第12話
「離せ。貴様は、私も殺す気か?」
「いや、冷静に考えてくださいよ。僕、今武器持ってないですよ」
「バカか。そうやって油断させて、止めを刺すつもりだろ?」
ミドリは強引に拘束を解くと、いったん距離を取る。
初めて対面したときよりは弱々しい姿になったが、今も瞳に宿るギラギラとした光は消えていない。むしろ、仇と思しき男と出会って、むしろ激しく心の炎が燃え上がっているような気がした。
「止めを刺す気がないから、捨てたんですよ」
真白は肩をすくめる。
なぜ、こうも、話の通じない相手と対戦してしまったのだろうか。そのあたりを少々面倒だと思いつつ、仕方がないと受け入れる。なんせ、彼は認めてしまった。彼女は人間だ。だからこそ、救わなければならないと。少なくとも、見捨ててはならない存在だと思った。なぜなら、彼女は花咲彩葉に関連のある女性だからだ。彼女のためにも、ここはなんとしてでも、完全な闇に落ちる前に引き止めなければならない。
「気に食わないわ。どこまで私を侮辱すれば気が済むのよ。ふざけるな。戦う気がないのなら、とっとと去りなさい。私はその背中をブスッとさしてやるんだから」
「後ろから襲いかかると宣言されて、素直に従う人って、いるんですかね」
真白は頭をかく。
心にが苦々しい気持ちを懐きつつ、困った様子で首を振る。
少々どころかかなり厄介な案件だが、はてされ、どうするべきか――
ミドリは錯乱状態にあるし、このままでは誰かれ構わず人を襲うだろう。そうして本物の獣――怪物に成り果ててからでは遅い。どうせ殺されるのなら、彼女のために死んで、思いを果たさせてもいいのではないか。犠牲になるのなら、自分だけで結構だ。だが、そんな思いもたった一人の少女の存在によって、食い止められる。
彼は、生きろと告げられている。だったら、命令に従わなければならない。たとえ自分の死が必要で、それ以外の選択肢がなかったとしても、彼は生き残らなければならないのだ。
でも、どうしろというのだろうか。説得できるほどの話術を持っているわけではないし、自分の潔白を証明する材料もない。まさに手詰まりといったところだろうか。頭を抱えたくなってきた。
ちょうどそのとき、背後から足音が迫る。
敵かと思って、警戒をする。
振り向かず、拳を握りしめた。
放り投げたクリスタルの刃へ目を向ける。
隙を見て拾い上げようと考えていた矢先、後方で声がした。
「彼は、彼女を殺せませんよ」
落ち着いた、澄んだ少女の声だった。
振り向くと、グレイッシュなビル群に調和する形で、修道着姿のシスターが立っている。彼女の存在を思い出して、無事だったのかと確認しつつ、ひとまず安堵する。だが、同時に、彼女がここにいるのはまずいのではないかと直感する。なぜなら、シスターは一度、ミドリの人質になっている。今度もミドリは、最初と同じことをするのではないか。むしろ、よく自分を捕らえていた者の前に姿を現したものだと、感心するところだ。
一方でミドリは鋭く目をとがらせて、大きな口を開けて、声を発する。
「嘘よ。そんなこと、ありえない!」
完全に冷静さを失った声だった。
甲高くて、耳が痛くなる。
それでもシスターは落ち着いたまま、表情一つ変えない。
「ありえますよ。だって、彼はあなたを殺していないじゃないですか」
それを聞いて、ハッと息を呑む音がした。
「本来ならズタズタのギタギタに解体されてもおかしくない実力差なのに、あなたはまだ、生きています。これはおかしいんじゃないですか? 人を殺す度胸もない彼に、復讐に走ろうとする女性を止めようとしている少年に、大切な人を殺す覚悟があるとでも?」
完全なる正論に対して、ミドリの顔が真っ赤に染まる。
「ふざけないで。どこまで私を侮辱すれば気が済むの?」
彼女は拳を強く握りしめていた。
真白の無実を肯定する材料が揃ってきたが、それでもなお、彼女は止まらない。否、止まれないとばかりに、銀色の光を瞳からほとばしらせる。
もはや、打つ手はないのだろうか。様子を見る限り、ミドリは一つの考えに固執している。犯人は真っ白な少年でなければならないという推理にとらわれて、周りが見えなくなっているのではないだろうか。そんな相手に、どのような言葉をかければいいものやら。真白は頭を悩ませた。
そのとき、すっと隣にシスターが近づく。
「水の魔法を」
「倒せって?」
真顔で問うと、彼女は首を横に振る。
「あなたの持つ浄化のパワーなら、彼女の心に巣食う闇を振り払えます」
そうか、その手があったか。
完全に盲点だった。
相手が闇の力で絶大の力を手に入れているとしたら、それを払えばいい。
復讐心という名の闇で心が曇ってしまったのなら、晴らせばいい。
なに、簡単なことだ。
真白は顔を上げて、真っすぐに前を見る。
「じゃあ、行くぞ」
声を上げる。
ミドリが身構える。
真白は無視する。
シスターがクリスタルの剣を拾い上げて、真白へ渡す。
彼はそれを受け取ってから、ビシッと構える。
ミドリが片方の手を前に出す。
指先を広げる。
鋭く伸びた爪と指先から蛇が大量に溢れ出す。
さながら、本人がヤマタノオロチと化したかのようだった。
真白は深く息を吸う。
そして、全身のパワーをクリスタルへ注ぐ。
目を閉じた。
心の底にただようエネルギーに注目する。
その魔力に似た見えないものの流れをつかんで、表に出す。
放出。
透明な光があたりを包む。
蛇が一瞬で消し飛び、水のような光はミドリを呑み込んだ。
彼女は抵抗したけれど、もはや、どうにもならない。
術に飲まれたまま、膝をつく。
光が晴れたときにはすでに立ち上がる気力すら湧かなかったようで、彼女はじっと地面に上に、固まっていた。
これで、よかったのだろうか。
なんだか、うまくいったような気がしない。
それでも、彼女がおとなしくなったことは事実だ。気絶させてしまったのではないかと不安にはなったけれど、どうやら心配はないらしい。
「私、憧れていたのよ」
ポツリと、厚い唇から、小さな声が漏れる。
「私にはない、本物の美しさを持っているから。彼女がいると、周りが華やぐの。誰でも幸せにできそうなオーラを放っていてね、それでいて、彼氏の一つも作らずにいるの。期待をさせるような振る舞いをしておきながら、本人にはその気は一切ないなんて、ひどいと思わない?」
懐かしむように、淡々と、彼女は語る。
「あの子、私がなにを言っても平然としているの。そればかりか、『友達になりましょう』なんて、言ってきて。彼女は私の全てを肯定するの。私の短所を全て長所だととらえて、褒め称えるの。これじゃあ私、攻めている気がしない。もう、タジタジよ。そんな彼女に、惹かれてもいた。だけど、好きだって言ってしまうと、負けたような気分になる。私はもう、負けたくないの。頂点に立ちたいの。だから、馴れ合う気はなかったのよ」
地面に女性は爪を立てた。
「どうして、行ってしまったの? 彼女は、どこに行ったのよ。ねえ、答えて。答えてよ……」
うつむいたままだった顔を、上げる。
緑色の瞳はうるんでいた。
その顔を見て、真白のほうがひるむ。
罪悪感を胸に秘めながら、相手と向き合う。
真白は、花咲彩葉の本当の顔をわずかしか知らない。その正体である緋色の女を、救えなかった。それだけが事実で、それだけが、彼にとっての汚点だった。
「結局、彼女がいなくなっても、私が売れることはなかったわ。彼女、本物だったの。私じゃ無理だわ。一生かかっても、勝てる気がしない。勝ち逃げ……されちゃったのよね」
ミドリは力が抜けたように動かなくなった。
その様子を、真白は複雑な心境で眺めていた。
いったい、なにが正解だったのだろうか。龍神ミドリという名の女性になんと声をかけるべきか。頭が混乱していた。全てが白く染まって、なんの考えも浮かばない。
ただ一つ、彼には花咲彩葉が残した者を守る義務がある。そうでなければ、生き残った意味がなくなる。彼は全てをすくい取る。そのために生まれてきた。
「なぐさめの言葉はなにも浮かばないし、確かに君は迷惑なだけの存在でした。でも、彼女はきっと、君を嫌ってはいなかったんでそうね。心の底では、龍神ミドリの味方だったと思います」
これで、誰の心が救われるというのだろうか。
真白に対する攻撃は逆恨みのようなものだったと思うが、そんなことはもはやどうでもいい。
仕方のないことだと割り切った。
だが、もう、ミドリの心は救われないという実感が湧く。
自分ではなにもできない。その無力さを真っ白な少年は噛み締めていた。
「いいの。もう、いいのよ」
震える声で、女性は言う。
「もう、勝てない。あんたには、敵わない。だから、もう、いいのよ。恨むべき相手だって、本当はいないって、分かってた。でも、この気持ちをぶつけたくて、たまらなかったの。全て、なにもかもをメチャクチャにしないと、気が済まなかった」
こちらの顔色をうかがいながら話す彼女の姿には、先ほどの荒々しさは消えていた。
なんというか、非常に迷惑なことをされたような気分になって、真白は頬をかく。だけど、それで彼女の気が済むのなら、相手が自分で、よかったのではないだろうか。
戦っていたときはなんとも思っていなかったけれど、今の彼女は魅力がある。水のように流れる巻き毛はつややかだし、緑色の瞳は翡翠のようだ。紅潮した頬と唇には色気を感じる。瑞々しい若草色の衣装も、似合っている。今にも全身からマスカットのような芳しい香りを放ちそうだ。
それでも、彼女に恋をしなかったのは、花咲彩葉を知っているからだろう。どの道、真白の心は彼女にとらわれている。もう二度と、誰かを愛することはできないと分かっていた。いや、下手をすれば最初から、真っ白な少年の心は、どこにもいけずにいるのかもしれない。
「えーと、その……僕は、いいんですか?」
頭をかきながら、気まずそうに尋ねる。
「もう、いいわ。どうせ勝てやしないって、分かってたんだから」
ミドリはそっぽを向いた。
彼女の態度からは、戦意が抜け落ちている。
ひとまず、助かったということでいいのだろうか。
「実力の差なら、もう十分思い知ったわ。だから、もう、やめるの。リアイヤよ」
その言葉を聞いて、肩の荷が落ちる。
ようやく、復讐に走りかけていた女性を止められたのだと実感した。
いままで、なんの役にも立てなかったけれど、これで、なにかが変わったのだと思った。
「ありがとう。あんたの前じゃ、素直に自分の胸の内を離せたわ」
去り際、そんなことを口にして、ミドリは去っていく。
シスターと一緒にボロボロになった町に残された真白は、そっとため息をつく。
ミドリが後半に素直でいられたのは、プライドを保つ必要がないくらい、真白が凡人だったからだ。才能がないことがこんなところで作用するとは、思わなかった。
これでいちおう危機は去ったわけだが、果たして本当にミドリを救えたのだろうか。
少しだけ不安に思いながらも、町は正常に稼働を始める。先ほどまで派手な戦いが起こっていたにも関わらず、平常運転だ。その流れに、真白は早くも置いてけぼりを食らいかけていた。
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