【第287話】久しぶり
玄関のドアをノックする音が響いたのは、ミリアムとハーティアが二人だけの話を終えて、キッチンからリビングへと戻ってきたのとほぼ同時だった。
「あ、私が」
ソファーから立ち上がろうとしたシリューを制して、ミリアムが玄関に向かいドアを開ける。
「こんにちは、ミリアム殿。お邪魔しても構わないかな」
「こんにちは、クリスティーナさん。どうぞ中へ。今日から一緒に住むんですから、ご遠慮なく」
「ありがとう。それでは、失礼するよ」
ミリアムに迎えられたクリスは、いつもの騎士然とした態度で一礼してドアを潜った。
「こん……」
「ようこそ、クリスティーナさん。お待ちしていました」
立ち上がって挨拶しようとしたシリューを押しのけるように、ハーティアがさっと前に出る。
「ハーティア殿、こんにちは。これからよろしく」
「ええ、こちらこそ」
結局、クランリーダーであるはずのシリューが、一番後の挨拶になってしまったわけだが、お互い貴族でもなければ知らない仲でもない。
堅苦しいマナーなど不要だろう。
「こんにちは、シリューくん……」
「こんにちは、クリスさん。部屋に案内しますから、荷物を置いたら昼食にしましょうか」
荷物といっても、着替えを入れたバッグが一つと、マジックボックスに日用品が幾つかと、後は少々の化粧品に騎士正装など。
騎士団に居た頃からクリスの持ち物はその程度と、年頃の女性としてはかなり少ない。
「わ、カウンターバーがあるんだ。豪華だね」
二階に上がったところで、クリスは階段横のカウンターバーに目を輝かせた。
「ええ、酒も一応揃ってるんで、好きな時にどうぞ」
シリューたちは一度も使ったことはないが、お客用にとハーティアが揃えてくれていた。
「部屋は南西向きと北東向きの手前が空いてます。どっちがいいですか?」
「シリューくんの部屋は?」
「俺は、南西の一番奥です」
その隣がミリアム。ハーティアは以前まで南東の手前でミリアムの隣を使っていたのだが、戦いの後病気が治ってからは、どういう訳かシリューの向かいに移ったのだ。
クリスは顎に手を添えて暫く考え込み、
「うん。じゃあ、北東の端にするよ」
ドアを指さしにっこりと頷いた。
「日当たりはこっちの方がいいですよ?」
シリューが南西の部屋を差しても、クリスは首を振ってやんわりと断った。
「部屋に篭ることはないだろうし、こっちの方がシ……あ、いや、ほらっ、カウンターバーに近いし、ね」
確かに、クリスの言った通り、入口のドアは北東向きの部屋の方がバーには近い。
余程カウンターバーが気に入ったんだな、としかシリューは思わず、クリスが本音を誤魔化したことには一切気付かなかった。
そしてもちろん、ハーティアが敢えて部屋を移った理由も、クリスとまったく同じだったことにも。
「シーツと毛布を持ってきますね」
シリューが階下に向かおうとしたところを、ドアを開けたクリスが呼び止める。
「え? もう用意されているみたいだけど」
見ると、確かにシーツも毛布もしっかりと整えられていた。
どうやら、ミリアムとハーティアが前もって準備してくれていたようだ。
「あれ、ホントだ。じゃあ、下で待ってますね。バタバタしますけど、終わったら出かけましょう」
因みに、一階に降りるついでに確認してみると、南西の部屋には何も用意されていなかった。
「なあ、なんでクリスさんが北東の部屋を選ぶってわかったんだ?」
シリューはどうしてもそれが知りたくて、リビングのソファーに座る二人に尋ねたのだが、
「教えたげません」
「考えなさい」
にべもなく一蹴されてしまった。
◇◇◇◇◇
ほどなくして、クリスは荷物を置き二階から降りてきた。
昼食を王都で若者に人気のカフェでとり、今日中にクランへの登録を済ませるために冒険者ギルドへと向かう。
食事代はクリスが払うと頑なに言い張り、シリューは彼女を説得するのに少々苦労した。
「クリスさん、身分証は持ってますか?」
ギルド本部の入口の前でシリューが尋ねる。
「ああ、王国発給の徽章を持っているよ」
アルフォロメイ王国で騎士となった者は、それがたとえ地方領主に仕えるとしても、その身分は全て王国に帰属し、よって王国が保証する。
これは、騎士を引退した後でも変わらない。
王国発給の身分証があるとなれば、冒険者登録もそう時間は掛からないだろう。
「今日はいないみたいですねぇ」
ギルドの建物に入ると、ミリアムが素早く全体を見渡して、ほっと息をついた。
「そうね、何度も遭遇するのは不愉快極まりないわ」
二人が話しているのは、前回ここで絡んできた若い冒険者たちのことだ。
なるほど、今日は姿が見当たらない。
さすがにあれだけ痛めつけて実力の差を示してやれば、二度と絡んでくることはないはずだ。
「やあ、久しぶりじゃないか」
受付のカウンターに向かおうとした時、出て行こうとする男女二人に声を掛けられた。
「お久ぶり、エクストル、グレタ」
「こんにちは」
ハーティアは親し気に、ミリアムは少し遠慮がちに挨拶を交わした。
「ああ、そういえば、龍牙戦将に任命されたんだっけ。暫く見ないうちに、随分出世したなぁ。とにかくおめでとう、シリュー」
「あ、ええ。ありがとうございます」
そう笑って握手を求めてきたエクストルに、シリューも右手を出して応える。
「傷はもういいの? グレタ」
ハーティアはグレタの露出した左腕と肩に目をやった。
オルデラオクトナリアの酸を浴びた部分に、傷跡らしい傷跡は見当たらない。
「ええ、御覧のとおり、傷跡も後遺症もないわ。ララの治癒術だけじゃ、ここまで回復しなかったって、本人も言ってたわ。ミリアムさんのおかげね、ありがとう」
左肩を回し、左脚で軽くステップを踏んで、その動きに異常がないことを見せたグレタは、ミリアムに深々と頭を下げた。
「ハーティア、実はまた手伝ってほしい案件があるんだが……」
「残念ね。私もうクランに入ったの、彼の、ね」
「そうか、シリューの『銀の羽』に……。なら、仕方ないなぁ」
エクストルはシリューとハーティアの顔を交互に見て、少し残念そうに肩を竦めた。
「ああ、そうそう。この一月でDランクのクランが二組、12人も消えてるそうだ。まあ、君たちなら心配ないと思うけど、山岳地帯に入る時は警戒を怠るなって、ギルドから注意喚起が出てるよ」
「12人が、消えた?」
死んだ、ではなく消えた。その言い方がシリューには気になった。
「ああ、詳しいことは今のところ分かってないみたいだ。なにせ、文字通り、何も残さずに消えたらしいから」
「そっか……あなたたちも十分気を付けて」
「ああ、ありがと。じゃあまたな」
ひょいと手を挙げて、エクストルとグレタの二人は出て行った。
シリューは二人の背中を見つめ、腕を組んで眉をひそめる。
「どうしたの、シリュー?」
「何か、思い当たることでも?」
ハーティアとミリアムが、不安げにシリューの顔を覗き込む。
「いや……誰だっけ? あの人」
「は?」
「え?」
「や、何であの人たち、俺のこと知ってんのかなぁと思って。もしかして、何処かで会ったかな?」
本気で考え込むシリューを、ミリアムもハーティアも、不思議なものを見るような目で見つめる。
「本気……ですよね?」
「記憶力……何処に置いてきたの?」
シリューは人の顔と名前を覚えるのが苦手だ。
それほど重要ではないと判断した相手は特に。
「彼はゴールドクラン『疾風の烈剣』のリーダー、エクストルさんです」
「彼女はサブリーダーのグレタよ。レグノスから王都まで、一緒だったでしょう」
「……ああっ!」
そこまで聞いて、ようやく思い出した。
「オルデラオクトナリアの時の! そっか、あの時の護衛の冒険者だっ」
シリューは得意げに頷いた。
「何そのドヤ顔。忘れていて、よくもまあ、話を合わせられたものね」
「ホント、そういうトコ、ずるいですよね。まあ、私の名前も、なかなか憶えてくれませんでしたけど」
呆れた表情を浮かべ溜息を零した二人の傍で、事の成り行きをクリスは静かに眺めていた。
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