第3話

「実を言うと、私もまだ、半信半疑なのです」


 青空の空のした、パキッとしたいい顔を見せるシスター。

 彼女の口から繰り出された言葉は、そんな雰囲気とは対照的で、少々自信をなくしているようだった。


「正直に言いますと、私は神さまと交信できます。それで、言われたのです。『いつか、自分と同じ顔をした者が、現世に現れる』と」

「それが、僕だと言いたかったんですよね?」

「はい。神さまの化身が勇者とされています。だから、あなたも、そうであるはずだと」


 あまり深刻そうな雰囲気はなく、あくまで『うーん』と首を傾げる程度の軽い反応だ。


「僕もいちおうは『勇者』になった身です」

「え、本当なのですか? まさか、本物だとおっしゃるので?」


 彼女のオーバーかつきらめくようなリアクションに、真白は気まずそうに頭をかく。


「えーと、その……演じただけなんだ。ただ僕は、その勇者という役を演じきれていないんです」


『勇者と魔王の物語の再演』というテーマを掲げられたゲームを思い出す。真白は大切な人のために参加を決めたのだが、まさかそれが、あのような結末をまねくなんて思わなかった。結果的に、彼は花咲彩葉という少女を失って、彼女の意思を受け継ぐために、中央の町にいる。


 まだ、血の海に沈む、真っ赤の染まった少女の姿が脳裏を離れない。それなのに、ゲームに参加したときの出来事が、昔のもののように思えてならない。たった数日――冬が去る直前に起きた話だというのに。


 表情を曇らせた真白を前にして、目の前にいるシスターも少々真剣な表情になる。


「ホンネを言うと、やはりあなたは勇者にふさわしい人間とは思えません」

「さっきと言ってること、違いませんか?」

「ええ、そうなのです。いちおうは歓迎しますよ。ですけど、このセリフはあらかじめ考えていたことなのです。勇者らしき人間が現れたら、伝えなければならないと」

「接するうちに考えが変わったとでも?」


 真白の視点からしても、自分のような男は勇者になれないと自覚している。だからこそ、彼は勇者であることを否定し続けた。それはそれとして、手のひら返しを食らうのは、あまり気持ちがよくない。そのことだけは不満に思いながらも、自分のことだから仕方がないときっぱり諦めた。


「証拠を、見せてください」


 しばらくの間、シスターは悶々とうなっていたけれど、やがて、結論を出したようだ。


「そんなこと言われたって、僕はなにも持ってませんよ」


 いささか理不尽ではないだろうか。

 信じないのなら信じないで、潔く引いてもいいだろう。ちょうど、本人も一般人だと認めている。それなのに、こちらが勇者であることに固執する理由は、なにだろうか。

 そんなことを口にしかけて、不意に思い出す。


「そういえば、こんなものが」


 ふところから、小さな水晶の玉を取り出す。

 地下のアジトの奥で、緋色に染まった着物をまとった少女から、直接受け取ったものだ。なぜ彼が、これを受け取らなければならなかったのかは、不明だ。無色で深く透き通っているものの、未来は映らない。占い師が使用しているものではなさそうだが、どのような用途で使えばいいのだろうか。

 自分が勇者であるという証拠にはならないと分かってはいるものの、その正体を知りたくて、たまらなかった。


「まさか、これは……」


 急にシスターの目の色が変わる。

 真白としては特に期待していなかったため、意外な反応だ。

 この水晶のどこに、彼女の期待を煽る部分があったのだろうか。

 なかば相手の提案を無視して差し出したものだったため、温度差がある。

 真白は無表情のまま、複雑な気持ちを胸の中に抱く。


「おっと、こいつはいいものを持ってるじゃねぇか」


 そのとき、男の声が聞こえたかと思った瞬間、手のひらから水晶が消えていた。


「な――」という、悲鳴にもならない声が、自然に漏れる。


「素人に売ったところでどうしようもねぇだろうが、まあ、重要なアイテムだ。回収させてもらおうか」


 彼のいる方角を向く。

 鎧塚という名の男は、片手で水晶をお手玉のようにもてあそびながら、こちらを見ている。

 さしずめ、真白はまんまと自分の所有物を奪われたといったところだろうか。

 彼の挑発をするかのような眼差しは無視して、冷静に口を開く。


「いったい僕に、なんの恨みがあるんですか?」

「恨みだ? バカじゃねぇの? そんな価値もねぇよ、お前にはな。俺が恨みを抱えているのは、たった一人の人間だけだ。それ以外は――いや、『今』は全てが有象無象にすぎねぇんだよ」


 刺のある口調で言葉を浴びせられながらも、真白は落ち着いている。

 彼のしていることとは、おおかた、水晶を盗んで売ることだ。これは犯罪であり、遊びでもやってはならないことだと理解している。とはいえ、その相手が自分であればある程度は許容できる。こちらが我慢をすればいいだけのことだから。

 

「思い出したわ!」


 急に大きな声がとなりに上がったので、不意を撃たれた真白は肩を震わす。


「なんですか、いきなり」

「彼です。彼のことなのです」


 彼女は必死になって、相手を指さす。

 彼――鎧塚武将がどうかしたのだろうか。

 UFOや幽霊がいることをアピールしている霊能者のような勢いを感じるけれど、彼女がなにをしたいのかがよく分からない。


「私、思い出しました」


 手に持っていた小さなカバンから、くるくると丸められた紙を取り出す。

 そして、その紙をバンッと縦向きに広げて、少年たちへ見せつける。


「ここに描かれているのが、誰か、分かりますか?」


 WANTEDという字が目に飛び込む。

 つづいて、その下に貼られた写真へ視線を移す。

 いつかは不明だが、古い写真だ

 セピア色の光景を背景にして、今と変わらぬ容姿で、常磐色の衣をまとった男が映っている。


「君、何歳なんですか?」

「知るか」


 さすがに年齢くらいは答えられるだろう。と、すると、彼には質問に答える気はないのだろう。

 それよりも、今重要なのはこの紙切れが意味することだ。


「懸賞金、かけられてますよね?」

「ええ、〇がたくさん並んでいます」


 いよいよ、面倒な展開になってきたかもしれない。


「つまり、鎧塚武将という人は、指名手配犯というわけですね?」


 まさか、とんでもない極悪人と平気な顔で会話をしていたなんて、信じられない。人は見かけによらない――というより、少なくとも凡人ではなさそうだったけれど、それでも、指名手配犯という発想はなかなか浮かばなかった。特にごまかしている様子はなかったのに、なぜだろう。もしくは、ごく自然な態度を貫いていたがため、いままで気づかなかったのだろうか。


「俺はな、別に正体がバレようがどうだっていいんだよ。捕まる気はねぇけどな」

「ええ、そうでしょうね。あなたはいままで警察に追われました。ですが、ずっと逃げ切っているのです。その理由は、戦闘力にある。あなたは強すぎる。だから、誰も追い詰められないのです」

「ほう、よく理解できてるじゃねぇか」


 鎧塚がニヤリと笑う。


「ああ、そうだ。お前、俺のことを呼び捨てにしたよな?」

「はい? 今ごろですか。遅いです。どうせなら、スルーしてもよかったですよね?」

「うるせぇな。お前みてぇなやつに、気安く声をかけられるのはイラッとくんだよ」


 それこそ、理不尽だ。

 真白としては相手と敵対をする気はないし、できるだけ穏便に事を済ませたいところだった。

 けれども、なにもしなくても向こうが勝手にイライラして、ケンカを売ってくるとなると、話は別だ。和解など、できそうにない。下手に出ていれば全てが解決するというわけでもないだろう。なんせ、今の状況に、真白本人はなにも悪くないのだから。相手が勝手に水晶を盗んで、勝手に敵対している――それだけだ。


「気をつけるのです。彼は危険です。悪名高き存在。宝石を盗む者といえば、いいでしょうか。貴族の部屋に堂々と正面から攻めて、貴重なものを盗んでいく。時には抵抗するものを死なない程度に痛めつけて、自分は逃走する――ああ、なんて卑劣な行為なのでしょう」


 真面目くさった顔で、シスターは語る。

 視線こそ相手を向いていて、鋭い眼光に盗賊に対する敵意をにじませていながら、語る方向は確実に真白のほうを向いていた。


「私は神より、教えられているのです。『あの男には気をつけろ』と」

「ほう、余計なことやってくれやがったんだな。心配しなくても、お前らに手は出さねぇよ。楽に稼げる方法を取ったら、こうなっただけだ」

「そんなこと言って、今、僕のものを奪ってるじゃないですか」

「それとこれとは、話は別じゃねぇの?」


 ふてぶてしい表情で、鎧塚は尊大にかまえている。


「これだけは言っておきます。あなたのようなやり方では、孤立を深めるだけです。味方が誰一人いない状況に追い込まれたくなければ、早々に更生して」

「遅せぇんだよ」


 シスターの言葉をかき消すように、彼は言う。

 うんざりとした感情を声に含ませる。


「いったいどれだけの年数、こうやってきたと思ってんだ。聞き飽きたんだよ。俺はな、もうどうだっていいんだ。このやり方が気に食わねぇやつもいるだろうさ。そりゃあ、そうだろ。全員が全員、同じ考えを持つはずがねぇ。それでいいんだ。俺は誰に理解されなくたって、構わねぇ。ただ、自分のためになにかを貫く。それだけでよかったんだ。全てのやつに受け入れられようだとか、思っちゃいねぇよ。ましてや、全世界の人間と友達になりたいとか、考えたこともねぇよ」


 相手をあざ笑うように薄笑いを浮かべながら、鎧塚はシスターを見下ろす。

 彼としては本当に自分の考えが変わらないことをアピールしているのだろう。ただ、どことなく、言葉の端に孤独を感じる。口ではそんなことを言っているけれど、むしろ、一人になったことに耐えきれないがため、孤独であることを受け入れるようなことを言っているのではないだろうか。


「本末転倒ですよね」

「うるせぇな。お前もなんか、文句あるんだろ? なんだよ、言いたいことがあるなら言ってみろや。対立を回避するために言いたいことも言わねぇんじゃ、もったいねぇだろうが」

「いいえ、僕は特に、君を咎める気はありませんよ」


 真白は素直にそんなことを口走る。

 彼としは本当に、鎧塚という男に興味がなかった。

 ただ、たちの悪い自分勝手な人間だとだけ、認識している。性格が悪くて、確実に周りに嫌われるタイプだ。もっとも、彼は嫌う気配がない。全てに無関心であるがゆえに、水晶を盗んだ相手を憎まずに、達観している。

 

「なるほど、他人を憎まねぇのが正義だと。つまり、自分がどれほど悪い目に遭っても、受け入れられるってか。いやー、バカバカしいな」

「なにか問題でもあるんですか?」


 真白はキョトンと首をかしげる。


「他人を優先して全てを納得したところで、自分が報われねぇと意味がねぇだろ。自分の人生だ。自分のために生きなくて、どうするよ。お前はそれで、本当に後悔はねぇのか?」

「僕は別に、自分の人生なんて、どうだっていいと、普通に考えていますよ」

「ハ。こいつは本格的にバカ確定じゃねぇか」


 鎧塚は愉快だとでも言いたげに笑い飛ばすけれど、その深く濁った瞳は笑っていなかった。


「そういう君は、どうなんですか? 盗賊稼業に勤しんでいるようですけど、もっと違う選択とか、考えたことはないんですか?」

「んなもん知らねぇよ。指名手配を受けようが、真面目に稼ぐよりもこっちのほうが効率がいいからな。ああ、否定するか? うるせぇな、これが俺のやり方だ。俺は、俺さえ満足できりゃ、それでいいんだよ」

「まだなにも、言ってませんよ」


 早口でまくしたてるよに話す盗賊に対して、真白は落ち着いて、ゆったりと言葉を返す。

 一呼吸置いたのち、鎧塚は相手から視線をそらして、静かに語る。


「勇者は確かに善だろうが、俺には興味がねぇ。俺は自分らしく生きる。自分の好きなように生きる。他人のために自分の心を押し殺してまで、我慢したくもねぇしな。そのためなら、批判を受けたって構わねぇ。ああ、俺は悪いことをしている。だから気割れる。それでもいい。好きなようにやれるってんなら、多少の犠牲は強いられたって、問題はねぇのさ」


 そう語る、盗賊の瞳に迷いはない。

 彼には彼なりの、信念がそなわっているのだろう。

 やり方こそ汚いものの、自分のために全てを犠牲にするような覚悟は、それなりに立派だ。もっとも、それを受け入れる気はない。真白にとっては、やはり、他人を優先するような在り方が理想だ。それを実行に移せるか否かはさておき、彼は他人のために命をかけて戦う――勇者のような存在になりたかった。


「はぁ……これはいけませんね。目を覚まさせなくては」


 シスターが額を抑えて、悩ましげに思案している。


「うるせぇな。憑き物が落ちた結果がこれなんだよ。お前ごときが、なにかできるとでも思ってんのか?」


 吠えるように言葉を吐いて見下す盗賊に、彼女は不満げに彼をにらむ。

 とはいえ、繰り出す言葉はない。説得の言葉すらかける必要はないと、踏んでいるのだろうか。


「とにかく、せめて水晶だけでも返してくれませんかね? そんなの、君にはなんの価値もないはずです」

「価値のねぇものを、わざわざ取り返しにくんのか?」

「見た目ではそうですよ。だって、水晶ですし、宝石と比べると劣ります。だけど、僕にとっては、大切なものなんです。だってそれは、僕の大切な人から、託されたものだから……」


 真っすぐな目をして訴える真白に対して、相手は少しひるんだかのような反応を見せる。

 中途半端に開けた唇の奥で、歯を噛みしめると、半歩下がった。

 そのリアクションの意味を、真白は知らない。

 だけどなにかを思い出しているような、苦い過去を噛み締めているような――そんな表情をしていた。それだけは、なんとなく、理解できた。

 さて、鎧塚武将がいったい、どこまで知っているのだろうか。花咲彩葉という少女だった存在の死を、把握しているのだろうか。


「ついでに、友達になりませんか?」

「ハァ!?」


 情報収集のための口実に対して、鎧塚が仰天して、のけぞる。

 即座に体勢を立て直した彼は、目の角を尖らせて、真白をにらむ。


「からかってんのか? 俺をバカにするのも、大概にしやがれ」

「結構本気ですよ。君と友達になることを受け入れられる人間って、僕くらいですし、そちらも本気で検討したほうがいい。この機会を逃せば、一生友達なんて手に入りませんよ」


 いつかは警察に突き出したほうがよさそうではあるものの、どことなく、ほうっておくわけにはいかないという匂いを、彼から感じた。

 

「ああ、さすがの善人気取りってか。ああ、自己満足で勝手なことをされちゃ、たまったもんじゃねぇな」


 静かに淡々と語る。

 その声音には、かすかな感情が見え隠れしている。

 黒に近い赤色の、どす黒い感情が。


「俺はな、言っただろ? 興味がねぇんだよ、友達なんてな。それに、その気になりゃ、その場で叩き切れる。そんなやつを、そばに置いておくとか、正気かよ? ああ、イカれちまってるってか? そりゃ、そうだよな。勇者になりたいとか、ぬかしてやがるやつだもんな」

「確かに僕は勇者になりたいと感じてはいましたけど、本当になれるとは……」

「ああ、ほら、言ってやがるじゃねぇか。ああ、そうだ。なんとなく、そんな気がしてんだよ」


 つまり、勇者になりたいという絶対にかなえられない夢を抱く事自体おかしくて、許されないのだと、彼は言いたいのだろう。

 そう語るよろいづ科の目はありえないくらい、正気だ。白目には濁りがないし、充血もなにもない、真っ白だ。精神はいたって健全で、病んでいる箇所がありそうなのに、雰囲気はあくまで明るい。彼は本当に、自由にいろいろなことをしているだけだ。ただ一つと、絶対に変えられない信念に従っているにすぎない。

 だからこそなのか。彼からストイックな印象を受けたのは。

 これは本格的に詰んだ気がする。

 少なくとも、説得でなんとかなる相手ではない。軽い説教では通用しないし、相手の心を折る方法すら、見つからない。

 それでも、水晶のことだけはあきらめきれずにいる中、不意にポケットに入れた携帯が震える。取り出すと、黒い液晶にメールのマークが映っていた。

 どれどれと、タッチする。

 真っ白な画面へ移行する。


「ルールの変更がありました」


『勇者と魔王の物語』の、その再演。

 現実世界を舞台として、参加者がアドリブで織りなすゲーム。

 参加者全員に、一つの命令がくだされる。


「殺し合え」


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