【第280話】勝負あり!

「先程は失礼した……そのっ、前もって連絡をしてくれれば、もっとましな出迎えができたんだが……」


 廊下に消えて行ったクリスが、戻って来るのに10分と掛かっただろうか。


 その短い間にどうやったのか、髪は綺麗に櫛で梳かされ、折り目の付いて清潔な白いシャツと水色のスカートに着替えられていた。


「まさか……シリューくんの方から訪ねてくれると、思ってなくて……」


 初めこそ凛とした態度を見せようとしたものの、それも長くは続かなかったようで、クリスはまるで恋する少女のように頬を染めて躰を捩る。


「急に思いついて……迷惑でしたか?」


「迷惑じゃないよっっ」


 あまりの即答ぶりに、ミリアムもハーティアも思わず目を丸くした。


 それに話し方も。


 王都で助けてもらった時や治療院で挨拶を交わした時に比べて、随分と雰囲気が違う。


「あの、これってやっぱり……」


「そうね……そうだわ……」


 ミリアムとハーティアは、この短いやり取りで何かを悟ったように頷きあった。


「それで、あのっ。今日はどんな要件、だったのかな?」


 客室のテーブルに淹れたての紅茶が入ったティーカップを並べ、シリューたち三人の向かいに、ジャーヴィスと並んで腰かけたクリスが少し上ずった声で尋ねた。


「そうだ、とりあえずこれを」


 シリューは椅子から立ち上がると、ガイアストレージから魔剣を取り出しテーブルの上に置く。


「これは……」


 目を見張ったジャーヴィスは、一度シリューに断りを入れて魔剣を手に取り鞘から引き抜いた。


「間違いなく、以前ここから盗まれた無銘の魔剣……一体これを何処で?」


「ヴィオラ・エルナンデルという女性から奪い返しました。見た目はエルフと変わりませんが、多分ダークエルフです。詳しくは言えないんですけど、彼女は俺が追っていた事件の首謀者で、その剣を使って更に何かを企てていたようです」


「では、その前に、君が?」


 剣を持ったまま、ジャーヴィスは静かにシリューを見つめる。


 穏やかだが、鋭い視線だ。


 シリューはゆっくりと頷く。


 ヴィオラがこの道場の出身者であることを告げると、ジャーヴィスは深く息をつき、剣を鞘に納めて深々と頭を下げるのだった。


「そうか……ヴィオラという名に覚えはないが、おそらく偽名を名乗っていたのだろう。そういえば一人、魔剣が盗まれてから半年経ったころ、ここを出て行った娘がいたな……名はたしか、エルーモア……」


 エルーモアは、自分をハーフエルフだと周りには伝えていたらしい。


 剣の才に溢れ、修行をしたのは三年ほどだったにもかかわらず、師範級の腕前にまで成長した彼女を、ジャーヴィスは後継者の一人と期待していた。


 そのため、彼女が辞めると告げた時には、ジャーヴィスも随分と引き留めたのだ。


 ただ、辞める理由に不自然なところはなく、当時は誰もエルーモアと魔剣の盗難を結びつける者はいなかった。


「私の弟子が迷惑をお掛けしたね。お詫びとお礼を兼ねて、この剣はぜひ買い取らせてくれ」


 ジャーヴィスがそう言って、隣のクリスに目配せをすると、クリスは頷いて椅子から立ち上がる。


「ああ、いえっ。待ってください」


 そんな二人を、シリューは慌てて止めた。


 略奪品や盗品の所有権は奪還者にあり、元々の所有者であっても、取り戻すためには相応の金品を奪還者へ支払うのがこの世界のルールだ。


 とはいえ、シリューは二人からか金を取るなど考えてもいなかった。


「魔剣を取り戻したのは偶々です。それにお礼なら、クリスさんに仲間を助けてもらいましたから」


 こちらからお礼をしたいくらいだと言うシリューに、ミリアムとハーティアもこくんっと頷く。


「うーむ……君がそう言ってくれるのなら、お言葉に甘えさせてもらうよ。でもね、まだお詫びの方が残っているだろう?」


「そうだよ、シリューくん」


 にこにこと笑顔を崩さないジャーヴィスとクリスには、どうあっても引き下がる気はないようだ。


「なら、一つお願いが……実は、それが今日クリスさんに会いに来た目的なんです」


「私に……お願い?」


 お願い、と言われて、クリスの表情が明らかに色めく。


「えっと……ほんのちょっとでいいんです。クリスさんに、剣を教えてほしくて……ダメ、ですか?」


 断わり辛い状況を作っていると自覚しているシリューは、遠慮がちにそう尋ねてみた。


 ただそれは、当然のようにシリューの杞憂に終わった。


「なぁんだ、そのくらいのこと。良いに決まってるじゃないか。まったく、シリューくんって、変なところで遠慮深いんだから」


 と、クリスは気にする様子もない。


 それどころかシリューにお願いをされて、うきうきと嬉しそうな態度を隠そうともしない。


「あれ? でも……」


 そんなクリスの表情から一瞬で笑顔が消える。


「君の戦闘スタイルは、連射性に優れた高威力の魔法と、圧倒的なスピードを生かした徒手空拳の格闘術、だったよね……?」


 クリスは頭に浮かんだ疑問を、素直に口にした。


 得意分野を極めようというのなら理解できても、今更剣術を修得しようとする理由がわからない。


「何か、あった?」


 真っすぐに向けたクリスの眼差しに、シリューは少しだけ戸惑いの表情を浮かべる。


「ええっと……」


「ああ、すまない。これは余計な詮索だったね」


 クリスはそれ以上尋ねることもなく席を立ち、シリューを屋外の練武場へと案内した。



◇◇◇◇◇



「先ずは、今の君の実力を見せてくれ」


 練武場の真ん中に立ったクリスが、訓練用の剣を鞘から抜いて構える。


 訓練用とはいえ、刃が入れられていなだけの真剣を用いているため、身体に当たればかなりのダメージを受けてしまう。


 そのため、クリスは胸部や腕の一部をガードする軽鎧を、シリューはいつもの藍の装備を身に着けていた。


 あくまでシリューの実力を確認することが目的だから、お互い頭は狙わない。


「魔法は抜き、後は君の得意な戦法で。全力を出してくれ。ああそれに、空を飛ぶのは無し、ね」


「はい」


 大きく間合いを開けたシリューは双剣を逆手に構え、スタンディングスタートのような姿勢を取る。


「それでは……始め!」


 ジャーヴィスの合図とともにシリューが地を蹴り、一瞬のうちにクリスとの間合いを詰める。


「ほう、これは」


 そのスピードはジャーヴィスさえも感嘆させるものだった。


 だが、すれ違いざまに振り抜いたシリューの右手の剣を、クリスは一歩左に踏み込み、いとも簡単に躱した。


 もちろん、それはシリューも織り込み済みだ。


 すぐさま切り返し、右手の剣で背を向けたままのクリスへ斬りかかる。


 クリスは今度は躱さず、正面からがっちりと剣で受け止めた。


 同時にシリューの脚も止まる。


 クリスは覇力の身体強化によって、シリューの剣を弾くように押し返す。


「はああっ」


 すかさずシリューは左の剣を振り上げるが、切っ先を下に向けてそれを受け、回転させた剣でそのままいなす。


 一瞬のうちに攻防が入れ替わった。


 クリスはシリューの右肩を狙って袈裟懸けに斬り下ろす。


 シリューは若干腰を落とし同時に一歩右にずれ、クリスの剣は空を斬る。


 が、その動きを読んでいたのか、クリスは剣を振り切る前に切り返し、隙のできたシリューの左脇腹を薙ぐ。


 咄嗟にシリューは後ろへ飛び、再び間合いを取った。


 足を止めての打ち合いは分が悪い。そう判断したシリューは全力のスピードで左に駆け出す。


「やはり、そうくるか」


 距離を開けてクリスの周囲を駆けるシリューが、何の前触れもなく方向を変た。


 常人の目には影が流れたようにしか見えないだろう動きも、クリスはしっかりと捉え剣の切っ先を向ける。


 と、シリューの身体が一瞬左に揺れた。


 クリスの目がその動きにつられる。


 次の瞬間。


 まるで蝋燭の火が風に吹かれたように、クリスの視界からシリューが消えた。


 超高速のフェイント。


 ほぼ同じタイミングでクリスは大きく一歩足を引き、更に前屈して姿勢を下げながら、剣を右側へと水平に構えた。


 狙いは、シリューの脚だ。


「くっ」


 体勢を崩しながらもジャンプし、シリューは辛うじてクリスの剣を跳び越す。


 空中で回転、着地と同時に身を屈め振り向きざまに防御の構えを取る。


 が。


「え?」


 当然、追撃してくるであろうはずのクリスの姿は、そこになかった。


「勝負あった、ね」


 背後からクリスの声が聞こえ、シリューの首筋を撫でるように、剣が押し当てられた。



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