第3話

 ある日、パソコンに招待状が届いた。最初は無視していたけれど、結局は気になって閲覧してしまう。受信箱に大量に入っている(友達がいないため、主にサイト関連の)メールの中で、一番上のものにカーソルを当てて、クリックする。すると、画像と一緒に大きな文字でイベントの名前らしき単語が書かれているのが目に飛び込む。概要も細かく書かれているようだけど、うまく頭に入ってこず、読み流してしまう。

 正直な話、真白はイベントに興味はあるものの、わざわざ動くまでもないと考えている。いや、娯楽がほしいのは事実だ。毎日毎日、炊事だけをこなすのは退屈で仕方がない。祭りに参加して楽しむのも有りだが、いかんせんかったるい。なんというか、動くのが面倒なのだ。

 それでも、中身を知る価値はあるだろう。パソコンで検索をかけるだけで十分な暇つぶしになる。

 真白は実際に参加するか否かは置いておいて、画面の上部の検索窓にメールに大文字で書かれていた単語を打ち込む。

 結果は一瞬で出た。具体的にいうと、一秒もかからなかった。

 冒頭に青い文字で検索した単語が一字一句間違いなく、載っている。迷わずクリックすると、ホームページに飛ぶ。メールに載っていた画像と同じ見た目だ。構造もシンプルで、白と銀(もしくはグレー)を基調とした画面に、黒い文字でびっしりと説明が書かれている。ところどころ、赤で強調している部分があって、そこそこ読みやすい。

 内容をまとめると、以下の通りになる。

 まず、テーマは勇者と魔王の物語の再演だ。誰にでも参加券はあるものの、実際に参加できるか否かは怪しい。正確にいうと、応募から何名かが役者として選ばれるといったところか。その選ばれた者は主人公や悪役・脇役・サポート役といった感じで役割を振り分けられて、それぞれの任務を全うする。舞台は現代の町で、ドラマや映画の撮影のように行われるものの、参加者を監視する目はない。参加者の自由意志によってストーリーは動いて、収束していく。重要なのは、振られた役になりきることだ。勇者なら自分が勇者であると思い込まなければならない。たとえ、本人がヒロインになることを望んでいたとしても、同じだ。TRPGまたはRPGにも似てはいるけれど、プレイ経験がないため、なんともいえなかった。真白にとっては似たようなものだと感じるだけで、実際はそうでもないのかもしれない。


「勇者と魔王の物語の再演か……」


 スクロールバーを最後まで動かしきって、マウスから手を離す。

 真白はいちおう、その物語を観たことがあった。一言でいうと悲恋だった記憶がある。確か、勇者と魔王は恋に落ちるけれど、立場の違いから殺し合いをしなければならなくなったというものだった。つまり、結末は最終的には勇者が魔王を殺すところで終わるのではないだろうか。いや、黒幕がいたのなら、それ以外の結末も考えられる。いずれにせよ、魔王役を引いた時点で死亡する確率が高くなる。もっとも、真白本人にゲームに参加する気はない。ルールを読んでいるだけで面倒になってきた。なにより、役になりきらなければならないという点が鬼門だ。注目されるのも嫌だし、どうにも毛嫌いしてしまう。

 いちおう主人公以外は表に出る必要はないのだし、サポートに徹するだけなら問題はないような気もする。とはいえ、もしも重要な人物を引いてしまったときのことを考えると、気が気でない。いや、実際に参加者になれるかどうかも怪しいのに、そんなことを気にしてどうするのだろうかという話でもある。

 とにもかくにも、こういうイベントは安全圏から眺めているのが一番楽で面白いのだ。参加者はネットの掲示板で書き込みでもして、実況してくれるだろう。当日はそれをチェックするとして、真白の頭からはすっかり、イベントに参加するという意思が消えていた。


 しかしながら、次の日になって事態は急変する。


「ねえ、このゲームに参加しない?」


 なんと、フローラがイベントに誘ってきたのだ。


「私は参加を決めたわ。全員で作る舞台のようなものだもの。きっと楽しめるわよ」

「君は女優だからいいんですよ。僕なんて華がないし、地味だし、こんなやつが参加しても面白くありませんよ」


 ゲームを盛り上げるのなら、もっと優秀な人物を誘ったほうがいい。例えば、同じ劇団の仲間とか。


「もう、私はあなたに魅力を感じるから誘っているのよ」

「な……」


 彼女は平然と、素でそんなことを口にした。それは、なんというか、思わせぶりだった。もしかして、自分に気があるのではないかと一瞬でも勘違いさせるような言葉。

 胸がドキドキする。思わず動揺が表に出て、顔も真っ赤にならないかと不安になるが、いったん心を落ち着かせる。こっそりと深呼吸をした後、口をへの字に曲げて、自分の意思を伝えようとする。


「僕は……その……」


 無理だった。どのような断り方をすればよいのか、分からない。普段は彼女の頼みならなんでも聞けるというのに、自身が舞台に立つことを考えると、どうしても即座に『はい』とは言えない。居候をさせてもらっている分際で、わがままなことなんて言っていられないのに、踏みとどまってしまう。だけど、なぜだか、どうしても、自分が誰かを演じるという行為だけは、ダメなのだ。

 そのとき、脳裏をよぎったビジョンはなんだったか。苦悶に歪む視界の中で、確かに彼はなにかを見たような気がする。それは、知らないはずの光景だ。学校のステージ――たくさんの観客と、演技をする子ども。そんなものは知らないのに、なぜだか頭に張り付いて、離れてくれない。


「わかったわ。そこまで言うんだったら、仕方がない」


 ほどなくして、彼女はそう言った。

 フローラは穏やかな表情で、少しも気を悪くした様子を見せず、ここから去っていく。なんだか、少し悪いことをしてしまったような気がする。せっかくだし、参加してもよかったのか。そう思ったが、即座に否定する。いいや、自信がないものはやるべきではない。なにか問題が発生してからでは遅いのだ。それによって一生癒えない傷を負わされては、たまったものではない。

 そう、自身に言い聞かせてはみたものの、どうにもスッキリとしない。


「あー、そうそう。参加の締め切りは明日までよ。もしも考えが変わるようであれば、早めにお願い」


 彼女が急に扉を開けて、そう呼びかけて、また去っていった。

 は、はあ……。そうですか、としかいえない。

 本音を言うと参加なんてしなくてもいいのに、心の奥ではなにかをしたいという思いがあふれてくる。なんせ自分はまだ、なにも成し遂げていない。今のところはフローラの役に立てているような気がしないに、劣等感がある。なんとか、このもやもやとした気持ちを吹き飛ばせたのなら、参加する価値はある。

 だが、そう……しかし……。

 頭痛がする。嫌なことを思い出しそうな気がして、いてもたってもいられなくなって、扉を開ける。まっすぐに廊下に出て、歩いて、玄関を出る。外へ飛び出して、新鮮な空気を吸う。

 部屋にこもっていても仕方がない。せっかくだから、散歩でもして気持ちをリセットするべきだ。真白は適当にブラブラと歩きだす。まだ、雪は溶けていないようで、空気が冷たい。足元もじっとりと濡れてはいるものの、靴にしみたりはしない。まるで、自分が数ミリくらい宙に浮いているような謎の感覚がする。

 遠方には針葉樹の木々が見える。ああ、なんて環境がいいのだろうと思った。寒さはわずかに感じる程度で別段厳しくもなんともないため、本人からすると、快適な環境だ。もっとも、すでに三月になるというのに周りはかなり寒そうにしている。おそらく、彼の感覚がおかしいだけなのだろう。

 そういえばと思い出す。今日は平日で、学生や社会人は学校や会社に通っている。時間の感覚がないため分からなかったが、世間ではそういう流れになっていた。それに気づいて、まだ自分が情けない人間のように思えてくる。早くなんとかして仕事を見つけなければならない。そう焦りを感じながらも、結局のところ、動き出せそうになかった。なんだかんだいって、楽なのにこしたことはない。一生を遊んでくれせるのなら、その選択が一番なのだ。

 そんなことを思いながら潤色の道路を歩いて、坂を下って、公園にやってくる。木製の門にも似た二本の物体の間を通って、中に入る。老朽化の進んだ遊具は放置されている。ブランコやジャングルジム・滑り台なんかもあるが、どれも湿っている。おおかた、雪のせいだろう。中央付近には巨大な木も生えている。奥には誰かが昔住んでいたと思しき古びた屋敷も見える。幽霊でも出そうな雰囲気で気にはなるものの、今はそちらへ行く予定はない。

 高校生にもなって子ども用の遊具で遊ぶ気にはなれないし、駄菓子屋にもよろうか。そう思って、踵を返そうとした矢先、後ろから声をかけられる。


「おい、お前、真白っていうんだっけな?」


 刺のある高い声。聞き覚えのある子どもの声でもある。

 振り返ると、もこもこのコートを着た小学生くらいの少年が、こちらを睨みつけていた。自分はなにか、彼に悪いことでもしたのだろうか。


「忘れたのか。お前、フローラと付き合ってんだろ。そいつを許した覚えはねぇよ」


 ああ、なるほどと心の中でつぶやいた。

 確かに彼とはフローラを巡って対立に似たことをした。どちらかというと、相手が突っかかってきただけで、自分はなんとも思っていない。少年の行動なんて水に流せてしまえるし、別に気にしてはいなかった。


「それで、なんの用なんですか?」


 わざわざかがむのも面倒なので、上からもとを尋ねる。それにカチンときたのか、相手は眉をつり上げて、声に怒気をにじませる。


「お前な、フローラの頼みを断っただろ?」

「まあ、はい」


 否定はできない。

 いつもなら彼女の要求なら呑んではいたものの、今回ばかりは仕方がないのだ。たまにはいいだろう。大目に見てほしいと言い訳をしつつ、視線をそらす。


「図星だな。ああ、お前は本当に悪いやつだ」

「いちおう年上なんだけど、そういうこと言うのってどうなんですかね」

「知るかよ。悪いことしたやつに、年上もくそもあるか。それともなにか? お前は大人だったらなにをやってもいいとか思ってんのか」

「いや、そういう話でもなくて」


 イマイチ会話が噛み合わない。

 何度か瞬きを繰り返しつつ、頬をかく。

 今のところは自分の非を認めるつもりはないものの、子どもに悪いところを指摘されるのは、恥ずかしい。自然と手が汗ばむ。


「フローラを困らせたな。絶対に許さねぇ」

「いや、その困ってるのは僕も同じなんです。分かってください」

「うるせぇ。お前の意見とか事情なんざ、知ったこっちゃねぇ。俺はな、あの女だけが全てなんだ」


 これはぞっこんのようだと、心の中で観察をする。

 もう少し大人になったらお似合いだった可能性はあるものの、今のところは分からない。フローラも恋愛対象には見てくれないだろう。せいぜい、ファンになれる程度か。


「お前、俺を嘲笑ったな?」

「いいえ」


 すっとぼける。


「まあ、いい。だが、覚えとけ。フローラはな、お前のためを思って頼み事をしてんだよ」

「ん? それはどういうことですか?」


 他人のためになにかを任せるなんて、あるのだろうか。

 イマイチピンとこなくて、首をかしげる。


「ほんと、分かっちゃいねぇな」


 吐き捨てるようにつぶやかれて、なんだか焦りに似た感情を胸に抱く。なんというか、心がドキッとしたというか、波立つのを感じた。


「俺、フローラから相談されたんだ。お前は自信がない。本当は魅力的な人なのに、自覚すらしていない。磨けばきっと輝くと思う。だからまずは自信を取り戻したい。そのために、ゲームに参加してほしいって。これが、あの女の気持ちなんだ。分かるか? だが、お前はそれを、無下にした」


 彼からそんな説明を聞いて、少々愕然とした。頭に電撃が走ったような感覚だった。

 それほどまで彼女が自分のことを考えていたなんて、予想もできなかった。毎回こちらを振り回すのだって、女優らしいワガママかと思っていたのだ。どうやら、彼女のことを誤解していたらしい。そりゃあ、そうか。フローラは常に他人を優先する節がある。ならば、真白に対する頼み事も相手のためを思ってやったことでもあるといえる。

 ならば、自分は彼女に報いる必要が出てきた。

 しかし、本当にいいのか。自分はこの選択で満足するのか。

 ほどなくして少年は不機嫌なまま去っていって、寂れた公園には彼一人だけが残される。

 先ほどの少年は学校をサボったのだろうかとどうでもいいことを考えつつ、視線を下へ落とす。本当はなにもしたくない。勇気なんて振り絞りたくないし、常に安全な場所で構えていたい。そう考えているのに、フローラという存在が自分を楽にさせてくれない。彼女のことが今も脳裏をよぎる。ああ、そうだ。自分にとって大切なのは、彼女だけだ。それ以外はどうだっていい。

 妥協するしかないのだろうか。

 なに、どうせ受からない。実際に参加のボタンを押したところで、選ばれるとは限らないのだから、心配する必要もないだろう。重要なのは、参加するという意思だ。彼女の前で出来る自分を見せられたのなら、満足もしてくれるのではないだろうか。

 そう考えると、胸に希望が湧き出てきた。参加できないことに賭ければ、危険なことであろうとなんだってできてしまうのかもしれない。

 真白はおもむろにポケットからタブレットを取り出して、ホームページにアクセスすると、参加のボタンを押した。あとは結果を待つだけだ。

 かくして彼は家に戻る。坂を上って、汗をかきながら進む途中、不意にある人物とすれ違う。相手は、一言でいうと不審人物だった。現代では珍しい格好――たとえるのなら西洋の魔術師のようなローブを着た、占い師だった。


「どうだい? 一つ、見ていくかい?」


 有無を言わさぬ迫力に、断ったらなにをされるのか分からなくて、思わずうなずいてしまう。

 料金を取られる――そう思ったとき、手には太い巻物があった。


「フリーだよ」


 そんな声を背中に感じる。

 ひとまず、巻物をめくって、開く。

 ずらっと、カレンダーのようなものが刻まれている。ただし、四月以降のイベントはない。期間限定の占いだろうか。


「どれどれ」


 ざっと目を通して、ある項目を見つけてしまって、硬直する。


「うわ……参加することが決定してるじゃないか」


 どうせ大丈夫と受けたはずなのに、一気に絶望の淵にたたき落とされてしまった。

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