第10話
勇者になれなかった抜け殻。
彼女が告げた言葉が脳内で反響する。そうだ、真白は今、なにもできずにいた。ゲーム内で勇者になったのはよかったものの、それを生かせないままダラダラと時間だけが過ぎていく。さらには大切な人まで失って、彼女を取り戻すことができずにいる。全ては自分の無力さが招いたことだ。やはり、平凡でなんの取り柄のない少年では、ヒーローのようにはなれない。巫女の言葉は真実であり、言い返すことなどできなかった。
一方で、短期な男が武器を構えて、刃を突きつけようとする。それに対しても無反応で、少年は地べたに座り込んだまま、うつむく。
「生け捕りだと言ったはずだ。殺す価値もない」
結果的に死はまぬがれたものの、気分が高揚するわけではない。むしろ、無価値であると突きつけられたことにダメージを受けて、立ち直れないくらいにまで気分が落ち込む。
「さて、貴様にはどこまで説明をすればいい? さぞや、困っているし、混乱しているのだろうな」
「別に、必要ありません。僕は、運命に従うまでです」
「潔いな。だが、気に食わない。まだ終わってもいないというのに、早々にあきらめるとは」
否(いな)、終わったもの同然だと心の中で返答をする。
「理解はできてるんですよ。僕は、罠にかかったって。あなたが嘘をついたから」
「人聞きの悪いことを言うな。私の言葉は全て真実だ」
女の口元に、艶めいた笑みが浮かぶ。
今、見上げると、彼女の唇は血のように赤かった。
「私は巫女であり、和の神を信仰している。現代の神から言葉を受け取った。さらにいえば、東の地区へ行けば求めている者と会えると言った。実際に、その通りになっただろう?」
「じゃあ、なんで、僕はこんなことになってるんですか? こんな、あらかじめ来ることが分かっていたように、待ち構えられて」
納得がいかず、喚き散らしたくなる。
「事実、我々は貴様がここに現れることを分かっていた」
「それは、やはり、あなたが事前に予言をして」
「否(いな)、そのような予言はしていない。だから我々は誘導したのだ」
誘導。
その二文字に、脳が震撼する。
まさか、いままでの出来事は全て、黒紅色の集団によって仕組まれていたものだとでもいうのだろうか。最初から、彼らの手のひらの上だった。それはあまりにも情けなくて、屈辱的だ。されども、それを見破れなかった。結果的に、相手の思い通りに事を運ばせてしまった。全ては自分が悪い。
「貴様を東へ導く。そのために花咲彩葉をさらった――ことにした」
語尾を濁す。
真白はその言葉のおかしな点に気づいて、ハッとなる。
「まさか、それって、本当は捕まっていないとでもいうんですか? なら、彼女はどこに」
勢いのままに、口に出す。
相手がきちんと答えてくれるのかすら考えず、無我夢中で回答を求めていた。
彼女と会いたい。無事でいるのなら今すぐに再会して、もう二度と離れないと誓うつもりだった。
もう、一人になるのは嫌だ。彼女と離れるなんてゴメンだ。
灰色の雲に埋め尽くされていた心に、かすかな光が灯された。
「目の前にいるではないか?」
刹那(せつな)、やけにハッキリと、手前にいる女の口が、言葉をつむぐ。
一瞬、彼女の言っていることが分からなかった。
目の前にいると言うけれど、そこにいるのは間違いなく、黒髪の女だ。神社に務める巫女であり、真白を東まで誘導して、集団で捕らえさせる原因を作った存在だ。彼女が、花咲彩葉であるはずがない。彼女はもっと、女性らしい雰囲気の、誰でも好かれる女性だった。誰に対しても平等で、親切に接する。今、真白が生きているのだって、彼女のおかげだ。やわらかな顔立ちと凛とした眼差しが脳裏をかすめる。違うと、彼女は違う。裏切り者の巫女とは別人だ。
心の中で何度も唱えた。
絶対にありえないと、何度叫んだことか分からない。
「信じられぬか。なら、私が花咲彩葉であるという証拠でも見せるとするか」
だが、目の前の現実は、無情にも真実を裏付ける証拠を見せつけようとしていた。
彼女は首に触れる。わずかに見え隠れしていた、チェーンを引っ張り出す。跳ねるようにして露出したネックレスは彼女の胸元で光を放つ。
「そんな、それは、僕があげたものじゃ……」
月の光を宿したように白く輝くハートのチャーム。
真白は目を見開いたまま、硬直していた。
そんなはずはない。偽物だと思い込みたかった。されども、それで現状が変わるわけではない。彼は単に現実逃避をしているだけだ。
「盗んだんですか? 彼女から。たとえ物的証拠があったとしても、花咲彩葉をとらえているのなら、持ち出すことも可能です」
冷静に頭を回転させる。
目の前の女が自分の想い人ではないという可能性をたぐるように、目つきを鋭くした。
「残念だな、貴様はもっと素直に信じてくれる者かと思っていたが」
彼女はいったん、視線を上げる。
冷ややかな漆黒(しっこく)の瞳の先には、曇った空がある。
「逆に尋ねるが、あの娘が私であって、不都合でもあるのか?」
目線だけを、地べたに座り込んだまま動かない少年へ向ける。
流し目で見下されながら、真白はただ、小さく言葉をこぼす。
「彼女は味方だ。僕の、味方だった」
「違うな。それは貴様の勘違いだ」
淡く、胸の内から絞り出した言葉を、女はあっさりと否定する。
「花咲彩葉は女優だ。嘘をつくなど容易であり、思ってもないことを平気で口にできる。本音を隠してきれいごとを並べ、女性らしい姿をとりつくろう。そんなことは簡単だ。しおらしくしていればいい。気づかれなければ、楽であろう。だからこそ、貴様はあの娘に掌握されたのだ」
真白は首を横に振った。
彼女の態度は自然だったし、善行も心の底からの善意で行っていたに違いない。たとえ猫をかぶっていたとしても、虹色の女優に救われたことは事実だった。
「本当に、盲目だな」
紅色の唇が、ポツリと言葉をこぼす。
瞳はどす黒く、足元にいる少年を映してはいるものの、彼の顔を見ていない。彼女の態度は冷ややかで、弱き者を軽蔑しているようだった。
不意に、巫女が自らの顔に手をかざす。途端に皮膚が発光して、光は全身を覆う。依然として立ち上がれずにいる少年は、唖然とする。いつか見たことのある光景に対し、目を丸くして、傍観することしかできない。
そして、光は止んで、肉体は新たな少女を形作る。
光の反射で七色を同時に帯びた、白っぽい髪が、風になびく。
目の前にいるのは、白百合色の肌と黒曜石のような瞳を持つ少女だ。頬(ほお)にはかすかに薔薇色の血色が浮かぶ。フローラルホワイトのコートは昨日の朝に家を出たときと同じものだ。
全体からあふれ出る花の香りに、心がざわめく。
まぎれもなく、容姿だけを見れば花咲彩葉であると、心より先に脳で認識していた。
「貴様も内心は分かっていただろう。花咲彩葉のような大女優が、有象無象に過ぎぬ存在になびくことはありえないと。ああ、迷惑だったよ。私も仕事で貴様を家に招いただけだ。少しは見どころがあるかと思っていたが、なんの役にも立たない。所詮(しょせん)は無色透明だ。極悪人よりもくだらない」
刺のある言葉が、胸に突き刺さる。
「どうせなら、何不自由なく生活できたことに感謝せよ。定めもなく、なにも考えずに生きるだけの貴様に、残された役割などない。自覚しているのだろう、ただの穀潰しなのだと。そのような者が勇者の役を演じるなど、茶番にもほどがあるわ」
言い返せない。その全ては真実だった。彼女がどこまで自分の本質を見抜いているのかは分からない。だが、少なくとも、真白がずっと怠けていたことだけは事実だ。なにもせずに、ただぼんやりと過ごすだけだ。見よう見まねで正しいと思うことをしているだけで、家は暇を持てあます毎日だ。実際のところ、彼は彩葉の役には立てていなかった。
思えば、彼女も打算で世間知らずの少年の世話をしていたのだろう。信頼を得られれば、思い通りに動かせるし、心をつかめば言うことを聞かせられる。思えば、彼女と出会って惹かれたことで、彼はゲームに参加することになった。彩葉を救うために、動き出すことにもなった。全てのトリガーを引いたのは、まぎれもなく、花咲彩葉だった。
「貴様に恨みはない。憎んでもいない。ただ純粋に、なんの興味も湧かない」
中肉中背の少年を、真っ黒な瞳がとらえる。
なんの飾りもつけないシンプルな格好をした彼は、目を伏せて、沈んだ顔をしていた。
怒りは表に出てこず、ただただ、ショックなだけだ。
なにもかもが甘かった。やる気もなく、努力もしてこなかった人間の前に自らが理想とする女性が現れるなど、都合がよすぎる。そんな夢のような話には、必ず裏がある。その裏というのが、真白にとっての敵であるという事実であり、彼はただの操り人形だった。
なおも突きつけられた武器の刃が近くから離れない中、ヒールの音が周囲に響く。
花咲彩葉の姿をした巫女が、近づく。
顔を上げる。
ライトブルーの空を雲が埋め尽くしていた。
なおもまぶしく光る太陽に照らされながら、どす黒い瞳を、清らかでしかない少年へ向ける。
「なにか、言ってみたらどうだ?」
彼女の眼差しには威圧感があった。
通常の彩葉であれば、ありえない表情だ。彼女は笑顔の似合う少女だった。不満に思っていても表には出さず、誰に対しても柔和に接する。されども今、少女の顔に笑顔はない。その、取りつくろわないところが、彼女が本人であると裏付けているような気がして、真白はぼんやりと、現実を受け入れた。
「僕の敗北だ。君はやっぱりすごいです。ただの一般人に過ぎない自分では、演技なんて見抜けなかった。騙された、僕が悪い。だから、いいんです。もう、煮るなり焼くなり、好きにしてください」
顔を上げた。
頬(ほお)をゆるめて、口元にはかすかに笑みが浮かぶ。
この期に及んで、真白の心は凪いでいた。
敵の『生け捕りにする』という決定に逆らう気はない。自分では逃げ出せないと即座に理解するや否(いな)や、おとなしくなる。もはや騒ぐつもりはない。場合によっては、命すら撫でだす覚悟だ。
元より、彼には欲がない。生き残ってまでしたいことなど、特にないし、自分が生き残るくらいならこれから死んでいく者を蘇らせたほうがいいと考えている。
「僕は確かに幸福な思いをしました。求めていた者と一緒にいられたから、もうそれ以上、求めるものなどありません」
迷いなく、告げた。
幼い顔で、澄んだ瞳で、相手を見上げる。
人間味のない少年だ。
口調はぶっきら棒で、起伏がない。落ち着きすぎているせいで、ロボットが話しているようでもある。もはや、自分がなにをされても構わないといった様子で、勝負をあきらめている。彼は自分自身の命のことにすら、関心が湧いていない。
ありとあらゆるものを悟りきったような雰囲気を放つ彼は、よく磨かれた水晶のように清らかだった。もしくは神の使い――天使だとでもいうのだろうか。
名前の通りの真っ白さが、巫女の不満を煽った。
途端に消炭の瞳を宿した目がつり上がる。眉も同様にけわしく歪む。彼女は大きく口を開いて、咆哮(ほうこう)のごとき勢いで言葉を吐き出す。
「ふざけるな。貴様はどこまで腑抜けなんだ。ありえない。そんなものは認めない。これが正しいと、自分が正義だとでも思い込んでいるのか? なにを自分に酔っている。潔さこそが全てだと、勘違いでもしているのか? なぜ私に怒りを抱かない。なぜ、全てを受け入れている。私は貴様を認めない。大切に思っていた者に裏切られて、なぜ冷静でいられるのだ?」
彼女は肩で息をする。
いままで封印していたであろう感情をむき出しにして、爪を突き立てそうな勢いで、不満を述べる。
真実が判明したにも関わらず、平然としていること。
潔く敗北を認めたこと。
あっさりと運命を肯定したこと。
自分へ怒りを向けられなかったこと。
その全てが受け入れられず、ショックだというように、巫女は叫んでいた。
彼女が詰め寄る。
周囲の目など忘れて、路地裏に真白と二人切りしかいないというように、本気で怒りを見せていた。
同じく、真白も敵の存在など忘れていた。
顔には汗をかき、いままでたもっていた余裕も今は消え失せた。
一方で、やはり彼自身の反応は変わらない。
「僕は、君を恨めません。いいえ、君だけじゃない。全ての人のことを。それはきっと、僕が誰に対しても関心を寄せられないからかも、しれません」
自信のなさそうな言葉だった。
彼自身、自分の心というものを、読み取れずにいる。いまだになにを考えているのかも分からない。それでも、自分が今心の中にある感情がなにもないことだけは分かる。深く澄んでいて、色がついていない。だから断言できる。彼は誰に対しても負の感情を抱かないのだと。
そして、真白の言葉を真に受けたのか、消炭色の瞳が揺れる。彼女は数度瞬きを繰り返した後、眉をハの字に曲げて、唇を震わす。思わずというべきか、勢いよく襟首をつかんだものの、なにもしない。殴り飛ばすようなマネもせず、だまって、手を離す。彼と距離を取った。握りしめた拳も震えていた。
「好きにしろ。やはり、貴様にはなんの価値もない。それだけは、ハッキリとした」
静かに口を動かす少女の横顔に、影が差す。
路地裏が薄暗くよどむ中、彼女は踵を返して表側へと出ていく。
ヒールの音だけが静寂に包まれた空間に、響く。
真白はただぼんやりと、遠ざかっていく少女の背中を見送った。空は淡く、曇っている。紫がかった黒色のドレスを着た背中はどことなくさみしげだった。
ほどなくして、女の影は完全に消える。
残されたペパーミントの香りが、彼女が存在したという事実を証明していた。
それから真白は牢屋に連行される。
地下への入り口は路地裏に隠されていたようで、隠し通路を通って、ジメジメとした場所までやってくる。
檻の中は暗くて、外からの光は差し込まない。罪人にでもなった気分だが、少年はなにもしていない。完全なる無実だ。否(いな)、なにもしてこなかったから、彩葉の厚意に甘えてしまったからこそ、今真白は鉄格子の中にいる。
黒紅色の人間たちに尋ねたところ、涅も捕まったようだ。彼は、真白とは別の牢屋に入れられているらしい。いずれは助け出さなければならないだろうが、今はできそうにない。せめて、自分以外の者が被害に遭わないでほしいと願うものの、さすがに無茶だろうか。なにより、すでに北の町は滅ぼされた。自分が不甲斐なかったばかりに、自分の居場所まで失ってしまう。なんて、情けないのだろう。
結局、このゲームはなんだったのだろうか。全ては真白という人間をおびき寄せるための罠だったのだろうか。それにしては、なにかがおかしい。真白は普通の少年だ。彼に狙いを限定してまで、大規模なイベントを開催する必要はない。元より、彩葉に手を引かれるだけでホイホイついていくような人間だ。そのような人間に、大掛かりな仕掛けに巻き込む価値があったのだろうか。
謎が深まる。だが、考えたところで意味はない。
いずれにせよ、ゲーム内であろうと現実であろうと、真白はなにもできなかった。いまだに魔王の顔すらおがめていない。結局、自分の役割はなんだったのだろうか。虚無感を覚えた。もう、なにもしたくない。動きたくない。本音を言うと働きたくも、なかった。どうせなら、一生を檻の中で過ごすのも有りかもしれない。所詮(しょせん)は役立たずだ。このような男は世間に出なくても、問題はないだろう。
生きていれば御の字とはいっても、なんの気休めにもならない。
自分は英雄になれなかった。それだけが事実なのだから。
気分が鬱々とする。後悔ばかりが頭に浮かぶ。もっとやりようはあったのではないかと考え込む。その折、不意にヒールの音がした。顔を上げる。牢屋の扉が開かれた。紫がかった黒いドレスを着た女が入って、檻の前にやってくる。スリットからほっそりと伸びた足が、なまめかしい。
「いいザマだな」
つり上がった唇から、刺のある声が漏れる。
彼女はわざわざ、様子を見にきたようだ。関心を抱いてくれているとは、ありがたい。無関心でいられるほうが、最もつらいのだ。あいにくと、今の少年にはなんの声も届かない。批判・酷評・悪口にすら、反応しないだろう。
それでも、彩葉の正体だった女の声に、耳を傾ける気はあった。
ほどなくして、少年はゆっくりと顔を上げる。
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