第9話

 戦いが終わったあと、真白は平穏な日常に戻った。中央の町に戻って宿をとって、いつも通りの生活を送る。朝に起きて昼は家でゴロゴロ、夜は寝る。そんな生活がそう何日も続くはずがない。そう思うだろうが、実際のところは簡単にその問題は解決した。なにしろ、国から感謝状が送られてきたのだ。おまけに、金一封付き。これを使えば、一年は遊んで暮らせるだけの金額だ。逆にいうと、一年しか遊んで暮らせないとも言える。世界を救ったにしてはケチだと思われるかおしれないが、本人としては、そちらのほうがありがたかった。実際のところ、彼は自分を偉いとは思っていない。ただ純粋に自分の目的を叶えたかったし、報われたいと思う部分があったから災厄の獣を倒しただけだ。誰かに褒められようと思ったわけではない。むしろ、英雄なんてなれないと分かっていたから、目指さないと決めた。あれはただ、自分にしかできないことだったから――自分に任された使命だったから、こなしただけだ。


 なにはともあれ、自分もその役目から解放された。それでもなお、役目を終えてなおこの地上に存在するということは、自分は『自分』を得たのだろうか。イマイチ、実感が沸かない。あの戦いを終えて、いったい自分の身になにが起きたというのだろうか。消失を免れるだけの変化が、自分の身に起きたのかどうか。そんな細かい部分はよく分からないし、どうだっていい。とにかく今は生きていられる。こうして自由でいられる。その事実に感謝をしなければならない。


 感謝状に関して、報酬としてなんらかの称号を受けたような気がした。それを受けると国からの評価も得られるし、世間では注目を浴びるそうだ。さすがにそこまではいやだ。下手に英雄扱いをされて、束縛されたくもない。なにより、彼は勇者になれなかった人間だ。勇者のかわりにこの地に降り立っただけの存在にすぎない。模造品のような、それよりも価値の低い抜け殻。勇者が残していった器に入り込んだ魂――それが、真白という名の少年だった。


 いずれにせよ、真白は平和な日々を送っている。災厄の獣を倒した青年の噂は各地に散らばってはいるものの、全容は見えてこない。本人が表に姿を現さないのだから、当然だ。もしも彼らが真白の姿を見ても、「こんな弱そうな相手が、あの獣を倒せるわけがない」と踏むだろう。こちらにとっては好都合だが、少しばかり寂しさを抱く。いくら注目を避けるためとはいえ、功績のなにもかもを隠してしまうのはいかがなものだろう。だが、それは些細な感傷に過ぎない。本当はもっと、根っこの部分に彼がむなしさを抱く原因が存在するのではないだろうか。


 そんなことをぼんやりと思いつつ、テレビをつける。ちょうど、朝のニュースを放送しているはずだ。貴重な情報源ではあるが、世間の状況はそれほど興味がない。だが、自分の起こした戦いの影響がどこまで広がっているのか、確かめたかった。もっとも、勇者もどきの話題はそれほど出なかったようだ。数日もすれば、すっかり忘れられる。元より、各地で隠蔽工作を働いたようで、虹色の獣との戦いは災害が引き起こしたものだと片付けられた。当然のように、ヒーローの存在はなかったことになる。それは、彼にとっては好都合だ。少しばかりの空白を胸にいだきながらも、おおむね満足していた。


 その折、不意に、テレビの画面が切り替わる。画面には思いっきり大きく、四角に切り取られた写真が映し出される。


「一連の出来事の容疑者として」


 そんなアナウンサーの声が鼓膜を揺らす。だが、写真に気を取られて、あまり聞こえない。全ての音がシャットアウトされて、彼の視線は写真にのみ集中している。同時に頭をガツンと殴られたような衝撃が、頭に走った。

 なぜ彼が驚いたかというと、そこに映っていたのは暗色の髪と瞳を持つ薄汚い男――涅影丸だったからだ。


 彼はなんらかの事件・出来事の黒幕だったと世間に向かって告白したあと、行方不明になっている。当然、世間も彼も見逃すはずがない。即、指名手配を受けて、相手も逃走を続けているのだろう。

 それにしても、なぜ今頃なのだろうか。彼が出頭をする機会ならいつでもあったし、なんなら王権を所持している間でもよかったはずだ。いや、逆だ。全てが終わったからこそ、罪を認める気になったのかもしれない。だが、仮にも相手は王権の所有者だ。王権とは世界を自由に操る権利でもある。彼が黄金の剣を持っている限り、ルールは彼の思うがままだ。罪をなかったことにすることすら、可能だ。


 果たして、逮捕などできるのだろうか。いや、できない。なぜなら、彼自身が法だからだ。

 だとすると、王位を手放したことになるのではないか。そう考えたものの、せっかく得た勝者としての証を、あっさりと捨てるとは思えない。なにか、心境の変化でも起きたのだろうか。分からないことばかりではあるけれど、今回の出来事をなかったことにするわけにはいかない。相手はよくも悪くも、自分の人生に干渉した。深く関わってきた人物でもある。いまさら無関係を装うなんてこと、できるわけもない。それに、知りたいことがまだまだたくさん残っている。涅とは、正確には決着がついていなかったような気がする。ならば、自分が動き出す動機とやらは備わっている。とにかく真白は立ち上がる。部屋を出て、廊下を抜けて、フロントから外へ飛び出す。


 暖かい空気と軽やかな風が心と体を包む。しばらくの間ポカポカとした気温の中に身を晒したいところだが、今は気持ちを切り替える必要がある。


 さて、彼が探すべきは、涅だ。警察も彼の確保に乗り出していると聞く。捜索の範囲を広げているとも噂で聞いた。町では、「早く捕まるといいね」「でもあの人、いったいなにをやったんだろう」という声が聞こえる。みんな、噂話で夢中のようだ。それに自分が関わっている――むしろ当事者だと話せば、驚くだろうか。否、自分のような人畜無害層な青年が危ない事件に首を突っ込むはずがない。なにしろ、弱そうな見た目ゆえ、非日常にもありつけそうにない雰囲気がある。


「でも、なにか悪いことをしていそうなのは分かるわ。だって、見てよあの眼。明らかに極悪人でしょ」

「ええ、そうね。いままでたくさんの人を憎んで、殺し尽くしてきたような見た目」

「ナイフみたいに尖っているって言ったら、陳腐かしら」


 他人事のように語る女性たちを遠くから眺めながら、少年は歩く。

 そういえばと思い出す。涅は詐欺師でもあった。これは捕まって当然だ。今回の出来事以前にも、解決すべき問題は残っているのではないだろうか。しかしながら、警察に涅を捕らえることができるとは思えない。どうせ、失敗するだろう。涅の容姿はいろいろな意味で目立つとはいえ、彼には変化の能力がある。それは無彩色の一族固有のものだ。彼は好き勝手に顔を変えられるため、雑踏に紛れてしまえば見つからない。まさしく警察側は詰んでいるといっても過言ではないだろう。仮に奇跡が起こって、(例えば気を抜いて変化を解いているところを発見したり)相対す機会があったとしても、戦えば勝機はない。具体的な戦闘力は分からないけれど、それなりに強いのは事実だ。例えるのなら、武装した人間二人分はあるだろうか。


 警察に期待ができないのなら、自分が動くしかないだろう。真白はまっすぐな気持ちで足を動かし続ける。

 そうした中、不意にアラームが鳴る。なにごとかとポケットを探ると、薄っぺらい液晶が震えていた。面倒ではあったけれど通話に応じると、聞き慣れた品のない声が耳に届く。


「元気にやっているか?」

「君は、涅影丸ですか」

「ああ、そうさ。覚えていてくれたようでなによりだ。実際、今もこっちのことを探してくれてるようじゃねぇっか。ったく、余計なことをしてくれてるもんだ。だが、俺の居場所なんざ教えねぇぞ。やるんなら、自力でやれや」


 やれやれと、口の中でつぶやく。

 いったいいつごろだったのだろうか。自分のことを監視しているのか、それとも当てずっぽか。真実を尋ねるためにあえて適当なことを口走って、正解を引き当てた可能性もある。いずれにせよ、こちらの目的が気づかれているのは確かだ。警戒されて、ますます見つけづらくなったかもしれない。


「それで、僕は尋ねたいのですが、その。王権、持っていますか?」

「捨てたよ」

「はぁ……」


 案の定だった。

 王権に固執していそうな雰囲気はあったものの、あっさりと手放すとはなにがあったのだろうか。世界を一度破滅に追い込めばあとはどうだってよかったのだろうか。彼の真意はわかりかねるけれど、その王権を手に入れたいという気持ちは微妙にある。その理由は分からない。だけど、自分にはまだ残された使命があるのではないかと思ってしまった。


「王権なら地下に隠した。さっさと探してこい」


 それを最後に通話が途絶えた。

 勝手にヒントを与えて、勝手に去るとはこれいかに。

 なにはともあれ、王権の居場所は特定した。真白は即座に地下に潜った。地下は人っ子一人おらず、閑散としている。戦いの爪痕は残されているようで、建物はぐちゃぐちゃだ。迷宮はまるごと倒壊している。おまけに表面を銀灰色の金属がおおって、奇妙なオブジェを作り上げていた。これはいったい何事かと、初見の者なら仰天するだろう。真白は初見でこそないけれど、表から見るとこのような惨状になっているとは思わず、愕然とする。鎧塚武将と名乗った青年も、派手に暴れてくれたものだ。


 なお、結局王権は見つけられなかった。隅から隅まで探したけれど、それらしいものは見つからない。聞き込みをしようにも人がいないのだから、仕方がない。おまけに近いうちに地下への入り口は完全に閉ざされるらしい。これは、ほかの誰かに横取りをされたといったところだろうか。いささか納得がいかないけれど、先を越されたのなら仕方がない。王権はあきらめることにする。


 涅は消えた王権の行方を知っているのだろうか。知っていて、あえて自分にこのことを伝えたのだろうか。相変わらず、よく分からない男だ。本人に尋ねれば手っ取り早いのだが、彼はくわしく教えてくれそうにない。そんな、都合のよすぎる展開があってたまるかという気持ちも強かった。


 なにはともあれ、涅が貴重な情報を得ている可能性のほうが高い。真白は相手に通話をかけてみた。ところが、呼び出し音がむなしく耳の奥で響くだけで、相手は応答しない。終いには、勝手に切れてしまう。何度かけても、結果は同じだ。通信機の電源を切っているのだろうか。厄介なことをしてくれた。それほど、自分に情報を尋ねられるのが、我慢ならなかったというところだろうか。なんだかムカムカしてきたが、最初から期待はしていなかったため、ダメージは少ない。むしろ、こうなることなど、最初から分かっていたことではないだろうか。


 とにもかくにも、涅を探すしかない。彼とは決着をつける必要があるし、尋ねなければならないことも山程残っている。

 とはいえ、探すといっても指名手配犯がノコノコ表に姿を見せるはずもない。なにより、変化を得意とする者を人混みの中から探すのは、容易ではない。なにか手がかりでもあればよかったのだが、そんなものが落ちているはずもないだろう。こうなれば、片っ端から彼がいそうな場所を巡るしかない。しかしながら、それをしている暇も時間もない。早くしなければ、取り返しのつかないことになってしまう可能性だって考えられる。


 本当であれば放置しても構わなかったはずだ。彼と出会ってから散々なことばかりが起きるし、なにより真の黒幕は彼だ。世界を破滅に追い込むために災厄の獣を呼び出したのも、彼だ。正確にいえば魔王の目的を受け継いだだけだろうが、それでも、世間一般からするならば涅影丸は悪そのものだろう。彼を許す者はいない。それでも、真白にとっては過去形とはいえ、仲間だった存在だ。一緒に、勇者と魔王の物語の再映を演じた。勇者の仲間として行動をともにして困難を乗り越えてきた。そんな相手との関係を今更切るわけにはいかないだろう。


 恨む気持ちはない。感謝をする気もないが、無関心を貫く気は失せていた。一度だけで構わない。むしろ、一度会えば十分だとは感じた。

 この気持ちはすごくあいまいで、どうようもないほどまでにふわふわとしている。それでも、いつか必ずこの日がくることは分かっていた。


 一人でなんとかするにはこの世界は広すぎる。そのため、まずは身近なところから情報収集をする。涅影丸についてなにか知っている者がいないか、徹底的に聞いて回す。しかしながら、彼に関する情報はなにも得られない。せいぜい、詐欺にあったと報告する者が何名かいる程度だ。騙されていたことにすら気づいていなかったものもいるらしい。どうやら、相手は徹底的に自分がいたという痕跡を消しているらしい。一部の隙もありゃしない。なにも、そこまで徹底しなくてもいいのではないだろうか。そこまで、追っ手が怖いのだろうか。彼ならば、見つかったとしても倒せばいいだけだ。それほど、焦る必要もないだろう。元より、王権さえ手放せなければ、安心だ。今も悠々自適に次世代の王として、この国に君臨していたはずだ。なんとも解せない。


 ひとまず、一般人に尋ねても得られるものはないと分かった。ならば、芸能人に尋ねるしかないだろう。真っ先に呼び出したのは、龍神ミドリだ。彼女も彼女なりに情報収集をしてくれているのではないだろうか。それに期待をして、通話をかける。すると相手はあっさりと通話に応じてくれたけれど、あまりこれといったことはしていない様子だった。


「だってあたし、あいつのことなんてどうでもいいって思ってるのよ。捕まるんなら、さっさと捕まえばいいのよ。ああ、もう、顔も名前も聞きたくない」


 相当な恨みを持っているようだ。それもそのはず、彼女は涅からイミテーションの宝石をつかまされている。結果的には金を騙し取られたのだから、怒るだろう。


「でもなにか、ヒントとか持ってませんか? ほら、女性的な発想で、僕じゃ思いつかないなにかってやつを、教えてくれたり」

「そうね……私、そんなに女性的でもないんだけど、心当たりはあるのよ」


 なにかを思い出しているかのように、彼女は言葉を漏らす。


「えーとね、思い入れのある場所にいってるんじゃないかしら?」

「思いやりのある場所?」

「あたしに聞かないでよ。思い入れっていっても漠然としすぎてるけど、なんとなく、それっぽい場所。たとえば……思い出の場所とか」

「それ、あんまり変わってませんよ」


 だが、よいことを聞いた気がする。


「うるさいわね。これでも真剣に考えた結果なのよ。で、あんたはこれからどうするわけ」

「僕は彼を追いますよ」

「ふーん、まあせいぜい頑張ることね。あたしは忙しいから協力なんてしてやらないわよ。きちんと捕まえなさい。そうでないと、あたしのムカムカした感情だって晴れないんだから」


 いったん、通話が切れた。

 一緒に行動できないのは残念だが、相手も女優だ。むしろ真白がコンタクトを取れていること自体がおかしい。きっかけはいったい、なんだったのだろうか。イマイチ覚えていない。気がつくと、ごく自然と彼女とはまともに接していられる。だが、肝心なところが抜け落ちている。にも関わらず、なにもかもが正常に体が覚えているかのように違和感を消していた。それが逆に違和感となって、青年の頭にモヤモヤとした霧を残す。


「思い入れのある場所か……」


 涅にゆかりのある場所なんて、あるのだろうか。

 考えてはみたものの、なにも思い出せない。

 まず、思い入れとはなんなのか。それは、彼が特別な場所だと思っているところではないだろうか。特別な場所――故郷。まさかとは思いつつ、彼の出身地になりそうな場所を思い浮かべてみる。

 脳内に地図を広げる。この国の南と東の間には大きめの島がある。そこは流刑地として使われているようだ。だとすると、そこだったのだろうか。なんとなくそんな気がして、真白は港へ足を運んだ。


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