第6話
無論、彼女たちの言い分はもっともだ。相手は世界を破滅に追い込もうとしている獣であり、その実体はいまだに闇の中にある。実際に相対してみなければ本物の力は分からないし、それによって絶望が深まるかもしれない。それでも、やってみなければ分からないこともあるだろう。
「知ってるんですか? あれのことを」
「ええ。虹色の花が咲くタイミングでないと現れない獣よ。なにもしなければすぐに消えてしまう存在ではあるけれど、術者によって、世界を破滅に追い込む。そして崩れた大地に新たな花を咲かせるのよ。無限の可能性を持っているってところかしら。いろいろな技を使う。いろいろな耐性を持つ。ただ一つ、弱点だけは確実に持っているけど、移動してしまうから、対処も難しい。そして、花というのは希望であり、夢でもある。術者の理想とする世界に書き換えるというのが、本来の力。それはきっと偽物でしかないでしょうけど、本物だと人類が認識してしまった時点で、本物になってしまう。だから、規格外なのよ。やめなさい。私たちでどうにかなる相手じゃないわ」
龍神ミドリがそこまで言うのだから、よほどの相手なのだろう。彼女も昔は文字通り、神だった女だ。そんな者でも太刀打ちができないのなら、いったい誰が、あの獣を止めるというのだろうか。
「場所は、国境の外であることは確かです。位置だけなら、そちらでも聞けます。ですが、その先へ行けるかどうか……」
「ん? それは、どういう?」
首をかしげる。
頭にモヤモヤとした霧がたちこめる。
いったい、どういうことだろうか。なぜ、国境の先へ進めないというか、分からない。
「国境を通るには身分証明書が必要です。人間だと確定していない者は、通せない」
「つまり俺って……」
「そういうことだ。おっと、ワープしようったって無理だぜ。はじかれる仕様になってっからな。もともとテメェはこの世界に存在しなかった者だ。勇者のかわりにこっちに置いていかれた、哀れな抜け殻とでもいえばいいのかね。とにかく、テメェは人間じゃねぇ。それだけは事実なんだよ。いわば、部外者とでもいうのか。なら、とっとと失せな。なんの関係もない人間が世界をどうこうしようとか、考えてんじゃねぇよ」
確かに真白は普通の人間ではない。作られた人間――いや、勇者という器に入り込んだ魂に過ぎない。そもそも、それにすら語弊がある可能性がある。たとえば、器自体が人格を持って、勝手に行動している可能性も考えられるのではないか。いずれにせよ、真白はいまだに透明だ。自分というものがどこにあるのか分からない。そんな人間はこの世界をただようだけで、自分の足で立てる気がしない。今も時間がないという理由で国境まで転移をしようとしている。
果たして、自分は本当に生きているといえるのだろうか。人間らしくなかった人格を思い出す。闇の中で白く輝いていた町を思い浮かべる。おそらくは彼の家だったであろう殺風景な部屋。そこには家具がなかった。ベッドがポツンと置かれているだけだ。普段は弁当を買って食べていたのだろうが、ゴミすらない。おそらく、すぐに別の場所に捨てていたのだろう。
昔から真白は他人を恨まない性格だった。魔王を斬らないことで恨みを買った反省から、勇者が憎しみという感情を奪ったのだろう。それはそれで、よかった。自分だけが苦しむのなら、誰かに悪い感情を抱かせる心配もない。同時に、自分も深く傷つかずに済んだのだ。
だから、このままでもいい。
それでもまだ、足りない。だから、なんでもいい。とにかく、なにかがほしかった。自分らしいと思えるものが、自分にしかできないものが。
うつむいて、拳を固く握りしめる。自分には、いったい、なにができるのだろうか。曇りつつある視界。霧におおわれた心では、正常な判断がつきそうにない。
その折、ふと目の前にいる男が口を開く。
「俺の勝ちだ。たとえテメェが本物の勇者であろうと、無駄だ。なんせ魔王は獣の特性を操作している。あいつは、勇者を殺すためだけに用意したものだ」
「勇者の属性は光――雷・炎をも同時にあわせ持つ。違う?」
「はい。そうですよね。勇者は光の象徴のような方です。光は全てを飲み込むかわりに闇に弱い。闇も全てを支配するかわりに、光によって打ち消される。いわば、相性は平等。だけど、能力の力によって有利不利はあっさりとひっくり返るのです。勇者と魔王の場合は、闇は光に飲み込まれました」
だから今回は光の対策をした。絶対的な闇で世界を支配し、雷と炎に強い属性を用意する。
「雷は木の属性にふくまれる。なら、有利になるのは炎。炎は水――」
確かめるように、口に出す。
唇を動かしながら、心の中でなにかが動くのを感じた。それは確証にも満たない、至極ささいな変化だった。けれども、違和感は波となって心の中で揺れる。同時に背中にぞくぞくとした感覚が走り、皮膚には鳥肌が立ち始めた。
「獣の属性は炎と水。プラスで闇。それに対抗できるのは水の属性だけ。だから魔王は世界から水の属性を奪った。違いますか?」
真っ先に反応をしたのは、奪われた本人である龍神ミドリだった。彼女は不安げに眉を寄せて、こちらを向く。それに対する反応は特にせずに、真白は涅に向かって視線を合わせにかかる。
「ああ、そうだよ」
そこで、彼もようやく真実にたどり着いたらしい。なにか悪いことでもしたのを反省するかのように、頭をかく。
「水の力、浄化の能力――そうか、そういうことか」
真白は深く息を吸ってから吐き出すような形で、淡く声に出した。
彼の水の力は、闇の属性に効果がある。実際に龍神ミドリと戦ったときも、彼女の闇を打ち払ってきた。闇にとらわれてきた者たちも浄化する。汚れを払う。唯一、鎧塚を救えなかったことだけは心残りだが、あれは仕方がない面もある。なんせ、彼は正気だった。闇すら跳ね返す精神力を持っていた。あれでは浄化の能力も効かないだろう。復讐心にとらわれていたことは事実だというのに、不思議な話だ。
そして真白は、自分がこの地に呼び出されたわけを知る。
最初から、今この瞬間のために、真白はいる。彼は虹色の獣を倒すためだけに生まれて、そこで散る命だったのかもしれない。ならば、ここで獣を倒せば全てが終わる。それは寂しい気もするが、自分の存在意義を見出したことは事実だ。それを希望として胸に抱く。
「大丈夫です。全てをなした後も、あなたはきっと、この地に残るはずです」
「それは、どうして?」
「あなたは、自分の色を見つけるからです」
胸に手を当てて、修道女が真摯な眼差しを向ける。
「その保証はどこにあるってんだ?」
横から、涅が割り込む。
彼は実にいら立っているような口調で、吐き捨てた。
絶対に真白が自分を持つことなどありえないと決めつけているようでもある。
だけど、真白はもう迷わない。自分の使命を果たす。これは確かに自分の意思だ。確かに、結果的にはレールの上を歩いてきただけの人生――もとい、ストーリーだった。それでも、成し遂げたいことがある。誰かの役に立ちたいと、自分がここに生まれた意味を知りたかった。それが今、ハッキリとした。ならば、全てを投げ出すような覚悟で前に進んでも、いいのではないか。
なにもいらないのだと、真白は思った。もうなにも、自分の命すら投げ出してしまっても構わない。ただ一つ、やるべきことを果たしさえすれば、自分がここにいると証明さえできれば。
「テメェはそれで満足なのか? そんな人生で?」
「はい」
即答する。
「無駄だ。テメェにゃ、なにもできねぇ。獣にたどり着く前に、足止めを食らう。もとよりあそこは部外者は絶対に通さねぇ。テメェは自分が誰か証明できるものを持ってねぇじゃねぇか。存在証明なんざ、できそうにねぇよなぁ?」
「それでも、思うんです。神がこの日この瞬間のために僕を呼んだというのなら、対策もしていたはずだと」
まっすぐに、迷いのない目で訴える。
それに、身分を証明する道具なら、ここにある。真白はポケットの中からカードを取り出す。そこには自分の名前と個人情報がきっちりと描かれている。そう、勇者と魔王の物語の再演を行うときに用いた、勇者に選ばれた証だった。
「僕は、行きます」
眉をつり上げて、鋭い眼光をほとばしらせる。
カードをきちんと手にとって見せつけると、途端に涅は瞳を大きく見開く。彼も、この展開には予想外だったのだろう。やれやれというように天を仰ぎ、眉間にシワを寄せた。
「おまたせしました」
「え、なにを?」
軽やかな声に振り返ると、そこには息を切らして立っているシスターの姿があった。彼女は両手に一房の剣を持っている。その刃は稲妻のごとき輝きを放つ。やや青みがかったスチールブルーを視界にとらえると、心が波立った。まるで、その剣を作った持ち主と対面しているような気分になる。
「これを、どこで?」
「城の中です」
「なんのために」
「もちろん、あなたのためです」
テンポよく、言葉を交わす。
流れに乗るような形で剣を受け取る。手のひらに柄を乗せると、うまい具合にフィットする。ツバはクローバー型で、そこは十字にしてもよかったのではないかと、余計なことを思う。だが、これも製作者のこだわりの一つだったのだろう。
少しだけ、目を伏せる。これで、条件は整った。後は、向かうだけだ。
「国境へ」
「行くの? 本当に? あたしは止めるつもりでここに着たのよ」
「ごめん。でも、これが僕の選択なんだ。これだけは、誰にも邪魔をさせるわけにはいかない」
心配そうな顔をするミドリに向かって、彼は迷いのない口調で言い放った。なおも彼女はなにか言いたげな表情を見せる。拳を握りしめ、震わせてはいたものの、なかなか続きの言葉を吐けずにいるようだ。すがりつくような眼差しを振り払うように、青年は背を向けた。
そして、涅のトゲトゲしい視線を振り切って、水晶へと意識を集中する。
すると、妖精も彼の意思に反応したようだ。その肉体は一瞬でチリと化したかと思うと、次の瞬間には国境の門にたどり着いていた。あたりは喧騒に包まれている。武装をした戦士たちが集まっている。だが、誰も近づけない。ある者は門にはばまれ、またある者は勇気を振り絞れずに、怖気づく。すぐそこまで闇の気配がただよっていた。世界の破滅が刻一刻と迫っているのだと実感する。
「通してください」
大きな声を出すなり、青年は一歩前進する。
「いけません」
門の前で、二人の女性が武器をクロスする。
「その先は危険です。あなたは自分の命が惜しくないのですか?」
「たとえ中に入れたとしても、あなたにできることなど、なにもない。お引取り願います」
少しだけドキッとしたし、胸に突き刺さった。
それでも、引く訳にはいかない。真白はすでに決断を下したのだ。たとえこの世にいる全ての者たちに否定されたとしても、進まなければならない。それが彼にとっての義務でもあり、使命だった。同時にそれは自身の願望でもある。だからこそ、ここから退く気は毛頭なかった。
一方で、相手も譲らない。絶対に通す気はないと言わんばかりの態度だ。その表情は口調は機械的で、身分証明書を出したところで、意味はないだろう。
そのとき、不意に通信機からアラームが鳴る。
「あなたは?」
『いいから、門を開け。俺が許可する』
かすかに耳に届く。
王権を所有する男の声。
その確固たる響きに惑わされ、揺らいだように、女性は表情を崩す。なおも抵抗を見せ、ためらってはいたものの、やがて彼女たちも決断を下す。
『渡せ』と目で示す。
真白もそっと接近して、ふところから取り出したカードを見せつける。
『真白・勇者』
個人情報を機械が読み取る。
そうだ、真白はこの物語を終わらせるために、ここにきた。
勇者と魔王の物語の再演は、緋色の女が死亡したあとも、続いている。少なくとも、真白の中では。だからこそ、それをきれいに終わらせるために力を尽くしてきた。今、この瞬間のために彼はずっと、戦ってきたのだ。だが、それも終わる。
機械は真白の存在を認めた。
存在証明が完了する。
門が開く。
青緑色の画面に見送られながら、青年は前へ進む。
同時に手のひらをカードが離れて、消失してしまった。自分を勇者と証明してくれる者はいなくなる。だが、それでよかった。悔いはないし、後ろ暗い部分もない。
だから、まっすぐに前を向いて、青年は進む。
あたりにはすでに闇が侵食していた。草木は枯れて、人々は倒れていく。闇に飲まれた戦士たちが、地面を転がる。中には絶望から自殺を試みようとしている者もいる。
最初に彼らの刃を適当に叩き切った。次におもむろに剣を振り回してみれば、闇は一瞬で浄化する。黒く染まっていた鎧も元の輝きを取り戻し、銀色に光る。
一歩進むごとに闇が濃くなってくる。まるで、立ち入ってはならない空間に入り込んでいるかのようだ。例えるのなら、防護服をまとわなければ歩けない環境。汚染された地域とでもいうのだろうか。文字通り、この土地は汚染されている。たった一体の獣に支配されて、闇が全てを覆おうとしている。それだけは避けなければならない。最悪の結末だけは、この手で防ぐ。そのために彼はここにきた。
深く息を吸って、吐く。
覚悟は決まった。必ずいけると思う。
緊張感が高まる。手のひらに汗をかく。じとっと頬を伝うものがある。ぞわぞわと嫌な感覚は肌を走った。逃げ出したい思いがないわけではない。少し、足が震えてきた。だが、行ける。大丈夫だ。そう言い聞かせた。ここで逃げては、決意を固めた意味がなくなる。死んでいった者たちのためにも、引くわけにはいかない。
脳裏に浮かんだのは、なんだっただろう。血の海に沈む、なにか。その正体は分からない。いったい、自分はなにを見たのか。そもそも、それは物なのか、人なのか。一人なのか、二人なのか。女か、男か。年齢は、体型は。性格は――分からない。でも、確かなものが一つある。
自分の行動理由は他人のため。だが、今は自分のために、ここにいる。だから、振り払う。大切な、欠けてはならない心ごと、思いを飲み込む。
失敗は許されない。自分自身にプレッシャーをかける。
闇が侵食して、漆黒に染まった大地を靴が踏む。途端に水によって清められた大地が、元の色を取り戻す。枯れていた葉は輝きを取り戻し、みずみずしいツヤが風と一緒に全体に広がっていく。全てが再生していく。やはり、闇には自分の力は効果がある。闇が全てを奪うのなら、自分の水によって、全てを取り戻す。そのために、ここにきた。
そして真白は、虹色の獣とついに対面を果たす。
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