第13話

「私、あなたのことが好きなんです。どうか、この気持ちを受け取ってくれませんか? ああ、ファンレターじゃないんです。私の愛の告白。その、要するに付き合ってほしいのです」


 バラ色に染まった頬、熱のこもった瞳。それらを向けられても、青年は涼しい顔をしている。心は波立たない。なんせ、この告白は一人目ではない。相手から直接告げられたのは初めてでも、ほかにも彼を誘う人間はいた。ただ、それだけのこと。だから彼は困った顔を見せるだけだ。何度経験しても、どのような対応をするべきか分からず、悩んでしまう。とはいえ、いずれにせよ、結論は同じだ。彼は現在、恋人を募集していない。これからもずっと一人で生きていくつもりだった。これは別に孤高を理想としているわけではない。単純に、一人でいるほうが楽だと考えただけだ。なにより、他人に依存するような生き方なんてしたくはなかった。


「さすがに受け取れません」


 だから静かにラブレターを返す。彼は封筒の中身を確認しなかった。なぜなら、彼女の気持ちはすでに聞いていたからだ。内容を読むよりも先に『好き』だと。相手が求めている者に、自分はなれない。それを理解しているからこそ、改めて封を切るまでもなく、返事を返してしまう。自分でも冷たい人間だとは理解していた。それでも、今はそうするしかない。少なくとも、彼にとってはそのような結論しか出せなかった。


 一方で、途端に少女はがっかりしたように肩を落とす。瞳を伏せて、手紙を握りしめた腕を下げる。だらりと、空っぽになった手が地面へ伸びる。手のひらから、水色の封筒がこぼれ落ちた。

 ほどなくして気持ちの整理がついたのか、彼女は黙って彼の前から姿を消した。相手は自分のことをどう思ったのだろうか。あっさりと断られて、恨めしく思っているのだろうか。そう思われても仕方がないというのは分かっている。それでも、真白としては彼女にいらぬ期待をかけたくなかった。自分は恋人を求めていない。それだけが事実だ。ハリボテの好意なんて、受け取られても困るだろう。自分を偽って恋人として接するなんて、それこそ問題がある。真白もこの行動が間違いだとは思っていなかった。なにより、相手とはほとんど初対面のようなものなのだ。少女のことをよく知っている身ならともかくとして、なにも知らない段階でいきなり恋人同士になるなんて、飛躍しすぎにもほどがある。


 ファンレターでないのなら、受け取ったところで仕方はない。

 そう自分に言い聞かせてはみたものの、果たしてこれでよかったのだろうか。彼女を深く傷つけたのではないだろうか。なんとなく、そんな気がした。後悔はしないと決めたのはよかったものの、やはり気になってしまう。どうしようもなく、先ほどの出来事が頭に残って、胸に焼き付いて仕方がなかった。


 そんなこんなで真白は東の町に戻って、喫茶店で朝食を取る。コーヒーと一緒にやってきたモーニングに口をつけつつ、周りの客たちに意識を向ける。


「で、どうだい? 新しい王の話」

「いろんなやつらが選挙で決めろってうるさいけどさ、俺は別にこのまんまで構わねぇと踏んでるぞ」

「ま、先代の王は暴君だったしな。あれもあれで、悪くはなかったが。なんせ、あの国境の壁が破壊されなかったのは、あの王のおかげだしな」


 彼らの声は大きく、耳を澄まさなくてもハッキリと聞こえる。周りにとっては迷惑かもしれないが、注意をされなければ永遠に彼らはそれを続けるだろう。真白としても、別に気にはなる程度でわざわざ叱りにいく必要はないと考えていた。


「だがよ、中央の町と周りを隔離するのはやりすぎじゃねぇの?」

「さあな。そのあたりはよくわかんねぇよ」

「まあまあ、今は取っ払われたわけだし、細かいことは気にすんなって」

「細かいのか、こういうのって」


 彼らの雑談は続く。

 抽象的な話題ばかりだが、なんとなく世間でなにが起きているのかは把握できた。要するに新たな王はなんだかんだでうまくやっているということだ。不満が少なからず昇ったにせよ、王権を手にしてしまったものは仕方がない。王として国を支配する権利を手に入れてしまったのだから、それに国民は従うしかない。それでも、昔よりは豊かで自由な暮らしができるのではないだろうか。それを証拠に中央の壁も取り払われたと聞く。これによって、自由に東西南北の地方を行き来ができる。真白にとっては不便なところが解消されたため、おおむね満足している。以前までのことも別にチケットを提出しても問題はなかったものの、どうせなら全員が自由でいるほうがいい。なにより、チケットを渡す手間が省けたというのなら、願ったり叶ったりだ。


 そうした中、タブレットをいじっていると、不意に通知が届く。メールのボックスを確認すると、長い文章でメッセージが届いていた。要約すると『感謝状と金一封を差し上げます』だ。

 真白は頭をかく。


「別にそういうつもりじゃないんだけどな……」


 以前に真白は今回の出来事を克明に記した本を、フィクションと称して出した。結果、ずいぶんと売れてしまい、現在は作家としてデビューして、旅を続けることになった。メールの差出人からすれば、真白のやったことはある意味でとんでもない代物だ。なんせ、隠したいと思っている――世間に公開するわけにはいかないものを出したことになるのだから。

 要するに真白はフィクションと称して、虹色の獣の存在を暴露したと取られているのだろう。ゆえに口止めに金一封を贈呈すると描かれている。ずいぶんと面倒な展開になったものだと、真白は眉をひそめる。

 真白としては別段、エッセイのような形で書いただけだ。エッセイといっても、そのような感覚で書いただけで、所詮は創作。彼自身は世界を揺るがそうとは思っていないし、大事にする気もなかった。当然のように作家としての活動は続けるものの、果たしてこのままで大丈夫なのだろうか。いや、なんとでもなる。いちおう、虹色の獣の存在を握っているということで、政府に対する脅しにもなるのだろう。その気になれば、世界の実権すら握れるのではないだろうか。否、それはいいすぎか。

 いずれにせよ、彼の立ち位置は変わらない。これからも自由に過ごすだけだ。


 そうした中、不意にとなりの席にいる男性から声をかけられる。


「そういや、あんた、どっかで見たことあるんだけどよ」


 彼は知り合いではない。初対面だ。

 先ほどからずっと三人で会話を進めていた者たちの一人でもある。


「人違いじゃないですかね」


 真白はそっけなく、返答をする。

 事実、彼にとっては相手のことなんて見たことも聞いたこともない。相手が一方的に存在を認知しているだけであると確定しているため、嘘はついていない。また、自分の正体を堂々と激白する気もなかったため、このような中途半端な返事をする羽目になってしまった。とはいえ、仕方のないことだ。別にやましいことを考えているわけではないが、隠したいと思っていることは山程ある。嘘をつかなければ、少しくらいごまかしても許されるだろう。人には、プライバシーというものが存在するのだ。


「いやいや、俺ァ知ってるぜ。あんた、作家だろ? 最近名が売れてきたっていうか、女に人気がある」

「はぁ」


 適当な返事をする。

 人気があるか否かはさておき、最近は当たり前のように絡んでくる者が増えたような気がする。いままでは空気のごとく影の薄さではあったものの、最近はどうにも人の目が気になって仕方がない。常に誰かに見られているような気がするのだ。これは別にノイローゼというわけでも、自意識過剰というわけでもない。事実として、彼は常に誰かに見られている。それは悪意のある者ではない。好意に満ちた、者の視線だ。それを好ましく思わないわけではない。注目を浴びるという出来事は嫌いではない。とはいえ、過剰なのはよろしくない。真白としてはできるだけ謙虚に振る舞いたいところだった。


「俺知ってるぜ、振ったんだろ。この間も、そして、さっきも」

「確かに、そうですけど」


 コーヒーカップの淵に口をつける。暗褐色の液体をノドに流し込む。やけどしない程度の熱さに舌が震えるのを感じつつ、苦味を奥のほうに追いやった。


「ったく、平然と言いやがって。これだからモテる男ってやつはイラつくぜ。なあ、お前らもそう思うだろ?」

「ああ、そうだよ。俺らが一生かかっても手に入れらんねぇ相手を、こうもあっさりとな。ああ、本当に殺してやりたいくらい憎らしい」

「おいおい、やめとけよ。捕まるぜ」

「冗談だぞ。だが、この気持ちは本当なんだ。絶対に奪い取ってやりたいって、そう思ってるわけでさ」


 別に、彼から奪ったわけではないのだが。

 真白にとっては、反応に困る展開だ。

 モテない男にとってはモテる男は存在そのものが罪深い。それは理解できるものの、真白にとってはモテるかモテないかという問題はさして興味がない。元より、普通の人間として振る舞っていたころの真白は女性を求めてはいなかった。つまり、モテようがモテまいが、どうだってよかったのだ。ゆえに彼は、彼らの心情に理解はできても共感できずにいる。だけど、大変そうだと同情はする。果たして彼らの人生はどうなのか。灰色に曇っているのかもしれない。対して、こちらはバラ色の人生。そう考えているのだろう。しかしながら、真白にとってはあいにくといままでもこれからもさして変わらない。人生は大きく変革したというレベルではないのだ。強いていうなら、自分の足で立って歩けるようになったというくらいである。


「ったく、冷たい男だ。こういうところを世の中の女ってのに、知られてなけりゃいけねぇってのに」


 そう言い捨てて、男は席を立つ。続いてぞろぞろと、仲間と思しき二人も立って、会計のほうへ向かっていく。

 真白は彼らがカフェから消える姿を見届けると、ふたたびコーヒーに口をつける。

 消えた客と入れ替わるような形で、見覚えのある影を視界にとらえる。水色の巻き毛に縦長の瞳孔が特徴の緑色の瞳。シンプルな私服を身につけた大女優。彼女の登場に場がざわめく。有名人が現れたという空気が一気に空間を支配する。一方で真白はあえて気づかなかったことにして、前を向く。そして、渋い顔をしてコーヒーを飲み続けていると、唐突に同じテーブルのとなりのイスが動く。


「いいかしら、となり」


 ある程度予想はついたが、やはりこうなったか。完全に目をつけられてしまったといったところだろうか。

 真白は観念したといった様子でそちらに視線を向ける。そこには若草色のワンピースを着た女性がいて、彼女はさっそく席につくと、店員に向かって堂々と注文をした。

 彼女は自分の立場を分かっているのだろうか。ただでさえ目立つ容姿だというのにとなりにこられては、自分まで目立ってしまう。否、それはいまさらか。現在の彼の立ち位置を考えると、彼女――龍神ミドリの文句を言えない。彼自身も有名人であることに、間違いはないのだから。

 

「僕は別に許可した覚えはありませんが」

「別にいいじゃない。許しなさいよ。そんなこと、あんたが決める資格があるっていうの?」

「ありませんけど。王でもあるまいし、そんな権限ありませんよ」

「ま、あんたはそれを手に入れることをやめたんだっけね。まあ、いいんじゃないの。あるべきところに収まったっていうんなら」


 彼女は軽い口調でそのようなことを口にした。

 だが、はてさて、自分はいったいなんのために王権を欲していたのだろうか。なにか大切な思いを胸に抱えていた気がするが、今ではすっかり消えてしまった。それでも王権を手に入れたいという気持ちが伏せたわけではなかったけれど、現在の王の名前と顔を知って、その気も伏せた。なんというか、自分の役割はこれで完全に終わったのだと理解をしたからだ。その理由は分からない。それでもきっと自分は今、満足している。無念はなく、清々しい気持ちで満たされている。


「彼女、泣いてたわよ?」


 蜂蜜の匂いがする中、不意にミドリが口を開く。


「誰が、ですか? 俺はそんな、女性にひどいことをした覚えはありませんが」

「振ったじゃない。だれだれさんを」

「ああ、そのことですか」


 それは悪いことをしたという感覚はある。それでも、自分の選択は間違いではなかった。告白なんてされたところで、答えられる気がしない。


「俺には無理です。こんな俺じゃ、誰かを幸せにできません。女性のパートナーにはふさわしくないでしょう」

「ま、並ぶとどっちが女かわかんない容姿してるものね。そりゃあ、ふさわしくないでしょうや」


 ラズベリー色の唇を動かす。

 彼女ははちみつのたっぷりとかかったフレンチトーストを口にふくんで咀嚼する。そして、いよいよ完食が間近といったところで、続きに関する話題を振る。


「それで、あんたはどう思っているわけ? 答えなさいよ」

「罪悪感はありますよ」


 真白も小麦色のトーストをちぎって口に運びながら、答えを教える。

 彼自身、後悔があるわけではないが、他人を傷つけるわけにはいかないと考えているため、結果的には振って泣かせたことに関しては悪いと考えている。それでも、自分の気持ちに嘘をついてまで恋人ごっこを演じるなんて、それこそ相手に対して失礼だろう。女性を甘く見ているというか、見くびっているというか。とにかく、自分はそういう人間になるわけにはいかなかった。


「まあ、いいけど。それにしてももったいないわね」

「恋人を作らないことを、ですか?」

「そうよ。いい加減にどっかでいい人でも見つけなさいよ。それとも、理想が高すぎるのかしら。ひょっとして、まだあの子のことを引きずってる――気にしているんじゃないでしょうね?」

「あの子……ですか」


 厳しい口調で告げられたけれど、真白にとっては心当たりがない。いったい、彼女はなんのことを話しているのだろうか。

 おそらくは自分が記憶の一部を捨てたことと関連があるのだろうが、なんのことやらさっぱり分からない。記憶を失ったことだけは分かっている。ただ、自分で自分を騙したという雰囲気で、記憶が再構築されて自然に混ざり合ってしまった結果、喪失なんてかけらも思い浮かばない。相手と話が噛み合わないということもあまりないし、真白にとってはイマイチことの重大さを把握していなかった。


「別にあたしからとやかく言う必要はないって思ってるけど。ま、そもそも今のあんたにとっちゃ、誰かってのは必要がないんじゃないの? わかんないけど。一人でも、生きていけるでしょう」

「さあ、どうでしょう」


 真白はまだ、イマイチ自分のことを信用できずにいた。


「でも僕は恋ができないんですよ。する気がないとでも、いいますか。それくらい、僕は冷たい人間なのでしょうか」


 いままで、ずっと気にしていた。

 自分が人に対して憎しみを抱かないのは、相手に関心を持っていないからだ。他人のことをどうでもいい人間だと考えているため、なにをされても平気である。全ての者を許す代わりに、誰も愛せない。それが真白という人間だった。それで不便を強いられているといったわけではないものの、気になるのは確かだ。

 やはり自分は人間としての大切ななにかを失ってしまったのだろうか。

 そうして思い悩んだように硬直する真白に対して、ミドリは次のように言い放つ。


「あんたは普通の人間でしょう。だってあんた、あたしを救ったじゃない」

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