【第283話】お願い……

 ハーティアの狼狽した姿は、シリューを驚かせるのに十分な効果があった。


 常に冷静でどちらかと言えば冷めた態度をとる彼女が、これほど切羽詰まった様子を見せるのは珍しい。


「大変って、何かあったのか?」


 手紙の内容が原因なのは容易に予想がつく。


 ハーティアが助けを求めているのならば、それはシリューにとって最優先に取り組むべき案件だ。


「あの、それが……」


 ところが、どうにもハーティアの歯切れが悪い。


 いつもなら相手を真っすぐに見つめて、手厳しい意見もはっきりと口にするはずなのに、今は何故か困ったように眉根を寄せ、もじもじと躰を揺らし目を合わせようとしない。


「……お願いが、あって……」


 あのハーティアがここまで躊躇する『お願い』とは、いったい何だろう。


 興味をそそられるし、そもそもハーティアからお願いされるなど、今までになかったことだ。


「お願いって……俺と」


「私に、ですか?」


 ハーティアはこくりと頷いた。


 よほど落ち着かないのか、彼女の猫耳は忙しなくひょこひょこ動いている。


 シリューは黙ってハーティアの言葉を待ったものの、いつまで経っても彼女が口を開く様子はない。


 気を遣ったミリアムが、ちらりとシリューに目配せをする。


「何だよ、遠慮することないだろ? お前がお願いって言うんだから、無下に断ったりしないし、大概のことならしてやれると思うよ。とりあえず、話してみれば?」


「そ、そうね。あの、嫌なら断ってくれてもいいの。実は、父さまから食事会のお誘いが来ていて……それで、貴方とミリアムもぜひ招待したいって……本当に、無理なら断っても……」


「いいよ」


「そ、そうよねっ。当然ダメに決まっているわよねっ。父さまにはちゃんと断わりを入れて、私だけっ…………え? え、まって……いいの?」


「うん」


 何の迷いもなく即答したシリューの顔を、ハーティアはキョトンとした表情で見つめる。


「本当に?」


「いや、何でそんな不思議そうな顔してるのか分かんないんだけど……ミリアムもいいよな?」


「はいっ。私まで招待していただけるなんて、嬉しいです」


 シリューが尋ねると、ミリアムは声を弾ませて笑った。


「それで、いつなんだ?」


「あ、ええ、明後日の夜なのだけれど、大丈夫かしら」


「うん。依頼も受けてないし、クリスさんが来るのは三日後だから、問題ないよ」


「そう、良かった……」


 ほっと胸を撫でおろすハーティアの口元に、嫋やかな微笑が浮かぶ。


 その安堵した笑顔を目にしたシリューは、彼女が何故ためらったり戸惑ったりしたのか、何となく察しがついてしまった。


「もしかして、俺が断るとか思ってた?」


「え? ええ、そうね。ミリアムはともかく、貴方はこんなこと、その、嫌いだと思っていたから……」


 たしかに、堅苦しい式典や会議、煌びやかなパーティーなどはあまり好きではない。


 そのことを知っているからこそ、ハーティアは迷ったのだろう。


「変に気を遣わせてごめんな。でも、大切な相手の、大切な家族からの招待をさ、絶対に断ったりしないよ」


「えっ……は、はい……あの、ありがとう」


 ハーティアは頬を真っ赤に染めて俯いた。


「さらっとそういうコト言えちゃうのって、どうなんでしょうね」


 それがシリューの良いところであり悪いところでもある。と、ミリアムは肩を竦めた。



◇◇◇◇◇



 そんなやり取りがあってから二日後の夜。


 シリューたちは招待された食事会に参加するため、ポードレール家の館を訪れていた。


「本当に、平気? 嫌じゃない?」


 ハーティアは未だに気を遣っているようで、何度も同じことを尋ねてきた。


「嫌じゃないよ。ってか、実は俺も楽しみにしてたんだ。親父さんともゆっくり話してみたかったし、それに料理も」


「料理メインですよね」


「まあ、そう……って、うるさいな」


 すかさずミリアムが茶々を入れ、シリューはついつい本音を漏らしてしまう。


 もちろんミリアムも、ただ話に水を差すつもりでそんなことを言ったわけではないし、ハーティアもそんなミリアムの心遣いに気付いていた。


「ま、そういうことだから、皆で楽しもう」


 シリューは涼し気に笑って、ハーティアの頭をぽんぽんっと優しく撫でる。


「にゃぁ」


 ぺたんっと猫耳を寝かせ、気持ちよさそうに目を細めるハーティアは、どうやら自分が漏らした声には気付いていないようだ。


 あえてそのことには触れず、シリューはエントランスの扉に設えられた、おそらく鳳凰をモチーフにしたのであろうノッカーを叩く。


 以前ここを訪れたときもそうだったようにいくらも間を置かず扉が開かれ、これも以前と同じく、黒い服に身を包んだ執事のベネティクトが現れた。


「お待ちしておりました。お帰りなさいませハーティア様。ようこそおいでくださいました、シリュー・アスカ様、ミリアム様」


 深々とお辞儀をした後、ベネティクトは三人を応接室へ通した。


「準備が整い次第お呼びいたしますので、申し訳ございませんが暫くの間こちらでお寛ぎくださいませ」


 応接室にはすでにメイドが待機していて、シリューたちがソファーに腰を下ろすなり、テーブルにティーカップを並べ紅茶を注ぐ。


 エントランスでの出迎えからここまで淀みのない一連の流れは、先日ハーティアに連れられて行った高級レストランにも引けを取らない。


「流石はポードレール家……私、ちょっと緊張してきちゃいましたぁ。本当に、平服で良かったんでしょうか……」


 豪奢な造りの部屋と、見るからに高そうな調度品。


 初めて目にする貴族の館に、ミリアムは目を回して不安そうな声を漏らす。


「ええ、大丈夫よ。それに貴方の法衣は正式な礼服でもあるでしょう」


 ハーティアが優しく声を掛けると、ミリアムは少し安心したようで、硬く強張らせていた表情を緩ませる。


「心配するな。緊張してるのは、お前だけじゃないから」


 そう笑って、シリューがティーカップを口に運ぼうとした時。


 何やら騒々しい声と足音が聞こえたかと思うと、ノックもなしに扉が勢いよく開かれた。


「ティア!」


 飛び込むように入って来た金髪の青年が、ハーティアの姿を見るなり満面の笑みを浮かべて叫んだ。


「エルネスト兄さま!?」


 驚いて立ち上がったハーティアに、エルネストと呼ばれた青年がつかつかと近づき、抱擁しそうな勢いでその両肩を掴む。


「ああティア! 父上からの便りでは信じられなかったけど、顔色も良いし髪の艶も戻っている。病気がすっかり治ったというのは、本当なんだね!!」


「は、はい、あの……」


 久しぶりに会うエルネストの高すぎるテンションに、ハーティアは思わず言葉を詰まらせた。


 そんな興奮状態の弟を、兄のエドワールが静かに諫める。


「おいおいエル。お客様の前だぞ」


「あ、これは失礼しました」


 エルネストはハーティアから両手を放し、シリューたちに向き直って恭しく最敬礼をした。


「私はハーティアの兄、エルネスト・ポードレールと申します」


 エドワールがエルネストの横に並び後に続く。


「同じく、エドワール・ポードレールです」


 シリューとミリアムも慌てて立ち上がる。


「シリュー・アスカです。ご無沙汰しております、エドワール様。初めまして、エルネスト様」


「お初にお目にかかります、ミリアムと申します」


 さきほどまでの緊張が嘘のように、ミリアムの所作は落ち着き洗練されていた。


「堅苦しい挨拶はここまでにしようじゃないか。シリュー殿、ハーティアのこと……」


「そこから先は私に言わせてください、兄上!」


 感謝の言葉を口にしようとしたエドワールを、エルネストは身を乗り出して制した。


「シリュー殿。妹を救っていただき、何とお礼を申し上げてよいやら、本当に感謝の言葉もございません」


「あ、いえ、俺一人の力じゃありませんから……」


 そう、けっしてシリュー一人の力ではない。


 ミリアムとヒスイの協力があってこそ、シリューはその能力を存分に発揮できたのだ。


「ハーちゃんは頑張ったの、です。ミリちゃんも、ご主人様も!」


「ヒスイもね」


 いきなりあらわれたヒスイの姿に、エドワールとエルネストは目を丸くした。


「噂は聞いていたが……本当にピクシーを従えているんだ……」


「初めて見ました……」


 二人が驚愕しているうちに、晩餐の準備が整ったことを告げにベネティクトがやって来た。



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