第11話

 龍神ミドリは人間ではない。ただの怪物だ。

 神から獣へ――化け物へと落ちたとき、人々から向けられた視線が今も脳裏をよぎる。彼らはいままでの信仰心をなかったことにして、ミドリを邪神として見はじめた。本物の神は神々しく、特別な光を放っている。対するミドリはただの大蛇。雲泥の差だ。だから、全てをなかったことにされた。あげく、モンスターとしての討伐命令まで出る。

 必死に逃げた。

 その仮定で龍神を祀っていた祠は壊された。ついこの間まで水田を守る神として、川の主として敬られていた身からすると、とんだギャップだ。たかが、新たな神の出現によって、こうまで変わるのだろうか。

 時は東歴元年。ちょうど、二五一八年前の出来事だ。新たな王の誕生と同時でもある。

 その王が、龍神ミドリという存在を徹底的に排除しようとしているように思えて、ならなかった。


 時は流れた。

 ミドリは女優を始める。

 理由は復讐だ。美しさを磨き上げることで、あの日、自分を嘲笑った者たちを見返そうと考えた。服を着飾り、誰もが羨む美貌を保つ。そうしていれば、いつかは報われると信じていた。だが、一向に芽は出ない。年代によって容姿を変えながら、時は流れる。気がつくと二〇〇年、否(いな)、二〇〇〇年以上がたっていた。彼女が真に報いてやりたかった人間たちは、すでにこの世にいない。ミドリは次第に、自分の存在意義はなんなのか、考えるようになった。


 そうした中で出会ったのは、虹色に光り輝く女優だった。彼女がいれば、ただの路地裏であろうと、明るく、華に満ちた空間になる。そう、年齢不詳の彼女は、花のような美少女だった。

 花咲彩葉には敵わない。そう悟った。

 彼女の美しさの前にはいくら着飾ったところで、意味はない。貧乏ながら買い集めた高級な装飾を身に着けても、内側からにじみ出る清らかさを前にすると、かすんでしまう。

 恨んでいた。スポットライトを独占する彼女が、憎らしくてたまらない。いつか、頂点から蹴落としてやろうと考えた。なおも自分磨きは続ける。ダイエットをしたり、美容に気を使ったりした。だが、やはりというべきか、努力を重ねれば重ねるほど、花咲彩葉は美しさを増していく。劣等感も同時にふくれあがる。彼女を遠くから羨ましそうに見上げ続ける自分が惨めだった。どうしようもなく、満ち足りない。彼女の地位が、容姿が――なにもかもがほしかった。

 どうして、彼女だけなのだろうか。いままでだって、努力は重ねた。二〇〇〇年も、これほどまで長い時間、女優として活動し続けたものは、さすがに龍神ミドリくらいだろう。それなのに、唐突に彗星のごとく現れた少女が、全てをかっさらっていく。我慢できなかった。なぜ、あんな小娘ごときに、自分の地位を奪われなければならなかったのだろうか。

 どうせ、失敗する。なにもできない。誰にも見られないし、注目されない。自分はスポットライトを浴びることは一生ない。

 所詮は醜いモンスターだ。外見をいくら飾っても、にじみ出る醜悪さを前にすれば、なにもかもが汚れて見えてしまう。

 自分では無理だ。弱音を吐き、無力を思い知りながら、自分の存在を恥じる毎日が続く。

 それでも、彼女はあきらめられなかった。自力で花咲彩葉を蹴落としてみせる。その一心で、女優を続けた。周囲の評価など、どうでもいい。他人からどう見られていようが関係ない。ただ一つ――花咲彩葉を貶すことができたら、それでよかった。

 しかれども、花咲彩葉は強敵だった。挑発を受け流し、嫌がらせにもクールに対応する。挙げ句の果てに、自分の正体を晒してまで殺しにいったときは、あっさりと生還したときた。

 いったい、何者なのだろうか。ただならぬ者を、少女の形をした存在から感じる。自分と同質――否、それにしては、あまりにも白すぎる。やはり、違うと断じる。

 とにもかくにも、龍神ミドリは虹色の女優をずっと近くで見ていた。自分よりも美しい彼女を憎みながらも、その背中を追い続けた。ところが、虹色の女優は彼女の前から消えた。なにも言わず、唐突に。


 ずっと、探していた。

 手がかりを求めて、東西南北を旅した。けれども、手がかりはない。そうした中、ついに見つけた。名を、真っ白と書いてマシロと読む。そして今、龍神ミドリは中央の町で彼自身と対峙していた。



「まさか、疑ってるんですか? 僕が、彼女を殺したと」

「そうだ。貴様以外にありえない」

「その根拠は、あるんですか?」


 真白は眉をひそめる。

 彼としては、自分が彼女を殺すなんて、ありえない。精神的というより、物理的に殺せないのだ。なぜなら、花咲彩葉の正体である巫女は強かった。たとえ逆立ちしようと、勝てやしない。だが、そんな彼女が死んだのは事実だ。なにより、彩葉の戦闘力を知っているのは、アジトにいた者くらいだ。一般人にとってはただの女優の――否、誰にでも愛される国民的ヒロインに過ぎない。


「口だけならなんとでも言える。だが、私は知った。教えてしまった。貴様が、お前こそが犯人だと。花咲彩葉を殺したのは、お前なんだろ?」


 怒号が飛ぶ。

 思いっきり拳を握りしめて、手のひらに蛇をまとう。

 その蛇が刃のようにギラギラとした輝きを放っていた。

 真白はひるむ。

 どうすればよいか分からなくて、なんと返答をすればいいのか、つかめない。

 ただ事実として、真白はなにもしていない。文字通りの、完全なる白だ。それは自分自身がよく知っている。しかれども、そうストレートに伝えたところで、相手が納得するわけもない。ミドリは完全に真白が犯人だと決めつけている。彼女の言う通り、口ではなんとでも言えるのだ。自分が犯人ではないと告げたところで、なんの証拠にもならない。


「でも、僕は違う」


 それでも、伝えずにはいられなかった。

 花咲彩葉の死によって、最もショックを受けたのは誰だと思っているのだろうか。そりゃあ、彼女にはファンが多い。行方不明になったという事実だけが知らされているのだろうが、そばにいた真白のほうがダメージは大きいはずだ。そんな彼が、花咲彩葉を殺した犯人だと突きつけられた。これほど、酷なことがあるだろうか。


「そんなはずはない。貴様だ。貴様だけだ。そうに違いない」


 ミドリは狼狽していた。

 蛇の巻き付いた指先を真白へ向ける。

 その先端はやけに尖って、下手をすれば刺されかねない。

 だが、同時に、余裕の見られない声と表情が、どうしようもなく人間らしかった。

 彼女は決めつけているだけでなく、そうと思い込みたいのだろうか。むしろ、真白以外が犯人ではあってはならないという気迫を感じる。

 いずれにせよ、隙ならある。今の彼女ならば、まだやり直せると感じた。


「少し、待ってほしい」


 顔を上げた。

 少々遠慮しつつ、足を踏み出す。

 彼女に接近する。

 ミドリは口を一文字に結んで、尖った瞳で真白をにらむ。


「僕は違う。そうとしか言えない。だけど、それでも僕は、花咲彩葉のそばにいたから。彼女のことを、大切に思っていたから。だから、殺せない。彼女がいないと、僕はなにもできないから。本当に、彼女だけが命綱だった。そして今もなお、彼女に依存しているんだ」


 結局のところ、真白はまだ、虹色の女優の影を追っていた。

 まだ、中央の町にも虹色の花が咲いていないか、探してしまう。

 けれども、やはり、いないのだ。

 現実を受け入れながらも、血の海に沈んだ少女の姿が、ひどく遠くに行ってしまう。

 同時に、花咲彩葉は本当に死んだのかとも考えていた。自分がこの目で最期を看取ったのは、緋色の女だ。真白を裏切ったと思わせて、助けてくれた――白になりきれなかった女性だ。虹色の女優ではない。彼女の死はボカされて、今もなお、青年の心の中で生き続けている。


「それがなんだ? そんなの、ただの、作り話だろ? 本当の気持ちなんて、知ったことか。お前が、貴様が、貴様だけが……!」


 声を荒げた。

 思考も推理も放棄している。

 彼女の言葉はなんの説得力もない。


「では、聞きます。なぜ、君は、僕が犯人だと思ったんですか?」

「それは、告げられたからだ」


 少しどもって、女は告げる。


「花咲彩葉は死んだ。殺された。そしてその犯人は、真っ白な少年だと」

「いったい、誰から」


 頭上に濃い色をした雲がただよう。

 気温が下がった。

 冷気と一緒に、嫌な予感が心に張り詰めていく。


「鎧塚武将と名乗る男だった」


 その瞬間、真白は硬直する。

 まさか、彼の偽名をこの場で知るとは思わなかった。

 聞き間違いかと思ったが、相手は訂正しない。本当に、鎧塚が関与しているというのだろうか。

 一気に緊張感が高まる。

 ただならぬ予見を感じた。

 いったい、これから、どうなるというのだろうか。

 なんにせよ、明るい未来など見られるはずもない。そんなものは、当の昔に花のように散ってしまった。今は暗黒の雲が満たすだけだ。


「それでも、違う。あの人が、僕のなにを知っているというんですか? そんな人の言葉を真に受けたところで、真実にたどり着けるわけもない」


 鎧塚武将――なにが目的なのだろう。

 心に苦い感情が湧く。

 唇を噛み、奥歯を噛みしめる。

 どうにも解せない。

 不快感に眉間を寄せながらも、前を向く。


「そんなの、関係ない。だって、お前は、彼女を救えなかった。それだけで、罪になる。真実なんてなにもないのなら、いっそ、この星を滅ぼしてしまえばいいのよ。そうすれば、犯人だろうと関係なく、皆殺しにできる」


 その言葉は誇張でもなんでもない。

 体にまとった闇色のオーラが、本気だと示していた。

 彼女は泣きそうな顔で、精一杯の恨みを鋭く光る眼光ににじませていた。

 このままだと本当に、黒い炎で全てを灼き尽くしかねない。

 そうなってしまっては、もはや誰も得をしない。勇者に任命された身なら、世界を守る。全ての国民を守る――その義務を背負っている。なればこそ、一歩も引けない。このままおとなしく逃げるわけにはいかなかった。 

 彼女を止めたい。元の、普通の人間に戻したいと思った。肉体的には不可能だろうが、それでも、彼女は人間だった。普通の、ただ嫉妬深いだけの女でしかない。だからこそだ。

 もう傷ついてほしくなかった。誰かを傷つけてほしくもない。その相手は、自分一人だけで十分だ。


「まずは貴様から、ここで……!」


 地面を蹴った。

 ボロボロの体に鞭打って、無理やりにでも動かす。

 その様は、糸にかかった操り人形のようでもある。

 彼女の手は蛇に変換する。

 蛇は大きく口を開ける。

 鋭く尖った牙が視界に飛び込む。


 同時に真白は剣を手放した。

 もう、戦いは終わったも同然だ。殺し合いをする意味もない。彼女はバトルロワイヤルの参加者であろうが、彼には関係なかった。彼にとっては、龍神ミドリは落ちるところまで落ちようとしているだけの、ただの女性でしかない。


 全力を殺しにかかられたとしても、もはや相手に反撃をする気はない。

 だから彼は攻撃を受ける前に龍神ミドリの動きを封じると、彼女を素手で抑えつけた。

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