第5話
彩葉の家に戻ってきた。相変わらず見た目と同じで内装も凝っている。広さも住宅とは比べ物にならないほど大きいため、縮こまってしまう。本当に、ただの一般人がここにいていいのだろうか。なんだか、ほかの人よりも恵まれているため、申し訳ないと思ってしまう。
とはいえ、今はそのようなことを考えている場合でもない。
真白は書庫に入って、本を選ぶ。
きちんと日本語(東語?)で書かれた本がずらっと、本棚に並んでいる。いったい、どこから手をつければいいのかと思いつつ、ズラッと目を通す。真っ先に目に入ったのは『魔王』や『勇者』という文字の入った本だ。気にはなるものの、舞台で一通り情報はチェックしている。今気になっているのは、この国の歴史だ。
王権とはなにか、王位はどのように継承されたのか。なぜ魔王は王権を手放して、ほかの者に譲ろうとしているのか。
一度気にしてしまうと、疑問は山のようにあふれてくる。
ひとまず真白は手元にあった本を選んで、手に取った。
「二五一八年前……戦いの終結?」
首をかしげながら、目次を読み上げる。
流れるように指を動かして、中身のチェックをはじめる。
東歴が使われるより前は、神の血を引く王家が国を支配していた。もっとも、どちらかというと本物の神に操られているだけの、傀儡のような存在だ。そして、神が消えると同時に、王家の影響力も消える。国はいくつかに分裂して、空いたイスに座るための戦争が始まった。
最終的な勝者は、久遠小夜子。彼女は現代まで、この国の地下で生きている。
「久遠、小夜子?」
目を丸くする。
手から力が抜けて、あやうく本を落としそうになった。
「待てよ。彼女って、魔王だよな? 死んだはずじゃ……。いや、同一人物の違う人? でも、そんな人をわざわざかぶせにくるか?」
頭が混乱していた。
なにが真実で、なにが正しいのかも分からない。
そもそも、『勇者と魔王の物語』に登場した久遠小夜子とは、同一人物だろうか。東歴元年に誕生した王とは関係があるのか。いずれにせよ、無関係だとは思えない。
なにより、真白は知っていた。
魔王が現代まで生きているということを。緋色の巫女は魔王と戦って、敗れた。ならば、その魔王自身が久遠小夜子という可能性は考えられる。
「つまり、勇者は……魔王を倒さなかった。役割を、放棄したのか」
舞台上では確かに魔王は死亡する。
愛する人の手で止めを刺されて、幸せそうに息を引き取った。
今ごろになって、彩葉から聞いた魔王のスペックが頭をよぎる。まさか、アレに勝てというのだろうか。さすがに無茶がすぎる。
現代まで生きている魔王なんて、一般人では太刀打ちできない。住む世界が違うにもほどがある。
否、勝たなくてもいいのだ。真白は勇者にはなれないと思っている。だから、逃げたところで問題はない。やらなければならないのは、水晶を取り戻すためにバトルロワイヤルで生き残ることだ。そうすれば、自動的に王権が手に入る。
それはそうと、気になる点はまだ残っていた。
「神か……」
さらっと一般常識のごとく書かれていたけれど、神の存在が過去には認められていたのだろうか。
神といえば信じる者は救われるという代物だ。一般人では見ることなどできないし、伝説の存在でしかない。
真白はいたほうがロマンがあるとは思うものの、本当にこの世に存在するとは考えていない。ところが、昔は――東歴元年では確かに存在したと言われている。むしろ、消えたというのだから、存在しないと考えるほうがおかしい。ならばいったい、なぜ神は消えたのだろうか。
お隠れになったのか、殺されたのか。
理由は考えられるものの、さすがに殺せるような気がしない。神といえば全知全能だし、神殺しのスキルでも持っていない限り、討伐など不可能だろう。
それよりも、現代でも神は信仰されている。これは少し、矛盾が発生していないだろうか。唯一神というわけではないだろうが、少し、疑問に思う。シスターもいたし、緋色の巫女は現代の神と直接交信をしてい――
そこまで考えて、ようやく真実に気付く。
古の神と現代の神――
討伐されたほうが古で、現代に蘇ったものが後者だった。
だから巫女は二つの神を分けて、言っていたのだ。
急に疑問が解消して、頭がスッキリする。
一方で、王家に関してはモヤモヤが残っていた。魔王が誕生する前は確かに存在して、政権を握っていた。ここは分かる。だが、その傀儡政権の担い手は、今はどこでなにをしているのだろうか。さすがに永遠の眠りについていると思われるが、神の血を引いているのなら、無限の命――もしくはそれに値する寿命を持っていてもおかしくはない。
いつかその居場所を突き詰めて、もっとくわしく尋ねなければならない。
いろいろと、話がつながってきた。だが、まだ、確証にはいたらない。この世界の成り立ちや過去に起きた出来事などはまだ空白で、ジグゾーパズルのピースをようやく埋める作業に入ったという段階だ。
王家に関しても、気になる。魔王が誕生する前は確かに、いたのだろう。
とにもかくにも、現状は王権を巡った戦いが繰り広げられている。
戦争なら二五〇〇年前にも行っていたというのに、懲りないと素直に思う。
命のつぶしあいなんてくだらない。いくら強者が頂点に立つ権利があるとして、それを決めるための戦いだったとしても、資源を減らしては本末転倒だろう。今回の戦いには無駄が多すぎる。
どうにかして止めなければならないと思った。されども、その方法が分からない。今も意味のない戦いが続いて、大地には血が流れる。ゲームの参加者は分からないけれど、全国に散らばっているとしたら、相当の量だ。そこから第一位を決めて、いったいどれだけの人数が犠牲になるのだろうか。想像すると、戦慄が走る。
やはり、戦いはやめさせなければならない。されども、一度争いの中から逃げて、実質住民を見殺しにした者が、止める資格があるのだろうか。なにより、ただの冴えない少年には、戦いを終わらせる術がない。
いったい、なにをすればいいのだろうか。
頭を抱えた。
ちょうどそのとき、タブレットからアラームが鳴る。
画面をタップして耳に近づけると、どこかで聞いた覚えのある声がした。
「よう、元気にしているか?」
「あなたは、えーと、涅(くろつち)さんでしたっけ?」
一瞬だけ名前が出てこなかったのは、秘密にしておきたいところだ。
相変わらずざらついた声だ。
彼もゲームの参加者ではあったけれど、どこでなにをやっているのだろうか。下手をすれば、戦いに巻き込まれているのではないか、そんな可能性が頭をよぎる。もっとも、現在、彼には余裕がある。戦いなど知ったこっちゃないというように、愉快そうに話す。
「お前よ、とんでもないことになってるらしいな」
タブレットの奥で笑いながら、彼は言う。
「この二五一八年の間、誰にも王位を譲らず、外敵から身を守ってきた女が、ついに王権を手放すだとよ。ったく、どういう風の吹き回しだって、話だよな?」
なにやら、親しげな雰囲気の中に、少しだけさみしげな色が見える。
それはほんのわずかな色で、気のせいかと思うほどに淡かった。
ただ、どことなく、冗談を口にしているような雰囲気でもある。本当はありえないと。魔王が王権を手放すなどありえないと知った上で、あえてからかうような口ぶりで、彼は言ったのだ。
「なんとかできないんですか?」
「無理だな」
神妙な口調で尋ねてみた。
答えは即座に返ってくる。
「二五一八年前の、王位争奪戦と一緒だ。防げるわけがないだろう」
「でも、このままじゃ、たくさんの人が死ぬんですよ?」
真白は声音を落ち着かせたまま、芯のある声で訴える。
されども、相手の態度は変わらない。
夢を見る子どもを笑うように、意地の悪そうな口調で、告げる。
「テメェになにか、できるとでも?」
「それは、分かってるんです。僕だって、なにができるとも思えない。戦いを止める方法なんて知らないし、直接呼びかけたところで、響くものはないって」
「なんだ、分かっているのか」
意外だというように、軽い口調で彼は言った。
「だから、悩んでるんです。どうすればいいかって」
「テメェは他人のことよりも、自分の身の安全を確かめろや」
「はい。生き残らなければ意味がないって、知っています。でも、対策したところで」
「対策なら簡単だ」
あっさりとした口調で、男は言う。
「部屋から一歩も出なけりゃいい」
「それは……」
確かに下手に動かず、籠城を決め込めば、死ぬリスクは低くなる。敵を堂々と倒しにいくより、ギリギリまで隠れて潜んだほうが勝率も上がるだろう。
されども、ここは現実だ。ゲームの世界ではない。逃げるなんて、そんなマネ……真白にはできない。
「おいおい、なに悩んでんだ? これぞ、優秀な案だと思わないか? まさかとは思うが、この期に及んで、変なことでも考えてるんじゃないだろうな」
バカにするような声を聞いて、真白は唇を噛む。
彼自身、完全に思考を放棄しているわけではない。
まだなにか、方法があるのではないかと考えてしまう。
少なくとも、このまま籠城を決め込んで最後の一人になるのを待つなんて方法は好きではない。それはつまり、自分以外の全ての参加者を見殺しにするということだ。
「僕は、勇者だと、言われました」
苦し紛れに、言葉を振り絞る。
タブレットの奥から、無言の言葉が返ってくる。
彼は、なんの反応も見せない。
あきれているのか、怒っているのか――どのような感情を抱いているのかすら、判断ができない。ただ一つ言えるのは、二人の間を流れる空気が冷え切っているというところだろうか。
「だからどうした?」
冷え冷えとした声が返ってくる。
「解決しようだと? そいつは奢りだ。勇者だからといって、全てを解決できるとは限らんだろ。ああ、テメェは自分のことを過信している。たかが人間風情に、そんなマネができるとでも?」
言えている。
真白は勇者と同じ顔をした男だと言われただけで、その言った本人にも、本当に勇者かどうか、疑われている。
彼自身、本当に勇者になれるのか分かっていない。
でも、だからといって、全てを投げ出すわけにはいかなかった。
「僕は、自分の役割を、遂行しなくては……」
「その役割とはなんだ?」
「それは……勇者として、するべきことを……」
うまく、言葉が出ない。
そうだ、なにをすればいいのか。
人間として正しい行動をしなければならない。
花咲彩葉が愛した人間――それらしい存在になる必要があった。
だから真白は、善でありたい。
悪人のように汚れてしまうことを恐れた。
彼らと同じ、存在意義を失った者にはなりたくない。
ただそれだけの理由で、虹色の女優のとなりに立つのにふさわしい人間になるために、もう二度と手に入らない夢を果たすために、今も見えない影を追いかけている。
「調子に乗るなよ」
イラ立ちの混じった声が、鼓膜を揺らす。
「ああ、そうだ。俺はきれいなものが嫌いだ。だから、そうあろうとするテメェも憎んでやるさ。そろそろ身のほどをわきまえやがれ。テメェはただの人間だ。そうだろ? 本当は勇者になんざ、なりたくもない。そんな重たいものを背負いたくもない。そうだ。だから投げ出したい。でも、やらなければならないと義務付けられているから、やらざるをえない……。ああ、くだらんな」
ペラペラと、知ったような口ぶりで、彼は言う。
「本当にテメェが死にたがりの道化になりたいってんなら、好きにすりゃあいい。いっそ、溝の中に身を落として、沈んじまいな」
だけど、事実として、真白は勇者になどなりたくなかった。勇者になるべきだと考えているのは、それが自分に与えられた役割だからだ。シスターの言葉が正しいのなら、自分はなにか、世界を救うに値する実績を成し遂げなければならない。
白でいるために、永遠に黒く……汚れてしまわないように。
それができないから、できそうにないから、悩んでいる。プレッシャーに押しつぶされそうになっている。
まだ、ゲームは終わっていなかった。
勇者という役割からは解き放たれず、永遠に同じ役割を背負ったまま、停滞している。
「もう一度尋ねようか。お前は果たして、何者だ?」
「僕は……」
言葉に詰まる。
特別な存在になりたいわけではない。
特別な能力なんて、必要なかった。
彼が真に守るべきものなど、この世にはいない。
それでも、得たかった。
なにか、特別ななにかになりたかった。
だけど、彼の精神性は、肉体は――
「人間だ」
そう、言うしかなかった。
自身が身につけた浄化の力から目をそらす。
それでもやはり、自分はただの人だと、言わざるをえない。なにしろ、まだ彼は、なにも救えてなど、いないのだから。
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