第18話
全てが空白に溶けていく。
ただただ真っ白なだけの背景に自分という存在がただよっていた。表情は死んで、感情はない。
ここはいったい、どこなのだろう。
現実から目をそらしすぎて、夢でも見ているのか。
一つだけ可能性があるとすれば、自分自身の心象風景。
真っ白な草原は砂漠のように、延々と続いている。手で触れてみても、サラサラとしているだけで、まるで実体がない。本物の砂のようだ。かたわらを、清らかな水が流れていく。
視界が曇る。
延々と続く砂はさながら、雪国の街のようにも見える。
そう、真白が救えなかった、町であり村でもある。
なにもかもが淡く、透き通っていた。ただそれだけで、なにもない。それが自分。自分であり、真白という名の少年だった。今彼は、自分の名の意味を知る。
気温はなく、無臭のまま、時間だけが流れていった。
封印されたときはこのような感じなのだろうと、真白は達観する。
彼の心に波は立たない。
焦ってはいなかった。
鎧塚に敗北して、自分の正体を突きつけられたことによって、心が完全に折れた。自分ではもう不可能だ。どうにもならない。王権など手に入らないとあきらめた。だからこそ、こうしていつまでもダラダラとしている。
現実など当然のように受け入れることなどできないけれど、自分は勇者ではない。それだけが真実だった。そうだと信じれば、全てに納得がいく。なんせ、自分が勇者に選ばれたという物語の中の話よりかは、こちらのほうが信用できる。
それでも、まだ、未練がある。
不意に、虹色の女優が口にした言葉が脳内に蘇った。
――「無色透明ということは今からでもチャンスがあるということよ。要するに、何色にそまれるということ。これから、がんばって自分だけの色を探していけばいいのよ」
結局のところ、誰かの真似をする必要なんて、なかった。
――「私にとってはあなたの存在こそが光。あなたは紛れもない白だから。そんなあなたが、羨ましかった」
透明な自分が嫌いだった。
花咲彩葉の死がきっかけで、彼女へのせめてもの手向けとして、自分以外のなにかになりたいと願った。
できるのなら喝采を浴びる大女優のとなりに立つにふさわしい男になりたい。
自分の正体が本当に勇者であるのなら、それになるべきだ。
彩葉も勇者としての自分が好きだとなかば、決めつけていた。
だが、実際は違う。今はすでに、もろく崩れ去ったあとだった。
真白は地面を埋め尽くす砂をすくう。
自分自身に価値はないと思い込んでいた。
なんの取り柄のない無力な少年では、勇者を演じることすらできない。
それでも、そんな少年の真っ白なところを、緋色の巫女は愛してくれた。
だから自分は自分のまま、前だけを見て歩いているだけで、彼女は喜ぶのではないだろうか。
自分は透明であり、真っ白だ。それでいい。自分は自分のままでもいい。透明なままでも、なんの色もついていない冷淡な存在だったとしても、それが自分なのだ。自分の魂の色は透明であり、白でもある。そう、断言した。
自分と同じ存在はこの世界のどこにもいない。透明な容姿も性格も、クリスタルの刃も水の属性も――今は自分だけ。オンリーワンだ。
ならば、それでいいのではないだろうか。
自分は今、ここにいる。存在している。
それを自分の能力を用いて証明してみせる。
彼女のためにも、もう負けることなどできなかった。たとえこの身が裂かれようとも、立ち向かってみせる。そのために自分は今、ここにいるのだ。
全ては、花咲彩葉のため。彼女との約束を守るために、王権を譲る気にはなれない。
自分の正体など、今はどうだってよかった。今はただ、自分にできることをやらねばならない。
そう心の中で固い決意を固めた瞬間、自分の中でなにかが弾けとぶ音がした。
薄暗い廊下の中で、影がゆったりと立ち上がる。
彼の体は蒸気に包まれていた。
眼差しは確かに一人の男へと向けられている。
対する鎧塚はしばしあっけにとられたように、目を丸くした。それもそのはず。真白は確かに戦闘不能になったはずだった。鎧塚としては、すでにこの場から離れて、王権のある場所へと赴くつもりであった。だというのに、この期に及んで敗北者が立ち上がった。それを理解できない。なぜ、その必要があるのか。なぜ、一度敗北した身でありながら、立ち向かおうとするのか。
訝しげに眉をひそめる。
だが、同時に、あることに気付く。
先ほど、彼が負わせた傷が修復している。
否、どちらかというと、表面だけ傷ついて、中身は無事といったところか。先ほど負わせたダメージは、結果的にはなんの意味もなさなかった。一度、少年は死んだが、残機を利用して復活する。さながら、セーブアンドロードでデスルーラ―をするかのように。
もっとも、そう便利なシステムでもない。おおかた、真白という人間を作り上げた者があらかじめ、加護をかけていたのだろう。一度死んでも再生できるように。彼に持たせた水晶も、その加護の一つでもある。
そして、最後に残された魂こそが、本当の真白だ。勇者としての殻は確かに破けたが、本体は無傷だった。
今、真白は新しい自分として生まれ変わった。先ほどまでの偽物の勇者の姿は、今はここにはいない。蛇の脱皮か。輪廻転生を思わせるなにかが、そこにはあった。
「くだらねぇ。とんだ加護を受けてやがる。ああ、こいつぁ、あいつから俺へのいやがらせかなにかだと、疑っちまうぜ」
忌々しげに舌打ちをする。
真白からしても、彼の反応はもっともだ。せっかく倒したと思ったのにもう一度復活されては、たまったものではない。
「こいつは余計なトリガーを引いちまったな。俺としちゃ、幻術を解く鍵がお前の敗北だと思ったが、そいつは同時にお前の本体を呼び覚ますためのきっかけでもあったようだな」
どこか愉快げに、鎧塚は口にする。
ハッキリいって異常事態だ。ここから先、なにが起きてもおかしくはない。勢いで押せるのは真白であり、鎧塚は不利だ。にも関わらず、彼は笑っていた。余裕の面構えは崩さず、なにもかもを受け入れる覚悟を固めている。
真白も目の前にいる敵に挑む。
鎧塚武将という男は必ず、倒さなければならない相手だ。だからこそ、彼はここで宣言する。
「必ず勝つ」
勇者であろうがなかろうが、関係ない。彼には絶対に果たさなければならない使命がある。それこそが、花咲彩葉との約束だ。
「僕は決めたんだ。必ず彼女に王権を捧げると。これが最後にたくされたものなら、僕はやらなければならない。絶対に成し遂げないと、彼女に顔向けができないんだ」
「くだらねぇな」
熱い闘志を宿した言葉を、鎧塚は一蹴する。
「この期に及んでお前はあの女のことか。結局、自分じゃなく、あの女のために俺を倒すってか? この、俺に対する恨みはなにもないと?」
「そうです。僕は君に対する感情はない。立ち上がったのは全て、彼女のためだから」
事実、真白は鎧塚を恨んではいない。
水晶を奪われたことも、自分の正体を明かされたことも、傷つけられたことも、なにもかも。
全てはどうだっていいことだ。なにも気にはならない。彼の話が全て真実であるのなら、それも仕方がない。受け入れるしかないだろうと、なかばあきらめてもいた。
あくまで真白の行動理念に悪感情はない。あるのはただ一つ、虹色の女優に対する恩義の気持ちのみだ。だからこそ純粋に、彼は剣を振るうことができる。
「やはり、そうか。やっぱ、お前は空っぽだ。俺とは真逆。復讐心に三〇〇〇年間もさいなまれ続けた、俺とはな」
鎧塚は叫んだ。
彼方で雷が鳴った。雨音がこちらまで響いてくる。
「お前は自分がどれほどの思いをしようが、それでいいと言うつもりか? この俺が、今お前を殺し、全てを踏みにじったとしても」
「はい。それも運命だと、受け入れます。ただ、やはり僕には負けられない理由がある。僕の行く手を阻むのなら、君だけはなにをしてでも、倒さなければならない」
逆にいえば、鎧塚が今ここで引けば、真白は見逃す。
全てをなかったことにして、和解の握手をしてしまうのかもしれない。
否、かもしれないというより、それは確信めいたものを含んでいた。
それを感じ取った鎧塚は、歯ぎしりをする。
唇を噛んで、眉を釣り上げる。
「お前を粉砕する。その在り方は認められねぇ。なにが受け入れるだ。それで損をするのは自分だけだろうが。お前はそれを許容できるってか? ああ、許容するよな。お前はそういう生き物だもんな? そうやってお前は常に誰かの言いなりになって、逆らえずにいたんだろうが。そのたびに自分を曲げて、支配され続けた。そいつは今もそうだ。今もお前は、あの女に操られ続けてるんだよ」
「それでもいい」
真っすぐな目をして、真白は言った。
「僕にはもう、なにもない。あるのは、彼女だけだったんです。この在り方は間違っている。本当はただの怠慢で、争いを避けているだけなんです。それでも、僕にはこうするしかない。こういうやり方しか、できないんです」
さらりとした口調で、彼は語る。
その様子はやけに冷めていた。
今にもパッと消えてしまいそうなほど、存在感までが希薄になる。
そうだ、彼はそういう人間だった。
真白という少年は色彩を持たない。夢すら持たない、もうなにも欲しくないと言うような男だ。そんな彼は常に損をし続ける。常に他人を優先するがゆえに、自分の本当にほしいものすら手にはいらなかった。だけど、普通は得るであろう『つらい』という感情すら、彼には備わっていない。それは大変いびつで、真白という少年の心は乾いているようにも見えた。
ただし、事実として鎧塚も根底の部分は真白と同じ性質を宿していた。
彼にはもう、得るものなどない。同時に、失うものもなかった。
なればこそ、自分の身を危険に晒して滅ぼしたところで、痛くも痒くもない。だから、リスクのある行動だって、取れてしまう。
幸せになれなくても構わない。この道の先に待っているものがむなしさしかなかったとしても、それでもいい。なぜなら、もう、なにも要らないから。真にほしかったものは三〇〇〇前に失ったあとだったからだ。
「なにが花咲彩葉のためにだ。あの女はろくでもない、ただの魔性の女だ。あんなやつの願いを聞き入れる必要はねぇよ。猫をかぶってしおらしくしているが、裏じゃなにを考えてるか分かったもんじゃねぇ。自分の黒い……緋色の部分を悟らせねぇように努力しているだけだ。本音を隠し、きれいごとで身を飾る――大層な悪女じゃねぇか。こんなやつに関わったところでろくなことにもならねぇ。現にお前は俺に殺されかけているんだろうが。なあ、全てのきっかけがなにか、分かるか? あの女のせいだよな? あいつに拾われたせいで、お前はこんな事件に巻き込まれた。恨んでもいいんだぜ」
高らかに、青年は語る。
さらに、彼は続ける。
「お前もあの女も知らねぇだろうが、ヒナコって言ったっけな? ちょうど字に緋って字が入る。あの女はな、過去の国の争奪戦じゃいろんな陣営に奪い合いをされたもんだ。その戦闘力を買われて雇われては殺戮を繰り返した。罪深い女だ。同情の余地すらねぇ」
それは、挑発だった。
真白から冷静さを奪って、その隙を突く作戦でもある。
それでも彼の心は凪いでいた。
冷静なまま、少年は小さな唇を動かす。
「分かっています。彼女はきっと、とんでもない人間ですよ。それでも、僕には彼女しかなかった。そして彼女は、この僕を助けた。それだけで、約束を守る理由になります」
彼女のほうは約束を守ったとはいえず、むしろ一度だけ裏切ったほうとはいえ、これだけは譲れない。
無機質な声が、鎧塚の耳にも届いた。
感情を抑えた、抑揚のない口調で放たれた言葉も、同じように。
「本当につまらねぇ男だ」
そんな青年の落胆したような声が、鼓膜を揺らす。
ああ、そうだ。
もはや二人は相容れない。
この期に及んで真白は客観的に自分たちのことを見ていた。もはや和解の隙など得られないけれど、それでも、よかった。もうなにも得られないのなら、和解のチャンスなど欲しくはない。
最初から戦いを避けられる世界ではなかったのだと、真白はあっさりと受け入れた。
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