第7話
窮地を脱するといっても、どうすればいいのだろうか。
現在、真白が手元にあるのはオモチャの剣一つだ。教会でもらって以降、使いまわしてはいるものの、殺傷能力は薄い。それはそれでこちらにとっては好都合だが、命のやり取りで使ったところで、意味はないだろう。見た目はクリスタルで出来ているようだし、刃も見当たらない。本当にオモチャだ。
とりあえず、バッグから小型化したものを取り出して、元の大きさに戻す。気休めにはなるだろうが、やはり、頼りない。相手からすれば、なめているのか? と言われてもおかしくない。
「なに考えてんだ、テメェ。もっと真面目にやりやがれ」
「ほかに武器なんか持ってるわけないじゃないですか」
眉をハの字にして訴える。
できるのなら、戦闘は避けたい。
自分は確かに勇者の役を演じたが、本物の勇者というわけではない。否、むしろ、偽物が本物になりきろうとしているところを見たから、相手は苛立っているのかもしれない。
いずれにせよ、真白に相手を止める方法は存在しなかった。
どう考えても、普通の人間に不良の相手をしろというほうが無茶だ。今にもしっぽを巻いて逃げ出したい。だが、背中を向けた瞬間に刺されそうで、躊躇する。
今も、不良は銀色の刃をチラつかせながら、近づく。
「まあ、どうだって構わねぇや。お前がその気だってんなら、こっとも勢いで片付けるだけだ。ああ、さっさと死んじまいな」
勢いよく、刀を振りかざす。
とっさに受け止める。
力で押されそうになり、ヒヤヒヤした。
幸いにも力は互角。
クリスタルの刃は鋼鉄を受け止めて、むしろ、押し返そうとしている。
これには真白本人のほうが驚いた。
まさか、本当に自分が相手の攻撃をさばけるとは思っていなかった。
ハッキリいって、これは異常だ。都合のよい幻でも見せられているのではないかと、錯覚する。なぜなら、真白には戦闘能力がない。いままでであったら、すぐにたたきつぶされてお終いだ。誰か――守ってくれる者でもいない限り、どうあがいても生き残れない。
「なんだオメェ、どんなインチキをしやがった?」
相手が距離を取る。
不良が顔をしかめて、軽蔑の眼差しを向ける。
悪いが、それはこちが聞きたいくらいだと、真白は視線をそらす。
途端に不良が地面につばを吐く。
彼はどうしても、目の前にいる勇者もどきが気に入らないらしい。
真白とて、勝手な憎悪を向けられても、どうすることもできずにいる。なんせ、勇者に立候補したわけではないし、運がよいのか悪いのか、抽選で決められただけなのだ。むしろ、勇者にされたことは、本人が一番文句を言いたいと思っている。
「お前みてぇなやつは、さっさと潰してやる。ああ、卑怯者が。こんなやつ、本当はなにもできねぇって知ってんだぜ」
剣を振るう。
一歩、前進する。
真白は動かない。
攻撃を受け止める体勢に入る。
「さっさとくたばれ」
怒号にも似た声がした。
その瞬間、真白の背景は白と化す。
クリスタルの刃を振るう。
腕が勝手に動いた。
いったいなにが起きているのか。
その答えは出ない。
ただ、事実として、真白は不良と互角に打ち合っている。
余裕はあった。
相手についていくのはたやすい。
まるで、自分が自分ではなくなったような感覚がある。
誰かに憑依されているようで、体がふわふわする。
とにかく、なにもかもが軽かった。
目の前の景色がやけに鮮やかに映る。
不良の動きも、ゆっくりと、スローにとらえられた。
とにかく、よく見える。
クリスタルの刃を振るうたびに、自分が怪物になっていくような恐ろしさがある。
これはいうなれば、覚醒だった。
不良とも互角に戦い、様子見だけで相手を疲弊させる。
そして、知らず知らずのうちに真白は、敵を圧倒するようになっていた。
振り上げられた剣。
絶叫が耳の奥まで響く。
不良が高く舞う。
上から攻撃を仕掛ける。
真白は目だけを上に向けた。
クリスタルの刃を取り出す。
攻撃は受け止めない。
かわりに、彼よりも先に、仕掛ける。
オモチャだと思いこんでいたはずの刃が、本物の剣を打ち砕く。
途端に、不良の表情が固まる。
信じられないといいたげな目で、こちらを見る。
真白は無表情のまま、クリスタルの刃で相手を切り裂いた。
血は出ない。
ただ、確実になにかを奪っていった。
オモチャの武器から無色透明のオーラが湧き出る。
それに気づかない振りをしながら、真白はなにも考えずにスーパーへ向かった。
買い物の最中も、あまり集中できなかった。
先ほどの戦いが頭に浮かぶ。自分はいったい、なにをしたのだろうか。なにが、どうなったのだろうか。なにもかもがおかしい。
通常であれば敵にボコボコにされるのがオチだ。ところが今回はそうではない。むしろ最終的には圧倒して、倒してしまった。
剣を振るえば振るうほど、腕に力がみなぎってくる。疲労感は抜けて、体は軽くなる。普通は逆なのに、全てがおかしく歪んでいく。
いずれ自分は人を殺してしまうのだろうか。
手が震えた。
そんな未来はあってはならないと、言い聞かせる。
この期に及んで、彼は自分が人間だと信じていたかった。なにもかも、全てが終わってしまった後でさえも、アレはなにかの間違いだと思い込みたい。それでも、目を伏せてはいられない。きちんと現実と向き合わなければならない。いったい、自分の身になにが起きたのだろうか。それを確かめない限り、どうにも前に進めそうになかった。
以降も買い物を終えて、きちんと食材を買い込んだ真白は、家に引きこもる。
こうしていれば安全だ。
あとは参加者が一人になるのを待つだけだが、これは果たして正しいのだろうか。人が死ぬのに、それを待つだなんて、おかしい。まっとうな人間ならば、止めにいくはずだ。それなのに、どうしようもなく、戦いを避けたくて仕方がない。ケンカの仲裁もできないのに、この殺し合いなんて到底終わらせられるはずもない。
心が追い詰められていく。
善人から遠ざかっていくような感覚があった。
それでも、待たなければならない。
たとえ自分が悪に染まっても、この手を汚す羽目になったとしても、生き残らなければ。
そうでなければ、自分が彼女の生かされた意味がなくなる。
そのとき、窓の外で女の声がきた。
「出てこい、ゲームの参加者。『勇者と魔王の物語の再演』に関わった者たちよ」
ぎくっとした。
もっというと、この声は龍神ミドリのものだ。
大きく目を見開いて、体を震わせながら、真白は壁際に身を固める。
完全に縮こまってしまった。
聞かなかったことにしたいが、相手の声は止まない。
スピーカーで触れ回っているのだろうか。
ハッキリ言って、近所迷惑だ。
うるさいだけならまだしも、実質的な宣戦布告ときた。
乗るか、乗るまいか――真白は後者を選びたい。
ここで行動に出てしまえば、いままで生き残ってきた意味がなくなる。
だが、もしも、もう生存者が残り少ないというのなら、自分がでなければならない。
そうでなければ、戦いが終わらない。
龍神ミドリもあきらめてはくれないだろう。
頭を抱えた。
どうしようもないくらい、追い詰められている。
もう、無理だと悟った。
声が迫ってくる。
大声で、ちょうど、城のある通りを抜けて、こちらまで。
じきに近づく。
彼女はきっと、真白の居場所を知っている。
隠れている位置を特定した上で、生存者の登場を待っているのだ。
真白は窓からこっそりと下をのぞく。
水色の巻き毛が風になびいて、生き物のようにうごめいている。
つり上がった緑色の瞳は魅惑的な輝きを放っているものの、やはりというべきか、縦長の瞳孔が人ならざるものの気配を匂わせている。
額には血管が浮き出ていた。
明らかに、怒っている。
ただし、真白は彼女になにか悪いことをした覚えはない。恨まれる記憶はない。むしろ、そうするべきなのは涅に対してだ。
涅――彼は無事だろうか。狙うのなら真っ先に狙いそうだが、果たして。
彼はろくでなしの非人間だとは思うものの、死んでいい人間だとは思っていない。できるのなら、どんな悪人であれ平等に命を拾い上げたいところだ。
そうした中、背後に一人の女性が立っていることに気付く。黒い修道着を着た彼女は、連行されるような形で歩いている。
次の瞬間、ミドリは彼女の肩をつかんで、自分の前に差し出す。
「知っているぞ、そこにいるんでしょ? 真白とかいう男。さっさと出てきなさい。さもなくば、この女の首をへし折る」
真白は顔を歪めた。
彼女の腕には蛇がうねうねと巻き付いている。
緑色の瞳は確かにこちらを向いていた。姿こそ見えていないものの、視線は真っすぐに、卯の花色の城を貫こうとしていた。
真白は震え上がる。
どうあがいても勝ち目はない。というより、逃げられない。
身を隠す場所を考えた。
だが、そうしたところで物を破壊されてしまっては、おしまいだ。
考えた。
悩んだ。
だが、答えは出ない。
「私は貴様を恨む。憎んでいる。よりにもよって、なぜその家を選んだ? なぜ、貴様は、あの娘と出会い、近づいたのか? 解せない。なにが目的だ? なんのために貴様は、こんなところまでやってきた?」
まくしたてるように叫ばれた。
早口が、女性らしいやわらかさのかけらのない口調が、焦りを物語っていた。
彼女は本気だ。
腕に巻き付いた蛇が、今にもシスターに襲いかかろうとしている。
唇を噛む。
どうあがいても戦闘は避けられない。
ならばせめて、シスターを守らなければならない。
彼女は自分にとっては大した交流もしてこなかった相手だが、知り合いではある。なにより、自分が本当に勇者がどうか、確かめたかった相手だ。彼女が死んでしまえば、もう二度と、真白は彼女と口をきかなくなる。当然ながら、真実は闇に葬り去られるだろう。それだけはいけない。それだけは避ける。
真白は覚悟を決めた。
死んでもいいとは思っていない。ただ、相手を傷つける覚悟を。最も重要なものを守るために、敵対者を排除する意思を、確かに平凡な色をした瞳からにじませた。
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