第9話
現在地はいちおうは北の範囲内だ。東の地区へは徒歩一〇分以内のいう近さではあるが、現在は通行ができない。おおかた、魔王軍による工作のせいだろう。非常に迷惑は話だと感じるものの、相手が敵であるのなら、邪魔をするのは当然だ。自分も同じ立場なら、ガンガン障害物をもうけていく。
仕方がないので、森の中を通って強引に東へ移ることにした。やっていることは、ゲーム内と同じだ。あのときは霧の中を強行したため迷ったけれど、今回はそうはいかない。はぐれないようにきちんと気を配って、一緒に行動をしている涅とはぐれないように気をつける。過剰なくらいの警戒心を張り巡らせていると、あっという間に出口にたどり着く。前回の失態はいったい、なんだったのだろうか。
開けた道路を進む。ちょうど高い崖が端をおおって、閉塞感がある。見上げると、真っ青な空と温かな対応が地上を照らしているのが分かった。
その折、ふと涅が足を止める。彼は道路の途中に唐突に現れた階段へ視線を向けた。
「ちょうどいい、行ってみようぜ」
「え、なんで?」
寄り道をしている暇はないと言いたかったけれど、相手は聞いてくれない。
「理由か? こっちを経由したほうが効率がいいからに決まってんだろ。もしくは情報収集のために向かうというべきか」
「あ、そうですね。確かに僕らはなんの情報も得ていない」
彩葉を救出すると決めたはいいものの、彼女がどこにいるのかも分かっていなかった。倒すべき敵とその特徴を知っているだけでは、物事はなかなか進展しそうにない。少しの寄り道で展望が開けるのなら、それにこしたことはないだろう。真白も涅の選択に内心で同意して、階段を勝手に上り始めた相手の後を追う。
階段というものをひさしぶりに上ったため、なかなかにしんどい。冬にも関わらず体が温まってきたし、汗が皮膚の上をすべる。できるのなら楽をしたいという気持ちでいっぱいであるため、早くも後悔しつつあった。とはいえ、ここで全てを投げ出しては元も子もない。全ては大切な人を救うためだ。彼女のためなら、今は藁(わら)にもすがる思いだった。
何分かかけて、階段を登りきる。大人は平気な顔をしているが、すでに少年はヘロヘロだ。実は階段自体は大したものではなく、地獄のような長さでもなかったのだが、彼にとっては関係なかった。
相手にバカにされつつ、前方の砂利道を進む。ここは、神社の境内のようだった。血のように赤い鳥居をくぐると、ゆるやかな坂が参拝客を出迎える。少々うんざりしつつも、前へ進む。すぐ近くには灯籠があって、傍らに放置された岩には苔が蒸していた。実に和風で、侘び寂びを感じる。左を向くと、二つ目の鳥居に続く階段が伸びている。それはそのまま、道路まで続いているようだ。そこを素通りすると、今度は水道のようなものと柄杓(ひしゃく)が目に飛び込む。聖域に足を踏み入れるさいは、手や口を清めなければならないと思われるが、涅は無視して足を動かし続ける。彼こそ、最も清浄を必要しているような気がするのだが、自身の風貌を気にしていないのだろうか。などと突っ込んでも仕方がない。図星を突いて、しっぺ返しを食らう可能性もある。真白はあえて無言を通した。
二体の狛犬の間を通って、本殿にたどり着く。非常に大きな建物だ。神が収められていると言われても納得できるくらいの、圧倒的な存在感を放っている。二言で言うのなら、風流で豪華だ。その神聖さを前にするといかなる犯罪者もおとなしくなってしまう。一般人では踏み入ることのできないほどの、厳かな雰囲気に一瞬で呑まれる。決してこの先に足を踏み入れてはならないという威圧感を、建物全体が放っていた。
なお、となりにいる男は遠慮なく本殿に近づく。彼は目の前に建っている神々しいものを、視界にもとらえていないようだった。
一方で、建物の真横には松の御神木が生えている。たいへん立派で、幹の太さは天然では見かけないレベルだ。針のような葉が翡翠(ひすい)色で、近くで見ると繊細に映る。ただし、離れてみれば力強く、天にまで届きそうな勢いだった。また、すぐとなりは竹林となっている。全体的に青々としている。真っすぐに伸びた太い茎のような幹は、見ているだけで清々しい。中に入れば爽やかな空気を体いっぱいに感じられるだろう。
「客人とはな、珍しい」
不意に、艶のある女の声が、鼓膜(こまく)を揺らす。
振り向くといつの間にか、袴姿の女性が舗装された道に立っていた。上は何者にも染まらない純白で、下は血のような緋色だ。漆黒(しっこく)の髪に癖はなく、背中まで真っすぐに伸びている。肌はやや浅黒く、顔立ちも男性的だ。ただし、その体つきは和服の上からでも確認できるほど、熟れている。豊かな二つの丘と丸みを帯びたラインが、男の心を引きつけて離さない。それでも下品に見えないのは露出を控えた格好のせいか、はたまた本人の人格によるものだろうか。彼女の消炭色の瞳は力強く、凛としていた。
「お前だな、予言者は」
どこからどう見ても巫女である女性に、涅が話しかける。
対する彼女は露骨に眉をひそめて、不愉快そうに答えた。
「汚れた者が私になんの用だ?」
「そう固くなるな、所詮(しょせん)は同類だろ」
実際に口を開くと、やや低めの声をしている。見た目こそ若く張りがあるが、声音は落ち着いていた。ただ、どことなく退廃的な臭いがするのは気のせいだろうか。どことなく、荒廃した廃墟にたたずんでいそうな雰囲気があるのだ。
「俺たちはある女の居場所を探している」
「花咲彩葉か」
「ご名答。東の国で最も人気のある女優が何者かにさらわれた。そうわざわざ説明しなくとも、お前ならとっくの昔に知っていたはずだよな」
意味もなく煽るような口調で、涅は言う。
途端に巫女は眉間にシワを寄せて、静かな声で苦言を呈する。
「黙れ、汚れた者よ」
やり取りを聞いている限り、二人は知り合いのようだ。とはいえ、友達というくらいの仲のよさではない。むしろ、険悪な仲だろう。今回は仕方がないため頼る羽目になっただけで、普段は目すら合わせないに違いない。
「あの、僕に少し、いろいろと教えてはくれないですかね?」
そろそろ蚊帳(かや)の外で傍観するだけになって、話に置いていかれそうだったので、遠慮がちに申し出る。すると、涅は心の底から面倒だと言いたげな顔をして、渋々口を開く。
「この娘は未来を読む。神の声を聞いて、なにが起こるのかを知って、それを予告するのさ」
「神を信仰すらしていない者が、なにをペラペラと」
「お前こそ、現代の神は信じていないと言うな。聖職者にあるまじき人格。さっさとやめちまったらどうだ?」
「私が信仰しているのは、古(いにしえ)より伝わる和の神だけだ」
つまり、彼らはなにを言い合っているのだろうか。
現代も古も、そう変わりはないだろう。元より神とは無縁の生活をしていた真白にとっては、ピンとこない。神といえば神で、種類なんて意識したことはないし、あまり興味はない。ただ、神という存在はいてもいいと思っているし、信じていた。
「いいから全てを語れ。予言を吐くした能のない役立たずが」
心なしか相手へのあたりが厳しい気がするけれど、普段から涅は誰に対しても似たような態度を取っている。気のせいだろう。
「いいだろう。だが、あくまで貴様のために告げるのではない。これは仕事だ。まったく、よりにもよって現代の神の指示に従う羽目になるとは、難儀な話だ」
どうやら、神は二種類いるようだ。古いほうと新しいほう――巫女が信仰しているのは前者だが、彼女が実際に受信した声は後者らしい。それに関してひどく落胆しているような表情をして、女性は口を開く。
「東の地区。影のあるほうへ向かえ。そこに、貴様らの求めている者は存在する。そして、地下の決戦の地で貴様はあるものを目撃するだろう」
今から二人が向かうべきは東であり、いちおう行き先は間違っていなかったようだ。影のあるほうと言われてもピンとはこないものの、暗いほうと言いかえれば想像はできるかもしれない。それにしても地下ときたかと内心で複雑な感情を抱く。いままで地下の入り口は見つけられなかったが、成り行きで向かう羽目になるのだろうか。決戦が起きるということは、十中八九戦いに巻き込まれる。ゲームの世界が現実と化した今、生き残れる自信がなくて、すでに真白はいっぱいっぱいだった。
「せいぜい急ぐことだ。早くせねば、ほかの町も危険に晒される。下手をすれば闇は世界を覆うだろう」
冷めた目つきで、彼女は告げた。
心に危機感が募る。一つの町をつぶされただけでもショックなのに、被害が拡大するなんて、想像もしたくない。世界全体にも危険が及ぶと聞かされても、現実感が湧かないし、なにより荷が重すぎる。誰かとこの荷を分け与えてしまいところだが、逃げるわけにもいかない。問題の解決が勇者である自分に課せられた任務ならば、せめて戦う必要がある。幸いにも協力者はいるものの、果たして薄汚い衣をまとった男を、信用していいものだろうか。乱れた髪型をした泥臭い雰囲気の男性をチラリと見上げて、眉をひそめる。
すさまじい勢いで加速していく展開に心が置いてけぼりを食らう中、真白は神社を後にした。
二人は近いほうの鳥居をくぐって階段を下り終えると、道路に戻ってくる。そのまま東の地区へ向かう。ぐにゃぐにゃとカーブする道路には歩道がなく、アスファルトの色が全体を塗りつぶしている。ダラダラと同じ道を進む。景色がいつまでたっても変わらないため、前進しているという実感が湧かない。そろそろ無限ループに陥ったのではないかと感じたころ、ようやく町が見えてくる。北よりも色鮮やかな、花に溢れた町だ。気温も上昇している。いまだに雪の降り積もる場所と比べると、暖かい。真白としては暑くはないものの、コートは脱ぐ。自分はよくても、周りは暑苦しくてたまらないだろう。
間違いなく東の地区のどこかに彩葉はいる。もしくは、彼女を捕らえた敵のアジトが存在するのだろう。しかれども、ここで疑問が生じる。そもそも、なぜ敵は虹色の女優を捕らえる必要があったのだろうか。確かに勇者の味方をしている以上、彩葉も黒紅色の集団にとっては邪魔な存在だ。それでも、彼女は女優だ。一般人と比べると、あまりにも名と顔が知られすぎている。捕まって、行方がしれなくなって、騒ぎになるだろう。警察も動き出して、捜索に乗り出す。結果的に黒紅色の集団も見つけ出されて、お縄になる可能性もある。そんなリスクを、なぜ彼らはおかしたのだろうか。もしくは、リスクを背負ってでも実行に移す価値が、花咲彩葉という少女には存在したのかもしれない。
答えは出ず、頭にモヤモヤとした雲がかかる。
悶々としているとき、唐突に顔を上げると、黒紅色の影が視界をかすめていった。途端に体が凍りついたように動かなくなる。なぜ、昼間にも関わらず、彼らが町にいるのだろうか。もしや、すでにこちらの動きを嗅ぎつけられたのではあるまいな。
真白は内心の動揺を隠しきれずにいる。冷静になれと自分自身に言い聞かせなければ、発狂しそうだ。その中で、となりにいる男性だけはなにも感じていないようで、呑気にあくびをかます。
「行ってこい」
「はい?」
「いいから、少しは役に立て。お前が囮でもなんでもいいからなって、やつらから話を聞き出せと言っている」
「なっ! そんな無茶な」
ただでさえコミュニケーション能力が欠けている少年に、命令する内容ではない。真白は今、切羽詰まっていた。できるのなら穏便に事を運ばせたいし、自ら喧嘩を売りにいくようなマネはしたくない。しかれども、もたもたしていたら彩葉の身が危険に晒されるのも事実だ。下手をすれば、殺されてしまうかもしれない。それだけはどうしても避けたい。
やるかやらないか――勇者を演じるのなら、この物語を丸く収めるためには、勇気を振り絞るしかないだろう。
本当にいやいやだ。もうやけっぱちで走り出す。
「あの、すいません!」
敵の顔がこちらを向く。
続きを口に出そうとして、直前でやめた。相手の眼差しがあまりにも鋭くて、慈悲もなにもあったものではなく、途端に体が凍りつく。マフィアかヤクザが目の前にいるような気分だ。指一本動かそうものなら殺される。現在、真白は蛇に睨まれた蛙と化している。
「捕まえろ」
男性の低い声がしたかと思ったら、近くにいる黒紅色の装束をまとった影も、迫ってくる。
オロオロと目を周囲へチラつかせる。完全なるピンチだ。全ては涅の無茶振りのせいだが、文句を言っている暇はない。顔にダラダラと汗をかいて、手のひらまでベタベタにしながら、走り出す。コートは潔く投げ捨てて、力強く地面を蹴った。
町を出歩く人の間を縫うような形で、遠くへ行く。できれば警察の前まで走りたいが、そんなものは視界には飛び込まない。ならば、撒くしかないだろう。体力には自信がないし、足も早くないが、視界から消えたら相手もあきらめてくれるはずだ。少年は路地へ逃げ込んだ。あとは身を隠す場所さえ見つかればと思った矢先、自然に足が止まる。前方には直立して天高く伸びる壁があった。袋小路だ。ちょうど背後に、黒紅色の影が迫っている。振り向く。敵は武器を構えていた。日本では滅多に見られない光景だ。バトルアニメかなにかかと冗談のようなことを、つぶやく。
「なにが、目的ですか? ボスは、どこにいるんですか?」
抵抗もしくは時間稼ぎのようなつもりで、質問を繰り出す。
無機質な雰囲気のする彼らが答えてくれるとは思えない。だけど、なにかをせずにはいられなかった。
「我らの目的は勇者の抹殺だ」
存外、一人の男性が素直に答えを繰り出す。
「ボスとは関係がない。自発的に行動している。本当は魔王がこのような出来事を望んでいないのも知っている。だが、なにかがあってからでは遅い。ゆえに、その前に貴様を殺さねばならない」
「いったい僕が、なにをしたと言うんですか? こんな、なんの能力のないやつに、集団で襲いかかる価値があるとでも?」
真白は混乱していた。
なぜ、自分が狙われなければならないのだろうか。さらにいえば、彩葉がさらわれたという理由も分からないままだ。なにもかもが理不尽で、喚き散らしたくなる。されども、敵に常識が通用するはずもない。
真白は自分が生きていてもなんの影響をもたらさない人間だと思いこんでいる。ただ息を吸って吐いての繰り返し。誰かに守られるだけで、なんの役にも立たない。戦闘力だって皆無だし、バトルアニメの世界にトリップしたら、真っ先に殺されるだろう。そんな少年だ。それなのに、敵は意地でも殺しにかかってくる。理解ができない。まさか、勇者に選ばれたからだろうか。たかがゲームなのに、そんなことが――
「強いていうなら、貴様の存在そのものが、我らにとっては危険だ」
それはない。ありえないと心の中で叫ぶ。
自分はただのゲームの参加者でしかない。本物の勇者であるはずがない。黒紅色の集団にとっては、敵対したところで、なんの成果ももたらさないだろう。殺しても殺さずとも、結果は変わるまい。そんな意味のないことに、なぜ目の前の者たちは必死になるのだろうか。
だがしかし、ただ一人で喚き散らすことこそ、全く意味のない行動だ。たとえこの場で自分が無価値であると証明したとしても、敵は止まらない。なにがなんでも、息の根を止めるためにやっきになる。
前方で、硬質の音が響く。刃が日光を浴びて、稲妻のような光を放つ。殺されると悟った。わけの分からないまま、なんの意味もなく。だが、運命には逆らえない。それはとてつもなく残念なことではあるものの、所詮(しょせん)はそんなものだ。自分の人生なんて、なんの価値も意味もない。ただそれだけの話だった。
と、そのとき、路地裏に女性の凛とした声が響く。
「そこまでだ。阿呆(あほう)ども」
急にあたりが静まり返る。
黒紅色の人間は動きを止めて、横目で背後を見た。
真白も目を見開く。
「生かして捕らえよ。抹殺は許さない」
ペパーミントの香りが鼻孔をかすめる。
何名もの人間に指示を飛ばす女性の声は、気が立っているようにも感じた。
緋色の影が近づく。
暴風が吹き荒れる。
漆黒の長い髪が荒ぶって、生き物のように動く。
真白も風に押されるような形で座り込んで、ぼうぜんと相手を見上げる。
先ほど――神社で見かけたときは巫女装束だった格好が、ロング丈のドレスに変わっている。色は紫がかった黒色で、足には大胆なスリットが入っている。足の長さは全体の半分に迫る勢いで長い。肩と腕の部分の記事はレースとなっている。結果的に露出度は低くなったが、それでも色気を隠せそうにない。そればかりか、タイトなラインが肉感的なラインを強調して、下手に露出するよりもセクシーだ。
シンプルなドレスでありながら、彼女の魅力を引き立てている。メイクもナチュラルが皆無であるにも関わらず、華がある。鼻筋がしっかりと通った、目や口など一つひとつのパーツがくっきりとした顔だ。キリリとした目の色は消炭色で、冷たさの中にかすかな熱を垣間見られる。その眼差しは力強く、艶のある黒髪を背中に流しながら歩いてくる姿は、威圧感があった。
「ああ、私も貴様がここまで使えない男だとは思っていなかったよ。本当に、なんの見どころのない男だ。いくらドラマチックでスリルのある物語だったとしても、貴様が主役ではただの滑稽な喜劇になってしまう」
声音に確かな怒りをふくませて、剣呑な目で地べたに座り込んだ少年を見下ろす。
「どうせなら最後まで踊ってみせよ。勇者になれなかった抜け殻よ」
低い声は真っすぐに、鋭さを持って、少年の胸に突き刺さった。
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