第21話
走る。
どうか、取り返しのつかないことだけは起こってくれるなと、心の中で言い聞かす。
勝者は決まった。自分だ。それは分かっている。もう、自分の目の前に立ちはだかる者はいまい。これで完全に最後の戦いが終わった。だから、安心していいのだと、自分自身に言い聞かす。けれども、消えない。この胸のざわめきはなんなのだろう。
息を切らしながら通路を駆け抜けて、開けた場所に出る。薄暗い、湿った臭いのする場所だった。地下らしいといえば地下らしい。だが、かび臭くて体の悪そうな環境だとは思う。少々冷たい風が肌にしみる。まるで、監獄の中に入れられたような気分だ。なんでったって、このような場所に魔王は潜んでいるのだろうか。否、魔王は魔の気を発している。ならば、人間が不快に思う環境を、むしろ好んでもおかしくはない。
なにはともあれ、あとは進むだけだ。喉元にせり上がってくる苦い感情をこらえつつ、真白は歩き出す。近くにはボロボロの服をまとった男たちがたむろしていた。危険な臭いを感じる。彼らはチンピラなどとは比べ物にならないレベルの圧を放っていた。例えるのなら、裏社会の人間だろうか。
「愚者の楽園にようこそ。と言えばいいか。ま、口ではこう言っても本心はどうだか。こっちには歓迎する気持ちもあまりないからさ」
「愚者の、楽園?」
聞き慣れない言葉だ。
地下の名称だろうか。それとも、この退廃的な雰囲気を指して、愚者の楽園とでも言っているのだろうか。
「魔王は、どこにいるんですか?」
「なんだ、それを探しにきたのか」
男の一人が顔を上げる。
「俺から伝えることはなにもねぇよ」
「そこをどうにか」
「うるせぇな。居場所を探るもなにも、見えてるじゃねぇか」
男が彼方を指す。
その指の先を目で追うと、洋風の建物が視界に入った。
和風な雰囲気には似ても似つかない、どうにも違和感のある建物だ。
「迷宮、ですかね」
長方形の建物は、なんとなく、そんな雰囲気がした。例えるのなら、ゲームに登場するダンジョンの入り口のような印象を受ける。
「あれを攻略すりゃ、いい。一筋縄じゃいかないだろうがな」
「それでも、構いません」
今の自分ならばどのような試練も乗り越えられる。だから問題はない。真白は自分に自信を持っていた。
深くうなずくと、真白はまた、足を動かす。
視界の端をアウトローたちがかすめていく。彼らとは目をあわせないようにしつつ、自身もなんでもないように装って、ひたすら歩く。できるのなら、存在自体を気づかれたくなかったため、こっそりと、足音を立てずに移動をする。しかしながら、そんな抵抗むなしく、真白は強面の男に見つかった。
「迷宮へ行くのか?」
「うわっ」
不意打ちの出来事に声を出す。
あやうく尻もちをつきそうになったところを、なんとかこらえる。
「は、はい」
「あんなところになんの用だ? まさか、魔王に組織のメンバーに入りますとか言いにいくつもりか?」
「組織?」
「よく見かけんのさ。この地下への侵入方法を見つけたやつが、魔王に謁見するところを」
なるほどと、わかったような振りをする。
「だが、最近は見かけぇな。面接を受けにいくやつはおろか、黒バラの紋章をまとったやつも、いねぇのさ」
「それは、どういうことですか?」
「さあな。まーた、地上でなにかしてんじゃねぇの? あまりにも帰りが遅いもんだから、完全に俺らが占拠してるけどよ」
また、心の中の波が大きくなったような気がする。
「あの、本当に魔王はこの先にいるんですよね?」
「ああ、そうだよ。内政はこっちでやっている。お前が勇者だったら、最奥ででも待ち構えてるんじゃねぇの? とにかく、急げよ」
彼に背中を押されるようにして、走り出す。
間違いはない。
迷宮を攻略した先に、王権はある。
その前に魔王と対面する可能性のほうが高いのが不安だ。
なんとか避けられないものかと悩みこみたくなるけれど、今はそれどころではないだろう。とにかく、意地でも最奥にたどり着く。後のことは実戦でなんとかするしかない。
とにかく、真白はいままで強敵と何度も渡り合ってきた。きっと、今の自分なら魔王も倒せるはずだ。そして、花咲彩葉の願いを聞き届けて、王権を手にする。それだけが、彼の目的。それ以外は、求めていない。約束を守る――たったそれだけのために、真白は王権を求めていた。
迷宮に侵入する。
息をこらして、誰にも気づかれないようにこっそりと。
内部はひっそりとしていた。下手に息を吸って吐くだけでも響いてしまいそうなほどの静寂である。個人的にはにぎやかなほうが隠れやすくていい。だが、団員の姿が見られないのは幸いだろうか。なんせ、戦闘をカットできる。ゲームでもそうだが、エンカウントが多いとうんざりしてくる。雑魚敵であろうと強い者は厄介だ。あっさりと逃げられる者が好ましい。
とにもかくにも、周囲をうかがいながら、慎重に進む。なんとか順調に奥まで進めているようだ。これは、ヌルゲーだろうか。心の中で確かな手応えを感じつつ、高まっていた緊張感が次第に解けていく。
そのとき、急に壁から矢が飛び出してくる。
突然のことでうまく対応ができない。
刃を動かそうにも、頭が混乱して、どうしようもなかった。
だが、避けなければならないということは分かる。
だからとにかく必死になって、頭を下げた。
頭上を矢がビュンと通っていく。
背が低くて助かった。
ほっと胸をなでおろす――暇はない。
今度は壁が前から迫ってくる。
どうすればいいのだろうか。
目を丸くしつつ、立ち尽くす。
だが、全ては武力で解決できる。
下手に考え込んでいる暇があったら、本能で動くしかない。
真白は大きく口を開いて、雄叫びを繰り出す。
そして、大きな歩幅で壁に接近して、クリスタルの刃で叩き切る。
なんとか、切れた。
目の前で壁がもろく崩れ去った。
これが、侵入者から城を防衛するための装置だろうか。
心臓に悪い。
普通の人間と違って斬るのに抵抗がないのはいいけれど、厄介さでいえば、どっちもどっちだ。もっというと、器物破損のことで魔王側から文句をつけられないか、不安である。
それはともかくとして、奥まで進むには罠を突破する必要がある。今も狭苦しい通路には等間隔で石像が設置されている。おそらくは間を通ると目が光って、自分の位置情報が敵に伝わるのではないだろうか。決して目の前を通ってはならない。ただし、目の前以外――中央を通る以外に進む手はない。壁でも破壊しようか。そう思ってクリスタルの刃を水で削ろうとしたけれど、さすがに厚い。一ミリも削れはしなかった。
もう、やめだ。諦めた。
敵に見つかる覚悟で、石像の目の前を通り抜ける。目には見えない速度で駆け抜ければなんとかなるかと踏んだけれど、そんな超人じみた芸当はできない。だから、せめてもの抵抗として、一気に廊下を駆け抜けた。
すると、どうだろう。はるか後方から唸り声がするではないか。
獣の声。
それはいったい、なんなのだろうか。
通路にはなにもいなかった。当然、番犬の姿もない。恐る恐る振り返ると、石像が獣に変化していた。彼らは歯切りしのような音を出し、牙を向けながら、走ってくる。
真白は腕で顔をおおった。
まさか、監視カメラではなく、本物の番犬だったなんて、聞いていない。これだけの量をいっぺんに相手するのは至難の技だ。
逃げよう。
真白は背を向けた。
必死になった腕を振る。
埃の積もった地面を蹴った。
角を曲がる。
分かれ道だ。
迷っている暇はない。
後ろから獣の足音が迫る。
直感で右を選ぶ。
直進。
走れ。
自分に言い聞かす。
息が切れる。
足に乳酸がたまる。
だが、まだ、いける。
だが、途中で足が止まった。
それは、あきらめたからではない。
疲れ果ててどうにもできなくなったからでもない。
目の前に、道がなかったからだ。
「そんな……」
すぐ背後に獣の声が迫る。
振り返る。
そこにはよだれを垂らしながら迫ってくる獣たちがいた。
彼らはジリジリと迫ってくる。
野犬に追いかけられたような、ありもしない記憶が頭をよぎった。
それを振り払うように、クリスタルの刃を構え直す。
自分は勇者ではない。
でも、それでも、世界を救うだけの能力を持ち合わせている。
なればこそ、こんなところでくたばるわけにはいかない。
生き物を手にかけるのは気が引けるが、そんなことを言っている場合ではないだろう。
いままでだって、たくさんの人を傷つけてきた。
目の前で散っていった者たちのためにも、ここですべてを投げ出すわけにはいかない。
真白は戦う。
精一杯の力で剣を振るう。
刃がついていないため、鈍器のような感覚でクリスタルの刃を扱う。
ぐにゃりと、肉がつぶれる感覚が手にしみこむ。
だが、気にしない。
ここで躊躇して、どうする。
少しでも力を抜けば、食われるのは自分のほうだ。
なればこそ、全力で戦う。
できるのなら、早く決着をつけよう。
そうして、剣をふるい続けた。
獣の攻撃をかわしつつ、こちらは攻める。
一体ずつ、着実に減らしていく。
最初は袋叩きにされるような感覚でいっぱいいっぱいだったが、だんだん慣れてきた。
この調子ならいける。
希望を持つ。
また一体、獣の肉を、クリスタルの刃がえぐる。
上から剣を振り下ろせば、もう一体、消えていく。
最後の一体。
息を整えながら、迎え撃つ。
相手には、戦うことしか考えていないようすだった。
仲間の死など、気にしていない。
完全に、目の前の敵を倒すだけのモンスターとかしている。
思えば、真白はrpgでよくあるモンスターをいままで、見たことがなかった。
もしもこの世界にも、それと似た者がいたら、こういう感じなのだろうと感じた。
同時に、それを倒すときもこのような感覚なのだろうと思い知る。
野犬が口を開ける。
鋭く尖った牙が視界に飛び込む。
現実世界には絶対に持ち込んではならないタイプの生き物だ。
そんなことを考えながら、真白は一歩足を前に出す。
地面を蹴る。
そして、跳躍。
攻撃は当たらない。
噛み付く攻撃は空気を噛むだけにとどまる。
対して真白は刃を振り下ろす。
クリスタルは獣の頭を直撃する。
獣は自動車事故にあったかのように、地面に転がった。
気がつくとあたりは一面、血まみれだ。
自分の身は相変わらず白いまま。
手も汚れていない。
そして、少し意識すれば、地面も元に戻ってしまう。
なんともいえない体質だ。
仕方のないことだろうが、全てをなかったことにして、罪すら水に流しているような気分ですっきりしない。
なにはともあれ、窮地は脱した。
分かれ道は左側が正解だったようだ。
真白はトボトボともと来た道を引き返して、奥を目指す。
それからも戦闘はあった。
どれも大したものはない。
いままでに相対した人間のほうが手ごわかったくらいだ。
城の中枢を守る警備がこの程度でいいのだろうか。
むしろ、真白が強すぎるだけなのかもしれない。
とにもかくにも、石像は真っ先に破壊して、慎重に進む。
二度と、失敗は繰り返さない。
襲いかかってくる敵も容赦なく撃退する。
すべては約束を守るためだ。悪く思わないでくれと、散っていった屍に向かって呼びかけた。
だが、不穏だ。
組織のメンバーの姿は見えない。
普通なら東にあったアジトくらいの人数がいてもおかしくはない。
人影はおろか、気配すら感じ取れないなんて、どうかしている。
まさか、地上で自分の知らないところで悪いことでも企てようとしているのではないだろうか。
だとすると、自分が地下にいることは、大きな失態である。
なんとしてでも、魔王軍の行動は止めなくては……。
否、だからといって、歩みを止める理由にはならない。
彼の目的は王権だ。そのためにここにきた。だから、いまさら引き返すわけにはいかなかった。
不穏な気配を振り払うように、走る。
焦燥が高まっていく。
どうか、終わってほしい。
これですべてに決着がついてほしい。
それは、祈りだった。
どうしようもないほど黒い影がこの身に迫る。
だが、どうしても、成し遂げたいものがある。
どうしても、王権がほしかった。
彼女のために、花咲彩葉のために。
だから、腕を振る。地面を蹴り続けた。
そこでようやく最後の門番の登場だ。
土で作られたゴーレムだろうか。ほかより明らかに強そうな気配がする。
などと観察している暇はない。
向こうから攻撃を仕掛けてきた。
大木の幹くらいはあるであろう腕を振り下ろされる。
とっさに刃で受け止める。
やはり、重たい。
体が押しつぶされそうになる。
だが、生き残れば、こっちのものだ。
真白はあえて無茶はせずに、あっさりと身を引く。
腕は地面へ直撃する。
真白は一歩下がって、剣を構える。
なおもゴーレムは直進する。
ただ一人――神の依代だった少年へ向かって、腕を叩き下ろす。
真白は鋭く眼光をほとばしらせて、駆け出す。
掛け声と一緒に、剣を振り下ろす。
すると、巨体は砂のように崩れ去る。
なるほど、これが真白本来の力。
そう、あらためて実感する。
自分は本当に人間をやめてしまったのだと、そんな寂しさが内心にこだまわした。
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