第22話

 不意に、壁しかなかった位置に扉が出現する。具体的にいうと、隠し扉のような雰囲気だ。石の部分が自動でへこんで、くぼみが生まれる。そのくぼみは長方形を作って、真下へ倒れた。下はちょうど穴が空いている。壁はそこにすっぽりとはまった。


 真白は石の上を歩いて、狭苦しい通路に出る。


 すべての罠をバカ正直に解除した結果がこれだろうか。もしも、それがトリガーだったとすれば、真白の行動はいちおう効率がよく動けていたことになる。とにかく、時間を無駄にせずに済んだと判明して、安心だ。


 とにもかくにも、前へ進む。

 最奥への道はとうの昔に開かれている。後は一直線に進むだけだ。


 当然ながら、不安が消えたわけではない。むしろ、魔王と直接対決をするビジョンが脳内に何度も浮かんで、気がきではない。だけど不思議と、逃げ出したいという気持ちは薄れていた。むしろ、早く戦いにいかなければならないという意思に突き動かされるように前進している。引き返す気にはなれない。今、真白の胸中にあるのは、自分の役割を果たさなければならないという使命感だ。元より花咲彩葉との約束を破る気はない。彼女のために、たとえ自分が王権を得るにふさわしくない人間であったとしても、心ない人間に非難を受けたとしても、受け入れる必要がある。自分には、その義務があった。だから彼は足を止めない。


 心臓が鐘のように音を立てて、鼓動する。息苦しい。周囲にただよう陰湿な雰囲気はそのままに、なんだか熱っぽい感覚がする。皮膚が赤くなるような、そんな感覚。ひんやりとした空気が鼻から入って、肺を満たす。なんとも体に悪そうな空間ではあるものの、弱音を吐いている場合でもない。


 一歩ずつ、着実に最奥との距離を縮めていく。


 早くすべてを終わらせて解放されたいという気持ちと、まだたどり着きたくないという気持ちが、胸の内側でせめぎ合う。

 いくら凄まじい力を手に入れていたところで、魔王に敵わなければ意味がない。まだそうと決まっているわけではないだろうが、地下の入り口で見た影を見るに、明らかにこちらに敵意を持っている。相手は真白を勇者だと思いこんで、攻撃を仕掛けてくるのではないだろうか。そりゃあ、そうだ。魔王は勇者への復讐のためだけに生きてきた。その相手が本物の勇者ではなく、ただの真っ白な少年であるのは心苦しいけれど、少なくとも彼は神の意思だけは継いでいる。詳細は不明だが、真白は明らかに神からの加護を受けている。同時に、神からなんらかの責務を負っているのだろう。それなければ、最初は無だったものを人の姿として現界させるわけがない。そして、真白の背中に押し付けられた任務とは、魔王との対決だ。そのために真白は地下の迷宮に足を踏み入れた。


 いよいよ、最奥が迫る。

 明かりが見えてきた。

 いままでの薄暗さも相まって、天井に張り付いた照明が、やけにまぶしく見える。

 目を細めながらも、そのさらに奥のほうへ視線を送った。

 台の上に、なにかが置かれている。

 剣だろうか。

 こちらの視点からすると、祭壇のようにも映る。

 もしくは、なんらかの儀式を行いそうな雰囲気とでもいうべきだろうか。とにかく、普通の人が踏み込んではならないと思わせられるほど、厳かな空気が全体に漂っている。さながら、今から神でも降臨するかというように。

 本当に、自分がこのような場所にやってきていいのだろうか。その資格は、果たしてあるのか。

 いや、そうではない。

 弱気になりかけた自分を、強引に律する。

 なぜなら、真白は数多くの参加者の中の頂点に立った。実際にすべての敵を倒したわけではなく、漁夫の利という形ではあったものの、それでも強者との戦いを制したのは事実だ。彼の勝利はまぎれもない真実であり、決してくつがえせない。その結果は二人の戦士たちが証明してくれるだろう。

 自分の目的は王権の入手。ただ一つだ。そのためならば、どのようなものでも犠牲にして、不相応な立場に身を置いても構わなかった。

 だからこそ、祭壇の前でもう一度剣を見上げる。

 想像よりも大きい。自分の背丈ほどはあるのではないだろうか。果たして、使いこなせるかどうか。自分が抜いたところで、ただの置物と化しそうだ。

 だが、それがどうかしたのだろうか。確かに自分は未熟だし、ひ弱だ。それでも、いままでに得た経験は着実にこの身に蓄積している。それを否定できない。そして、この剣はそんな自分に対する褒美だ。

 なればこそ、自信を持って抜きにかかる。

 さながらエクスカリバーのように目の前に君臨する剣を見上げてながら、息を吸う。

 ガラス玉のような瞳に確かな意思を宿す。口元をギュッと引き締めて、柄に触れる。全身の力を込めて、抜きにかかる。

 覚悟は決まった。

 あとは王になる資格があると証明するだけだ。

 意を決した。

 ところが次の瞬間、手のひらの上で柄もろとも刀身が砕け散った。

 その様はまるでガラスのようだった。

 あっけなく、目の前で幻が消えていく。

 真白はなにが起きたのか分からず、目を丸くする。

 手のひらの中には、確かな感触だけが残っていた。だが、事実として、先程掴んだはずの武器はその中には存在しない。痕跡すら、今は感じられなかった。

 破片は、埃のように宙を舞っている。

 これが、自分のほしかったものだというのか。

 自分の身になにが起きたのか。

 そんなことはどうだっていい。

 だけど、混乱の中でかすかに感じた。これが、喪失感というものかと。なにかがおかしかった。いままでだって、まるで何者かに誘導されたようにことが進んできた。そして、自分はこの地にたどり着いた。なぜ、自分にそんなことが……。これではまるで、真白という少年が勇者で、彼が最後に残る人物だと確定していたかのようじゃないか。


「やれやれ、とんだ茶番だったぜ」


 目の前で、扉が開く。

 先ほどまで石の壁だった空間が倒されて、そこから一人の男が登場する。

 彼は身の丈ほどの大刀を背負って、まっすぐにこちらへ歩いてきた。


 いったい、なにが起きているというのだろうか。

 真白はただ、放心する。

 全身から力が抜けて、なにも分からないまま、ぼうぜんとしていた。


 なぜ、ここにこの男がいるのか。

 なぜ、消えた剣を彼が背負っているのか。


 だが、先程まで脳内をぐるぐると回っていた疑問と、一つの仮説――それがたった今つながったような、奇妙な感覚が頭を支配する。


 それはまだおぼろけで、とらえられるかどうかすら怪しい、かすかな予想だ。だが、確かに真白の頭には生まれた、一つの予感。


「そうさ、俺が黒幕だ」


 堂々と告げたのは涅影丸だ。


「俺こそが真の勝者さ」


 彼が大刀を片手でつかむと、それを天高く掲げた。

 そのどこかの銅像を思わせる姿が、彼が勝者であることを、強く印象づけているような気がした。


 だが、納得ができない。

 いきなりそんなことを告げられても、現実を受け入れられない。

 それでも、予感だけはあったのだ。

 涅はあからさまに悪人だし、どこかで自分を裏切る可能性を否定できなかった。それでも、いっときでも仲間だった存在だ。彼の力も、何度も借りた記憶がある。今更、疑うなんて、できなかった。

 ただ、あまりにも悪であることを隠す気がなかったため、度外視していただけかもしれない。


 いずれにしても、なんの兆候もなかったのに、いきなり自分から黒幕だと名乗るなんて信じられるはずもない。冗談ではないかと疑っている。ありえないと。これだけは。ほかの悪人はそうでも、涅だけは違うのではないかと、心の底ではまだ、現実を疑っている。


「俺みたいなやつを信じんのが悪いのさ。悪いが、俺は本物の黒幕だ。黒バラの女が束ねる組織に所属している身でもある。だからお前と一緒に捕まったとき、普通に逃げ出すことができたのさ。ずっと、だましてたんだよ。最初から。テメェを、緋色の女と一緒にな」

「全ては、僕をあのゲームの勇者に仕立て上げるためだったんですか? なら、いったい、どこからどこまで……。なにげ偶然で、どこまでが必然だったんですか?」

「全てだ」


 あまりにもあっさりと、答えが返ってきた。


「誘導は緋色の女がやった。俺は少し手を貸してやっただけだ。だが、そうさな。これだけは言ってもいいか。あのバトルロイヤルの司令を送ったのは俺だ。そのメールがいろんなやつに届いたときには、俺はもう、この剣を手にしていたのさ」


 そんなこと、ありえたのだろうか。

 なぜ彼が勝者となったのか。それは、分からない。

 だけど、彼が王権を手に入れたということは、次の王は涅に決まったことを指す。悪人に国の実権が渡ったのは、冷静に考えなくてもまずい。この国は、めちゃくちゃなことになる。なにより、これでは約束を守ったことにはなれない。自分が王権を手にしなければ、いつまでたっても救国の聖女は――緋色の女は報われない。


 確かな予感が脳内を突き抜けて、背筋に悪寒が走る。頬(ほお)を冷たい汗が伝った。


「誰が勝ち残ろうが、俺の勝利は揺るがんぞ。王権は手にした時点で王は俺で確定する。そこから俺を倒したところで、意味はないぜ」


 不敵に笑む涅に対して、真白はなにも言えない。

 なにか、対抗策があるのではないかとも考えた。だが、頭は真っ白だ。なにも浮かばない。


「本物の剣、なんですよね?」


 眉をひそめた。

 突破口を探るように、慎重に、問いかけてみる。


「ああ、そうさ。お前がさっきつかもうとしたのは、レプリカだ。俺は模造品を作るのが得意でな。だから贋作店なんざ営んでんのさ。こういうの、いちおうは、読める余地はあっただろ。俺は隠そうともしなかった。それを見過ごすたぁ、お前の目は節穴だな。ったく、手のひらの上で転がされやがって。自分が惨めだとか、思わないのかね」


 上からものを言われる。

 へこむ気持ちは確かにある。

 それでも、こればかりだあっさりと全てを受け入れている自分がいる。

 だまされるのには慣れている。下手に素直だから、悪い大人に目をつけられるのだ。今回は涅影丸という悪徳業者の罠にかかった。

 それは確かな真実であり、否定できない。


 それでも、今目の前に広がっている現実だけは嘘であってほしい。

 願わくば、先程得ようとした剣のように粉々に砕けてほしい。

 全てが偽物で幻術をかけられていただけと知れば、どれほど救われるだろうか。


 いままで、必死の思いでやってきた。

 たった一人の少女のために身を削ってきた。

 修羅場をくぐったつもりだ。血を流して、それでも、前に進もうとした。だが、ゴールは決まっていた。自分はただ、操られていただけだったのだ。決められたレールの上を、ただ黙々と進んだだけ。予定調和だ。なにもかも。

 とにかく、むなしくて仕方がない。

 もしも天井に穴が空いていたら、真白は空を見上げただろう。

 そして、大きく、深い、ため息をつく。


 結局、自分はなんのために、この場所まできたのだろうか。

 その肝心な部分は分かっているはずなのに、分からなくなってしまった。

 全てが無駄だったのだと、突きつけられた気分だ。

 自分の存在すらも、無意味だったと。

 こんな茶番につきあわされて、どうにもこうにも、受け入れ難かった。

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