第24話
「ふざけるなよ。ようやくここまできた。あと少しで追いつけると思った。それなのに、もうその仇はいないだと? なら、俺の三〇〇〇年はなんだったんだよ?」
鎧塚は叫んだ。
声から悲痛な想いが漏れ出す。
彼は勇者への恨みを持ったことがきっかけで、勇者としての力を拒絶した。彼のやり方が気に食わない。勇者なら勇者らしく、せめて、魔王を討伐するべきだった。それをせずに互いが苦しむだけの選択をしたことが許せない。仕方がなかったという問題ではないだろう。あの場面で勇者が消えても、また新たに神の代理となる者が選ばれるだけだ。あんなものは、言い訳に過ぎない。本当は、勇者も魔王を殺したくなかった。彼女を愛していたから。心の底から、ほかのなにか――世界を犠牲にしてでも、優先しようとした。だから、生かした。それだけだ。
だが、彼は知らない。大切なものを奪われた者の無念を。だから平気な顔で勇者の座から降りられたのだ。今もこうして天から下界を眺めているのだろう。まったく、いい身分だ。
鎧塚は心の中で吐き捨てた。
だから、あれにはならないとも決めた。
だから自分の力だけで、三〇〇〇年間、努力を重ねた。勇者と同じ地位まで上り詰めて、魔王に何度も戦いを挑む。そのたびに敗北して城を追い出されはしたけれど、同時に金目のものを盗んだりして、嫌がらせをした。
だが、そんな日々は無意味だった。
なぜなら、もう、標的はこの世にいないのだから。
「もう聞いた。同じことを何度も俺に聞かせるな」
対して、相手から返ってきたのはなんとも、冷淡はセリフだった。
途端に鎧塚の額に、青い血管が浮く。
「テメェよ、そいつはいったい、誰のための復讐なんだ?」
口元をニヤつかせながら、挑発するかのように、涅が問う。
「そんなもの、決まっている。自分のためだ」
鎧塚は即答する。
「独りよがりだな。ほかはともかく、貴様には頼んでねぇだろうが。誰も貴様の復讐など、望んじゃいねぇんだよ。それが正義だと言うのか? くだらねぇな」
「ああ、そうだ。それでもいい。それから俺は、自分が正しいなんて、思っちゃいない」
むしろ、逆だ。
昔、勇者としての能力を相手に譲ったがために、彼は王女を守れなかった。
大切にしていた者を失っただけで、ほかに得たものはなにもない。
ゲームに参加すらできず、最初から最後まで、傍観者だった。物語でいうのなら、モブ。彼は、主要人物のように神の手のひらの上で転がされることすら、なかった。
それがどうしようもないほど虚しくて、悔しくて、たまらない。
その気持ちを整理するのに、時間がかかった。
なればこそ、もう二度と同じ過ちは繰り返さないと誓う。
自分の行動のせいで彼女が犠牲になったのなら、せめて、自分のための人生を貫く通す。そのためなら孤独になっても構わない。嫌われようが自分が損をしようがどうだっていい。
「自分のため以外の復讐など、してやるものか」
激情に駆られるようにして叫んだ言葉は、本心だった。
刀による侵食は水面下で進んでいる。表面上は平気でも、魂の色は変質しつつあった。刀から発せられる怨念があまりにも強すぎて、乗っ取られそうになる。その怨念の正体が自分の魂から発せられたものでもあるため、なんとも皮肉な話だ。
そうした中でも、意思だけは変わらない。三〇〇〇年間守り続けたルール・人格は、今もなお、健在だった。
そのとき、真白は気づく。
鋭い光を放つ、鎧塚の瞳。
その色は灰青でも、雲のかかった空の色でもない。
スチールブルー。
鋼鉄の青の色だった。
このような状況でありながら、鎧塚はどうしようもないほどまでに、正気だった。
途端に、彼の胸中に後悔にも似た感情が流れ込む。
なぜ、気づけなかったのだろう。
なお、いくら固く意思を保っていようが、じきに、意識すら保てなくなることに変わりはない。それでも、せめて、前方にいる涅色の男だけは倒さなければならない。使命感に駆られるように、鎧塚は水平に剣を振るう。
とっさに相手も土壁を作る。
そのどす黒い瞳はかすかに茶色を帯びた。
土の属性――涅影丸が所有する能力だ。彼も無彩色の髪と瞳を持つ男であり、緋色の女や魔王と同じ種族でもあるため、当然のことだ。
対処はしてくると踏んでいた。だが、どうだろう。たかが土の壁とは、なんとも脆い。
あっけなく崩れ去った。
そのさまはまるで、砂のようだった。
そして、その作業は実に淡々としていた。
事実、鎧塚にとってはなんてことのない工程だ。
鎧塚は前進する。
その傍らで、真横にあった鉄の壁が崩壊する。
まるで、先程の余波を食らったかのようだ。
もう、自分の行為が無駄だと分かっている。
もう、終わりだ。なにもかも。全てが、自分が介入する前に決着がついて、終焉を迎えようとしている。これからやることに意味はない。鎧塚武将は結局、なにも残せない。なにも得られない。それは最期まで変わらない。
それでも、それでも、と。何度心の中で言っただろうか。
なにも得られなくても構わない。全てを失うとしても、自分に残るものがなにもなくとも。
ああ、そうだ。ほしいものなど、なにもなかった。だから、身を滅ぼしたとしても、憎い相手を殺すことを選んだ。
もはや、なにも見えない。
視界は闇に染まっている。それでも、対象の位置だけはしっかりと把握できる。
怨嗟の中を進む。
もはや自分のものかも分からない声が、耳から全身へと回っていく。
外では雷が鳴り響く。
「くだらねぇ真似、してくれやがるな。テメェはもう、人間じゃねぇ。亡霊だ。もしくは悪霊。あの日、勇者としての力を失った時点で、もう役割は終えているはずだ。にもかかわらず、三〇〇〇年間も同じことを繰り返して。バカなんじゃねぇの? お前は結局、過去にとらわれたままでいるんだぜ。それで、現実を直視したつもりか? 口ではかっこつけたところで、怨念に支配されているだけじゃねぇか」
嘲笑が響く。
鎧塚は反応しない。
かわりに彼は、ちょうど相手の前で足を止めた。
「俺を裁くか? 執行者気取りか?」
「いいや、違うな」
軽く、独り言をこぼすように、青年は否定する。
その言葉は淡い声と一緒に、空気の中にただようようにして、消えた。
「俺にあるのは殺意だけだ。聖女のような癒やしの力も、勇者のような光の属性も持ち合わせてはいない。俺にあるのは刃のみだ。だから、お前を殺すことしかできない」
「チッ、規格外だな。こいつは」
涅が実にくだらないというように、吐き捨てる。
残念だ。むしろ、がっかりした・失望したといわんばかりの態度。
そして次の瞬間、涅の体に赤いラインが斜めに走る。
斬られたと悟る。
だが、それも必然。
どうせ、止められないと分かっていた。
なればこそ、ここで自分は倒される。
涅はそう予想しつつも、心の底では確かに希望を宿していた。
なぜなら、この場には――
透明な剣が割って入る。
その、刃もついていないガラクタのような武器だが、確かに一度、鎧塚の刀を弾いた。
だが、彼本人は柄から手を離さない。ただ、涅から距離を取っただけだ。
「お前は、どちらの味方だ」
「どちらでもありません。ただ僕は、君に彼を、殺してほしくなかった」
「そいつは自分の役目だと言いたいのか」
冷ややかな笑みを、鎧塚が浮かべる。
その黒く染まった視界の中で、真白の姿だけが透明に、浮き出て見える。
後方にいる涅はもはや周りと判別がつかないくらいだというのに、大層な差だ。
一方で、真白は静かに首を振る。
「僕は彼を殺さない。彼を、憎むわけにはいかないと思うんです」
「それが自分だと。そう、言いてぇのか? そして、そのあり方は間違いなく正しいと、断言できるんだな?」
その怒号のような響きを持った言葉に対して、真白は目をそらす。
「逆に尋ねます。なぜ君は、それを選んだんですか? 復讐さえしなければ、手を汚さずに済む。幸せになれる。希望のある未来だって、きっと得られるのに」
苦し紛れに、問いを投げる。
それに対して、鎧塚はゆっくりと口を開く。
「もう、遅いんだよ」
その声音は実に低く、落ち着いていた。
「俺がほしいのは力だけだ。勇者と同じ位置に、あの魔王さえ超えられる力がほしかった。あとはなにもいらない。真にほしいものなど、この世には残っていないんだ」
だから、なにもかもが無駄なのだ。
力を手に入れず、泣き寝入りをする羽目になってでも、欲しかったものなど、なにもない。
得る価値のあるものなど、なに一つ見つけられなかった。
復讐を果たしてもむなしくなるだけだと言うけれど、ならば現在進行でむなしいのはなぜなのか。もはやなにも得られないと分かっているのに、それでもなお、別の道へ進むことなどできない。
これはもはや、決めたことだ。もう一歩も、引くことなどできなかった。
それは、真白も同じだ。
彼はなんとしてでも、相手を止めようとしている。
それは自分のエゴだ。誰も求めてはいない行動でもある。だけど、少なくとも、鎧塚の持つ刃が涅に届いたところで、それで全てが解決するとも思えない。涅を殺す――そんな価値すらないのではないか。このまま裁かせてはもったいない。
そう、真白は客観的に判断を下していた。
「無駄だぜ」
声とともに、後ろで影が動く。
倒れていたはずの涅が立ち上がり、力なく語った。
「能力はもはや通用しねぇ。んな、迷いのある心じゃな。なにより、テメェの持つ剣はただのガラクタじゃねぇか。対するは本物の妖刀――そのどこに勝ち目があると思うんだ?」
「それでも、僕は」
迷いがあるのは自分でも分かっている。
本来の実力はともかくとして、今この場では、相手に勝てる気がしない。
それも、分かる。
それでも、譲れないものがあるのは事実だ。今、この場で、真白は一歩も引くわけにはいかなかった。
「なぜ、止める。お前だって、こいつは憎らしく思うだろ? 勝者はあいつだ。敗者はお前。そう、決定づけられた。それで納得すると? 全て、こいつの思い通りにことを運ぶつもりか?」
「分かっています。だけど、僕には君に彼を斬らせたくない理由があります」
「温情か? 馴れ合ったつもりか?」
「いいえ」
首を横に振る。
「今の君は違う。今の君は、自分の意思を貫いたことにはならない」
「なぜだ。俺のあり方は変わらない。俺は俺のために戦うんだよ。今までも、これからも。この戦いに理由はいらない。俺は常に憎しみにとらわれて、思うがままに剣を振るってきた」
血を吐くように叫ぶ鎧塚に対して、真白は真剣な顔をして、答えを教える。
「それは違う。だって、今、ここに、君の倒すべき相手はいない。本当に恨みを晴らすべき相手は、ここにいないじゃないですか」
魔王は――聖女を殺した相手――絶対に超えなければならなかった壁は、もう崩れた。
彼は、違うのだ。
確かに原動力は憎しみだったのかもしれない。結果的には、復讐にもなった。だけど、それでも、鎧塚の真の目的はただ、勝つことでしかない。根底にあったのは勇者への嫉妬・反感・嫌悪感――彼と同じようにはならないと決めた。だから、彼と違った形で、自分の手で魔王との決着をつけたかった。そして、聖女に対する想い。それは緋色の女と同じようなものだったのだろう。だから彼は、彼女のために、王権を手に入れようとしていた。
本音をいうと、国民のために死んだ聖女に対する償いをしたかった。ただ、それだけだった。
途端に、鋼鉄色の瞳が揺らぐ。
柄を握る指が、刃が勝手に震えだす。
だが、もはや止められない。
分かったところで、気づいたところで、どうなるというのだろうか。
今この場に、自分の敵はいない。
真に復讐を果たすべき者は消えた。
ならば、いったい、自分はどこへ行けばいいのか。
涅が自分にとっての仇がないことくらい、自分でも分かっている。それでも、止まれなかったから、鎧塚は剣を振るう。せめて、報いを受けさせなければ、我慢ならない。これが、鎧塚の意思だ。
だが、その前に。
この刃は制御ができない。
視界に入るものなら、なんでも斬ってしまう。
下手をすれば、世界の大地ごと。
もう、なにも得られないことくらい、分かっている。
どうしようもなくて、もう自分の力を抑えきれないことも。
だけど、もう、負けたくなかった。
自分の刃に、自分自身の心に。
闇の中でかすかに光る、透明な輝きを見て、すんでのところで、あと一歩、踏みとどまる。
紙一重で正気を保つ。
刹那、闇色に満ちた空間に鮮やかな赤色が飛び散る。
この場にいる誰もが目を疑った。
目を丸くして、ぼうぜんと立ち尽くす。
あやうく、武器を落としそうになった。
それくらい、鎧塚のとった行動は信じがたいものだった。
彼は自分の首を切り裂いた。
切断自体はされていない。だけど、その傷は深い。太い血管を切ったのだろう。床に広がる血の勢いは、止められそうにない。
真白にとってはなにが起こったのか理解ができず、そのままへたへたと座り込む。
「ああ、ちくしょう。あと少しだったのにな」
鎧塚は顔を歪めた。
鋼鉄色の瞳の上を、握りしめた拳が隠す。その手のひらは赤く濡れていた。
「やっとここまでたどり着いたってのに。ああ、せめて、……の仇さえ打てれば。あいつを殺した魔王を殺すために、ここまで着た。それなのに、その相手がいないとあっちゃ、報われねぇな。どうしようもねぇ」
彼は自嘲気味に口元に笑みを作った。
真白はまだこの状況が信じられず、突然のことで現実に頭がついていかずにいる。
「どうして、こんな……だって、君は」
「おいおい、この期に及んで、それはないだろ。俺はもう、目的を失ったんだ。この復讐には意味がない。だから、自分の手で決着をつけた。それだけだ」
そんなことを言われても、もはや、なにも、言えない。
反論も、肯定も、否定も、相槌すら。
「言っとくが、お前じゃダメだ。お前の能力は浄化だけ。俺には届かない。この傷も治すことなど、できないだろうよ」
それを突きつけられて、真白はハッと息を呑む。
あらためて、自分の限界を突きつけられたような気がする。
そうだ、自分は勇者ではない。
勇者の殻をかぶった偽物だ。光の属性を持たないがゆえに、治癒の能力を得られなかった。
「待ってく、れ。まだ、分かりあえていない。友達にすら、なれていない。それなのに」
「もう、いいじゃないか」
叫ぶ少年に対して、青年の表情は穏やかだった。
「それと、誤解を避けるために言っておく。俺はいちおう、勇者には憧れていたんだ。お前の、皮にな。でも、やはり、届かなかったな。最後まで、俺は、勝てなかったよ。そして、お前にも、確かに敗北した。これは証だ。約束は守る」
空いた手のひらに水晶をつかんで、差し出す。
真白はおずおずと受け取る。
その手のひらから体温が引いているという事実に、いまさらながら気づいた。
「俺の武器はやるよ。棍棒ならお前が使っても問題はないだろ。あれは、剣の形をしているが、元は俺が改造したものだ。怨念とか入っていないから、安心しろよ」
その言葉を聞いて、かすかに少年の瞳が揺れる。
青年はかすかに笑んだ。
「じゃあ、後を、頼む」
そして、その瞳はゆっくりとふせられ、やがて動かなくなった。
わずかに残っていた熱は失せて、今は脈拍すら、感じない。
青年は敗北を認めた。
だが、違う。
逆なのだ。
負けたのは、自分なのだ。
真白はうつむくながら、唇を噛む。
彼は負けた。
目の前で散っていった命を救えなかった。
浄化の刃で貫けさえすれば、少しは救われるものはあっただろう。だが、それすら許されない。実際のところ、伝説にある純白の剣を真白は有していなかった。
これは実質、勝ち逃げだ。
ただただ、純粋に、この事実に悔しさを抱いていた。
そのとき脳内にふつふつと蘇ったのは、幼少の記憶だ。
体育館――広々とした空間。たくさんの観客。
薄暗かった空間に明かりが灯る。
幕が開く。
舞台が始まる。
子どもたちが演技をしている。芝居を演じている。
その中でひときわ異彩を放つのは黒髪黒目の少年。彼は赤いマントをはおって、正義のヒーローを演じていた。現実はともかくとして、ステージの上では常に彼は勇者だった。物語の中だけでなら、彼は誰にでもなれる。
現実ではできないことも、観客の前でなら、決められた脚本の中でならきちんと演じられる。その演技に狂いはない。熱量も十分だ。なにしろ、彼こそがこの中で最も演技を楽しんでいる者であったからだ。
一方で、それをよく思わないものもいた。
似たような髪と瞳をした、濁った瞳の少年。彼は常に悪役を演じてきた。特にはラスボスにすらなれない、哀れな噛ませ犬に抜擢されることもあった。それはときに戦力の差を示して相手を引き立てるという、重要な役割を担う。だが、かませにされたほうはたまったものではない。彼は常に、屈辱を味わってきた。
そしてついに、公衆の面前で、少年は脚本から外した演技を見せる。
その武器で、勇者を倒した。
勇者はステージの上に転がっている。
そして、彼の勝利で物語は終わった。
そのときの屈辱を覚えている。
なぜ、こんなことになったのかは分からない。それでも自分は負けたのは。大勢の観客の前で恥を晒した。その事実だけは、変わらない。
そうだ、確かに過去はあった。
完全な空白ではなかったのだ。
確かに、自分が勇者だという記憶は偽物だ。自分は本物の勇者にはなれない。だけど、埋められるものはある。自分は確かにこの地で生きていた。それだけは、決して覆せない。
絶望の闇の中で、真白はかすかな光を見た。そんな気がした。
少し、安堵したのだ。
なにもかもが空っぽな人間ではなかった。
そして同時に、自分が演劇を嫌っていた理由をようやく知った。
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