第6話

 勇者ではないと認めてしまった。

 人間ではないと口走ったことに対して、後悔がよぎる。

 実際のところ、真白はただの人間でありたかった。勇者にはなれないと踏んで、その存在を憎んですらいる。理由なんて、分からない。ただ、事実として、彼は舞台の上で勇者を演じる役者にも、心の底では嫌悪感に似た複雑な感情を抱いていた。

 嫉妬、なのだろうか。

 それはありえないとは分かっている。だけど、それ以外には例えられない。

 別に、主演が憎いわけではないのだ。他人のことなんて本当に興味がない。どこでなにをしていようが、犯罪を犯していたとしても「ふーん」で済ませられる。嫌いになれるほどの感情や興味を、彼は持ち合わせていない。

 やはり自分の中でなにかが欠けているような気がする。残りのピースが埋まったら、空白の記憶が戻ったら、全てが解決するのだろうか。それは甘い期待でしかない。

 結局、自分はなにになりたいのだろうか。勇者という存在を避けたがり、ただの人間であろうとする。プレッシャーを背負いたくないし、期待に押しつぶされて、損をするのは避けたい。この気持ちは真実だ。それでも、勇者を演じることに、こだわってしまうのは、そうでなければ守りたいものを守れないからだろう。純粋に真っ白で、清らかなだけの少年が、事件に関わることで、変わってしまう。他人を見捨てるような人間、自分だけが助かればいいと思っているような人格だと思われて、みなに批難される。そんなビジョンを、頭で何度も見た。

 だからこれは、義務感だ。勇者であるのなら、役割を果たさなければならない。その義務が、自分にはある。そして、今は謎の能力すら有している。これを使わずして、どうするのだ。


「逃げてばかりじゃ……ダメなんですよね」


 花咲彩葉の、フローラルホワイトのコートを着た姿が頭をよぎる。

 彼女のために、自分はなにをするべきなのだろうか。

 王権をたくされた。今自分は、魔王にすら挑もうとしている。

 たくさんの人を守って、死んでいった彼女のとなりに立つにふさわしい人間になりたがっている。今のままでは、自分があまりに惨めで、情けなくて。こんな、役に立たない、冴えないだけの、なんの感情も抱かない人間なんて、消してしまいたかった。だから、変わりたいのだと。もう二度と、同じ間違いは繰り返さないように。

 それでも、生き残らなければ意味がない。

 真白は緋色の女に『生きろ』と告げられた。


「テメェはいったい、なにがしたいんだ?」


 タブレットから、ドスのきいた声がした。


「勇者として無辜の民を守る。よりよい人間になる。誰かのとなりに立つのにふさわしい人間になる――ああ、そいつは立派だ。無駄が多いが、ご苦労なこってい。だがな、本心はどこだ? テメェは『そうでなければならない』って思いにとらわれているだけだろうが」


 鋭い言葉が胸に突き刺さる。

 正論だった。

 だけど、それは違うと。

 確かに義務感にかられているのは事実だが、花咲彩葉を思う気持ちは真実だ。

 この感情が恋なのか、愛なのかは分からない。それでも、目の前から聞いてほしくなかった女性であることは、確かだ。

 少なくとも、もう誰にも傷ついてほしくないのは本音だった。


「言ってみろ。テメェが本当にやりてぇことってのは、なんなんだ?」


 そんなこと言われても、分からない。

 真白はうつむく。

 頭は真っ白になって、うまく言葉を結べずにいる。

 自分はいったい、なにをしたいのだろう。

 急にゲームのルールが変わって、殺し合いが発生した。それに巻き込まれて、なにをするべきか分からなかった。ただ一つ、怖いという感情だけが心に生まれた。死にたくないと、傷つきたくない。同時に、周りの死が自分のせいだと突きつけられたような気がして、いてもたってもいられなくなった。

 とにかく、恐ろしかった。

 彩葉のときと同じように、周りで人が死ぬのが。血を見るたび、彼女の死がフラッシュバックする。頭が痛くなって、崩れ落ちそうになる。だけど、もう止まらない。レールは進む。たった一人のみじまな少年を載せて。


「僕は……ただ、生き残りたかった」


 口に出したのは、単なる生存本能だった。

 心の中はぐちゃぐちゃで、どこまでが建て前で、どこまでが本音なのか分からない。

 その心の内を吐いたところで、説得力はないだろう。そもそも、彼自身が自分を信用しきれていない。

 それでも、タブレットの奥にいる人間は、真白のことを許したようだ。


「なら、生き残りゃいいじゃねぇか。なにごとも、生き残らんとはじらんのでな。お前が本当に優先したいってのは、そういうところだろう」


 ああ、そうだ。

 真白の本当の目的は、花咲彩葉の意思を継いで王権を得る――それだけだ。

 最優先は生存であり、今回のバトルロワイヤルを勝ち抜くことだ。いずれ、鎧塚と対戦する可能性はあるけれど、それまではせめて、生き残らなければならない。

 真白が勇者になりたくないと願いながら、勇者という称号に固執するのは、全ての者を守るためだ。もしも勇者であるのなら、きっと、物理的に全ての目的を果たせる。だが、実際のところ、真白はただの人間だ。少なくとも、本人はそう思っている。

 全てを守るだけの実力がないのなら、他人のために命をかける度胸がないのなら、せめて――一つの目的に絞るべきだった。そのためなら、ほかの大切なものすら犠牲にする覚悟が、真白には必要だった。


 ほどなくして、通話は切れた。

 真白はスマートフォンを机に置いて、しばらくの間ぼうっとしていた。


 引きこもっている間にも、状況は進む。

 サイトが更新されて、残っている参加者の人数がカウントされる。更新するたびに人数は少しずつ減っていく。今日もどこかで戦いが起こっている。

 人の命がゴミのように散っていく。そのむなしさを噛み締めながらも、なにもできずにいる。

 なにもしていないのに、自分だけが生き残る――それはなんてむなしいのだろう。このような役立たずよりも、もっと生き残るにふさわしい人間がいたはずだ。引きこもって、なにもせずにじっとしているだけ。そんな人生はつまらない。勝者にも、ふさわしくない。

 天から見ているであろう死者たちの視線が気になる。彼らがただ楽をして生きている生存者になにを思うのかを考えると、心が暗黒色に染まってしまいそうだ。

 じりじりと、焦燥感が高まっていく。ネットサーフィンに興じる余裕はない。気がつくと一日中、サイトの更新ボタンを押していた。

 いつ自分の元にも暗殺者が現れるか分からず、気が気でない。下手に昼寝でもしていれば、あっという間に殺されてしまうだろう。気を抜いている暇はない。安堵した瞬間が、自分の死だ。

 警戒をおこたらず、窓の外を確認しながら、時が流れるのを待つ。退屈なんて言っている余裕はない。冷蔵庫の中身を消費しつつ、とにかく、生き残ることのみを考える。そうだ、たとえかっこよく戦ったところで、死んでしまってはなにも残らない。死にたくないのなら、下手な行動は避けるべきだ。

 片手でミカンをむさぼりながら、何度も自分に言い聞かせるように咀嚼する。口の中に広がる果汁は酸っぱい。レモンでも食べているのではないかと思うほどだ。


 そうした中、ついに食料が尽きた。

 籠城は失敗に終わるだろう。

 下手に動けば参加者に見つかって潰される可能性があるものの、このままだと餓死が待っているだけだ。幸いにも彼女が残してくれた資金は枯渇する気配がない。金庫の中身は宝くじの一等よりも多く、純金の延べ棒まで用意されていた。

 彼女の財産を使い切ってよいものかと思いつつ、それは後で返済すればよいと考える。そもそも、花咲彩葉の血族はどうなっているのだろうか。資金は家族の元へ流すべきではないかと考えながらも、背に腹は代えられない。

 真白は一生分の食料を買い込むつもりで、財布――否、クレジットカードを持って、出発する。

 あたりを警戒する。

 キョロキョロと周りを見渡しながら、歩く。

 一見すると、自分はただの一般人だ。とてもではないが、危ないことに首を突っ込むような人間にも見えない。ぼうっと突っ立っているだけなら、誰にも気づかれないだろう。

 影の薄さが幸いしたといったところか。

 周りではなにやら、金属同士がぶつかり合う音が響く。喧騒だ。派手なケンカをしている。否、それはケンカというよりは殺し合いだ。

 真白はそのとなりを素通りする。

 巻き込まれないように、なにが起きてもスルーするつもりで、小走りで移動する。

 きっと、大丈夫だ。相手も参加者の顔と名前までは把握しきれていない。

 大きめのスーパーに行って、店の商品を全て購入する。それで全てが解決する。その後は真っすぐに家に戻るだけだ。


「よう、金ならあんだろ? 俺んところ、見にこないか?」


 聞き覚えのある声が鼓膜を揺らす。

 最初は無視しようと思ったけれど、知り合いのようだったので、足を止める。

 警戒しつつ、そちらを向く。


「どうだい? 贋作模造品――本物に似たようなやつなら、たんまり揃ってるぜ」


 は、はあ。

 真白はあぜんとしつつ、ノロノロとそちらへ近づく。

 路地裏に近い、薄暗い通りに隠れるようにして、一軒の店がやっていた。それは占いの館のような雰囲気で、狭苦しいテントに入ると、たくさんの芸術品が真白を出迎える。

 もっとも、この全てが偽物である。

 一件すると区別はつかないし、代用品として買うのはありだろう。


「でも、なんで自分からバラすんですか? もったいなくありませんか?」


 真白はしらけた目で、目の前にいる人物――ボサボサの髪を整えもせず、くすんだ色をした服を着回している男性を見る。

 彼は気まずさをかけらも見せず、あくまで明るく、笑い飛ばすように口を開く。


「テメェだからだ。本気で買わすつもりだったら、もっと騙せるように努力をするさ」


 その努力は必要ない。

 要するに彼は悪徳商法を得意とする業者だ。本物と偽って、高価なものを客に買わせて、利益を得る――それはなんてあくどい商売だろうか。

 棚にはキラキラとした宝石も入っているけれど、本当はイミテーションで、なんの価値もないのだろう。


「買わせたんですか? 龍神ミドリに」

「ああ、そうさ。やつ、自分を着飾ることに命を注いでたんでな、いい鴨になったぜ」

「確かに派手な服を着てましたけどね……」


 だまされて偽物の商品を購入させられたのは、少々哀れだ。

 彼女の悪徳業者への敵意を見る限り、何度も似たようなことをされたのだろう。そのためにだまされているようでは、どちらが悪いのか分からなくなるが。


「テメェも気をつけるこった。見るからに純朴そうで、素直そうだからな。よく、だまされるだろ?」

「まあ、そうですね」


 否定はしない。

 本人としては、別にだまされようが興味がない。

 自分が損をするだけならば、別に誰になにを言われようと知ったことではない。

 たとえ購入した商品が偽物であったとしても、見た目がよければ我慢できる。そのまま、飾り用として家に置いておくつもりだ。返品の予定はない。だからこそ、目の前にいる詐欺師は真白に真実を打ち明けたのかもしれない。要するに舐められている――といったところだろうか。

 いずれにせよ、真白は周りにある商品を購入する予定はない。贋作として売るのなら安くしてくれるとは思うけれど、なんせ必要なのは食料だけだ。


「僕、芸術作品に興味ないんですよ」


 見ていても心は動かされない。

 実用にたるものでない限り、存在するだけ無駄だと考えている。


「珍しいやつだな。だからテメェ、感情がないって言われんのさ」

「失礼ですね」


 いったい、感情がないと言われているなんて、どこから聞いたのだろうか。

 もしくは涅本人が、真白を見て、思っている本音だったりするのだろうか。

 なんだか、不安になってきた。

 自分はいったい、周りからどのように見られているのだろうか。

 とはいえ、自身も人形のような在り方をしていることに関しては、同意する。彼は他人に言われたことをなんでもこなす。それが自分にとって損になることだとしても、余裕で目的を果たしてしまう。そういう人間だ。自分のことも他人のことも、どうだっていい。ただ、言われたらする。正しくないことはしないかわりに、見てみぬふりといったことはやってしまう。機械のような人間だった。


「気が向いたらまたくるがいいさ」


 店主に見送られて、店を後にする。


「そうそう、気をつけろよ。この町に、龍神ミドリがきている」


 背中にそんな声を聞く。

 ゲッ……と顔を歪める。

 よりにもよって、蛇のような女だ。彼女は危険だ。耳は尖っているし、瞳孔は縦長、爪も長く伸びている。とても人間には見えない。悪魔の末裔だと思いたくなる。そんな相手に目をつけられては、たまったものではない。くわえて、彼女は蛇を操る。どう見ても、普通の人間ではない。異能力者だ。

 どうしようと素直に思った。

 ほかはだませても、彼女だけはだませない。

 鉢合わせをしたら最後、殺される。


 不意によぎったのは花咲彩葉の姿だ。

 血の海に沈んだ彼女のことを思い出して、顔が沈む。

 もう二度と、他人が死ぬところなんて見たくなかった。それなのに、自分は同じ失敗を繰り返している。

 それでも、せめて――彼女の願いだけは叶えてあげたかった。

 だから、今度こそは成功しなくては。生き残らなければならない。

 ゲーム内で勇者に選ばれた。シスターにも勇者だと告げられた。

 だから、なんだという話ではあるけれど、その事実は心強い。

 もし、本物の勇者としての能力を持っているとしたら、自分はなにができるだろうか。

 真白はトボトボと町を歩く。

 警戒するのを忘れて、無言のまま頭だけを動かしていた。

 だから、背後に影が忍び寄っていることにも気づかない。


「おぉい、テメェ、ゲームじゃ勇者ぶってたんだよな?」


 振り返る。

 そこには、赤黒い髪をした男が立っていた。

 彼は鉄パイプを持っている。服はだぶだぶで、悪そうな格好だ。

 不良だろうか。

 なんだか面倒な相手に目をつけられたような気がする。

 されども、逃げたところで意味はない。いずれ追いつかれるだけだ。なればこそ、覚悟を決めなければならない。なんとかして、この窮地を脱出するのだ。

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