第9話
龍神ミドリは普通ではない。
手から蛇を出す能力を持った女だ。その実、人間ですらない。怪物だ。
大昔の戦いで消えた者たちの生き残りといったところだろうか。この国の誰もが知らない情報を、彼女は持っている。ミドリと同じ境遇の者は数いれど、本体が人の姿をしていないのは、彼女くらいだ。
現在の容姿は偽物であり、作ったものでしかない。醜い自分にコンプレックスがあった。せめて、美しくありたいと願った。それなのに、どうしても勝てない相手がいる。どれほど自分を着飾ったところで、届かない存在がいた。それがどうしても解せない。どれほど努力をしたところで、意味はない。自らの醜さを隠したところで、本物の美しさには叶わないのだと実感した。
これでも昔は神のような存在だった。緑の豊かな田舎で暮らしていた。祠に祀られ、雨や豊作をもたらした。小さな村であったが、心優しい者の多くいる場所だ。ミドリも信仰されていた。ところが、今は違う。誰も、龍神ミドリを覚えていない。そればかりか、たった一人以外の神以外は信仰するべきではないとされ、それ以外は異教とされる。自分の存在そのものが悪だと罵られたミドリは、本物の異形へと姿を変えた。もはや今は悪魔でしかない。そう言って、ミドリは自嘲を浮かべる。
異能を操る特異な体質も、自身の正体を考えれば粗末な問題だろう。元より、自分の正体なんて、隠す気はない。だからこうして、人目につく場所で能力を振るえる。さすがに法に振れることはできないし、目立ったマネをして刑務所に入れられたくはない。されども、今のミドリはそんなことに配慮する気が起きないほど、追い詰められていた。なんせ、目の前に仇がいるのだから。
あいにくと、真白は武器の扱いに慣れていない。いくら勝手に体が動くといっても、限度がある。相手の繰り出す蛇の動きは素早い。目で追っても追いきれない。攻撃を防ぐだけで精一杯だ。これが、格の違い――もしくは経験値の違いといったところだろうか。そもそも、真白は戦士ではない。人の斬り方も分からないし、心の底ではやはり迷いがくすぶっている。
「どうした? それでも、私を止められると思っているのか?」
愉しそうに、上からミドリが声をかける。
真白は唇を噛む。
蛇はバリアのようになっていて、前方でうごめく。
これでは本体である女にたどり着けない。
どのように攻略するべきだろうか。やはり、一体いったい倒すしかない。けれども、倒したところで後から再生するだけだ。どうしようもないし、ジリ貧としかいえない。ならば全ての蛇をまるごと焼き尽くしてしまえばいいのだが、そのような術を彼は持っていない。こういうとき、緋色の女なら、解決はできただろう。彼女の赤い宝石のような魔眼は、目の前の女にこそ、有効だ。
なおもしなやかに蛇は動いて、こちらの喉笛を噛みちぎろうとする。なんとか後ろへ下がって、避けた。距離を取って、攻撃の範囲外で待機するものの、相手も距離を詰めてくる。ゆっくりと、焦らすように、足音を立てながら。
真白は心の中で苦い味を噛みしめる。
いったいぜんたい、どのようにすれば勝てるのだろうか。真白には自分が勝利をおさめるビジョンが浮かばない。せめて味方でもいてくれたら安全に戦えただろう。もしくは回復役を担ってくれる相手がほしかった。RPGなら、盾・剣・回復魔法・攻撃魔法というパーティを組むことが多い。あのシスターなら、回復魔法を使えるのではないだろうか。すぐにでも呼び出したいという気持ちと、ほかの者を巻き込むべきではないと言う自分が、胸の底で交錯する。
だけど、一人ではどうにもならないのは事実だ。今、目の前に明確な死を感じる。黒紅色の集団に囲まれたときよりも濃い絶望に、心を支配されていた。
「さあ、やれるものならかかってこい。私は容赦はしない」
あえてミドリは攻撃を誘っている。
攻撃を防いでカウンターを発動させて、深い絶望の淵にたたきつぶす気だろう。
その手には乗らないと思いながらも、防戦一方であるのは事実だ。真白は視線そらしながらも、剣を構え直す。
どの道、もう逃げられない。売られたケンカは買ってしまった。助けはこない。ならば、自力でなんとかするしかない。
どうせ、守りに回ったところで、同じ結果を招くだけだ。ならば、罠だと分かっていたとしても、勝負を挑むしかないだろう。真白は意を決した。クリスタルの剣を握る手に力をこめる。もしも自分に本当の勇者の力が宿っているのだとしたら、目の前の敵だって粉砕できるだろう。彼女の腕から延びて、うねうねとうごめく蛇たちも、一網打尽にできるはずだ。そう、自分に言い聞かせた。自分は強いのだと何度も繰り返す。
そして、勢いよく地面を蹴った。飛び上がる。剣を振り上げる。龍神ミドリを頭から真っ二つに割るつもりで、剣戟を叩き込む。
さすがにこの攻撃では死なないだろう。
なんとなく、分かっていた。だからこそ、全力で攻撃を仕掛けた。
「なんだ、この程度か」
目を伏せて、口をへの字に曲げる。
彼女はイラ立たしげに歯ぎしりをして、腕を天に掲げた状態で直立していた。
蛇は一箇所に固まって、バリアを作る。彼女はいとも簡単に攻撃を受け止めてしまった。
なるほどと、素直に感嘆する。無防備の状態ではあっさりと斬られるだけだろうが、蛇を自由に操れるのなら、全力で防ぎにくるはずだ。おおかた、彼女は真白の実力――攻撃力をはかっていたのだろう。勇者と任命されたのなら、相応の実力があるはずだ。そう思ったけれど、実際は違う。これには真白本人もがっかりだ。本来の実力であれば蛇ごとき粉砕できるはずなのに、あいにくとクリスタルの剣には刃がない。誰かをマネたような剣筋では、本物の実力者には届かない。
「もっと本気を、全力を見せてみろ。それでは届かない。私の心には響かない。そんなお前を倒したところで、私の気は晴れない」
なにか、証拠を求めている。
彼女は弱い敵と戦いたいのではなく、自分が倒したい敵と戦っているつもりだ。
だが、強さを示せと言われたところで、無茶な注文としかいえない。
真白は戦いにおいては素人だ。物理的な戦いはおろか、心理戦すらまともにできない。頭を使った戦い方など分からないし、ただ闇雲に剣を振り下ろすことしかできない。
くわえてこの、クリスタルの剣のなんと重いことだろうか。オモチャのような見た目をしている癖に、質量だけはムダにある。剣を持つ震えているのは、恐怖のせいではない。重さに耐えきれずに、体ごと崩れてしまいそうだ。腕はパンパンに張っているに、さっさと武器を下ろしてしまいたい。
されども、目の前には敵がいる。彼女は自分の逃走を許してはくれない。背を向けて逃げたところで、追いつかれて、背中から攻撃を食らって、死ぬだけだ。
ならばいったい、どうしろというのだろうか。真白の頭は混乱していた。誰か――もっとよい方法を教えてほしい。誰かがそばにいてくれなければ、生き残れる気がしなかった。
さりとて、現状が一人であることを変える術はない。真白はどうあがいても、単独でこの状況を切り抜けるしかない。
「まだなにか、隠しているはずだ。それを私に見せつけろ。そうでなければ、お前を倒す意味がなくなる」
「そんなこと言われたって、これが僕の全力なんですよ」
ただの人間に過度な期待を寄せられても困る。
真白は眉をハの字に曲げて、露骨に嫌そうな顔をした。
実際のところ、彼は手を抜いているわけではない。むしろ、容赦なく殺しにいっている。そうでなければ、通用しないと考えた。躊躇すらしていない。
だが、心のどこかでは遠慮しているのだろう。相手にも事情がある。それを聞くまで、殺してはならないと。傷つけてはならないと、心が能力をセーブしているとでもいうのだろうか。
いいやと首を横に振る。たとえ、本来の能力を引き出せていなかったとしても、真白はあっという間に殺されてあの世へ行っていただろう。今、彼の首と胴体がつながっているのは、相手のほうが手加減をしていたからだ。まだ様子を見ている段階で、真白の勇者としての能力を引き出そうと、躍起になっている。
「お前が仇だと知っている。なのになぜ、お前はそれほどまでに弱い。まさか、不意打ちでもしたというのか? いいや、おかしい。お前ごときの不意打ちが、あの女に通じるわけがない」
ミドリが一人で自問自答を繰り返す。
仇。
あの女。
弱い。
彼女の繰り出した単語が、頭の中で反芻する。
いったい、なにを言っているのだろうか。
相手も、こちらに伝えるつもりで口に出したのではない。ただ、脳内で渦を巻く情報を整理するために、言葉にしているだけなのだろう。ならば彼女はきっと、真白には知り得ない情報を持っている。
いずれにせよ、彼女の考えは的外れだと、断言する。なぜなら、真白は弱い。それ以上の価値はない。おそらく、龍神ミドリが求めていた者ではないのだろう。
「確証を得たかった。お前は本当に、私の仇なのかと。だが、もういい。もう、お前にはなんの価値も見いだせない。ならば、ここで、死んでしまえばいい。毒に犯されて、苦しみながら」
目を伏せた。
うつむけていた顔を上げる。
ギロリと緑色の瞳がいびつな光を放つ。
思わず、真白は後ずさった。
なにか、よからぬことが起きようとしている。
それを理解して、逃げようとした。
だが、遅い。
蛇が放たれる。
大きな口を開いた生き物が、真白の腕に噛み付く。
とっさに切り裂く。
獲物は消失する。
同時に脳内をなにかが巡った。
記憶ではない。血液に似たものが、全身に回ろうとする。
途端に体が急に重くなる。
ガクッと体勢を崩して、地面に膝をつく。
そして、傷口から痛みが全身に駆け抜けていった。
痛みに目を細めながら、傷口に触れる。
おそるおそる確かめると患部は青紫に腫れて、大量の血が流れ続けていた。
文字通り、血の気が引く。
一瞬、なにが起きているのか分からなかった。
痛みで思考が麻痺する。
もう、痛い以外の感情がない。
目の前の敵すら忘れてしまいそうだ。
それでも、今は倒れるわけにはいかない。
ここで剣を下ろしては、守りたいものも、守れない。
本当にほしいものだって、手に入らない。
だからこそ、戦いを続ける。
真白は顔を上げた。
するどく光る瞳を、巻き毛の女に向ける。
彼女がたじろいだ。
真白は剣を握り直す。
最後の力を振り絞るように立ち上がった。
二本の足を地面につけて、全身の力を凝縮するような形で、剣を構える。
地面を蹴った。
体の状態など考えずに、ただただ駆ける。
ミドリは動かない。
否、動けない。
とっさに判断がつかずにいる。
蛇の動きもどよめく。
隙が生まれた。
真白は剣を動かす。
刃が銀色のラインを作る。
刹那、鮮血が舞う。
青く澄んだ空に、赤い色がかすかに飛び散った。
ミドリはよろめく。
されども、大事には至っていない。
彼女は攻撃をかわしていた。
既のところで身をそらして、頬をわずかに切る程度で済んだ。
全身全霊をかけて放った攻撃も、この体たらくである。
やはり、自分には才能がない。
そう実感した。
一方で、ミドリは無表情のまま、頬に触れていた。
手を離すと、手のひらに血がべったりとついている。
途端に、彼女の目が血走る。
眉がつり上がって、目の角が尖った。
「よくも、よくも、よくもよくもよくもよくも」
咆哮とともに、彼女に変化が訪れる。
龍神ミドリは影と化す。
比喩抜きにシルエットとなった彼女は、異形へと姿を変える。
その様子を、真白はぼうぜんと見ていた。
口をあんぐりとあけて、目を丸くする。
とにかく、信じられない。
目の前で、なにが起きているのか、自分はいままでなにを見ていたのか。
ただ事実として、龍神ミドリは普通の人間ではなかった。蛇を腕から出すような女だ。それを異常といわずして、なんと表現するのだろうか。だが、さすがに人の形は保ったままだろうと予感していた。人ならざる者など、この世には存在しない。
見た目が人であるのなら、勝てる。根拠もなく、思った。自分がもしも勇者であるのなら、戦うだけの実力を持った男なら、問題はない。今よりもひどい状況にはならないだろう。
だが、目の前で形作った、本体は、自分の想像をはるか斜め上にあった。
激怒した女が、自分という存在を形作っていた殻を破り、本性を表した。
その姿はもはや人ではない。生物――といっても大丈夫なのだろうか。とにかく、この世にはいてはならないものであることは確かだ。
真白は今、自分がなにを見ているのか分からなくなった。
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