第16話

 真白は押されていた。


 かつてないほどの強敵だと感じる。それもそのはず、相手は魔王と同格だ。先ほどの口ぶりから察しる限り、彼はもしや例の暴君ではないだろうか。それは、中央にある和風の城の持ち主で、魔王と何度も戦いを繰り広げたとされる人物だ。そのような者と今の段階で戦闘を強いられるとは、なんという不運だろうか。否、彼を倒せないということは、すなわち魔王を倒せないということでもある。先が思いやられるが、今はもっと先のことを考えている場合ではない。とにかく、戦いは避けられないのだから、仕方がない。どうにか逃げるだけの時間を稼ぐなり、しなければならないだろう。とはいえ、そういった隙を突けるほど、甘くはない。


 さて、どうするべきか。悩んだけれど、なにも浮かばない。クリスタルの剣でなんとか食らいつくものの、一太刀も浴びせられない。くわえて、相手はおそらく手を抜いている。様子見に徹していて、こちらの実力がいかほどのものか、確かめている様子だ。それだけの力量の差を、彼から感じる。


 頬を汗が伝う。どうしようもない。属性による弱点すら突けぬ現状、対抗策など、浮かぶはずもなかった。


「おいおい、大したことねぇじゃねぇか。そんなもんでよく、勇者を演じようと思ったな?」


 片方の頬を歪めて、彼は冷笑を浮かべた。

 言い返そうという気すら起きない。それくらい、相手との力の差をまざまざと見せつけられたような気になっている。しかれども、なんとしてでも超えなければ、話にならない。

 今一度クリスタルの剣を強く握りしめる。


「ああ、ったく、つまんねぇ。少しは楽しめると思ったが。いや、もうどうだっていいか。お前はもう終わりだ。さっさと消えちまいな」


 禍々しいオーラを放つ剣を構える。

 真白の心が波立った。

 次の一撃で全てを決めにかかるつもりだろうか。

 明らかに見た目からして、凄まじいオーラを放っている。

 どうにかしなければ。

 だけど、どうにもならない。

 避けなければ。

 いな、不可能だ。

 どうすれば……いったい……。


 そのとき、足元から光が発生する。

 途端に相手が動きを止める。

 目を見開いて、硬直する。

 足元に視線を向けた。

 同時に、足元が沼にとられたかのように、沈む。

 手を上げた。

 体が消える。

 足元に扉が開いた。

 真白はなにがなんだか分からないまま、下へ吸い込まれていく。


 気がつくと、真白はジメジメとした謎の空間にいた。あたりは一面、水に濡れたような濃い灰色をしている。傍らには鉄格子が見える。牢屋だろうか。正確には今真白は、檻の外側の通路に立っている。


 結果的には危ないところを助けられたのだが、少しは説明をしてほしい。

 いったい、なにが起きたというのだろうか。

 なんとなく、誰かに呼び出されたような感覚がする。逆にいうと、それくらいしか、予想ができない。


 ぼんやりと天井を見上げる。

 扉がすでに閉じていた。

 さしずめ、閉じ込められたといったところか。

 左右を見渡す。右側には壁があるけれど、左側には通路が続いている。ひとまず立ち上がって、進んで見る。梅雨のような湿った空気の中、淡々と歩き続ける。


 すると、先のほうに何者かのシルエットが見えてきた。

 近づく。

 相手は、ダークパープルの着物を着ている。女性だろうか。本来の装いを無視した着こなしをしているせいか、体のラインを強調するような見た目だ。アシンメトリーな印象を受ける。髪は黒檀で、瞳は灰紫。厚めの真っ赤な唇で、言の葉をつむぐ。


「待ちわびたぞ」


 マニキュアの塗られた爪が目を引く。

 指輪をはめた彼女の指先は、真っ白な少年に向けられていた。

 切れ長の瞳は目つきが悪く、冷徹な響きを持っている。

 彼女が、彼女こそが魔王――久遠小夜子だとでもいうのだろうか。

 直感が、真白自身の本能が、そう伝えていた。


「貴様は私を裏切った。私から、全てを奪っていった。心に抱いた好意すら利用したのだ。それを許せるか? 見逃すか? いや、できない。貴様を許さぬ。絶対に、見逃せぬ。ああ、殺したくて仕方がなかったのだ。そのために、三〇〇〇年間、待ち続けた。貴様なら必ず現れると、私のために、私の目的を防ぐためだけに復活すると、信じていた。それなのに――」


 灰紫色の瞳が、ダークパープルを帯びる。

 それに気づいた瞬間、真白は黒い渦の中にいた。ドロドロとした空気に触れる。空気自体が淀んでいた。魔王の登場によってただの通路が、地獄の底までにも堕ちたような感覚がする。


「貴様は私を裏切った。全てを奪った。この心すら踏みにじって。それは許されざる行為だ。あまつさえ、この私の前から姿を消すとは何事か。ああ、全部、全部なんだ。貴様の全てを消し飛ばしてやりたい。貴様の入り込んだ過去を現在を、未来を――その全てを破壊する。なかったことにしてやる。この世界はもはや私のものは、誰にも渡さぬ。貴様の前で、全てをなかったことにする。貴様の前で、その功績を破壊する。口先だけの優しさなどいらぬ。きれいごとなど、欲してはいない。おろかしくも残虐な勇者よ、その汚れた手でいったいなにを護れるというのだ? 私はこの地に深紅の花を咲かせる。死体の山を築き、この地を焦土の地獄に叩き落とす。貴様には裏の世界を見せてやろう。全てをゼロに返してやる。貴様のやったことは全て無駄に終わるとたたきつけてやるのだ。それでもなお、十字架を背負い、罪の意識に苛まれたまま、貴様は生き続けろ。そうでなければ、許されない。泥に足元をとられて、もがき苦しみながら、生にしがみつくがいい。傷ついて血にまみれながらも、答えを探せ。生殺しだ。濁った沼の底で、永遠の時を過ごすがいい」


 目を険しく釣り上げて、声を発する。

 その言葉は真白にとっては不協和音にしか聞こえなかった。言葉ではなく、音だ。あるいは呪文だとでもいうのだろうか。

 現に彼女の発した呪いの言葉がトリガーとなって、黒い渦は炎へと変わる。その、黒々とした禍々しいオーラを放つ炎は、真白を飲み込もうとする。

 思わず尻もちをついて、ぼうぜんとした。

 だが、ここでなにもできずにいては、むざむざ命を捨てることになる。

 真白は必死の思いでクリスタルの剣を取った。

 そして、やみくもに武器を振り回す。

 直後に刃から放たれた水は、黒き炎を打ち消した。

 最初こそなにが起きたのか理解できなかったものの、すぐに合点がいく。

 やはり、魔王の持つ闇の能力には自分の水が効くのだと。

 ならば、やるしかない。

 たとえ自分とはなんの関係のない相手だとしても、彼女の存在だけで世界が破滅に導かれるというのなら、殺さなければならない。

 真白はひるまなかった。

 どうせなら、勇者にできなかったことをしよう。それが、勇者に選ばれた人間の責務だ。そこから逃げるわけにはいかない。真の勇者が逃げ出した事柄に立ち向かう―ーそれはなんと幸福で、恵まれた役割なのだろう。

 立ち上がった。

 クリスタルの剣を持って、前進する。

 目に力を宿して、挑みかかった。

 魔王もまた、目に鋭い光を宿して、真白をとらえる。

 次の瞬間、黒い炎が鎖のように動く。ジャラジャラという音が、聞こえたような気がした。捕まっては一巻の終わりだ。だが、真白には水の魔法がある。剣を振るうと炎は一瞬で消えた。そして、飛び上がる。大きく口を開けて咆哮を轟かせると、上から剣で叩き斬ろうとする。

 黒い炎が出現して、壁になった。

 いったん、攻撃は防がれる。

 だが、あきらめない。

 勝機は十分にある。なにより、相性がいい。

 真白は勢いにまかせて、切り込みにかかる。

 いける。

 なんの根拠もないまま、当然のように言った。

 迷いはない。

 一瞬も敗北を考えずに、剣を振るう。

 そして、相手の懐に飛び込む。

 透明な刃が、魔王を貫く。


 刹那、その体は黒い霧と化した。

 しばし、あっけにとられる。

 目の前にはすでに魔王の肉体も、死体もなかった。

 だが、手のひらには相手を殺したという感覚だけが残っている。

 いったい、なにが起きたというのだろうか。

 本来であれば不意を突かれて地面に伏せる展開だろうが、そのような兆候は見られない。ぼうぜんと目を丸くして、立ちすくむ。隙だらけだ。切り伏せるには絶好の機会にも関わらず、攻撃は襲ってこない。

 まるで、魔王など最初からいなかったかのように、空気は静まり返っている。先ほどまでただよっていた禍々しい瘴気はどこへやら。

 自分は幻とでも相対していたのかと、困惑する。


「侵入者を掃除するために防衛装置か。それとも、やつの残滓か」


 足音が近づく。

 出口のほうから、甲冑姿の男がやってきた。

 常磐色の衣を視界にとらえた瞬間、気が引き締まる。

 いよいよ、見つかってしまったかという実感が湧いた。

 それでも、今の真白にとってはあの魔王の正体が気になって仕方がなかった。


「本物じゃねぇよ。で、本体はどこにあるのか聞きてぇんだけどよ」

「そんなの、僕が知るわけないじゃないですか」

「だろうな」


 鎧塚の返答は冷たく、端的だった。


「お前はなにも知らねぇんだな。そいつァ、そうか。なんせお前は――」


 その先の言葉は途中で途切れた。

 今さら言わなくても分かっているだろうと言いたげな態度で、片方の頬を持ち上げる。

 そして、彼は剣を構えた。

 魔王よりもひょっとしたらとんでもないほど濃い、瘴気を放っている。自分の浄化すら通用しないのではないかと思わせるようななにかがあった。

 正直にいうと、彼とは戦いたくない。気を使っているわけでも、傷つたくないと思っているわけでもない。単純に真白では鎧塚に敵わない。先ほど対面した魔王よりも、真っすぐな意思を持った彼のほうが恐ろしい。どのような説得の言葉をかけても、有無を言わせないという迫力があった。そんな彼に、勝てる気がしない。

 心が次第に彼の放つ独特の気に呑み込まれていく。黒い影が迫る。それでもやはり、逃げられない。後ろはもう、一方通行だ。左側へ進んだところで、逃げ場はない。行き止まりしか、待ち受けていない。だから、潰すしかない。自分の目的を妨げるような相手は排除しなければ。でも、それはできるのか? できるはずがない。

 それでも、やるしかなかった。

 真白はいまいちど、透明の剣を握りしめる。

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