第11話

「無様だな」


 ツンと済ました顔で、彼女は檻の中にいる少年を見下ろす。

 彼女の雰囲気は尖っていて、消炭色の瞳は二度と熱を宿すことはないというくらいに、冷めていた。

 完全に失望させてしまったといえる。いくら敵とはいえ、相手には好印象を持ってほしいと思っていた。戦いで敗れることになったとしても、善戦すれば問題はないとも考えている。されども、実際はその両方に失敗して、真白は現在、惨めな気持ちを味わっていた。

 一方で、彼は反論しない。無様であることを否定できないし、言い返す気力すら浮かばなかった。


「あなたは、なんのためにここにきたんですか?」

「わざわざ言う必要があるとでも?」


 なにげなく投げた質問に機嫌を悪くしたのは、巫女は眉間にシワを寄せる。


「理由などない。わざわざ向かうための理由があると考えるほど、貴様は己を高く見ているのか?」


 自身に価値がないことくらい、さんざん言われたことだ。

 なんの面白みのない白いだけの少年は、相手にとってはつまらない人形でしかないのだろう。殺さずとも反撃などできそうにないし、今は逃げ出す兆候すら見せないときた。敵からすれば、操りやすいことこの上ない。だからこそ真白は彼らの罠にかかって、檻に入る羽目になったのだろう。


「ああ、本当にくだらぬ人間だった。一生とらわれたままでいるがいい」


 ヒールの音が遠ざかっていく。

 ずっとうつむいていたため、彼女の姿は視界に入らないものの、いよいよ巫女は去るつもりらしい。

 重い扉の開く音が耳に入る。

 真白はようやく緊張から解放されて、肩の力を抜いた。ひょっとしたら、殺されるのではないかと覚悟していたり、なにより相手の辛辣な言葉は精神的にくる。

 褒められようとは思っていないが、貶されたくもない。感想をもらえるかわりに批判を受けるリスクを背負うか、なにも言われないという選択肢があるとすれば、彼は後者を選ぶ。

 ただでさえ真白は傷つきやすい性質だった。下手をすれば一生のトラウマを植え付けられて、人と会話することすらできなくなりそうだ。

 そのままずっと下を向いたまま、何時間が経過したのだろうか。少々、体が痛くなってきたところで、ふと床に光る物が落ちていることに気づく。檻の外へ手を伸ばして、拾い上げる。手に取って近づけると、鍵であることが分かった。

 誰が落としていったのだろうか。しかも、いままで気づかなかったのは、なんという間抜けっぷりだ。最初から諦めずに脱出の方法を探してさえいれば、もっと早く見つけられただろう。時間を大分ロスしてしまったような気分だ。

 しかしながら、本当に使ってもよいものだろうか。罠という可能性も考えられる。なにより、真白は心の底では捕まったままでいることを望んでいた。なぜなら、彼は役立たずだ。社会に出たとしても、足手まといになるだけで、人の役には立てない。常にぐうたらしているだけで、資金を稼ぐ気が全くなかった。彩葉と一緒に生活をしていたときも、なにもせずに、紐と化していた。

 それでも、手に入れてしまったからには、使わないわけにはいかない。本物の鍵か確かめるために、鍵穴に差し込む。恐る恐る、慎重に動いた。次の瞬間、ガチャリという音が鼓膜(こまく)を揺らす。本当に、鉄格子の扉が開いた。

 目の前の光景を信じられる、ぼうぜんとする。まさか、本物だとは思っていなかった。


 外へ出ると、廊下は火の海だった。

 いったい、なにが起きたというのだろうか。充満する煙から身を守るように口と鼻をハンカチで抑えながら、真っ先に出口を探す。

 先ほど檻の中に幽閉されてもいいと言ったが、内心で前言撤回をする。さすがに、死にたくはない。もしもあのまま、檻の中にいれば真白は炎に焼かれて死亡していただろう。その最悪の事態だけはなんとしてでも回避する必要があった。

 とにもかくにも、状況の把握をしている暇はない。とにかく、安全な場所への避難が最優先だ。なにが起きたのかは後でも確認できるだろう。

 真白は避難訓練の容量で走り出す。

 廊下を小走りで渡り切ると、ホールに出る。開けた空間には、黒紅色の影が見える。敵だ。身がすくむ。だけど、今は緊急事態だ。相手も雑魚にかまっている暇はないだろう。また、なにが起きたのかを尋ねるチャンスでもある。

 しかしながら、合理的な思考をしても怖いものは怖い。なんせ、相手は武器を持っている。近づけば一秒も待たずに殺されるかもしれないという恐怖が脳内を埋め尽くす。

 それでもやはり、止まっていてはどうしようもないのは事実だ。真白は勇気を出して、そちらへ駆ける。


「よう、お前もちょうど逃げ出したところか。困るよな、この炎。水の魔法でも使えるやつがいればなんとかなったが、そんなやつ、いやしねぇしよ」


 ああ、はいと、内心で彼に同意する。

 どうやれ、穏健派の戦士のようだ。腰には物騒なものを挿してはいるものの、話せば分かってくれるだろうか。


「ところでお前、敵だよな」

「いちおう、あなたの視点では、そうなっています」

「なら、死ね」


 腰から剣を抜かれた。刃が周りの炎に照らされて、夕日のように輝く。


「ちょっと、待ってください」


 突然の殺害予告についていけない。

 穏健派ではなかったのだろうか。

 真白は必死になって両手を伸ばすが、相手は聞いてくれそうにない。


「ちょうどイライラしてたところなんでよ。それに、お前みてぇなやつを生かしとくわけにはいかねぇんだよ。分かったか?」


 敵だから殺すというのは分かる。真白も同じ立場なら、勝手に自分のアジトをウロウロするような輩は追い出したくなる。けれども、殺す価値があるかと聞かれると、話は別だ。彼は今回の出来事の中で何度も無価値であると突きつけられてきた。ゆえに、生かして捕らえろとまで命令された。それなのに、ほかの戦士はその通告を守ろうともしてくれない。

 とにもかくにも、ぼうとしていては命が危ない。真白は攻撃を回避する。刃が体の数ミリ程度上を走っていく。危ないところだった。内心でヒヤヒヤしつつ、敵の真横を通り過ぎて、逃げる。後ろから足音が追ってくる。彼はまだ、あきらめてはいないらしい。

 さて、続いては涅影丸との合流を目指す。彼も別の檻に捕らえられていると聞くと、脱出するのなら一緒に行かなければまずい。二人で行動を取れば生存率もぐっと上がるだろう。問題は、彼がどこにいるかだ。牢屋といえば地下だし、そちらへ向かうべきか。否(いな)、位置が分からない。たとえ心当たりがあったとしても、見知らぬ建物の中で迷子になっているのでは意味がない。ちょうど頭を抱えたくなってきた。

 そこへ、炎が迫る。


「うわっ」


 悲鳴を上げた。

 尻もちをつく。

 炎は波のように、真白へ襲いかかる。

 鮮やかな色をした火花が視界に飛び込む。

 頭には『死』という文字が浮かぶ。

 逃げなければならないのに、とっさに防御をする必要があるのに、動けない。

 体が硬直して、目をそらすことすらできずにいる。

 前方から降り注ぐ圧倒的な熱量を前にして、戦意を失う。

 全てが終わったのだと理解した。

 せめてもの抵抗として、まぶたをギュッと閉じる。

 ところが、炎はいつまでたっても彼に襲いかからなかった。

 灼熱の炎は真白の肌に触れようとした瞬間、見えない壁にはじかれて、空中で分解される。それはまるで、水によって消されたかのようだった。

 真白はなぜ自分が助かったのかをよく覚えていない。

 本来であれば大やけどを負って、体の水分を失って死んでいたはずだ。

 それでも、生きていることだけは分かる。だから、進まなければならない。真白はふたたび廊下を走り出す。もはや、どこが出口なのかも分かっていない。それでも、生き残るためには、そうするしかなかった。

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