自分の分身を主人公にして日常生活を掘り下げるという小説(純文学)を書き続けて、カクヨムにであったのが、3年半前。初めて中華ファンタジーを舞台として、エンタメに挑戦しました。キャラたちが勝手動き出した…、ということを経験しました。ワクワクしました。
しかし60万字を超えたいま、登場するキャラたちの性別・年齢・境遇を意識して変えても、根本の性格は似通っているということに気づきました。まるで違う作者が設定したのではないかと読者に思わせるくらい、キャラたちの性格に変化を持たせるにはどうしたらよいかを、現在、模索中です。
作者からの返信
明千香様、コメントありがとうございます。
純文学はかなり表現がシビアなので、中華ファンタジーでも周りのあまりの緩さに戸惑ったかもしれませんね。
「なんだ、この程度で合格なんだ」
純文学からはそういう印象を受ける方が多いようで、まだまだ小説投稿サイトは向上の余地があると思っています。
キャラクターたちの性格に変化をもたせる方法ですが、これは偶然を頼るのがいちばん手っ取り早いんですよね。
サイコロを振ってみるのも一手ですし、私がまとめた『数秘術』でどんなキャラクターが存在しうるのかのパターンを読んでみるのも一手ですね。
このご質問のもっと深い回答は後日『十万字書ける求道の「小説の書き方」コラム』のほうで掲載致したいと存じます。今しばらくお待ちいただければと存じます。
イベントを複数、次々にキャラに投下する!
これですね!
今までキャラを甘やかしすぎていました。
トラブルは一個あれば十分と。
だめです、もっといくつもの難問を次々に落としていかなくてはいけないのでした。
毎日少しずつ読んでいますが。
目からうろこ、です。ありがとうございます。
作者からの返信
仁志 水ぎわ様、コメントありがとうございます。
イベントのひとつで書けるのはせいぜい中編小説までですね。
「小説賞・新人賞」へ応募する原稿用紙三百枚・十万字の作品を目指すなら、出来事は複数用意しましょう。
できればそれらになんらかのつながりがあるとよりよくなりますよ。
言っていることが真逆な回もありますが、それはどちらも正解だからですね。あえて逆を書くことがありますのでご注意くださいませ。
わからなくなったらまたお聞きくださいませ。
ご無沙汰しておりまし。森園珠子です。
ドラコン応募作品を書いておりました故、なかなか読みに来ることが出来ませんでした💧
そのあとは、無理をした反動で、体調が崩れ、拙作を読んで下さった皆様の作品を読んで回っておりますが、体調不良でなかなか読み進めず。今になって、どうにか、少しだけ読みにこれたしだいです。
今も無理した反動か体調不良のままです。なので、これから時々になりますが少しずつ拝読させて頂きますm(_ _)m
作者からの返信
コメントありがとうございます。
小説賞に挑戦することが第一ですよね。
実践でこそ得られることがあります。
ですがあまり根を詰めすぎないようにしましょうね。身体を壊したら元も子もないので。
本コラムは息抜き程度にご覧くださればと思います。
ご自愛下さいませ。
イベントを起こして、キャラの動きを待つ、ということを結構やりますね。うまくいくかは半々ですが……
作者からの返信
コメントありがとうございます。
その場合はキャラの設定が詰まっていない可能性がありますね。
キャラの性格を細密に設定してあれば、イベントが起こるとキャラは性格に従って動くようになります。
私はキャラ設定をざっくりしすぎたのか、似たキャラが生まれてしまうということがありました。
キャラプロフィールをどの程度作るか、迷うところです。
別項のコメントの中で質問しそびれたので、ここで質問して申し訳ありませんが、
「三人称多視点」と「神視点」の違いについても教えていただけると幸いです。
作者からの返信
戸田 猫丸様、コメントありがとうございます。
「神視点」「神の視点」とはすべてを超越して俯瞰から全体を見渡せる存在である「神」のように、すべてのものを見、すべてのものを聞き、すべての感じ方、考え方、思い方がすべて「お見通し」の状態を指します。
勇者が主人公なのに、ラスボスの心の中が読めてしまうと冷めてしまうため、盛り上がりを担保するために「神視点」「神の視点」は現在では禁じられています。まあザッピングのような書き方をするときには便利なのですけどね。
ひとつのシーンで、
▼誰の心の中も読めないものを「三人称視点」といいます。
▼ひとりの人物の心の中が読めるものを「三人称一元視点」といい、
▼すべての人物の心の中が読めるものを「神視点」「神の視点」といいます。
▼「三人称多視点」は「一元視点」と「神視点」の中間とする向きもありますが、複数の人物の心の中が読めてしまっていては結局「神の視点」と大差ありません。
同じシーンでも、カットを切り替えて「心の中が読めるひとりの人物」も切り替えることで「同一シーンでふたりの心の中が読める」ような場合は「多視点」と呼んでよいでしょう。
厳密には「三人称一元視点」で主役をスイッチしながら進めていくスタイルとなります。
おわかりいただけたでしょうか。