第2話

相手の立場から考察すると、まず信頼を得るためには自身の預言が正しいことが伝わる必要がある。その為に第1の予言や第2の予言を正しさを立証する為に当てたのではないかと思われる。

公表を1960年以降と指定したのもそれ以降の予言だからというよりもその予言の影響を受けない年数を発表したと考えるべきだ。


そう考えると、第3の予言の内容は、

ナチスのユダヤ人虐殺ではないかと思われる。

そう考えるとそれを止める為に予言が下された。結果は歴史の通り預言がされたとおりになり止めることが出来なかった。


しかし、そう考えると神はキリスト教ではないユダヤ教の人に救いの手を差し出したことになる。

キリスト教の教義である普段神の救いがあるのはキリスト教であるという言葉が壊れてしまう。なぜならユダヤ教に対する救いのメッセンジャーがあるということになるからだ。


神とされる存在がキリスト教以外の人たちにも言葉をもたらされるとしたら、キルスト教の今までの教えが改竄されてるということに繋がるとなる。


そのことが教皇庁が内容を発表出来ない理由ではないかと考える。

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ファティマ第三の予言の考察 @cccc

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