第10話
現れたのは巨大な蛇だった。
以前からずっと相手は人間離れした見た目をしているとは、思っていた。たとえば尖った耳・鋭く伸びた爪・縦長の瞳孔――それら全てが目の前で一つの点を結んで、その正体を現す。だからなのかと、合点がいった。真白は今、とんでもないものを目撃しようとしていた。
大蛇の尾が地面にたたきつけられる。途端に地面に亀裂が走った。真白はとっさに避けた。衝撃派がこちらまで飛んでくる。錯乱しているようなものであるにも関わらず、攻撃だけは正確だ。彼が先ほどまでいた場所にはもう障害物がない。風の刃のようなものがビルを直撃し、粉砕する。まるでテロでも起きたかのような惨状に、真白は目を丸くした状態で、立ち尽くす。
なぜ、彼女のような存在が、現代において生き残っていたのだろうか。もしくは、自分の見ている光景は果たして現実なのか。何度も目をこすった。頬をつねってもみたものの、目の前の景色は変わらない。相変わらず、戦場と化した地上は荒れている。そこへ、尾が下りてきた。真白は後ろへ下がる。地面に亀裂が生じる。クレパスのように深い谷が生まれた。細かな石の粒が奈落へと吸い込まれていく。
真白は圧倒的な破壊力を持つ蛇に対して、ただぼうぜんと立ち尽くしていた。いったい、なにをどうしたら、このようなものが生まれるというのか。もっといえば、勝てるビジョンが浮かばない。今すぐにも逃げ出してしまいたいのに、体が動かない。震えていた。傷口からはなおも血がドクドクと流れ続けている。毒のせいだ。血の凝固をさまたげられている。このままではまずいと本能が告げている。痛みはなおも激しさを増して、脳髄にしみこむ。いったい、どうすればいいのだろうか。なにをするのが正解だったのか。どうにも、ゲームのバッドエンドを踏んでしまったような気がする。
いちおう、相手に傷をつけられて、一瞬でもこちらが有利になったと思った。これが相手に近づけた。実力でも迫れていると実感した。ところが、実際は違う。相手のほうがもっと、とんでもない存在だった。自称勇者は結局のところ、人の姿を保っている。ところが、相手は異形だ。もはや、人間とは呼べない。だが、確かに彼女は人であり、女だったのだろう。だから、無差別に建物を破壊し、地形をメチャクチャにするような状況においても、理性だけは失っていない。緑色の瞳はハッキリと、身をすくませて座り込む少年の姿を映していた。
さて、問題はこれからだ。
傷口を抑えながら、状況をうかがう。
手に血がしみて、したたり落ちていく。
顔を上げて、ひたむきな表情で大蛇を見つめる。
敵がこちらを向く。
迫ってくる。
大きな口が開く。
鋭く尖った牙が覗く。
食べられる。
確かに悟った。
だが、逃げ場はない。
もう、立ち上がる気力すら湧かなかった。
だが、一か八かだ。
せめて、抗うつもりで剣を振るう。
全身全霊を込めるつもりで、クリスタルの刃を振り回す。
直後に、確かに体は動いた。
まっとうに、普通に、いつものように。
軽かった。
戦う意思を決めたときだけ、体が自分のものではなくなったような気がする。
ふわりと浮いて、痛みが全身から消えた。
だから、あっさりと敵の攻撃を受け止められる。
その事実が信じられない。
なぜ、こうなのかと。
自分の中で常識がメチャクチャに破壊されていく。
クリスタルの刃が鱗を切り裂く。
悲鳴が上がる。
ハッキリと、女の声が鼓膜を揺らす。
やはり、中身は彼女のままだ。
本体は怪物の姿をしていても、心はまだ、人間のままなのだ。
だから、彼女は助けを求めている。人にはなれない身で、それでもまっとうな人生をつかむために、努力をしてきたのだろう。
おそらく、彼と彼女は似ている。勇者にはなれないと分かっていながら、一縷の希望を見出してしまった。本当に自分が勇者なのだと言われたようで、その迷信を信じてみたくなった。実際に自分の正体が勇者なのかは分からない。こんな、勇気のかけらもない勇者がいてたまるかというのが本音だ。それでも、今は、やるべきことをしなければならない。
また、目の前で蛇が咆哮を上げる。血を吐くような声で、なにかを叫ぶ。
聞き取れない。彼女がなにを伝えたいのかは、ハッキリしない。だけど、これだけは言える。彼女は助けを求めている。自分の感情を抑えきれず、飲み込めもせずに、ただただ、叫び続けるだけ。その強い思いを破壊という形でしか表せない。よほどのことが起きたのだろう。
真白は立ち上がった。
倒すのではなく、救うために戦うと決める。
目の前で苦しんでいる人がいる。それだけで、立ち上がる理由にはなる。たとえその原因げ自分にあったとしても、同じことだ。もしも、自分のせいで彼女が嘆き、悲愴な気持ちを抱くとしたら、だからこそ、真白は止めるのだと宣言できる。
真っすぐに、大蛇を見上げた。
相手は大きく口を開ける。
そのノドの奥から黒い粒子のかたまりが生まれる。
視界に飛び込む。
あれは、技だろうか。
いかにもモンスターが繰り出しそうなものだ。
警戒をしつつ、刃を構える。
クリスタルが日光を浴びて、鋭い輝きを放つ。
闇は目の前で形作り、深い色を放っている。
闇の魔法――ダークボールとでもいうのだろうか。
ダークパープルの光が目の前ではじけ飛ぶ。
攻撃は真っすぐに真白へ向かう。
途端に、たじろぐ。
いきなり対処をしろと突きつけられたような気分だ。
確かに覚悟は決めたものの、攻撃を打ち返すなんて器用なマネ、真白にはできない。
だが、ダメ元だ。
どうして、戦うことは決まっている。相手の能力も最初から最後まできちんと見通すつもりでいる。ならば、なにがきてもいいように悠然と構えておくべきだ。
幸か不幸か、真白にはもはや、攻撃をかわす気はない。正確にいえば、余裕はないといったところだろうか。生命力は傷口から流れていってしまうし、もう頭はフラフラだ。クラクラするし、余計な体力は使いたくない。いっそ、倒れてしまいたいところだ。だが、ここで意識を手放すわけにはいかない。せめて、やるべきことを果たしてから、くたばるべきだ。
だから、真白は刃を振りかざす。
クリスタルの剣で闇の攻撃を迎え撃つ。
刃の先が闇をとらえる。
真白の瞳が、日光よりも強い輝きを放つ。
直後に、なにかが霧散した。
目の前でクリスタルと接触した闇が、蒸発した。まさに、そうとしか表現ができない消え方だった。それは打ち消されたというべきだろうか。クリスタルに触れたことによって、攻撃消えて、今は細かな粒子と化して空気を舞う。キラキラと、ダークパープルの光が雪のように瞬いていた。
一方で、当の本人はなにが起きたのか把握していなかった。
ヤケクソで攻撃に立ち向かったのはよかったものの、勝てるビジョンが浮かばない。そのまま闇に飲まれて終わりかと思ったところで、この現実だ。なぜか目の前で闇が消えた。光によって晴らされたというより、浄化したといったところだろうか。
同時に、その、浄化という力には心当たりがあった。
真白は浄化という固有の能力を持っている。部屋を掃除したり、闇を払ったりする能力だ。まさかもなにも、目の前でその現象が起きているのだから、信じるしかない。要するに、真白の持つ浄化の能力は、ピンポイントで相手の弱点となる。
とにかく、だ。憎しみに飲まれて闇をまとった者は、今、ここで、倒すしかない。それが、彼女のためにもなる。無論、ただ、倒すのではない。きちんと問題を解決する必要がある。
それはそうと、闇の属性に効果があるのなら、毒にも同じことが言えるのではないだろうか。たとえば、汚染された水を浄化することだって可能だ。ならば、人体にも作用はする。これ以上、体力が消耗するのは避けたいし、試してみる。
指先で噛まれた部分に触れる。ぽっと、水色の光が指す。途端に、体から痛みが消えた。けだるさも解消される。効果は確かにあったようだ。これで自由に動ける。もっとも、失ったものが戻るわけではない。出血多量というほどではないものの、貧血を起こしかけている。ことが済んだらさっさと寝よう。
そう、後のことを考えつつ、真白はあらためて大蛇を視界にとらえる。
見上げても、明らかに大きい。ビルをはるかに超えている。さながら、町を攻めにきた怪獣のようだ。だが、本人にはその気はないのだろう。だから、ほかの者――警備兵たちに見つかる前に、止めてみせる。否、もはやその必要はないのかもしれない。ほかの者はルールの変更によって殺し合いを続けている。治安を維持する使命を失った彼らは、アジトで怠けているのかもしれない。
いずれにせよ、真白のやることは変わらない。
深く息を吸う。
そして、いったん胸の中でためる。
そして、吐き出す。
咆哮とともに、剣を振るう。
途端に刃の先から水があふれ出す。
無色の、深く澄んだ、水だ。川を連想する。
その勢いに、渦のような流れに呑み込まれて、大蛇が動きを止める。
効いている。
水に濡れては、闇の力は発揮できない。
しかも、ただの水ではない。全ての厄を払う能力だ。
なおも大蛇はていこうを見せる。体をくねらせて、蛇行する。地面をはって、飛び上がる。真っすぐに体を起こして、真白を狙う。口を開いて、食らいにかかる。だが、彼は冷静だ。落ち着いて、剣を振るうだけ。そして、真っ二つにへし折るつもりで、一刀両断する。途端に鱗が裂かれて、赤い血が流れる。そこへ水の攻撃が襲いかかる。その波は大蛇を飲み込んで、ビルのある方角へと押し流す。巨大な鱗を持つ肉体は、ビルにたたきつけられた。もう、動かない。
真白は、勝利を確信した。
蛇は震えている。
相当なダメージを負ったのだろう。
身を起こそうとしても、体に力が入らないようだ。
やがて、力尽きたように倒れ込む。
そしてそのまま、細長かった肉体は、元の姿へと戻った。
過剰な大きさではない、どこにでもいる女の肉体だ。だが、やはりというべきか、普通にしてはその容姿は派手すぎる。水色の巻き毛も、鮮やかな色をした衣装も、彼女にはもったいないくらいに豪華だった。
「水……川……そう、私は昔、水を司る神だった」
ポツリとこぼす。
そんな、か細い声が鼓膜を揺らした。
「だけど、今は、存在しない。もう、汚れてしまった。存在を、許されなかったから。ただ一人の神しか信仰されなくなって、だから、私は、必要とされなくなって」
声が、震えていた。
体をゆっくりと起こす。
緑色の瞳を伏せて、女は語る。
「堕ちたのよ。元はあんたと同じ属性を有していた、はずなのに」
瞳が揺れる。
彼女の沈んだ声を聞いていると、こちらまで気分が沈む。
相手がなにを言っているのか、なにが言いたいのかはよくつかめないものの、それでも、同情心は湧く。彼女も苦労を重ねてきたのだと。
「でも、どうして? 水の属性は失われたはずよ。黒バラの女王によって一人残さず、消されたはず――なのに、どうしてあんたはその属性を使えるのよ。答えて。ねえ、答えなさいよ」
顔を上げて、口を大きく開いて、質問を繰り出す。
彼女は必死だった。
なにもかもが納得できず、回答を求めている。
だが、その質問の答えを欲しているのは、真白も同じだ。
属性とはなんなのか、失われたとはなんなのか。
まったく話についていけない。
百歩譲って、属性は分かる。自分は浄化の能力を持っている。明らかに水の属性だ。だが、失われたとはなんだろう。水の属性ならばメジャーだろう。創作でもよく目にする。まさか、珍しいのだろうか。しかも、黒バラの女王によって消されたときた。水という属性は、魔王にとって、存在すると不都合なことでもあったのだろうか。
モヤモヤする。
だが、相手は頭に生じた疑問に答える気配を見せない。
「とにかく、もうあきらめてください。僕は君の弱点を突けます。質問に答えないかわりに、命だけは見逃すつもりです。だから、どうか、ここは」
懇願だった。
ハッキリいって、相手を殺したくはない。
これは甘えだ。優しさではなく、自分が手を汚したくないから出ただけの言葉だ。そんなものに意味も中身もない。それでも、本心だった。とにかく、龍神ミドリという女には、自分の気持ちを打ち明けてほしい。それだけでよかった。たとえ敵意を向けられて、一方的になじられたとしても、真実を知る――その身になにが起きたのかを、知りたかった。否、知るべきだった。
「強者ぶるんじゃないわよ。あんたは強い人間なんかじゃない。敵に止めを刺すことすらできない、哀れな人間だわ」
「分かっています。僕はいままで、逃げてばかりいましたから」
彼はバトルロワイヤルがはじまったときも、家に引きこもって、戦況を傍観していた。いままで生き残ってこれたのは、積極的に戦いに参加しなかったからだ。だが、命運も下手をすれば、ここで尽きようとしている。だからこそ、気を引き締めて、元は大蛇だった女と相対する。
縦長の瞳孔を持つ女はひるまない。圧倒的な実力の差を、弱点である浄化の能力を見せつけられてもなお、戦おうとしている。フラフラとした体で立ち上がって、闘士に満ちた瞳で相手をにらむ。それでひるんだのは、彼のほうだった。
彼には、戦う理由がない。倒すだけの、理由もない。
憎んではいない。
ミドリが戦う意味は分からないが、それでも、事情があるということは伝わる。
それを聞き出すつもりで、口を開く。
「そこまでして、僕を狙う理由はなんですか?」
ミドリは血を流していた。
大蛇のときに負った傷は再生していない。足は震えているし、立っているのがやっとといった雰囲気だ。それでも闘士を失わないのは、目の前に宿敵がいるからだ。絶対に倒さなければならない相手がいるからこそ、彼女はここで倒れるわけにはいかなかった。
「ただの八つ当たりよ」
うつむいて、淡々と、彼女は答えた。
釈然としない返事だった。
真白は眉をひそめる。
八つ当たりで、殺意を抱くか? 普通は、よほどの恨みがなければ、こうはならない。ただの八つ当たりならば、自分が敗れそうになった時点で引くだろう。
そうして中、脳内で、ミドリが繰り返していた言葉が蘇る。
仇。
彼女。
『彼女』は何者かによって、殺された。
その、殺した者が、真っ白な少年だと、ミドリは言っている。
もしかして、その、殺された相手というのは。
「花咲彩葉と、関係があるんですか?」
思い切って、尋ねてみる。
途端に、ミドリの顔色が変わった。
大きく眉と瞳をつり上げ、ギロリと睨む。
どうやら、正解――地雷を踏み抜いたらしい。
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