第二章
第1話
中央の街は一言で表すと、とてつもなく『クール』だった。
モダンでグレイッシュなカラーのビルが、バランスよく配置されている。全体像を見たわけではないけれど、左右対称に並べられているのだろう。似たような建物ばかりが見えるため、統一感があって、調和しているようにも映る。迷ってしまいそうなのが欠点だろうか。無機質な印象を受けるし、行き交う人々も様子もどことなく、冷たい。例えるのなら、ゲームのNPCだろうか。決められたことをルール通りにこなす、人形のようだった。
乾いた空気が全体にただよう。真っすぐに伸びた道路を吹き抜けていく風にも、潤いはない。
「君、田舎者かい?」
唐突に声をかけられて振り向くと、無表情の顔がそこにはあった。見た目は男性で、端正な顔立ちをしている。異質なのは服装だ。紺色の着物を身につけている。彼だけではない。街にいる住民すべてが似たような格好で統一されていた。
古風な雰囲気のする人々の中で、春物のコートを着た少年は、たいへん浮いている。
「あ、その、ごめんなさい」
少しだけ気まずくて、うつむきがちに頭をかく。
謝る理由など、なかったはずだが、それでも言わずにはいられなかった。
「いや、構わない。格好を見れば分かる話か。君もこの街に来てから時間はたっていないのだろうし、忠告をするのも悪くはないと思ったのだ」
冷静に、特に煽る様子もなく、目の前の男性は淡々と口に出す。
「どうか、一人で無防備に出歩くのは避けていただきたい」
「は、はあ」
「特に夜は危険だ。都会は治安が悪い。危険な街だ」
いまいち呑み込めず、曖昧な返事しかできない少年に対して、相手は真剣だ。もしも従わないようなら命にかかわると警告されているようだった。
都会の治安の悪さは、真白も耳にしていたところだ。殺人事件が頻繁に起きたり、薬を売買していたり――この間まで雪しかない町にいた彼にとっては、遠い世界の話だった。けれども今、その遠い世界に足を踏み入れている。
緊張と不安が胸の底で渦を巻いて、汗が体の表面に浮き出る。それでも、ワクワクしている自分もいた。これからは未知の空間だ。なにが起こるのか分からないのも、楽しみの一つだ。ゆえにこそ、ポジティブに考えなければならない。
「では、失礼する。住民は排他的だ。部外者を追い出そうとするかもしれない。特におこぼれで町に入る権利を受け取ったものは、容赦しないだろう。気をつけることだ」
かわいげのない顔をして最後にそう告げると、男性は背中を向けて、離れていく。
人間味のない、感情を抑えたように語る彼だったが、根はいい人なのかもしれない。少なくとも、本人にはよそ者を取り除くという意思は見られなかった。むしろ、心配してくれているのだろうか。詳細は不明ではあるものの、少しだけ気分がよくなった。
意気揚々と足を踏み出す。
まずは彩葉の拠点を探そうと、顔を上げる。直後に視界に飛び込んだのは、大きな城だった。童話に出てきそうな、メルヘンな外観だ。磨き抜かれた白練色の壁に、バラをモチーフにした装飾を施されている。可憐な塔がいくつも連なり、壁にはめ込まれた窓は丸みを帯びていて、今にもお姫様が顔を覗かせそうだ。
町の雰囲気には合っていない、唐突に出現した異物を前に、目をこする。さすがに、違うかと心の中でつぶやく。今視界に入っているのは家というよりは城で、きっと中には王族が暮らしているのだろう。正確にいえば魔王だろうか。王家は政治から退いたと聞いたし、そうに違いない。けれども、魔王にしては趣味が少女的すぎる。魔王の城といえばもっと厳かで、禍々しいものをイメージしていた。色はストーングレーや黒系統で、ところどころひび割れている。年中雨が降り、ジメジメとした空気がただよう。天を漆黒の雲がおおい、建物自体が黒い魔力を帯びている――そんな妄想を脳内でしていた。
釈然としない思いを抱えながら、おもむろに視線を移す。寡黙なビル群が視界の中で動く。少し顔を上げて、青い空を映す。さらに視点を移動させると、唐突に和風の城が出現した。松と思しき常緑樹の森を背景に、天守閣が天高くそびえ立っている。
「あれだ……」
思わず声が出た。
汚れを知らない雪のように白い壁と、ストーングレーの瓦を見て、あんぐりと口を開けたまま棒立ちになる。
中に人の気配は感じず、置き物のようになっているけれど、それを込みで芸術的な建物だ。ひび一つはいっていない石垣は頑丈そうだし、堅牢な門は厳かだ。純粋に、「カッコいい」と思う。見ているだけでひれ伏したくなるほどのオーラを感じ、真白はその場から一歩も動けずにいる。
あそこに大物が住んでいるのだという印象は心の中で膨らんでいく。刃のように鋭い風の中でも、城は動じない。その誇りと貫禄に満ちた外観に気圧されて、近づきがたいと思わせるなにかを感じた。
おおから、あの建物こそが魔王の住処だろう。それにしてはきれいすぎる気もするけれど、メルヘンな城よりは説得力がある。しかれしながら、そう考えると、先に見つけたほうの城の所有者は誰なのだろうか。確か手紙には街で二番目に大きな建物だと書かれていた。和風の城は山一つ分はあろうかという大きさを誇る。それと比べると、メルヘンな城は小さなほうだ。したがって、彩葉の家はそれということになる。
「ええ……」と、眉をひそめて引いたような顔をするけれど、彼女以外、あのような建物を自分の家にしないだろう。そんなビジョンが、ほかの人間からは抱けない。無骨な雰囲気のする住民たちからは、なおさらだ。そう、住民の誰かがあの家に住んでいると考えるよりは、彩葉の拠点だと思うほうがまだいい。彼女ならありえると、そう勝手に結論づけた。
「おい、なにぼけっとしてんだよ」
急にドスの聞いた声を近くで聞いて、一気に頭が現実に引き戻される。
背筋を正して、手を体の横でびしっとそろえた。
イヤな予感を頭上に広がる雲を見ながら感じつつ、振り向く。
無愛想な町並みの中に浮くような形で、洋風のファッションのだらしない少年たちが、不機嫌そうな顔
で立っていた。ガムを噛んでいるようで、口をくちゃくちゃとさせている。実に不快だ。顔をしかめながら、相手の反応を待つ。
「おい、なにしにきたんだ?」
髪を逆立てた少年が眉間にシワを寄せて、睨みを利かす。
もっとも、一度殺されかけた経験を持つ少年にとっては、怖くはない。むしろ、黒紅色の格好をした集団のほうが、夢に出てくるくらい恐ろしかった。
「観光にきただけですよ」
「嘘つけ。ここはな、お前みてぇなやつが軽いノリできていいところじゃねぇんだよ」
「そういう君たちは、いったい?」
疑問に思っていたところなので、素直に問う。
「俺はな、街の条例に反発して、こういうセンスのある格好をしてるだけさ」
「え? あれ? 住民だったんですか? 僕はてっきり、最近来たばかりの、僕と同じタイプなのかと」
頭をかきながら、言葉を繰り出す。
住民だと聞いて驚いたのは本当だ。相手の見た目は明らかに街から浮いている。和風な格好をした人々に対して、彼らは洋風だ。例えるのなら、不良のようなファッションだといえばいいのだろうか。
したがって、今回は煽るつもりなどなかった。純粋に心に生じた思いをつい、口にしてしまっただけだ。ところが、不良たちは彼の心の内など知るよりもない。途端に額にピキリと血管を浮き上がらせ、眉を険しくつり上げた。ある者は目を血走らせ、またある者は眉と同じように目を釣り上がらせたり、鋭い眼光をほとばしらせたりする。
「ふざけんな。ここで叩き潰す。潔く、くたばれ」
「ああ、お前なんかと一緒にされちゃ、たまったもんじゃねぇ」
「覚悟しろ。もう生かして帰さねーよ」
少し、反応が過剰ではないだろうか。
いちおうバカにしたつもりはないし、感想を素直に口調しただけで、ここまで怒る必要はあるまい。確かに怒らせるようなことを言った気がするけれど、殺すなんてやりすぎだ。
顔を引きつらせながら、後退りする。
そこを追い詰めるがごとく、不良たちも距離を詰めてくる。ポケットに忍ばせていた小型のナイフをビシッと取り出す。ようやく顔をのぞかせた日光が、彼らの元に降り注ぐ。銀色に輝く刃の先を向けられて、真白は眉をハの字に曲げて、困ったように笑う。頬を冷たい汗が伝っていった。
いくらなんでも、この展開はまずい。真実にたどり着けるかもしれないという段階まできて、あっさりと名前のないモブのような人物に殺されるわけにはいかない。
矮小な脳で必死になって、作戦を練る。今の状況を切り抜ける策はないかと考える。ところが、考えても考えても空白に染まった脳にはなんのワードも浮かばない。考えれば考えるほど、泥沼にはまりそうで、早くもパニックに陥りそうだ。
「そこまでだ」
役人らしい、低く引き締まった声が鼓膜を揺らす。
メインストリートの真ん中で堂々と相対していた人間たちが、一斉にそちらを向く。
「君たちはまた問題を起こしたようだね。一度だけなら見逃すくらい寛容な我らだが、さすがに今回ばかりは見過ごせない」
城のある方角から堂々と歩いてきたのは、シンプルな東洋の鎧を身に着けた男たちだった。帯刀しているようで、細かな汚れや傷のついた鞘が威圧感を放つ。彼らは特に装飾を身に着けておらず、硬派な雰囲気のする戦士たちだった。
急に、背後にいる不良たちが顔を見合わせて、戸惑いを表に出す。真白も自分が悪いことでもしてしまったような気がして、落ち着かない。実際は無実であるにも関わらず、誤認逮捕を食らう瞬間が頭をよぎる。理由もなく視線が泳ぎ、これでは余計に怪しまれると気づいた瞬間、焦りが全身から噴き出す。うつむいて、正体も知らない集団から視線をそらす。
「君たち、ルールは知っているかね?」
『知りません』と、不良よりも先に、真白が心の中で答える。
「知ってるよ。住民は同じ時間に寝て起きて、食事を取る。服装も統一。食べるものや買うものも同じ。決められたプログラムに従って、レールの上を歩くような人生を送る。そうだろ?」
なんなのだろうか、それは。
初耳である真白は顔をしかめつつ、様子をうかがう。
不穏な空気は濃くなって、あたりにもピリピリとした空気がただよい始める。
「こんなクソみてぇな人生、まっぴらゴメンなんだよ」
「俺たちだって、自由がほしい。こんな、誰かに動かされるような生き方なんて、したくないんだ」
「選択肢をくれ。せめて、街から出る権利はねぇのか? そんなことも、こんな場所で生まれた俺らには、許されてねぇってか?」
胸の中で渦を撒く、理不尽な境遇に対する思いを、前方にいる戦士たちにぶつける。
真白としては、なるほどという感覚だった。もっとも、当事者ではない彼には、不良たちの気持ちが分からない。レールの上を歩くような人生を送っているらしいことには衝撃を受けたけれど、実際にどのようなものか体験していないため、イマイチ現実味がなかった。
「許可できません」
感情のない、淡々とした声が耳の奥に入り込む。
|刹那、シルバーグレーの道路に、鮮やかな赤が飛び散る。
「う、う……うわああああ!」
絶叫が近くでこだました。
おそるおそる、振り返る。
ゴミひとつ落ちていないメタリックだとすら思うほどの道路が、赤黒い液体で汚れている。赤いものはじわじわと地面を侵食し、面積を広げていく。
そして、視界に飛び込んだ赤色の正体を知ったとき、真白は戦慄に震え上がる。
恐怖で青くなった不良の足元に、生命力にあふれる色に染まった無機物が転がっていた。元は人間だったものは、目を大きく見開いたまま動かない。体は石のようで、蹴り飛ばしたとしても、微動だにしないだろう。
「ヒッ」という、声を押し殺したような身近な悲鳴が、近くで聞こえた。
真白はなにがなんだか分からず、どうしてこうなったのかすらよく理解ができない。ただ、たった今人が殺されたという事実だけは、ハッキリとしている。急に体が重たくなったような気がした。頭上に暗雲がただよう。頭の先からつま先まで戦慄が真っすぐに突き抜け、真白は動けなくなった。
「人間は正しくなければ、生きている意味すらない。どうか、秩序ある人生を。良識ある選択を。合理的な判断を望みます」
一人の戦士が手を下ろす。
同時に傍らに構えていた影が動く。
自分の脇にいる者たちが、一斉に倒れた。熱い色合いをした液体が、また増えた。しみは地面に広がって、完璧だったはずの街に汚点を作る。
真白は目を見開いたままだ。ちょうど真後ろにいた者たちがどうなったのか、確かめる勇気がない。それでも、相手は斬られたということが分かる。ドサッと重たい荷物を床に下ろしたような音を聞いたし、くるぶしのあたりには絵の具のようなものが付着していた。先ほどまでうるさく吠えていたはずの不良もおとなしい。
次はお前の番だと、何者かに呼ばれたような気がした。
手を下した戦士と目が合う。
無表情のまま、彼らはこちらへ近づく。
真白は口を小さく開けて、短な悲鳴を発した。
もう、耐えきれない。
ジリジリと闇が侵食していくかのような恐怖に蝕まれ、なにもかもを放り出したくなる。ちょうど、幽霊屋敷でビクビクとしながら奥へ進むように、心からは余裕が完全に失せた。また、攻略をするために恐怖に挑む体験とは真逆で、真白は恐怖から逃れるために、この場から逃げ出した。
とにかく、必死だった。
地面を思いっきり蹴って、体から外れるのではないかと思うくらい、力強く腕を振る。足を懸命に動かす。息を荒くしながら、地を駆ける。周囲を高速で似たような建物が流れていく。足はすぐには止められない。なにがなんでも、走るしかできず、振り返ることすらできずにいる。
逆風に煽られながら、それでも足を止められない。坂道であろうが構わず、どれだけ肺に負担がかかろうと、休憩などできなかった。
それから、何分が経過したのだろうか。
限界を超えて走り続けて、クタクタになったところで、ようやく足を止めた。前方にはメルヘンチックな洋風の城がそびえ立っている。
正直、自分でもここまで走れるとは思っていなかった。これど、火事場のなんとやらだろうか。体の内側に眠る底力とやらを実感したところで、入り口に目を向ける。彩葉の拠点とは華やかでフローラルな雰囲気のする城を指す。それは違いないだろうが、果たして中に入ってもいいのだろうか。
女性の家に上がり込むなんて、気が引ける。とはいえ、一時期、彼女と同居をしていた身だ。手紙ではむしろ誘われて、家に入るのを許可されている。ならば、従わないほうがおかしいのではないだろうか。
真白は口内にたまったつばを飲み込み、拳を強く握りしめてから、気を引き締める。意を決してバラの巻き付いた柱で作られた門を抜けて、バニラ色の扉を開ける。
入り口から中に入る。靴をはいたまま、吹き抜けとなっているホールを歩く。
清浄な空気が肺を満たす。あたりにバラの香りがただよっていた、よい気分になる。先ほどまでの疲れが吹き飛んだような気がした。
内装も本物の城らしく、デザインされているようだった。おそらくは一人暮らしだろうに、無駄に広い。天井にはキラキラとしたシャンデリアが飾ってあって、テーブルも晩餐を開くのかというくらい、大きい。もっとも、花咲彩葉レベルの有名人だと、家に客人を正体することも多いだろう。もしかしたら、本当に自宅でパーティが行われていたのかもしれない。
豪華なのはいいし、目の保養になる。とはいえ、広すぎて落ち着かない。真白個人としては、大きな部屋よりもこじんまりとしたトイレのような空間のほうが落ち着く。個室を探して歩き回り、朱色のカーペットを越えた先に、一つの扉を見つける。
ドアノブを握って開くと、中は期待した通りだった。薄い水色の壁紙に、必要最低限の家具だけを押し込めた、客室だ。自分の理想とする空間と出会えて、テンションが上がる。張り詰めていたものが一気に溶けたような気がして、ベッドに倒れ込む。ようやく旅も終わりかという実感が湧いた。
しかしながら、実際は終わりではなく、むしろ序章に過ぎない。速やかに起き上がって、今後の予定を脳内で組み立てる。
まず、街に仲良くできそうな人はいない。不良もいるし、絡まれては大変だ。それよりも危険なのは現代にも関わらず当たり前のように帯刀している仕事人たちだ。彼らに目をつけられては、命がいくつあっても足りない。絶対に関わらないようにするべきだ。
真白はうんうんと、何度もうなずく。
できれば危険な目には遭いたくない。かといって、出歩かないのももったいない。それでも、命を最優先に考える必要がある。真白はしばらくの間、彩葉の城へ引きこもることにした。
それから、中央の町に着いてから、三日が経過する。
真白はキッチンの冷蔵庫にあった食材を取り出しては、適当な料理をして食べるという生活を続けていた。きちんと入浴もしているし、体は清潔だ。もとより、彼の体には汚れが付着しない。風呂は意味はないと感じながらも、ついつい入ってしまった。睡眠時間もきっちりと取っているし、健康的な毎日を送っている。
しかし、暇だ。パソコンをチェックしても、つぶせない時間がある。なにより、そばに彩葉がいないことが、寂しさに拍車をかけていた。
どうにか、できないものだろうか。タブレットを片手に、気分転換に散歩でもしようかと考える。少しの時間でもインターネットに接続していないと落ち着かない身だ。タブレットを手放すなんて、ありえない。
一方、液晶にはニュースが載っている。辻斬りが発生しているらしい。中央の町でおっかない役人に目をつけてまで殺人を犯すバカはいないだろう。真白はあくまで気にせず、次の画面に切り替える。
正直、町に出るのは気が引けるが、いつまでも閉じこもっているわけにはいかない。情報収集をしなくてはならないし、いつかは魔王と接触を求めるつもりでいる。魔王とは、とても恐ろしい生き物だ。演劇の中の魔王は彩葉が演じていることもあって、おとなしかったけれど、現実でそれが通用するとは思えない。気を引き締めてかかる必要がある。そして、いつかその怪物と対面することを考えたら、ビビってなどいられない。今は修行のときだ。理不尽な恐怖に打ち克つために、体を慣らしておく必要がある。
意を決して、部屋を出る。
長々とした廊下を渡って、螺旋階段を下り終えて、ようやく白日の元に体をさらす。
外は炎天下だ。春とは思えない陽気の中、雪のように溶けてしまわないか心配になりながら、町を歩く。周りは相変わらずだ。皆、機械のように決められた日常を過ごしているようだ。会話はなく、作業だけをモクモクとこなしている。あたりでやけに金属を打ち付ける音が響いてくる。鉄でも打っているのだろうか。気になるけれど、今は関係のないことに現を抜かしている暇はない。
情報収集の時間だ。
意を決したのはいいのだが、足を踏み出せない。自分から声をかける勇気が出ず、苦笑いを顔面に張り付けた状態で、固まってしまう。
そのときだった。
「きゃーっ!」
久方ぶりに人間らしい声を聞く。
女性らしい、高い声だ。
気になって、そちらを向く。落ち着いて日課をこなす人の波を縫うような形で、一人の少女がこちらへ走ってくる。彼女は腕を振り回して、足がちぎれそうなくらい高速で地面を蹴っていた。
「ちょっと、そこのお方!」
口を大きく開けて、叫ぶ。
自分が呼ばれていることに気づかず、真白はぼんやりとした顔で、首を傾げる。
「助けてくださー、ぶへぇ」
勢い余って女性が転倒した。
よく見ずとも彼女はシスターのような格好をしていた。全身を真っ黒なローブで修道着でおおい、肌は一ミリも出ていない。
「お願いします。どうか、私を」
彼女が勢いよく、身を起こす。
胸元で銀色の十字架が揺れる。
ようやくその言葉が自分に向けられていることに気づく。それでも状況をうまく把握できずにいる中、前方から迫ってくるなにかに気づく。それは、人間というよりはあまりにも禍々しいオーラを放っていた。雰囲気は魔物に近い。なにかに洗脳でもされているかのようにフラフラと歩きながら、手に持った刀を日光にきらめかせる。目は真っ赤に染まり、それとは対照的に青い宝石が剣の装飾として、光っていた。
「あれは……」
「辻斬りです」
「な……!」
まさかとは思うが、倒せというのではないだろうなと、文句を言いたくなる。
だが、相手が困っているどころではなく、命の危機にさらされているのも事実だ。ならば、逃げるしかない。短い時間でそう判断をした真白は、とっさにシスターの腕をつかむと、走り出す。
とにもかくにも、襲われている女性がいたのなら、助けるしかない。巻き込まれたほうはたまったものではないとはいえ、起きてしまった事件は仕方がない。そうあきらめて、運命を受け入れる。
だがしかし、これから先、どうしろというのだろうか。逃げたところで、追いつかれるだけだ。真白は高速で頭を回転させる。だが、策は浮かばないままだ。相変わらずの固い頭だった。
と、そこへ鉄を打ち付ける音が聞こえてくる。ゆっくりとそちらを向く。ビルの隙間に埋まるような形で立っている、一軒の古い建物がある。その傷んだ壁の内側に、火花が見え隠れしている。もしかしてと思いつつ、中に入る。そこには、冷たい雰囲気のする地面の上で鉄を打ち付ける男の姿があった。
「鍛冶屋?」
「そうだ、なにか問題でもあんのかい?」
ひとりごとに、律儀に相手が答える。
「あの、それ、貸してくれませんか?」
「なぜに」
「追われてるんです」
シスターを背にかばいつつ、話を進める。
「よかろう」
答えはすぐに返ってきた。
急に胸に希望が宿る。
「ほれ」
奥から弟子と思しき男が現れて、剣を乱暴に放り投げる。
「おっと」
とっさに受け止めた。
鉄の重みで転倒しそうになるも、なんとかこらえる。
しかし、これで戦えというのだろうか。自分で決めたことだが、なんとも無茶だ。それでも、やるしかない。胸で固く決意を固めた真白は、外へ出る。
ちょうど前方から、人斬りが不安定な足取りで迫る。
気を引き締めた表情で、鞘から刃を取り出す。両手で構えて、いざ勝負。
真白と人斬りの戦いは、今、幕を開けた。
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