【第286話】クリスティーナ
急ぐこともなく王都へ向かう馬車の荷台に揺られ、クリスはゆったりと流れる景色を眺めていた。
王都には以前住んでいたこともあるし、ジャーヴィスの教えを乞うためにリスバーンに戻ってからは、度々訪れる機会もあった。
いってみれば、いつもと変わらない光景を目にしているにすぎないのに、その変わらないはずの景色たちが、今日はやけに色づいている気がするのはなぜだろう。
空の青と雲の白が鮮やかなコントラストを描き、空気は山々の稜線を霞なく浮き立たせ、遠くに見え始めた王都の城壁さえ、反射した日の光を滲ませ輝いて見える。
「……まるで、お祭りを待つ子供、だな……」
ふと空を見上げたクリスは自嘲気味の笑みを浮かべ、心の高鳴りを抑えるように肩を竦めた。
「どうかしたかい?」
クリスの呟いた声が馬車と風の音に混じったのだろう、御者席で手綱を握る年配の男性が振り向いて尋ねた。
「ああ、いえ。独り言です。今日は空が綺麗だなと」
「うん、そうだねぇ、良い天気だ」
男性は空を仰いで、にっこりと目を細める。
「ハーンさん、今日はありがとう」
「いやいや、礼には及ばないよ。どうせ荷を運ぶ予定だったんだから」
クリスが今日何度目かのお礼を口にすると、ハーンはそう言って軽く首を振った。
何処から聞きつけたのか、クリスがリスバーンを出ることを知った彼は、いつも世話になっているお礼にと、王都まで送ってくれることを申し出てくれたのだ。
馬を使ってもよかったのだが、クランハウスに厩があるのかどうか確認するのを忘れてしまっていた。
例えあったとしても、馬の世話をするとなると手間もかかるし、だからと言って何処かに預けるのはお金がかかる。
クリスはハーンの申し出に、一も二もなく甘えることにした。
「冒険者になるんだってね。暫くは王都にいるのかい?」
「どうでしょう。依頼によっては離れるかもしれません」
〝いろんな所を見てまわりたい〟
エラールの森の夜、星空を見上げてシリューはそう言った。
まるで、失った何かを星々の中に探そうとするその時の横顔が、ひどく寂しそうに見えたのを、クリスは今でもはっきりと覚えている。
おそらくシリューは、王都に留まりはしない。
その言葉通り、いろいろな土地や国を巡るのだろう。
彼が何を探し求めているのかは分からない。
それでもクリスは、シリューの旅の終わりに幸のあることを、心から願っていた。
そして、できる事ならば、その旅の途中と終わりを彼の傍らで見ていたい。
関わった時間は短いというのに、何故これほどまでに心を惹かれているのか、何度自分に問い直してみても、結局答えらしい答えは見つからなかった。
心の奥から沸き上がる衝動を信じて、今は素直に突き動かされることが正しいと、それだけがクリスの出した結論だった。
「ジャーヴィスさんも、寂しくなるねぇ」
ハーンが、近づきつつある王都の城壁を眺めて、呟くように言った。
「それこそ、どうでしょう。祖父は若い頃から孤独を好む人だったと聞いていますから、また独りに戻れて喜んでいるのかも……」
今来た道を振り返り、クリスは地平線を見つめ、もう見えなくなったリスバーンに思いを馳せる。
昨夜はいつもより少し贅沢なご馳走と酒で、ジャーヴィスがささやかながらクリスの出立を祝ってくれた。
「自分の信じた道を往きなさい。元気でなクリス。悔いのないよう、精進するんだよ」
出発の際、ジャーヴィスが掛けてくれた最後の言葉は、剣に生きた彼らしい、旅立つクリスの行く末だけを思う、飾り気のない素朴なものだった。
ジャーヴィスの年齢を考えれば、生きているうちに会えることはないかもしれない。
そんなことは、本人も十分承知していたのだろう。ジャーヴィスは終始、穏やかな微笑を崩さなかった。
もちろん、命を落とすかもしれないのはクリスとて同じだ。
これから進もうとする道は、けっして平坦でも安全でもない。
災害級をたった一人で屠るシリューの力は、Aランク冒険者さえ遥かに凌駕し、もはや勇者に匹敵する。
そのシリューが、更なる力を求めるほどの敵。
彼が戦おうとしている相手は、クリスの想像もつかないほど強大な力を持っているはずだ。
志の半ばで、命を散らすかもしれない。
自分の力が及ばなければ、当然のようにその結末は訪れる。
エラールの森で、幾多の戦いの中で、何人もの仲間がそうであったように。
だが不安や寂しさよりも、クリスの心に溢れるのはこれからへの期待。
「……それに、別れは済ませてきましたので」
迷いはない。
今日の空は、そんなクリスの気持を後押しするように澄み切っている。
「そうかね」
ハーンはそれだけ言って、うんうんと頷いた。
やがて馬車は、長閑な穀倉地帯を越えて住宅地を通り、王都の第三城壁を抜ける。
「ハーンさん、ここで降ろしてもらえますか」
第二城壁まであと少しの所で、クリスは手綱を握るハーンに声を掛けた。
「いいのかい? ついでだから、クランハウスまで乗せて行くよ?」
「いえ。少し歩きたい気分なので」
止まった馬車の荷台から、クリスはひらりと飛び降りる。
「ありがとうございました。祖父のこと、たまには気にかけてやってください」
「うん。君も、身体に気を付けてね」
簡単な挨拶と一礼をして、クリスは第二城壁の門を潜り南西地区に向かった。
真上に昇った日が、石畳の道に小さな影を落としている。
もうそろそろ昼食の時間だ。
「何か買っていった方がいいのかな……」
昼食は一緒に、とは言われていたものの、手ぶらで行くのは厚かましくはないだろうか。
何か買っていくにしても、口に合わない物だったりしたら有難迷惑になりはしないか。
それより、自分から外食に誘うのはどうだろう。勿論、食事代を払うのは自分だ。
そんなことを考えているうちに、聞いていた住所の場所までやって来た。
「え……ホントに、ここ?」
2m程の塀に囲まれ、開け放たれた門の奥には綺麗に手入れされた広い庭。
白とグレーのツートンカラーで纏められた、落ち着きのある二階建ての家は、貴族の屋敷とは比べるまでもないとして、それでもかなり高級な部類に入るのは確かだ。
クリスが貰っていた給金では、一月の家賃にも足りないだろうことは、この家を一目みただけで予想がついた。
アントワーヌ家に仕えていたとはいえ、クリスは貴族でもなくただの騎士にすぎない。
冒険者だった父は、同じく冒険者でジャーヴィスの実娘の母と結婚した後、クリスが生まれたのをきっかけに引退、それまでの功績を認められ騎士となることができたらしい。
だから生活は安定していたし、お金に苦労することもなかったが、けっして贅沢な暮らしだったわけではない。
それは騎士として自立してからも変わらず、それなりの給金を貰ってはいたが、できるだけ質素な生活を心がけていた。
そして、今のクリスは無職だ。
「話には聞いていたけど、シリューくん、稼いでるんだ……はぁ」
クリスの零した溜息は、けっして落胆からのものではない。
エラールの森で、あの危機的な状況の中颯爽と現れた名も無き少年は、『深藍の執行者』『断罪の白き翼』と呼ばれ、今や『龍牙戦将』の称号を授与された、アルフォロメイ王国で知らぬ者はいない正真正銘の英雄だ。
巷では、あの勇者ヒュウガに並び立つと囁かれている。
「知らないうちに、随分と遠くまで進んだね……」
憧れと期待。
身の引き締まる熱い思いと、それとは別のほのかな想いと。
空を仰ぎ見て、大きく深呼吸をする。
「そうでなくては、追いかける甲斐もない、か」
決意は変わらない。
その背中に手が届くまで、何処までも駆けて行こう。
クリスは歩を進め、新たな旅路へと続く扉を叩いた。
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