第5話
失ったのは、なんの記憶だったのだろうか。
逆に、覚えているのは、闇の広がった世界での出来事だ。彼はたった二つ残された、再生された地域で少年と出会った。そして、覚悟を決めて元の時間軸まで戻ってきたはずだ。
世界の破滅を防ごうとした動機は一つではない。いろいろな想いが小さな胸の内側でひしめき合って、混沌としている。ただ一ついえるのは、彼には無念があった。後悔があった。まだ、なにも成し遂げてはいないと。自分はただの真っ白な少年で終わってしまう。それだけは嫌だった。そんなことで終わるのは、我慢ができない。だから、彼は記憶を捨てる覚悟を持って、今この場にいるのだ。
「僕の空白を埋めてくれる――なんてことはありえませんよね」
「あったりめぇだ。俺ら、敵同士だぜ。わざわざテメェの力になるような真似、すると思うか?」
真剣な顔をして問いかけると、相手はヘラヘラと笑いながら言葉をつむぐ。
なるほどと内心でため息をつく。こうなるのは分かっていた。いよいよ本格的に涅とは敵同士になる。否、元からかと心の中でつぶやいた。彼とはあまり仲がいいわけではなかったし、協力していた時期も距離は遠かった。逆に、今のほうが距離が縮まっているのではないかと思うくらいだ。
「まあ、よくぞここまで戻ってきたと褒めるべきか。だがな、遅せぇぞ。よりにもよって、直前に時間を戻すことはねぇだろうが」
「つまり、もう手遅れだと?」
「さあな。そいつはテメェの行動次第だ。今はちょうど、災厄の獣が呼び出されたころか」
結局のところ、術式を破壊することに関しては、間に合わなかった。だけど、それでも、全てが終わったわけではない。まだ、獣を倒せば勝機はある。真白の心には余裕があった。元より、あっさりとあきらめる気はない。どうせ、最後に拾ってやり直しにかかっていたところだ。どうせ終わると決まっているのなら、ギリギリまであがいてこその男というものではないだろうか。
「闇がこっちに届いた時刻、知ってるか?」
「さあ。僕のところではすでに夜だったと記憶していますが」
「で、現在の時刻は、アレだ」
時計を指す。
町の中心に立つ高い塔には時刻を知らせるアイテムと、鐘がある。その針は、午後五時を指していた。
「日が暮れるまで、ですか?」
眉と目をくっつけた状態で、彼を見澄ます。
「完全に世界が闇に包まれるまでには時間がかかるだろ? 夕日が沈んでる状態だろうが、余裕はあるぜ。全てはあいつのやる気しだいだ。まあ、今回は意地でも滅ぼしにかかるだろうな。久しぶりの復活だ。三〇〇〇年振り……。あの花が咲くころじゃねぇと、封印は解けねぇしなぁ」
あの花とはいったい、なんなのだろう。
尋ねようとして、すんでのところで口を閉じる。
頭をよぎったのは、いつか彩葉が話した虹色の花のことだった。彼女は確か、春になると咲くと口にしていた。咲くと、世界は闇に包まれると。
いずれにせよ、時間がない。
残り一時間。下手をすると、それすらも切っているのかもしれない。
一刻も早く、災厄の獣を追い詰めに向かわなければならないだろう。
町は騒然としていた。
街頭テレビにはニュースが映し出されている。瘴気を吐き出す獣と、黒く染まっていく地面。必死に戦う武装した兵士たち。だが、彼らのがんばりも焼け石に水だ。獣の体力を減らすどころか、傷一つつけられない。これでは、なんの抵抗もできずに世界は破滅へ向かうだろう。
なんとなく、世界が混沌としているような気がする。
あちらこちらで騒がしい声が響き、パニックに陥った者たちが右往左往していた。中には店に無断で押し入った輩が狂乱して、商品を片っ端から盗むという光景も見られた。
「無駄だぜ。やめときな」
出口へとすでに走り出していた青年を、後ろから呼び止める事があった。
「テメェになにができるんだ? この状況で。俺から、なんの情報も得られずにいる中で」
「でも、僕にはやるべきことができた。だから、戦わなければならないんです」
「で、どこへ行くつもりだ?」
「それは……」
場所が分からない。
災厄の獣の封印が解けた位置はいったい、どこだったのだろうか。映像を見る限り、国内のようなそうでないような――微妙なところだ。ただし、兵士の容姿は自分の知っている黒装束ではない。洋風の鎧だ。舞台に立つ勇者が身につけているものとは違い、無骨ではない。不格好とでも、称せばいいのだろうか。
だから、和風の雰囲気の東国ではないだろうと感じた。少なくとも、いままで歩いてきた道や町には、あれと同じものは見当たらなかった。
「外はすでに危険な状態。世界が闇をおおうのも時間の問題だ。いまさら動いたところで、仕方ねぇんだよ。どうあがいても、お前じゃ目的の場所にたどり着けねぇ。俺は別に止める気なんざねぇよ。せいぜいあがけってんだ。だがな、無駄なことを今さらやったところでどうなるってんだ。どうせ、無理なんだよ
。いくらお前でも、その能力は通用しねぇ」
吐き捨てるように、男は言った。
なんとなく、癪に障る。
なににいら立っているのかは分からない。ただ、なんとなく、自分のことを見くびられているような気がした。
別に自分の能力が劣っていることは否定しない。どうせ勇者にはなれないのだ。本物よりかは精度は低いだろう。それでも、証明したくてたまらない。自分一人になにができるのかすら、分からない。なにもしないほうが結果的には潔くていいのではないだろうか。ああ、災厄の獣に歯が立たなかったのなら、潔く負けを認めるつもりだ。
だが、実際はまだ、始まってすらいない。まだ、なにも起きていない。戦っていない段階で負けを認めるわけにはいかない。
真白は自分の行動が正しいと信じていた。
ただ一つ、この世界に爪痕を残したかった。自分が確かにいたという証を見せたい。せめて、誰かに気づいてほしかった。たとえ偽物でも構わない。抜け殻でも、本物の勇者でなかったとしても、自分という存在は確かにこの大地にいたのだと。そのために戦ったとしても、構わないのではないか。
「でも、僕は行きますよ。だから、教えてください。いったい、どこにあの獣はいるんですか?」
「この期に及んで、敵である俺を当てにしようってか? つくづく甘いぜ。砂糖菓子か。いや、ある意味合った表現か。とにかく、お前は残酷にもなりきれねぇ。この世界を切り捨てる覚悟すら、他人を見捨てる意思すらねぇ。ああ、いけねぇ。そいつは損をする。だから、ここで矯正するべきだ。次の人生で、幸福な生活を送れるようにな」
涅はニヒルな笑みを浮かべる。
明らかな、あからさまな挑発だった。
それには乗らない。
自分は確かに甘い。常に他人を優先する節があるし、自分の目的のために誰かを犠牲にするなんて、できない。どうせなら、自分が囮になって、仲間を逃がすようなあり方をしていたかった。だから、今のままでもいい。矯正する必要性なんて、感じなかった。
なお、水晶は消失。時は二度と、巻き戻せない。今回のチャンスを逃がせば、世界は今度こそ闇の底に沈んでしまう。失敗は許されない。プレッシャーが全身にのしかかる。それでも、逃げられない。決められたレールの上を走るように、青年は顔を上げた。
「仲間にならねぇか?」
不意に、そんな言葉が耳をかすめた。
「なにを、言ってるんですか?」
彼の言葉の意味をわかりかねて、真白はキョトンとしてしまう。目を丸くして、ポカーンと口を半開きにする。
だが、涅は本気だった。彼は実に堂々とした態度で、青年を誘ってくる。
「もう間に合わねぇ。諦めろ。そう、引導を渡したいところだぜ。なあ、俺は絶対に獣の居場所を教えねぇ。かといって、世界の各地を適当に回ってでもみろ。それこそ、時間の無駄だぜ。あっという間に日が暮れちまう。詰んでるんだぜ、なにもかも」
否定はしない。
武力行使に移ったところで、涅には効果は見られないだろう。たとえ居場所を特定したところで、間に合わなければなんの意味もない。元より町の中央から国外へ出るために何時間がかかるというのだろうか。その時点ですでに間に合わない。
否、一つだけ方法があった。転移だ。妖精なら、使えるのではないだろうか。だが、すでに手のひらには水晶がない。ならば、彼女の存在も消えてしまったのだろうか。嘆息して、肩を落とす。全身にあきらめがただよいはじめたとき、急に脳内で直接、女性の声が響いた。
『いますよ、ここに』
思わず、ぎょっとする。
いるといっても、どこにいるというのだろうか。浮かんだ疑問を口に出すと一人でエア友達と会話をする不審者に見えかねないため、リアクションは表に出さないように気をつけた。
『私はあなたの心に一時的に留まっています。転移なら大丈夫です。間違いなく、使えます。ただし、場所を相手から聞き出さない限りはどうしようもありません。特定をしなければ、どうしようもないのです』
やはり、そうかという気持ちが心の底から湧き出てきた。
転移といっても、都合のよいものではないらしい。せめて妖精が世界の全てを見渡す千里眼を持ち合わせていればよかったけれど、そう無駄に高望みをしても仕方がないだろう。不可能なものは無理だと、あきらめるしかあるまい。それでも、まだ、あきらめるわけにはいかない。獣を倒す――それだけは、決して捨ててはならない目的でもある。必ず、獣は倒すのだ。そう心に固く誓って、真白は目の前にいる男をにらみつけるような目で見澄ます。
「君は僕に、なにをしてほしいんですか? なにをどうすれば、獣の居場所を教えてくれるんです?」
答えによっては、叶えてあげないこともない。
今は非常事態だ。躊躇をしている場合でもない。真白は相手にどのような無理難題を押し付けられても、絶対に成し遂げてみせるという心意気を持っていた。
「さっきから言ってんだろ。俺はお前に仲間になれと言った。王権を渡す。そのかわりに、俺に協力しろってな」
「それで僕に、なんのメリットがあるんですか?」
訝しむように問うと、なにがおかしいのか、男は大きな口を開けれ笑いだした。
他人を嘲るような哄笑が漏れる。
本来であれば注目を浴びそうなところなのに、現在は世間の騒がしさのせいで逆に溶け込んでいる。冷静な真白のほうが、むしろ浮いているくらいだ。
「んなもん、メリットしかねぇだろうが。テメェが王権を持てば、王になれる。同時に王になれば国を司ることができる。場合によっちゃ、獣を倒すことも可能だろうな。なんせ、あの剣には持ち主の願いを叶える効果が付属されている。まあ、俺にとっちゃ、ガラクタみてぇなもんだがな。なんせ、こっちにゃ夢がねぇしよ。王になったところで、世界を滅ぼしちまったら、意味がねぇ。再構築しろっつってもな、俺じゃ魔力が足りねぇしよ」
今さらだが、王権を得た者のみが術式を発動させる権利があったということではないだろうか。涅は自分を倒しても無駄だと言っていたような気がするが、とんだ嘘っぱちだ。
また、獣の役割は本来、破壊と創造。つまり、自分の理想をする世界を作り上げることも可能だ。そのために必要となるのが、王権。王となった者のみが、術を自由に扱える。ただし、それには相応の魔力が必要だ。
「俺じゃ、宝の持ち腐れ。だが、お前だったら、なにかできるんじゃねぇか?」
確かに、そうだ。
涅の実力がいかようなものかは分からないが、彼自身も戦いを避けたがっているところを見る限り、格下ではあるのだろう。
真白も戦う気はないため、できるのなら彼の命令もとい誘いに同意をしたいところだ。だが、それをしてしまえば、主導権を相手に握られる。実質、傀儡政権に陥る羽目になる。それに、今ある世界を破壊してしまっては、なんの意味もない。自分は今の――本物の大地の上でしっかりとした結果を残したい。偽物ではダメなのだ。
「できない。僕には、やるべきことがある。それに君の発言は嘘ばかりです。あなたを信じるわけにはいきません」
「へー、普通ならあっさり騙されると思ったんだがな」
やはり、なにかを隠しているのではないだろうか。
相手は仮にも詐欺師だ。いくら真白が素直だからといって、あっさりと鵜呑みにするわけにもいかないだろう。
張り詰めたような空気がただよう中、涅は緊張感の抜けた顔で口を開く。
「だがな、俺のさっきの言葉は真実だぜ。都合のいいところにくれぇ、目を向けろや。自分になんのメリットがあるかくらい、分かってんだろ? なにをするのが正しいのか考えてもみろや。なあ、無駄なことをして命を散らして、満足か? 敗北して、全力を出し切れば完全燃焼。悔いなんざ残らねぇといいてぇのか? そいつァ、ダメだろ。結局、なにも得ちゃいねぇじゃねぇか。それでいいとか思ってんなら、テメェの感性がおかしいぜ。どうせやるんだったら、全力でいかねぇか? 俺の仲間にでもなれば、世界はともかく、なにもかもが救える。俺の理想とする世界に作り変えさえすりゃ、なにもかもが元に戻るんだぜ?」
正論ぶった言葉を繰り出されたところで、真白の心は揺るがない。
もう決めたことなのだ。
ここで悪に屈したところで、それこそおしまいだ。
それでも、一理はある。
全力を尽くしたところで、全てを失ってはなんの意味もない。後には廃墟や瓦礫が広がるだけだ。失敗をしては誰の目にもとまることはないだろうし、功績は無に帰す。それでも、一度王権を手にしてしまえば、なにもかもが変わるのだ。自分がなりたかった勇者になれる。そして、なにより――それより先の言葉は、うまくいえなかった。頭が空白に染まる。自分は果たして、なにを言おうとしていたのだろう。
いや、どうだっていい。とにかく、正しいのは逃げないことだが、なにかを得たいのなら、相手に従うほうが賢い。
利口だ。それでも、まだ、解せない。警戒は解けないし、あっさりと全てを投げ出したくもなかった。
「例えば、僕が本当に獣を倒せたのなら、君はどう思いますか? 世界の破滅は防げるでしょう。それでは、王権を持たずとも、結果は残せる。そう思いませんか?」
本当にほしかったものは、なんだったのだろう。
王権や王冠。金のトロフィー。
いいや、違う。
真白が真にもとめていたものは、そんなものではない。彼は勝者になど、なれない。銀色のままで終わってしまう。それでも、よかった。もうなにもいらないのだ。
本当にほしかったのは見えないもの。形に残らないもの。それでよかった。自分の力でなにかを成し遂げたという結果。ただ、それだけでよかった。そこでなにか便利なものに頼ってしまっては、たとえば王権なんかを手にしてしまえば、全てが変わってしまう。いままで積み上げてきたものが崩れる。だから、いやだと。心の底から叫んでいた。
「分からねぇか? 今、この場において、勝者は俺だ。俺が世界の中心だ。分かるか? これがほしいと、お前もそれになりてぇと思わねぇのか? ありえねぇ。誰だって、頂点を目指したいものだろうが」
眉をひそめて、とげとげしい口調で訴える。
「お前にゃ、無理だ。真っ白でしかなかったお前は、勇者ですらねぇお前には、世界を救えねぇ」
だからこそ、自分の仲間になれと言いたいのだろうか。
だが、違う。
そんなはずはない。
なぜなら、まだなにもやっていないから。実際に獣と相対したわけでもないのに、そう簡単に結論を出されても困るのだ。
そうだ、相手は詐欺師だ。ありもしない話を語って、騙そうとする。だから、正論の中に嘘を混ぜて、説得をしにくる。それに、だまされるわけにはいかなかった。
「仲間になりゃあ、勇者になれる。その意味が、分かってんだろうな?」
「はい。それでも、僕は――」
続きの言葉を述べようとしたところで、口の動きが止まる。
背後に足音が迫る。ずらっと二人分。小さくて、コツコツとした。ヒールの音。
振り返ると、そこにはシスター服をきた女性と、無地のワンピースとシンプルな装飾品をまとった女性が、立っていた。
「行くの? 本当に?」
悩ましげな目で、水色の巻き毛を持つ女性が尋ねてくる。
「はい」
真白が答えると、彼女は飛びつくように近づいてきた。
「ダメよ。行っちゃ、ダメ。あんた、死ぬわよ。あの獣は普通じゃない。三〇〇〇年前に、勇者が封印したものだけど、今この世界に勇者はいないの。だから――」
戦闘力が足りない。
分かっている。分かっているのだ。
それでも、それでもと――
言葉を飲み込む。
危険なのは分かっている。それでも真白は、一度決めたことを曲げるわけにはいかなかった。
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