるでしょう。

 学園都市という「フィクション」を作り、住人をレベル0からレベル5まで分類する。これも「フィクション」です。


 賀東招二氏『フルメタル・パニック!』では東京都調布市を舞台にしていますが、主人公の相良宗介やヒロインの千鳥かなめが通う高校名は漢字を変えてあります。実は私はそのモデルになった高校の出身者だったりするのですが。まぁそれは置いておいて。

 『フルメタル・パニック!』では具体的に国名や地名が用いられています。

 そのほうがリアリティーが増し現実味リアリティーが強くなるからです。

 そのうえで宗介の所属する組織ミスリルやその敵対組織に巨大人型兵器であるアーム・スレイブが存在したり、中でもラムダ・ドライバ搭載のものがあったりします。

 世界は1990年代が舞台ですがソ連が存続しているので、ここで「フィクション」があることを明示しているのです。

 アーム・スレイブ以外はほぼ現実世界であるため、舞台設定の「フィクションレベル」は一般的なSF小説やファンタジー小説よりもかなり低めに設定されています。





探偵小説のフィクション

 名探偵が登場する作品なども「フィクション小説」の類いです。

 現在の日本には、皆様が想像するシャーロック・ホームズや金田一耕助などのように、難事件を解決するいわゆる「探偵」は存在しません。

 そもそも一般人に捜査権のない日本では、「探偵」のできる仕事はたかが知れています。

 現実の「探偵」は浮気調査から産業スパイまで、裏方の仕事をする人たちです。

 事件を捜査できるのは、警察と検察など司法機関に限られます。(国政調査権といって国会に証人喚問される場合もありますが)。


 つまり「探偵」がいるというだけでもじゅうぶん「フィクション」なのです。

 だからといってミステリーのトリックまで「フィクション」にしてしまうと、なんでもありの「ご都合主義」でしかありません。

 あくまでも「現実で実行可能なトリック」に限られます。





西村京太郎トラベルミステリー

 西村京太郎氏のトラベルミステリーは、時刻表を観察することで「現実で実行可能なトリック」を探し出しています。

 まったく実行できないトリックは読み手を興醒めさせてしまうだけです。

 ミステリー作家はそのことをじゅうぶんに精査してトリックを作り出しています。

 思いつきだけで誰にも文句を言わせないトリックを作れる人は「ミステリー界の神様」です。

 でもそんな人はすでに「ミステリー大賞」を受賞していることでしょう。

 それだけミステリーは意外性のあるトリックを作り出すことが難しいジャンルなのです。





最後に

 今回は「フィクションレベル」について述べてみました。

 小説はノンフィクションでもないかぎり、必ず「フィクション」が含まれます。

 そのフィクションが舞台設定でどのくらい、人物キャラクター設定でどのくらいかかるか。これを調整するのが書き手の役割です。

 魅力的な小説を作るためにも「フィクションレベル」を同一作品では一定に保ち、「ご都合主義」に陥らないよう工夫していきましょう。



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