【第284話】家族

 ベネティクトに案内された晩餐室では、すでに主のクラウディウスがシリューたちをもてなすために待ち構えていた。


「シリュー殿、奥方殿、よく来てくれた。ノエミもお帰り」


 相変わらず「奥方殿」呼ぶクラウディウスに、シリューはすっかり訂正する気もなくなっていたが、ミリアムはほんのりと染めた頬を両手で覆い、「困りますぅ」と小声で否定しながらも、嬉しさで口元が緩むのを抑えきれないようだった。


「さあさあ、席についてくれ」


 用意されていたテーブルは、意外なことに円卓だった。


 真っ白なクロスに覆われたテーブルの中央には銀の燭台が置かれ、それぞれの席に並べられたワイングラスに、蝋燭の明かりがきらきらと揺れている。


 三人の給仕たちが先ずはミリアム、シリューの順に椅子を引き、ついでクラウディウス、ハーティア、後にエドワール、エルネストと席についた。


 クラウディウスから右回りにハーティア、シリュー、ミリアム、エルネスト、エドワールという席順に、特別な意味があるのかどうかはわからないものの、シリューには何かしらの配慮がなされているように思えた。


 給仕たちが全てのグラスにワインを注ぎ終わるのを見計らって、クラウディウスは自分のグラスを目の前に掲げる。


「先ずは我々家族から、シリュー殿に感謝をこめて」


 続いてエドワール。


「それから、シリュー殿の『龍牙戦将』就任を祝して」


 さらにエルネストも。


「ハーティアの全快と、ここに集まった方々の健康を祈念して」


 これは、全員が一言ずつ挨拶をするルールなのだろうか。


 何も考えていなかったシリューとミリアムは、グラスを掲げつつ、自分に回ってきたらどうしようと焦った。


 助けを求めるようにハーティアを見ると、彼女はにっこり笑って首を振る。


「それでは皆、料理と酒と会話を楽しんでくれ」


 シリューたちの心配をよそに、クラウディウスがささやかな祝宴の開始を告げた。


 未成年のシリューは、当然酒を飲んだことはない。


 どうしたものかと迷っているうちに、ミリアムもハーティアもごく普通のことのようにグラスを口に運ぶのを目にして、シリューも思い切ってワインを一口喉に流し込んでみる。


 酸味と渋みがあるものの味は悪くはない。といっても、美味しいのかどうかはよく分からない。



【アルコールをレジストしました】



 不意に、セクレタリー・インターフェイスがそう告げた。


「毒と同じ扱い……」


 元の世界の養護施設にいたころ、アルコール依存症の親からの暴力で、数人の子が保護されていたことを考えると、あながち間違いではないのかもしれない。


 とりあえず、これでシリューが酒に酔うことはなくなったわけだ。


 それが良い事なのかどうかは別にして。


「シリュー殿は暫く王都で活動すると聞いたが、何か新たな依頼は受けたのかね?」


 会食が始まってすぐ、クラウディウスは当たり障りのない話題を挙げた。


 興味があってのことなのはもちろんだろうが、親睦を深めるためのきっかけにしたいのだろう。


「いいえ、今のところは何も。学院生活を続けるつもりでしたが、代わりに剣術を習おうと思っています」


「ほう、剣を。誰かに師事するのかね?」


「師事、というほどでもありませんが、友人で剣聖の孫にあたる人に、修行をつけて貰えることになりました」


「なんと、ジャーヴィス殿の……そういえばあのお方には、優秀な令孫がおいでだったな。名はたしか、クリスティーナ……」


 クラウディウスの口からクリスの名が出てきたことに、シリューは驚きを隠せなかった。


「クリスティーナさんをご存じなんですか?」


 クラウディウスはにこりと笑って頷く。


「ああ、一度ジャーヴィス殿に紹介されてね。その頃はまだ幼かったが、大人顔負けの才を見せていた。何故そんなことを、といった顔をしておられるな。いやなに、実は私も倅のエドワールもジャーヴィス殿の弟子なのだよ」


「僕は、剣はからっきしですけどね」


 父親の言葉に頷くエドワールの隣で、エルネストは自嘲気味に笑って肩を竦めた。


「医の道に進んだエルネストはともかく、ノエミ。シリュー殿について冒険者を続けたいのなら、お前もクリスティーナ殿にお願いしてはどうだ?」


「そ、それは……」


 魔導士であっても、護身のために剣術を身に着けておくのは悪くない。


 それにシリューが頼めば、クリスが嫌な顔をすることはないだろう。


 だがハーティアはよほど自信がないのか、困ったように眉根を寄せるだけで、はっきりと返事をしない。


「せめてダガーくらいでも使えるようになってくれると、俺も安心なんだけどなぁ」


「え?」


「ほら、戦闘になれば俺はもちろん、ミリアムだって前に出るだろ? そうなると、ハーティアは後ろで一人になるから、ちょっと心配なんだよ」


 真摯な眼差しで真っすぐに見つめられたハーティアは、頬が熱くなるのを感じて思わず顔を伏せる。


「ええ、そうねっ。貴方に心配は掛けたくないから、お願いしてみようかしら」


 ハーティアの頭の上で、猫耳がひょこひょこと忙しなく動く。


「おやおや、私の助言には耳を貸さないというのに。これからは、シリュー殿を通した方が良さそうだな」


「と、父さまっっ」


 ハーティアは赤く染まった顔を更に真っ赤にして、クラウディウスを潤んだ目でねめつけるのだった。


 ふとシリューがミリアムに目を向けると、彼女はいつになく穏やかな微笑を浮かべていた。


 シリューにはそれが、何処か寂しげにも映った。



◇◇◇◇◇



 終始和やかな空気に包まれたまま、晩餐会はお開きとなった。


 もう少し家族水入らずで語り合いたいというエルネストの提案で、ハーティアだけはこのまま家に泊まり、クランハウスには明日の午前中戻ることになった。


「おやすみシリュー、ミリアム。気を付けて帰ってね。羽目を外し過ぎては駄目よ?」


「いや、俺たちこれから帰って寝るだけなんだけど」


 だからこそ、とハーティアは付け加えたものの、シリューにはさっぱり意味がわからない。


「おやすみなさぁい、ハーティア。だいじょうぶですよぉ」


「あの、だから、何の話?」


 結局、ミリアムもハーティアもシリューの疑問には答えてくれず、二人してにんまりと笑っただけだった。


 ハーティアたち家族に見送られ館を出ると、満月の青白い光が夜の庭を明るく照らしていた。


 髪を揺らす夜風が心地いい。


 馬車で送ろうと言ってくれたクラウディウスの申し出を丁寧に断り、シリューたちは月明りの街をのんびりと歩いて帰る。


「少し酔っちゃったみたい。ねえ、くっついてもいい?」


 通りに出ると、ミリアムはそう言ってシリューの返事も聞かず腕にしがみついた。


 敬語を使っていないところをみると、どうやら本当に酔っているようだ。


「なんなら、お姫様抱っこで飛んで行こうか?」


「むりぃ、吐いちゃうかも」


「そのときは、ちゃんと着替えさせて洗ってやるよ」


 酔っていないはずのシリューだったが、場の雰囲気に酔ったのか、いつもは言わないような台詞を口にする。


「えっち。どこを洗う気?」


 妖艶な笑みで上目遣いに見つめられ、シリューはハッと我に返った。


「いや、ごめんっ、調子に乗った……」


「乗るのは調子だけ? もっと別のものに乗ってみたくなぁい?」


 ミリアムの手がいざなうように宙を舞い、そのふくよかな胸にとまる。


「試してみる? 乗りご・こ・ち」


 ぴったりと躰を寄せてくるミリアムが、甘く艶っぽい声で囁く。


 吐息が耳をくすぐり、ぞくりと全身が震える。


 いつになく大胆で、日ごろ揶揄ってくるときよりも艶めかしく見えるのは、間違いなくワインに酔ったせいだろうか。


「あの、とりあえず、酔い醒まそうな……」


 シリューにはそう答えるのが精一杯だった。


「……へたれ……」


 ミリアムの一言が胸に刺さる。


 ただ、クランハウスに帰り着くまでに酔いも冷めたのか、


「ご、ごめんなさいっ。変なコト言っちゃいましたあああ」


 ミリアムは「忘れてくださぁい!」と、ひたすら頭を下げまくった。


 当然その後は、何事もなくお互い部屋に戻り床に就いた、へたれ同士の二人だった。


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