第20話
実力の差は明白だ。いままで何十年、何千年も努力を重ねてきた相手と比べると、真白は劣る。ポッと出で勇者を演じる羽目になっただけで、戦いの経験はわずかだ。いくら力で押そうとしたところで、その力が劣っているのでは話にならない。
だが、この体の内側からあふれそうになっている力は、どうなのだろう。使いこなせば、強力なのではないだろうか。例えば、災厄の獣すら打ち倒してしまいそうなほどの能力を持っているような気がした。
ならば、やってみるしかあるまい。たとえ不可能であろうが、やってみる価値はある。なんにせよ、この勝負だけは回避できないし、負けるわけにもいかない。前に進むため、堂々と王権を手に入れるためにも、真白は引くわけにはいかなかった。
深く息を吸う。
心の奥底に眠る能力に意識を向ける。
自分は勇者にはなれない。だから、なんだというのか。少なくとも、今の自分の能力は体の内側に眠っている。ならば、それを使いこなせてもいいだろう。
この能力は自分のものだ。魔剣とは違う。絶対に呑まれるものかと、心の底で叫ぶ。
そして、目を閉じた。
クリスタルの剣を強く握りしめる。
そして、とらえる。
肉眼ではとらえられないはずの水色のオーラを、心の目でとらえた。
そこへ、手を伸ばす。
彼はつかんだ。自分の真の能力を。
「意思の力で能力を封じたのか?」
前方にいる鎧塚から、畏怖の念のこもった声が漏れる。
真白の皮膚から水色のオーラが消えている。かわりにクリスタルの刃が無色透明から水の色に変わっていた。今なら問題はない。断言できる。
鎧塚は唇を噛んだ。
目の前にいる真っ白だった少年にだけは、負けられない。
それは、彼自身の八つ当たりのようなものだった。
それでも、事実として、絶対に打ち倒さなければならない相手であることも、事実だ。
王権は必ず得る。そのために、彼はなんとしてでも一位になる必要があった。
盗賊ゆえに、なんでも奪えばいいという問題ではない。魔王である久遠小夜子に勝つ――それこそが、彼の目的でもある。だから、彼女が王権を手放したのなら、彼女が提示したルールで勝つ――当たり前のことだ。
真白という名の少年は文字通り、真っ白だった。
自分が存在せず、常に他人を優先している。
それが心の奥底に眠るなにかを刺激した。
もう二度と、見るはずのない光景が目の前に広がるような気がして、当たり散らしたくて、仕方がなくなる。
そのたびに『違う』と脳内で否定する。
そんなはずはない。
『彼女』は、『あの娘』は、これほどまでに弱くはなかった。
確かに華奢で、あの細腕では頼りない。いつ壊れてしまうか分からないほど、もろい印象を受けた。それでも、実際は違うのだと、胸を張って言いたかった。
聖辺花純は高潔な女だった。正義のために動く、凛とした人間でもある。自身の愛する者のために全てを、命すら投げ出そうとした。だからこそ、彼女は死んだ。
ところが、真っ白な少年はどうだろうか。
死んだ表情をした、常に無関心そうな態度を見せる男。目標を持たず、ただ周囲に流されるだけだ。中性的な顔立ちもひょろっとした体躯も、下手をすれば女よりも情けない。ただの非力な人間だ。
だが、それでも、その体に眠る力にだけは気づいていた。
ただ、違うと。ありえないと。
彼が勇者であるという事実を否定し続けた。
それなのに、今、目の前にいる少年は確かに、男の目をしていた。
かつての聖辺花純と同じ目だ。
途端に握りしめた剣が震えだした。
自分の意思とは関係なく、刀身が勝手に動く。
制御できなくなる。
それでも、それはそれで好都合だと言わんばかりに、鎧塚は剣を振り回す。
「目障りなんだよ。とっとと失せやがれ」
血を吐くような物言いで、襲いかかる。
とっさに真白は攻撃を受け止める。
やはり、重い。
指一本、体の筋の一部でさえ、力を抜けば、押しつぶされる。
実際、全力を出してなお、真白は押されていた。
それでも、負けない。
殺されるわけにはいかない。
気合だ。
力で劣っているのなら、精神の力でなんとかするしかない。
今ならば、やれる。
今の自分なら、鎧塚に生まれた隙を突けるはずだ。
真白は力を解放する。
体を水色のオーラがおおう。
今度はきちんと制御できている。
力に呑まれるわけではない。
「そんなものが、俺に通用すると思ったか」
鎧塚は口角を歪める。
その頬を冷たい汗が伝った。
もう二度と、対面するはずのなかった存在と相対している。そんな気分だ。
もう二度と、会いたくなかった。
二度目の邂逅はないと決めつけていた。
それは、その機会は自ら切り捨ててしまったからだ。
不意によぎった。
最期の記憶が。
白いローブが深紅に染まった。
少女が、緑の草原に倒れている。
役に立たないと知ってなお、こっそりと後をつけた。
自分でもできることはあるのではないかと、勇者としての能力を引き継げなかった身で、考えついた。どうしても、彼女を勇者に同行させて、むざむざ死にさらすような真似はしたくなかった。
けれども、彼女は死んだ。
行動に移そうとしたときには、遅かった。
魔王が台頭し、勇者がこの世に召喚されたタイミングは、ほとんど同じだ。
王家は黒バラの女王によって追い詰められて、全員が処刑される予定だった。ところが、聖辺花純が身代わりになったことで、最後の二人はかろうじて生き残る。
勇者はそれを守り切ることなど、できなかった。
そのときに決めた。彼女のかわりに復讐を果たすと。
聖女が成し遂げられなかったことを、自分がやると。
同時に、彼女に対する気持ちにも整理がつく。
なんてことのない、はずだった。
復讐を決意したのは、自分のため。好き勝手に生きるようになったのも、自分のためだ。
だから、聖辺花純の生まれ変わりのような少女が現れても、平気でいられる。実際に、花咲彩葉は彼女ではない。それでも、冷静さをたもって客観的な視点で見ることができる。せいぜい、当てつけか? と邪心して、うとましく思う程度だ。
だが、それでも、今でも心をよぎる。
もしも自分が勇者としての能力を持っていたら、彼女を救えたのかと。
そんな、ありもしない想定の話を考えてみた。
結論は出ない。
守れたかもしれないし、結局は同じ結末を迎えたかもしれない。
もう、過去の話だ。
終わったことでもある。
だからもう、どうでもいいのだと。
何度、自分の中で整理をつけたことだろう。
それでも、まだ何度も思い出してしまう。
三○○○年の時を経ても、まだ少女の声が頭から、耳から離れない。フローラルホワイトの香りがまだ、鼻に残っているような気がした。
今もなお、思いを捨てられずにいる。
だから、聖辺花純と同じ目をした少年を、刺すことができなかった。
そのとき、硬質な音が響く。
刃を折られていた。
鎧塚はしばらくの間ぼうぜんとしていたけれど、やがて罰が悪そうに頭をかき始めた。
「やってくれるじゃねぇか。こいつ、いちおう、肩身を改造したものだったんだぞ」
「え、そ、それは……」
途端に真白の表情がこわばる。
なにか悪いことでもしてしまったのではないかというように、顔を引きつらせた。
「まあ、いいや。俺の能力を使えば、なんとでもなるさ」
陰のある眼差しで、魔剣を眺めて、口の中でなにかをつぶやく。
ハッキリとは聞き取れなかったが、それはポジティブな響きではなかったように思える。例えるのなら、何者かに別れを告げるような、そういう感覚だ。
「さっさといけ。俺は敗北した。王権はお前のものだ。そいつは迷宮の奥底にある」
鎧塚は道を開ける。
ずいぶんとあっさりとした幕切れだ。
逆に拍子抜けしてしまう。
それでも、勝ちは勝ちだ。
勝利の余韻を噛みしめるように顔を引き締め、前進する。
鎧塚とすれ違っても、刺されるようなことはなかった。
真白はそのまま真っすぐに迷宮へ向かう。
後方で鎧塚が不服そうな顔をしていた。
とにもかくにも、真白は勝った。
勇者としてではない、自分の力での勝利だ。
やはり、勇者である必要はなかった。
あとは彩葉の悲願だった王権の入手だ。
ゴールは近い。
ようやくここまできたのだ。
今胸に去来するのは、深い感慨だった。
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