【第282話】異変の予兆
冒険者ギルド本部の本部長室。
午前中に各部門から提出された報告書に目を通し終えたエリアスは、軽い昼食を済ませた後、日課である暫しのティータイムをのんびりとした気分で楽しんでいた。
魔神関連の事後処理で慌ただしかった日々も少し落ち着き、今はこうしてゆっくりと王都の街を眺めながら紅茶を飲む時間も取れるようになった。
街並みの先に見える、緩やかな緑の稜線にふと目を向け、その山々の向こうにある、永らく帰っていない故郷のアストワールへと思いを馳せる。
「さて、どうしたものかの……」
ついつい独り言を零してしまう悩み。
妹のアリエルとシリューを会わせるべきか、エリアスは未だにその答えを出せずにいた。
こんこんこん。
そんな物思い中から現実に引き戻すように、執務室のドアをノックする音が響いた。
「入れ」
失礼します、と挨拶して入ってきたのは秘書のナターシャだった。
「何かあったか?」
エリアスは手ぶらのナターシャを見て尋ねた。
補佐官でもある彼女が、報告の書類も持たずにこの部屋を訪れる時は、何かしら特殊な要件である場合がほとんどだ。
「はい。少々気になることがありまして。エリアス様のお耳に入れるべきかと考えました。よろしいでしょうか」
「気になること、とな? そなたがそう考えるのならば、余程のことじゃろう。構わぬ、話してみよ」
エリアスの許しを得て、ナターシャはゆっくりと頷く。
「実は、この一月で二組のクランが消息を絶ちました。どちらもDからCへ昇格間近な者たちです」
「二組か……じゃが、さほど珍しくもないじゃろう?」
冒険者の仕事は、名声や高い報酬得られることと引き換えに、非常に大きな危険を伴う。
現にこの本部に所属する冒険者たちも、年間で三割以上が命を落とす。
更に一割の者は、クエストを達成できずに逃走を図る。
エリアスの言う通り、二組程度のクランが消息不明になったところで、なんら特別なことではない。
「そうなのですが、彼らの実力を鑑みれば、失敗するようなクエストでもなく、逃走とは考えにくいのです」
「想定外にランクの高い魔物に襲われた、という可能性は?」
「もちろん、そうかもしれません。ですが合わせて12人、それに荷物も馬車も何一つ見つかっていないのです」
ナターシャはそう言って眉をひそめた。
逃走でも魔物でもないとすると、後は野盗の類いを疑いたくなるが、そもそも冒険者がクエストに臨む際、大した金銭を持ち歩くはずもない。
Dランクならば、装備にしてもさほど価値のある物を所持しているわけでもない。
何より、現役の冒険者を襲うなど、リスクが高すぎてとても割に合わない。
「ううむ。今のところは何とも言えんの。とりあえず、皆に注意喚起しておいてくれ」
「承知いたしました」
ナターシャはエリアスの指示に頷き、執務室を出て行った。
「面倒なことにならぬと良いのじゃが……」
窓の外に広がる山々を見つめ、エリアスは大きな溜息を零した。
◇◇◇◇◇
「じゃあ、俺たちはこれで。今日はありがとうございました」
「うん。では、三日後に」
昼食をご馳走になった後、シリューたち三人は笑顔のクリスとジャーヴィスに見送られ、リスバーンの街を離れた。
クリスについては、所用を済ませ三日後に合流するということで話しが決まった。
ジャーヴィスも「少し寂しくはなるが」とは言ったものの、孫が広い世界に飛び出してゆくことを喜ばしく思っていたようだ。
「クリスは色々と不器用なところはあるが、情に厚い良い娘だ。よろしく頼むよ、シリュー殿」
「お、おじいちゃ、様……その言い方はちょっと……」
「はい。こちらこそ、よろしくお願いします」
「これからも、たまには顔を見せにおいで」
「ええ、是非」
「いや、何? この会話……」
どことなく意味を含んだ言い回しのジャーヴィスと、それにごく普通に答えるシリュー。
二人の微妙なやり取りに、クリスは少し頬を赤らめて俯く。
「何でしょう。ジャーヴィス様から、ハーティアの御父上様と同じ匂いがします」
「そうね……ごめんなさい」
腕を組んで眉根を寄せるミリアムに向かって、ハーティアは何故か目を伏せて謝っていた。
リスバーンを出て王都へ帰る道中を、シリューたち はお互い特に話しかけることもなく進んだ。
いや、ミリアムとハーティアの二人は、御者席で何やらぼそぼそと話しては頷き合っていたりしていたのだが、シリューがその輪に入れる雰囲気ではなかったというのが正しい。
そのミリアムとハーティアが、ようやくシリューにも聞こえる声で話したのは、王都に入り馬車を冒険者ギルドへ返して、クランハウスの前まで戻ってきた時だった。
「あれ? お家の前に誰かいますね? もしかして、冒険者ギルドの人でしょうか?」
「あれは……」
ハーティアはその人物に見覚えがあった。
「ああ、お嬢様。お帰りなさいませ」
ハーティアの姿を見つけたその人物が、にこやかにお辞儀をした。
「ドイル? どうしてここに?」
「お館様から、火急の言伝を預かって参りました」
ドイルと呼ばれた黒服の男性は、大事そうに携えていた手紙をハーティアに献じる。
「父さまから? 何かしら……」
火急の要件と言われても思い当たるようなこともなく、しかもクラウディウスはどちらかと言えば筆不精な方だ。
ハーティアは手に取った手紙を訝し気に眺め、くるりと裏を向けた。
ご丁寧に封蝋と
気にはなるものの、印璽までされた手紙を今ここで開封するわけにもいかず、ハーティアは逸る気持ちを抑え、手紙をそっと胸に抱いた。
「ご苦労様ドイル。手紙は後程読みます。返事が必要なことであれば、私が直接伺います」
「はい、ではわたくしはこれで失礼いたします。ハーティア様、お二方様、ご機嫌麗しゅう」
ドイルは深々とお辞儀をして去って行った。
ハーティアが特に紹介をしなかったのは、彼が館の使用人の一人にすぎないからだろう。
それよりも、少し前まではあれだけギクシャクしていたハーティアとクラウディウスの関係が、手紙のやり取りをするほどに改善していることが、シリューには微笑ましく思えた。
「大袈裟ね、父さまも。言いたいことがあるなら、直接言えばいいと思うのだけれど……」
と、いいつつ、ハーティアも満更ではなさそうだ。
「そう思うんだったら、たまには家に帰ればいいじゃないか。お前、あれから一度も帰ってないんだろ?」
「まあ、それは……でも、なんだか少し面映ゆいのよ。私も、たぶん父さまも……」
わだかまりが解けたとはいえ、元通りの関係に戻るにはもう少し時間が必要ということか。
ハーティアはとことこと駆け出し、二人を置いてクランハウスに入って行った。
「そうなんですね……?」
ミリアムが小首を傾げて、問いかけるようにシリューを見つめた。
「う~ん、実は俺もよく分からない」
ミリアムは幼い頃に両親を亡くしているし、シリューは生まれてすぐに捨てられている。
父親や母親、それに家族がどんなものなのか、物語や他人を見て知識としては知っていても、実際の暮らしぶりやお互いの接し方などを肌で感じることはなく、せいぜい想像することしかできない。
「あは、変なこと聞いちゃいましたね。ごめんなさい」
ミリアムの声はいつもと変わらず明るかったものの、その笑顔にはほんの僅か、寂しさが滲んでいるように見えた。
「いや、別に謝るほどのことじゃないよ。それよりほら、クリスさんに使ってもらう部屋。夕食前に片付けておこうか」
ぽんぽんっと頭を撫でると、ミリアムは心地良さそうに目を細める。
「ですねっ」
それから玄関を入り、二階へ上がって掃除の準備をしようとしたところへ、
「大変! 二人ともお願いがあるの!」
ハーティアが普段見せることのない慌てた様子で、自分の部屋から飛び出して来た。
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