第11話

 涅の話を聞いても、真白としてはなんとも言えない。彼の気持ちは分からないこともないけれど、正しいか否かでいえば否だろう。いくら事情があったにせよ、悪に染まってしまったものを擁護する気はない。それはそれとして、どうにも彼自身にはこちらに対する気持ちに憎しみのほかになんらかの感情が混じっているような気がした。例えるのなら、光寄りの、なにか。憧れだろうか。否、それだけでもない、なんともいえない複雑な色が見え隠れしていた。

 一方で、真白はある出来事に関する真実にたどり着きつつあった。正確には本人の口から聞いたわけではないため、確定はしていない。ただ、実際に真実を聞いたときから妙に引っかかっていることがあるのは事実だ。だからずっと前から、「本当はこうなのだろう」と思ってはいた。それが合っているかどうかを尋ねる機会がなかった。それでも、今なら本人から素直な気持ちを聞き出すことができるだろう。真白は思い切って口を開く。


「君は花咲彩葉を殺した犯人ではない。違いますか?」


 花咲彩葉という単語が自然と出てきたのは、彼自身の過去が変わっていないからだ。あくまで記憶を失っただけ。彼女との思い出は頭には残っていない。ただ、彼女が死亡して、それがきっかけで全てが始まったことは覚えている。分かっていないのは肝心の中身だけだ。自分がどうして、彼女の死がきっかけで動くようになったのか。今回のような事件に巻き込まれたのか。だが、今はそのようなことはどうだっていい。重要なのは、相手が胸に秘めている感情だ。違うのか、そうでないのか。嘘をつくかもしれない。だけど、今だけは、彼も本心で言葉をつむぐはずだ。真白はそう、信じていた。


「ああ、そうだ」


 疲れ切ったようなかすれた声で、彼は答えた。

 確かにこれは真実だ。真白は直感で断言する。


「俺が殺したのは、魔王のほうだ」

「やはり、そうでしたか」

「でもよ、なぜそう、思ったんだ? 確かにテメェの推測は合っているぜ。でも、普通信じるだろ、テメェだったら」

「さあ、どうでしょう。最初から僕は、それは嘘だと冷静に判断していたはずです。そこになんの感情も割り込まなかった。驚いたり、ショックを受けたり――そんなことは、ありませんでした。だから、分かってはいたんです。最初から」


 すると、相手の口元に皮肉げな笑みがにじんだ。


「いいから、さっさと答えやがれ。テメェがそういう考えに至った経緯をな」

「言われなくても、そうします。ですが、これって結構単純なことですよ?」


 わざとらしく首を傾けたあと、青年は答えをつむぐ。


「君は鎧塚武将を挑発しましたよね。罵倒したとも言えます。本心はともかくとして、それはあえて、ですよね。そして、彼は挑発に乗った。お望み通りと言わんばかりに」


 淡々とした声で説明をし、さらに彼は続ける。


「違和感を覚えました。鎧塚武将は花咲彩葉を嫌っていた。それは確かです。そんな彼が、花咲彩葉を罵倒されて、挑発に乗ると思いますか? すると、その挑発の対象は彼女ではなく、別の者へ向けられていた。虹色の女優でないとしたら、答えは一つ。黒バラの女王以外にありえません。確かに鎧塚にとって相手は復讐の相手。絶対に倒さなければならない相手でした。でも、だからこそ、彼は彼女に特別な感情を抱いていたのでしょう。それは親近感や尊敬・友情とも違う――複雑な感情。例えるのなら、理解者といったところでしょうか。魔王は魔剣使いが倒す相手だった。だから、彼はその役を奪われた。そして、彼女の意思を否定した。だから、怒りを見せた」


 確証はないが、この推理には自信があった。鎧塚の性格も熟知しているわけではないけれど、なんとなく、こういうことを考えていそうだとは感じる。少なくとも、彼が花咲彩葉を嫌っていたことだけは事実なのだ。なにしろ、目の前に自分が昔恋をして、その気持ちを封印した相手と似た人物がいる。しかも、偶然ではなくわざと似せにきたという。苛立つのも無理はない。ゆえに、彼女のために涅に刃を向けたのは考えづらい。復讐をするのなら、黒バラの女王のためだ。本人は自分のためだと言い切ってはいたものの、実際は彼女に対する想いも一ミリくらいはあったのだろう。


 そうした中、涅は無言を貫いている。彼は肯定しない。そのかわりに、否定もしなかった。訂正の言葉は出ない。すっかり、おとなしくなってしまった。

 ハッキリとはしない態度ではあるが、正しくはあったのだろう。真白はそう、判断した。彼の心は一ミリも揺らがない。確信を得ているからこそ、それ以外のことなんてありえない。実際に、涅が手を下したのは魔王だった。それを肯定しているのだから、こちらの動機に対して、口を挟めるはずもない。


「なら、僕も尋ねたい。君はなぜ彼女を殺したんですか?」


 ずっと、気になっていた。

 まさか、快楽だけではあるまい。魔王を遊びで殺すなんて無茶だ。よほどの戦闘狂か自分の戦闘力に自信のある者でなければ、できない。第一、涅はそれほど強いタイプではない。だからこそ、真白との交戦を避けていたとも言えるだろう。そんな彼が、真正面から魔王に戦いを挑む度胸と実力があったとは思えない。


「殺すように頼まれたからですか?」


 相手がなにも言わないのなら、こちらから確信へ切り込むまでだ。


「さぁて、どうだろうな」


 この期に及んでも、彼ははぐらかす。それに対して、真白の反応は鈍い。以前として、無表情のままだ。彼自身、心はなに一つ波立っていない。相手のことは内心、否定はしているものの、一種の信頼のような気持ちを抱いていた。彼の心はきっとそうだ。必ず、このような気持ちで、そのような動機で動いたのだと。なかば、確信めいた予感を抱いていた。


「君の目的は、魔王と同じだったんですよね? 正確には聞いてはいないけど、多分、そんな風なんだと思います。だけど、殺した。それはつまり、目的を達成するためには彼女が邪魔だったとか、そういうことなんですか?」

「いいや、魔王の死は俺の計画には入っちゃいなかった」


 くだらない推測だと吐き捨てるように、彼は言う。


「仕方ねぇから答えてやるがな、俺は元から俺自身を――不浄を、無彩色の一族を最も憎んでいたのさ。必然的に、魔王という存在も気に食わなかった。こう言やぁ、なんとなく読めるんじゃねぇか?」


 あえてはぐらかすような口ぶりで、彼は続ける。


「世界をきれいにするために、魔王のいう幸福な未来を作る計画に乗った。黒バラの女王が残した術式を稼働させたのも、術式が世界を飲み込めば、自分の想いも報われると信じたからだ。きっと、蔑まれた人間として扱われずに逝ったやつらも満足するだろうってな。ああ、そうだ。虹色の花が咲くと魔王の血が覚醒する。それは同じ性質を持つ俺にも適用される。だが実際のところ、俺は弱い。女帝のように強力な能力を持っているわけでもねぇ。だから、世界全土という領域なら、ただの虐殺止まりだ。俺は自滅する。だが、それでもいいと思った。死を賭して、復讐を遂行する。あの女も覚悟は同じだっただろう。あっちの場合はきちんと再構築までいったところで死ぬだろうがな。まあ、とにかく、魔王が死ぬ気で勇者の知る世界を破壊しようとしたように、俺も俺の復讐を果たしたかった」


 彼の気持ちは分かる。魔王の後を追いかけようとしたその意思も、やり方も。それでも、やはり、解せない。元から死ぬつもりだったなんて、そんなことをしたところで、いったい誰が得をするというのだろう。世界はいったん全て破壊されて、再構築という救いも与えられない。おまけに術式を仕掛けた本人も命を落とすとなっては、報われないままだ。本当は彼が一番なにか、光を得たかったのではないのか。それなのに、自らそれを捨ててまで、それで復讐を達成したところで、得るものなどありはしない。


「その復讐心は、いったい、どこから……」


 放心したように、なかば独り言のようにつぶやいた。

 それをあえて拾って答えるように、彼は言葉をつむぐ。


「全てだ。俺をどん底に叩き落とした。俺たちのような無彩色の一族を生み出した神を、世界を、勇者を、なにもかもを恨んだのさ。そして全てをなかったことにしたかった」


 それは絶対にできない。なぜなら、勇者によって防がれるからだ。


「ずっと、やり直したいと思っていたのさ。本当は神聖で、きれいなものに憧れていた。だが、もはやそれは俺じゃ、手に入らねぇ。元から俺は、そいつを得たところで、どうにもならねぇ。同時に、美しいものに対する対抗心も膨れ上がっていくもんでな」


 淡々と遠くを見るような目で、彼は語る。


「俺は醜いからよ。その差が余計に際立っちまう。別にあいつらを信じちゃいねぇわけじゃねぇ。きれいなやつは、心の底からそれが正しいと分かって実行に移している。それだけだ。当たり前のことだと理解して、当たり前のように実行に移すだけだ。その行為はなにもすごいことじゃねぇ。できて当然なんだとよ。ならば、その当たり前のことをできねぇ俺はなんなんだ。きれいなことが当たり前だというのなら、汚ぇもんは存在すらしちゃいけねぇと言われているようじゃねぇか。だから、殺したんだ。自分の前で光る美しいものを許せねぇ」


 憎しみが、唇の端から漏れる。


「もっと言えば、ああいうやつらばかりが称賛されて普通のやつは見向きもされねぇっていう状態が気に食わねぇのさ。俺たちは不完全だ。醜くて汚い。それでも精一杯生きていた。それなのに、あいつらは灰色の一族という存在自体を許さなかった。誰も、その人生に頑張りに、目を向けなかった。そればかりか、汚い部分は全て押し付けられた。なにかあれば全て俺たちのせい。当然のようにそう決めつけられた。平凡なやつや落ちこぼれは基本、影に回る。目立つのはいつも、美しいものばかりだ」


 要するに彼は、自分だけではないそれ以外の者が恵まれないという状況に対しても、憤りを覚えていた。


「最初に親から離れて逃げ込んだ村は潰されたよ。本当は分かってんだよ。いまさら幸福な未来を目指したところで、もうなんの意味もねぇってな。奪われた者は戻っちゃこねぇ」


 彼にしてみれば、いまさら取り戻しにきたところで大切なものを奪われたことに変わりはない。もう、とうの昔に自分のほしかったものは全て奪われている。もはや、失うものなどない。なにをしても、大切なものは返ってこない。だから、復讐するしかなかった。自分を恨みをぶつけることしか、世界に対して報いることはできなかった。


「あの女にしてもそうさ。俺は、きれいなものが嫌いなんだ」


 そう、吐き捨てるようにつぶやいた。


「でも、違う」


 青年は首を横に振った。

 彼は間違いを告げたわけではない。ただ、真実を話してはいないだけだ。

 だから、本人の口から全てを語ってほしかった。それがたとえ、なんの意味のない行為だったとしても。

 沈黙はしばらくの間続いた。だが、真白は逃げないし、一歩も引く気がなかった。

 それに折れたというように、やがて涅は口を開く。


「俺があの女に抱いた感情は、愛であり、憎しみでもある。だが、その二つはもはや区別がつかねぇ。俺が果たしてあの女を本当に愛していたのか、憎んでいたのか、そんなもんは全く分からねぇのさ。強いていうなら、俺はあいつを殺したかった。この気持ちがだけが事実だ。ああ、そうだな。あの女は花咲彩葉を殺した。返り討ちにしてやった。だが、虹色の女優――いや、緋色の女から告げられたのさ。『彼は現れない。なぜなら、もうすでに人間としての彼はこの世界にいないから。かわりに現れた少年は抜け殻よ。勇者とは違う』ってな」


 忌々しく、過去のトラウマを回想するように、彼は言う。


「あの女はな、ずっと、勇者が現れることを信じて待っていやがったのさ。本人から直接約束されたわけでもねぇのに。なぜ、そこまで執着したのかと聞かれてもな。俺にも知らねぇとしか言いようがねぇ。だが、あいつは確かに、待っていたのさ。本人としちゃあ、裏切られたから復讐をしたいんだろうさ。だが、心の底じゃあの男を想ってやがる。指輪を外さねぇのが、その証拠さ。ずっと、光の勇者のために生きてきた。自分が魔王であることに誇りを持ち、悪として倒されることを望んでいた。だが、実際には止めすら刺されず、三〇〇〇年間も生きる羽目になった。そして、最後には現実を突きつけられる。そうさ、あの女が待っていたものは現れなかった。だからあいつは壊れちまった」


 涅の視線が下を向く。

 ちょうど頭上に暗雲がただよい始めた。彼らの前に広がっている海も荒れ始めた。そろそろ、雨が降るだろうか。そのようなことを考えつつも、真白は家に戻る気はなかった。涅も開けた口を閉じない。


「あの女は俺と同じ悪魔と契約をしていた。本来、あの虹色の獣はあの女が呼び出し、操る予定だった。元は共用で、半分ずつ繋がっていたわけだがな。最終的には俺だけのものになっちまった。ああ、つまらねぇな」


 雑談でもするように軽く、乾いた声で語りつつ、涅は本題に入る。


「悪魔と契約したことで、魔王としての魔力を使い切れば世界をまるごと滅ぼせるだけの力を得た。そのかわりに精神が少しでも乱れた場合、やつは獣に体を飲み込まれる。怪物に成り果てるのさ。それはもはや、俺の求めていた女じゃねぇ。魔王としてではない。魔王としての挟持すら忘れた、獣と化す。だから、殺した。そうなる前に、俺の意思でな」


 それだけは確かだと強調するかのように、彼は告げる。

 同時に少し合点がいったように、真白は目を伏せる。


「やはり君は、彼女を愛していたじゃありませんか」

「さあな。そいつは言わねぇよ。だがな、確かにあの女は美しかった。どす黒い髪に灰紫の瞳――俺らと似た色をした女だっていうのに、その差といっちゃ、たまらねぇもんがある。だがな、差っていうのは容姿だけじゃねぇんだ。あいつの精神――その中身を知っているからこそ、俺は惹かれた。そうさな、具体的にいえば、『明確な意思があった』といったところか。生涯をたった一つの目的のために捧げる。それ以外は要らないと言い切った。多くを語らない女だったが。あの女の感情は、分かるのさ。たった一人の男のために、自分の命すら消費する覚悟を持った。自分の想いを貫き通して、三〇〇〇年間――。その本心を知った者はいねぇだろうがな。見た目こそ根暗で、じめじめとしてやがったが。あ、いや。その心自体も決してきれぇなもんでもねぇか。なんせ、恨みだからな。その心の内を読み取れるやつなんざいねぇだろうよ。ったく、無駄にドロドロしてやがるもんでな。おまけに後に引けない怒りを抱えたまま、呪いの言葉を吐き続ける。俺としちゃ、そばにいたくはねぇな。こっちまで呪われそうだぜ。それでもな、あの女の目には力があった。彼女は光を失わなかった。ギリギリまで、希望を捨てず、戦い続けようとしたのさ」


 久遠小夜子という人物を、真白は知らない。直接、会ったことはないけれど、その残滓のようなものとは対面したことがある。というより、実際に戦った。とはいえ、所詮は残滓だ。本物とは言い難い。果たして彼女はいったい、どのような人物だったのだろうか。今では想像はできないが、見ているだけで惹かれるような人物ではあったのだろう。カリスマ性があって、部下になりたくなる――仕えたくなる。そんな人物だったに違いない。


「本物だったのさ。あの女は本物の魔王だ。嫌々魔王になったわけじゃねぇ。自ら進んで頂点に立った。組織を動かし、王をつぶし、国の主導権を握った。強制力を得て、なにもかもを征服しにちまった。そんな女の勇姿を覚えている。厳かだった。誰にも敵わねぇという風格があった。あの女がいるだけで、敵が戦意を失う。弱い者はあっという間にひれ伏す。そうして、維持し続けた。そんな彼女の無愛想だが、威風堂々とした姿に、俺は惹かれた。失いたくねぇと、思ったのさ。だが、殺した。全てが終わる前に、壊れる前に。俺の求めていた女と会えなくなる前に。醜い獣に成り果てる前にな」


 やはり、そういうことだったのか。青年は心の中でつぶやいた。

 要するに彼は、涅影丸は――


「黒バラの女王の美しさを守るために、殺した」


 その事実が、言葉が、重く胸にのしかかってくるような気がした。


「俺が泥をかぶる。いままでだって、そうしてきたように。そう、強いられてきたように。汚れきった俺だからこそ、できるものがあったんだ。それによ、あいつ、確かに言ったんだ。『自分は変わらない。だがもしも、全てを投げ出し、失うことがあれば、殺せと』そのときの約束を守る。怪物に成り果てて、ありとあらゆるものを破壊し尽くす――そのミリアが訪れねぇように、そうなる前にな」


 ならば、やはり、快楽などではなかった。彼は彼女のために、自ら罪を犯したのだ。

 大切だと思った、惹かれていた女の命を奪ってまで、涅は彼女の中にあった大切なものを守った。そして、決して失いたくないものをこの世に留めるために、失われる前に自ら手を下したのだ。


「黒バラの女王に何度か贈り物をした。だが、やつは受け取らなかった。一度も俺に、振り向いてはくれなかったのさ。唐突に現れた俺を歓迎して、半ば手を組んだようなものだってのにな、その心の内を一度も明かしたことはなかった。たった一人の相手を想いながら、決して振り返られはしないと分かっていながら、あの女は永遠に訪れない夢を見続けた。滑稽だ。どうしようもなく。だが、それよりも許せなかったのは、勇者自身だ。あの男は、天へ昇った。勇者という枠から外れて、神に至る。二度と地上には現れねぇ。あれだけの想いを抱かれておきながら、逃げるとは……。それから、テメェもな、勇者の代わりに現れたテメェも同罪なんだよ」


 涅は声を荒げる。彼の視線の先には真っ白な青年がいる。相手は明確な敵意をむき出しにして、青年をにらみつけていた。


「テメェがポーカーフェイスを気取っていられるのは、俺が抑えているからだぜ。その気になりゃ、テメェ程度ひねりつぶしてやる。いや、今にもひねりつぶしたくて、この手を下したくてたまらねぇのさ。ああ、チクショウ。どうしてテメェだったんだ。現れたのが本物の勇者でなく、なんで――ただの抜け殻なんだよ。俺はテメェが一番許せねぇんだ。あの女が求めている者を与えねぇ。全てが終わった後に世界を救ったとしても、遅ぇんだよ。疎ましかったんだ。恨んでいたんだ。お前らを。灰紫色の瞳の先にある光に満ちた、テメェみてぇな存在をな。だが、実際、本当にあの女が求めていたもんはいねぇときた。なら、三〇〇〇年間の復讐劇は無駄になる。だからあの女は叫んだのだ。「自分の三〇〇〇年間はなんだったのだ」と。台無しにした。テメェが現れたことが、テメェが選ばれたことで、なにもかも。俺は、あの女が報われなかったことが、なによりも、気に食わなかったのさ」


 彼は声を震わせた。

 その恨みは複雑に絡み合い、もはやなにが原因で元凶だったのか分からなくさせている。それでもきっと、ハッキリとしている。彼は彼女に対する想いだけは今も胸に秘めている。


「逆恨みです」


 その中で、真白は冷淡に告げる。


「だろうな。俺もテメェを殺す気はねぇ。代わりに、やることがある」

「それは……。獣を呼び出す気ですか? この間と同じように」

「不可能だ。俺の中にはもう、あの悪魔は存在しねぇ。かわりに、こんなもんを手に入れているもんでな」


 涅がなにもない空間から取り出したのは、黄金に光り輝く剣だった。

 それを目の前にして、真白は目を見開く。

 透明だったものを実体化したのもそうだが、彼はいままでずっと、これを隠していた。隠し持っていたのだ。気付かれないように。それが、少し、癪に障った。


「世界の実権を握った俺には、一つの権限がある。この国を牛耳ること。つまり、好きなように変えることだな」

「変える……それは虹色の獣がしたことと同じじゃありませんか?」

「そうだよ。だが、それほど万能なもんでもねぇよ。そうだな、未熟な者が得たら全ての魔力を使い切って命すら捨てたとして、この島全域に住まう人々を再生する――それくれぇしか、できない」

「十分です。死者の蘇生とは過去の改変すら意味する。それはもはや、神の技の領域です」


 真剣に相手の目を見て、真白は語る。

 彼のやることが間違っているとは思わない。誰だって、大切な者を失えば再生したいと思うだろう。だが、それで自分が命を捨てるようなことになっては、本末転倒だ。蘇った者が、喜ぶはずもない。


「いいや、俺は誰にも好かれねぇ。むしろ死んで喜ばれるタイプの人間だ」

「でも、だからこそ、君は生きなければならない。これは君に対する気遣いでも、好意でもない。君は、その義務がある」

「うるせぇな。こいつも贖罪の一つだ。分かるだろ? この島はかつて、人が住んでいた。だが、王家の島流しと入れ替わる形で滅ぼされた。その原因は、俺にある」

「だから君はそれを……なかったことにすると?」


 真白が尖った声が問う。途端に涅は黙り込む。 

 黙り込んだあとに、かすかに漂いつつあった沈黙を破る。


「俺は悪だ。泥に汚れた存在にすぎねぇ。あの女を殺したことが、正しいとも思っちゃいねぇんだ。だから、裁かれたかった。そのためにあの男を挑発した」


 本当は彼もずっと前から分かっていた。

 自分のあり方は間違っていると。このような存在はこの世界にいるべきではない。人のために自ら死を選ぶべきだった。真白がたとえそれを否定したとしても、涅の中ではそれが最も正しい選択なのだ。


「やつは俺を殺せなかった。ならば、もはやこの方法しかあるまい。せめて、死で償う。俺の命を捨てて、町を再生させる。命を捨てれば、蘇った人々を一生、この島に固定することも可能なのさ。どうだ? 悪い話じゃねぇだろ。阻止しようがしまいが、テメェには関係ねぇ。全て自己満足だ。俺の勝手でこれを実行しようとしている。テメェが今頃になって止めにこようと、意味はねぇんだよ」


 確信を得たように、彼が言う。

 だが、真白は引かない。

 固く引き締まったような顔をして、直立したまま、その場から動こうとしなかった。

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