5. :主人公と、対になる存在のキャラ設定
今日のコラムは「
小説に登場する人物にはさまざまな属性があります。
でもその中で必ず書かなければならないものは数少ないです。
最低限「なにを書かなければいけないのか」ということに言及しています。
主人公と、対になる存在の
物語の大きな流れを定めるには「主人公が最後はどうなって終わるのか」。つまり「主人公の
そして物語内の世界を広くするには、前回お話しした主人公と「対になる存在」が欠かせません。
ここまでを把握したうえで、主人公と「対になる存在」のキャラ設定を始めます。
まず二人の属性を決めます。
ただし物語を書くうえで不必要な設定を決める必要はまったくありません。むしろ邪魔です。
作品内で使われないものにあれこれ時間をかけるのはもったいない。
極端な話、名前を決めなくてよい場合もあるのです。
物語が一人称視点で進んでいき、視点を持つ主人公が誰からも名前を呼ばれない。
そのような場合は、名前を考える必要がまったくありません。
全編「俺」「僕」と「お前」「君」という呼び方で進めていく小説にするなら、名前を考えても使いみちがないからです。
夏目漱石氏『吾輩は猫である』だって一人称視点の主人公は「名前はまだない」と言い切っています。
様々な理由が考えられますが、その時点では設定する必要を感じなかったからかもしれません。
物語の中で年齢や誕生日に言及する予定があるなら、年齢や誕生日を決めることになります。
言及するつもりがない、または当面ない場合は決める必要がありません。
決めたところで使いませんからね。
まぁ細かな年齢はなくても「年代」くらいは設定するのが当たり前ですが。
たとえば『桃太郎』『浦島太郎』などで彼らに年齢は設定されているでしょうか。誰も知りませんよね。
『こぶとりじいさん』『花咲かじいさん』だって誰も年齢を知りません。
物語を進めていくのに不要だから設定されていないのです。
それぞれ「年代」くらいは提示されていますが、詳しい「年齢」は誰も知りませんよね。
不可欠な属性だけを決めていく
物語を進めていくうえで言及することになる属性だけを決めていくのが「
それ以外の要素を考え定めるのは「自己満足」以外のなにものでもありません。
「必要となったときに初めて決めればいいや」くらいのざっくりとした決め方で構わないのです。
もちろん性別だって言及するつもりがなければ決めません。
三人称視点の小説の場合、傍観者の性別や年代を決める必要はないのです。
性別や年代によって人の感じ方・考え方は異なります。
でもその感じ方・考え方を小説内で言及した段階で、それまで三人称視点だったのに一人称視点の小説に変わってしまいます。
極端な話ですが、三人称視点の場合は視点を持つ者について「何も設定する必要がない」場合が多いのです。
せいぜい「どの役でやりとりを見ているか」くらいを考えてあればよいでしょう。
三人称視点は中国古典の手法に似ています。
中国古典はその多くが君主と臣下との会話のやりとりを史官が書き留めていて、それを後日ひと所にまとめて完成させます。
この史官が男性なのか女性なのか宦官なのか、年齢や年代はといった情報は一切ありません。
だからきわめて三人称視点の小説に近い読み物となっています。
物語の中で
たとえば髪の色がある場面では茶髪なのに別の場面では赤毛だったらおかしいですよね。
赤く染めたんですかと言いたくなりますし、染めたならなぜ染めたんですかと問いたくなります。それが読み手の心理だからです。
見た目・外面の設定
読み手にとって必要なのは、読み進めるうちに映像が脳裡に浮かび上がる情報です。
だから登場人物の外見だけはある程度決めておく必要があります。
そこがぼんやりしていると、小説は具体性に欠けて脳裡に映像が浮かび上がりません。(あえてぼかしたい場合は別です)。
どんな外見かが書いてある。だから読み手は登場人物のイメージを浮かべながら、繰り広げられる出来事をあたかも動画を見ているがごとく味わえるのです。
だからといって、あまりにも細かな外見は書かないほうがよいのです。
ある程度のぼんやり感を持たせてあると、読み手は己の経験などから足りない情報を補ってイメージを浮かべます。
やれ「キツネ目」だ「烏の濡れ羽色をした髪」だと細かく書いてもイメージの押しつけが強すぎて、読み手の「想像の自由」を奪ってしまいます。
「想像の自由」がない小説はくどすぎて長いこと読み続けられません。
小説をシュレッダーにかけたくなります。
最初に決めるのはせいぜい「性別・年代」くらいざっくりとした情報に絞りましょう。残りはとくに特徴が強くて他人と異なる部分だけを説明していけばいいのです。
登場人物の瞳の色をすべて書いている小説はまずありません。
いくらでも文字数を稼ぎたい超長編小説にだってないでしょう。
コラムNo.7で書きますが、小説ではキャラが勝手に動き出すときがあります。
そのために必要な条件もそのときに言及しますが、勝手に動き出してもらうためにも初めの設定はゆるいほうがいいのです。
内面や性格の設定
では内面や性格はどこまで決めればいいのだろうか、と思われますよね。
決めなくていいんです。
驚かれますよね。
先に内面や性格をガチガチに固めてしまうと、キャラが出来事に対処する際に書き手が想定した行動をとらせたときに違和感を与えます。
だから根本の性向は決めても、細かなところは決めないほうがよいのです。
逆に考えてください。
「出来事にどう対処するか」を見せることで内面や性格を描写するのです。
書き手として初心者の方は「それでいいのか」と思われるでしょう。
それでいいのです。
小説を興味深く読み進められるのは、人物が「出来事にどう対処するか」を見て「このキャラはこういう行動をとるのか。だとすればこういう性格なんだろうな」という推測をするからです。
「主人公は恋愛におくてだ」と説明するよりも、大好きな人物を前にしてどんな言動をするのかを描写する。
おそらく慌てるだけでなにもできませんよね。それを書くのです。
それだけで読者は「主人公は恋愛におくてだ」と得心してくれます。
説明する必要なんてないのです。
直接文字で説明するよりも、「出来事にどう対処するか」の過程を見せたほうが、読み手は素直に心で受け入れてくれます。
説明と描写は違います。
説明とは確定していて揺るがないものを断定して文字に起こすこと。
描写とは起こっていることを直接書かず、文章の流れを読むうちに読み手が想像してわかることです。つまり「想像の自由」が働いています。
見た目や外見は揺るがしようがないものですから説明するべきです。
内面や性格は置かれている状況次第で変わりますから説明でなく描写しましょう。
最後に
今回は「主人公と、対になる存在のキャラ設定」について論じてきました。
「
でも今回述べたのは「
あまりにもガチガチに設定してしまうと「書く自由」が薄まり「強制的に書かなければならない」状態に追い込まれます。
そうなってしまうと、書いていて楽しくありません。
最初の設定はざっくりと、細かいところは外見なら「とくに特徴のある部分」だけを書き、性格なら「出来事にどう対処するか」で見せていけばよいのです。
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