第12話
「裏切り者だたそうな」
「やつか。やはりな。最初から疑ってかかっていたのだ。なにやら魔王とも接触をはかり、裏でこそこそと嗅ぎ回っていたそうではないか」
「疑ってかかるもなにも、隠そうともしていなかったじゃないか、あの娘」
炎が回っていない場所までやってきたのはいいものの、当然のように黒紅色の人間たちが集まっている。真白は大きな柱の陰に身を隠しながら、様子をうかがう。本音を言えば一刻も早く逃げ出したいのは山々だが、下手に動けば敵に見つかってしまう可能性が高い。くわえて、逃げるといっても、いったいどこに逃げ場があるというのだろうか。元きた道を引き返せば、炎に焼かれて死ぬだけだ。
「今からでも遅くはない。全力を倒しにかかるべきだ」
「やめておけ。あの女は弓矢を放つ。それも、炎を宿したものだ」
「炎か。もしや、古より伝わる伝説の」
「運よく生き残った話によると、そうらしい」
なんだかよく分からないが、裏切り者によってアジトに炎が放たれたということは分かる。もっというと、犯人は女性だ。武器は弓矢で、魔法かなにかを使用しているのだろうか。バリバリの異世界ファンタジーならばあっさりと受け入れられる情報だが、いかんせん、この世界は現代に近い。魔法使いが現れるなんて、違和感がある。
まさか……。
頭に浮かんだのは、オパール色の髪を風になびかせる、高嶺の花。数百人――数千人規模の客の前で、ステージに立つ、大輪の花。
仮に彼女が――花咲彩葉が裏切り者だったとして、彼女が仲間を攻撃する理由はなにだろう。たとえ、全ての人間を皆殺しにしてでも叶えたい目的があったとしても、裏切り者として扱われては、損をするだけだ。七色の女優と呼ばれた女性を駆り立てるのはなんなのか。メリットがどこにあるかさっぱり分からず、真白はうまく現状を呑み込めずにいる。
「ちょうどやつは、アジトの奥へと向かった。あとは魔王に任せるしかない」
「いけるのか?」
「問題はない。二五〇〇年以上も地下を守り抜いた女だ。いままで賊が何度も侵入してきたが、いずれも返り討ちにした。この世界に、彼女に勝てる者など、いはしない」
黒紅色の戦士たちの語り口調に、確かなリーダーへの信頼がにじむ。
真白は彼らが話に夢中になっている
極限状態に置かれたせいなのか、妙に頭が冴えている。恐怖は消えて、心にはなんの感情も宿らない。それは、一つの可能性にたどり着いたからかもしれない。
真白は檻から出るときに、床に転がっていた鍵を拾って、脱出した。だけど、最初は鍵なんて、落ちていなかったはずだ。都合の悪い者を閉じ込めておく場所にそのようなものが落ちているなんて、間抜けすぎる。彼が鉄格子の鍵を開けられたのは、巫女が去った直後だ。つまり、あの鍵は、彼女がわざと置いていったものなのではないだろうか。
いったい、なんのために……?
心が動揺している。
真実か
もしも、巫女がなにも関与していないのなら、なぜ真白は生きているのか。
思えば彼女は、戦士たちが殺しにかかってくるところを、防いだ。『殺す価値もない』と言って、生け捕りを命じた。本当は、殺したところでなんの問題もなかったはずだ。少なくとも周りにいた戦士たちは、真白を危険だと認識していた。『殺してはならない』と言っているのは、彼女だけだ。もしも、彼女が現れなければ助からなかったのではないと考えると、心が震えてくる。
今、花咲彩葉はどこにいるのか。戦士たちは、魔王に会いにいったと噂していた。ならば、奥へと進めば、いずれは発見できるのだろうか。
自然と心が
心のどこかでは、間に合わないと踏んでいた。それでも、駆けずにはいられない。どうか、一刻も早く緋色の巫女の元へ駆けつけられるように、祈る。
炎のある方向へと、向かう。手のひらをかざすと、行く手を遮る壁となっていた炎も消え去る。やはりというべきか、先ほど炎に囲まれても無傷だった原因は、自分にあったようだ。理由は不明だが、現在、真白は炎に触れても問題がない。ならば、命の危険を感じる必要はないだろう。
真白は目の前に広がる炎の壁へ向かって、一直線に飛び込む。ちょうど通路を塞ぐ形に出現した炎も、彼の体と接触した瞬間、水をかけられたように消失する。その事実に違和感と、ちょっとした恐怖を胸に抱く。なにやら、現実ではありえない事態が起きているような気がした。普通であれば炎は危険で、決して飛び込んではならない。だというのに、今はその常識が崩壊している。もしくは、この炎自体がイリュージョンだとでもいうのだろうか。いいしれぬ認識とのギャップに頭と心をかき乱されながらも、ひたすらに前に進む。
心はそのようなことに気を配って考察をする余裕もないくらい、切羽つまっていた。とにかく、走らなければなにもかもが終わってしまう。熱気に蝕まれて汗をかく。息が切れて、肺が痛い。息もうまく吸い込めなくて、倒れそうなくらい疲弊している。それでも、足を止めることなどできない。引き返すことなんて、考えられない。まだ、間に合うのなら、もう一度彼女に会えるのなら、たとえこの身が削れようとも肉体の一部が欠け落ちたとしても、向かわなければならなかった。
そして、通路を抜ける。奥へと進む。きっと、この先に目的のものがある。自分もなにかを達成できる。確かな希望があると、信じていた。
以降は炎は途絶えた。熱気も止む。
近くには黒紅色の影は見られない。やけに静かだ。まるで、最初からこの空間に自分しかいなかったかのようだ。
息も整えて、また走る。
地下を進んでいるという実感が湧く。少し湿った空気が肺に入り込む。足の裏がそろそろ痛くなってきた。脚の筋肉もパンパンで、いよいよ限界が近い。明日の朝には筋肉痛になっているはずだ。だけど、そんなことは気にしていられない。そのようなリスクよりも、前方に存在するであろう大切なものを取った。
少なくとも、彼はそのつもりだった。
次第にあたりが暗くなっていく。窓もなく、照明もまばらに灯るだけの空間は、薄暗い。心にも灰色の影が入り込む。きっと大丈夫だと言い聞かせた。なにも起こらない。それは不可能な願いだと分かっている。それでも、走らずにはいられない。自分自身を落ち着かせるために、叶わない夢を心の中で唱えなければ、やっていけなかった。
きっと、今逃げれば、後悔をする。現実に立ち向かわずに、見たくないものから目をそらしては、なにも得られない。これから一歩進むためにも、まずは真実を知りたい。否、知らなければならない。
足を止めた。角が見える。左折すると、最奥だ。大きなホールにつながっている。城でいう、玉座の間ともいうべきだろうか。
ついにたどり着いた。
足を止める。
休んでいる暇はないのに、急に体から力が抜ける。一歩も前に進みたいとは思わなくなった。結局は無駄にしかならないと理解している。だからこそ、半信半疑で駆け続けた。それでも、やはり、やらなければならないことがある。
一度、彼女と出会ってしまったから。最初に、彼女の魅力に触れて、惹かれてしまったからこそ、もう引き返すわけにはいかなくなった。
足音を消して、息を殺すように、そっと近づく。
歩む速度がゆるやかになる。まだいけるはずなのに、これ以上のスピードは出せない。実際の労力よりもずっと重たいものが全身にのしかかっている。それは、精神的な負荷のほうが大きかったのかもしれない。
開けたホールに出る。床には真っ赤なものが飛び散っている。あたり一面、汚れていない箇所がない。中央には人形が横たわっている。
この状況を前にしても、不思議と心は落ち着いていた。きっと、こうなるだろうと分かっていたからだろうか。衝撃は受けないし、頭は冷静なままだ。だから、自分がなにをするべきなのかも、ハッキリと分かった。
ただ、ありえないほどに現実感が薄い。目の前にある光景もきっと夢なのだと、幻を見ているのだと、そう素直に思ってしまう。なにもかもが客観的に映る。真っ白だったホールを染める真っ赤な血も、そこに倒れる黒髪の少女も、全てが額縁の中の光景のようだ。
少年は唇を震わす。いまさら会って、彼女になにを言えただろうか。残りの時間が少ない少女に向かって、自分はなにをすればよいのか。分かっているはずなのに、動き出せない。
「結局、ここで終わるのね」
最初に口を開いたのは、彼女だった。
血を失いすぎて青紫色に染まった唇で、言葉をつむぐ。
「でも、役目は果たした」
焦点の合った灰色の瞳が、真っ青な顔をした少年を映す。
「あなたは、結局……きてしまったのね」
「気づいて、しまったからだよ」
目をそらす。
控えめに繰り出した言葉は、うたかたのように溶けて消える。
それに対して、少女は以前と同じように、ごく自然に笑む。今の彼女の容姿はまぎれもなく、世界の破滅を予言した巫女のようだ。だけど、面影はきちんとある。まぎれもなく、彼女こそが七色の女優であると、真白の脳は実感していた。
彼はゆっくりとかがむ。彼女と話をするために、口を開こうとする。
刹那、脳内に今と同じ光景がハッキリと浮かぶ。それは、いつか、脳内に唐突に蘇ったビジョンと一致している。まさかとは思うが、自分は何度もこの光景を目撃したのではないだろうか。一度その考えにいたった瞬間、頭の中に万華鏡のように少女の死が連鎖するように蘇っていく。
あるときは運の悪い交通事故で死亡し、またあるときは舞台上で本物のナイフを用いて演技と称して殺害される。そして、地下で血まみれになって倒れている姿を目撃する。時には人知れず、行方不明になった。
真白は、彼女の死を何度も経験している。その『死』が、体に、脳に、しみついて離れない。
「そう、分かったのね」
おもむろに、彼女がふところから水晶を取り出す。それは、球体の、占い師がよく使うような代物だった。
「これを使えば、リセットができる。あなたはきっと、それを利用して、私の死を回避しようとしたんでしょう?」
分からない。ハッキリとは、知らない。だけど、これだけは分かる。真白は何度も、同じ場所で彼女と出会った。そのたびにまた違った生活を送って、少女と接するようになった。そして、最期はきまって彼女は死亡する。それを防ぎたくて、同じ時の中を駆けた。それでも、結局、なにもできなかった。
「それを使えば、今度だって……!」
藁にもすがる思いで、叫ぶ。
けれども、彩葉は静かに首を横に振るだけだ。
「私の死は確定している。それは、もう、知っていたのよ。だから、無駄」
そんな残酷なことを突きつけられて、真白は言葉を失う。
震える唇を噛んで、うつむく。
信じたくなかった。
今、この場所で彼女の命が失われる瞬間なんて、目撃したくはない。
それでも、時は止まらない。
現実は目の前から去ってくれない。
頭では理解しているのに、心が全てを否定したくてたまらなくなる。
「こんな、バッドエンドを回避できる道具があるのに、なんで、俺は……」
拳を握りしめた。
一気に張り詰めていたものが切れたような気がして、床に座り込む。
「回避できるものじゃないの。時を戻すだけ。だから、私は、不可能だった」
淡々と、全てを受け入れているかのような口調で、彼女は言う。
「残り、一回しかないのよ。時を戻せるのは。だったら、それは私に使わないで。もっと、重要なときに、絶対に使わなければならないという場面で、使うの」
「その重要なときって、なんなんですか。僕は、今が一番重要で」
真白の言葉をさえぎるように、彼女はふたたび首を振った。
「それでもきっと、水晶を持っていてもらわなければ困る。だって、残りの一回をこんなことに使ってはもったいないもの」
彼女は自分の死を受け入れている。
それでもいいと、この死が誰かの礎になるのなら、それでもいいと、言っているような気がした。
それでも、受け入れられない。
「もしも時を戻すのなら、たとえなにも知らないあなたでも、なにもかもを忘れたあなたが相手でも、私は助ける。ちょうど、今回みたいに。あなたにきっと、居場所を与え、命を救うわ。だけどもう、ダメ。回数制限、あなたは忘れたと思うけれど」
彼女の言葉は頑なだった。
「予言は本当よ。神に関しては改変したけれど、世界が闇に包まれるということは、本当に起きる。だから、全てはあなたに託す。だから、お願い。その一回きりのチャンスを使って、世界を守って」
それを、そんなことを優先して、権利を譲った。
自分の死を確定したものと受け入れて、それよりも最も大切なものを世界だとあっさりと言ってのけて、ここで花を散らそうとしている。
そんなこと、許されるものだろうか。ここで彼女は、死んでいい人間ではない。真白は、彼女の手を取った。以前に触れた時よりも、ひんやりとしている。今こうして無言を貫いている間にも熱は引いていく。彼女の頬からは血色が抜けて、顔は青白い。ただ、その容姿だけは変わらず、普段のまま自分の前に横たわっていた。
「なにか、望みを……言ってください」
せめてもの抵抗だった。
なにも救えないのなら、彼女の死が確定してしまっているものだとして、自分はいったい、なにができるのか。この、残された時間で、いったいなにを残せるというのだろうか。
そして、少女は無言のまま、静かに首を振った。
「いいえ、なにも」
「ならば、なにか……君ともっと、話をしたかった」
眉をハの字に曲げる。
視界が歪む。
今にも崩れそうになりながらも、意思の力で引き留めようとする。
まだ、時間が欲しい。終わるにはまだ早い。まだ、なにか、方法があってほしかった。
「もう、十分よ。今ごろになって伝えるべき内容は、もうない」
きっぱりと、言い切られた。
「ねえ、私は、秘密主義者なの。だから、なにも教えられないの。私のことだって、この死だってあなたは忘れてしまってもいいのよ」
そんなことを言われたって、むなしいものはむなしい。なにも救えないのなら、せめて彼女が満たされなかったものを満たしたかった。それすらも拒絶されて、真白はなにもどうすればよいか分からなくなる。
後悔がよぎる。どうせならもっと、積極的に動けばよかった。そうすれば、たくさんの思い出を作れたはずだ。それなのに、不完全燃焼にもほどがある。彼女と一緒に過ごした日々はあまりにも短すぎて、その別れは唐突にもほどがあった。
今になっても、彼女は変わらない。最期の最期になれば真実を打ち明けてくれると思うのは、虫が良すぎる。分かっていた。本当にそうだと、受け入れて、それでも、まだ足りなくて、ふたたび唇を噛む。
「それでも、たくしたいものがある。私のかわりに、王権を手に入れてほしいと」
「王権?」
聞き慣れない言葉だった。
だけど、意味は分かる。文字通り、王の証・権力の象徴のようなものだろう。
「剣の形をしている。魔王が持っていると言われているの。それを奪うのが私の目的。だけど、もう、奪えないの。だから、あなたに、取ってきて、ほしいの」
「どうして、僕に」
「だって、あなたは、勇者だったもの。それは、それだけは、変わらないの。だから、お願い」
真白は深く息を呑み込む。
最期の最期で、ようやく出た要求。それを叶えれば、彼女は報われる。それならば、それだけが自分にできることだというのなら、呑み込むしかない。
そうだった。自分は勇者だ。今回のゲームの物語はここで幕を下ろしてしまうかもしれない。だけど、真白にとってはまだ続きがある。ならば、彼女のために、断る理由はない。
結局のところ、真白は花咲彩葉の願いをなに一つ断る度胸がなかった。もしも相手が違う人物であったのなら、水晶の持つ魔力を真っ先に使用していたかもしれない。されども、彼女が花咲彩葉だったから、彼は願いを叶わずにはいられない。だから、水晶を使わない・温存するという選択は、彼にとっては苦渋の選択でありながら、それ以外はないという答えでもあった。
自分が勇者ならば、その役職を与えられたのなら、最後まで従う必要がある。少女の願いを優先するためにも、彼は心の中で決意を固める。
「私にとってはあなたの存在こそが光。あなたは紛れもない白だから。そんなあなたが、羨ましかった。でも、後悔はないの。本当に、だから、もう、望むものはない。後を、お願い」
ゆっくりと、まぶたが落ちる。
それはあまりにも自然で、眠りに落ちるかのようだった。
真白が取っていた手も、じょじょに下がる。
やがて体は、完全に動きを止める。
本当に、なにもかも秘めたまま、逝ってしまった。結局真白は、彼女の本質をつかむことはできなかった。
体から力が抜けて、彼自身もへたり込む。
あたりに飛び散る血が薔薇のようにも見えて、さながら彼女は、棺の中の姫のようだった。
いまいちど、受け取った水晶を手に取る。
なにも映らない。自分の運命さえも空白のまま。
使用すれば一度は時を遡れる。されども、今は彼女との約束がある。そのために、水晶をポケットの中にしまう。小さな丸い球体は、あっさりと収まった。
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