【第279話】楽隠居の剣聖

 驚いたのはその老人だけではない。


「ジャーヴィス様!? シリューさん、どういうこと、ですか?」


「貴方、ジャーヴィス様を知っていたの!?」


 ミリアムもハーティアも、通りすがりの老人をジャーヴィスと呼んだシリューに、あり得ないものを見るような目を向ける。


「はて、耄碌してしまったかな? 君とは初対面のはずだが……どうして私がジャーヴィスだと分かったのかね?」


 老人は特に隠すでもなく、あっさりと本人であることを認めた。


「私はもう、二十年以上も公の場に出てはいないし、君のような若い人が、私の顔を知っているとも思えないんだが……?」


 是非とも理由を聞かせてくれ、とジャーヴィスは続けた。


「ええと、いくつか気になったんです。その籠の野菜、ほとんど土が付いてないですよね。それに農具も持ってない。ってことは、今畑で採ってきたんじゃなくて、買ったのか分けてもらったんだろうなって」


 ジャーヴィスはうんうんと頷く。


 実際、この野菜は知人から分けてもらった物だった。


「荷物を担いでいるにもかかわらず、背筋はしゃんとしてるし、老人とは思えないほど、足の運びもしっかりしてる」


 それほど日焼けもしていない、とも付け加える。


「それに、声を掛けたとき、肩紐を握っていた手を、咄嗟に放しましたよね? あと、振り向くと同時に、左足のつま先を俺の方に向けた。ほら」


 シリューはそう言うと、自分に向けられたジャーヴィスのつま先を指差した。


「それって、何かあった場合、真っ先に俺を倒すためでしょう?」


「ふむ……」


「そんなカンジで、ただの農夫じゃないだろうな、と。農耕と牧畜がメインのこの街で、そんな人は一人しか思いつきませんでした」


 ほんの遊び心で自分の勘を試してみただけなので、【解析】のスキルはあえて使っていない。


「ははは、そこまで見透かされておったとは。あの一瞬でそこまで判断するとは、いやはや大した洞察力だ。それに……」


 ジャーヴィスは少し間、しげしげとシリューの顔を見つめた。


「なかなか肝の座った目をしていなさる。これまでに、随分と修羅場をくぐってきたようだね」


「あはは……それは、どうなのかなぁ……」


 ジャーヴィスの指摘通り、今まで何度も際どい戦いを経験してきた。


 ただシリューの心の中で、それらを何とか切り抜けられたのは自身の努力ではなく、『生々流転』というギフトのお陰だとの思いが強く、素直に受け入れることができなかった。


「シリュー。謙遜も度が過ぎれば嫌味になるわよ」


「そうですよ、シリューさん」


 ハーティアとミリアムが煮え切らない返事のシリューに、少し呆れた顔で肩を竦める。


「はて、シリュー……シリュー、殿?」


 すると、ジャーヴィスは何か思い当たることでもあるのか、シリューの名前をぼそぼそと繰り返し、まるでそこに答えがあるかのように空を見上げた。


「申し遅れました。クラン『銀の羽根』のリーダーで、冒険者のシリュー・アスカといいます」


 敵意がないことを示すために、シリューが馬車を降りて丁寧に名乗ると、ジャーヴィスはようやく思い出したようで、嬉しそうに満面の笑みを浮かべる。


「そうか、君が。いや、孫のクリスから話は聞いているよ。なるほどなるほど、君がねぇ……」


 クリスからどんな話を聞いているのか、ジャーヴィスはうんうんと納得した様子で頷いた。


「ジャーヴィス様。お初にお目にかかります。魔導士、ハーティア・ノエミ・ポードレールです」


勇神官モンクのミリアムです」


 ミリアムとハーティアも御者席から降り、シリューの後ろに並んで挨拶をする。


「おやおや、これはご丁寧に。改めて、ジャーヴィス・フロイド・ギャレットだよ」


 気さくな笑顔で答えたジャーヴィスを、シリューは家までの短い道中ですがと、再度馬車に乗ることを勧めた。


 柔らかな日差しと穏やかなそよ風。


 知らない者同士が馬車に揺られ、とりとめのない会話に花を咲かせるにはぴったりの日だ。


「では、ご一緒させてもらおうかな」


 ジャーヴィスはステップを使うことなく、ひょいっと馬車の荷台へ飛び上がった。



◇◇◇◇◇



 剣聖と呼ばれ勇名を馳せたジャーヴィスも今ではすっかり険がとれたらしく、お喋り好きの好々爺然とした、接する人まで穏やかな気持ちにさせるような人物だった。


 シリューたちの抱いていたイメージとは随分違う。


「殺伐とした修羅場や揉め事は、もう十分経験してきた。幸いにして家族も持てたし、優秀な弟子たちもそれぞれに独り立ちしてくれた。今はのんびりと、隠居暮らしを満喫させてもらっているよ」


 ときどき街の人たちの手伝いをしたり趣味の絵を描いたりと、ジャーヴィスはここでの暮らしがたいそう気に入っているらしく、目を細めながらしみじみと語った。


「アントワーヌ家の騎士になったクリスが、もう一度稽古をつけて欲しいと、いつだったかふらっと帰って来てね」


 レグノスで別れるときにそう言っていたから、クリスは言葉通りあの後すぐにジャーヴィスの元を訪ねたのだろう。


「忠誠心と責任感の強いあの子が、どうして職務を離れてまで修行を願うのか、その時は少し不思議だったんだが……」


 ジャーヴィスは、まじまじとシリューを見つめた。


「ふむ……クリスの言葉の意味が、分かったよ」


「クリスさんは、何て?」


 自分の未熟さを痛感した。たしかそんな理由だったとシリューは記憶している。


「隣に並び立つことはできなくても、せめて斜め後ろをついて行きたいと思う人がいる……とね」


 それまで、あまり興味を示さなかったミリアムとハーティアが、ジャーヴィスの言葉に鋭く反応した。


 ミリアムはわざとらしく背もたれにもたれかかり、ハーティアは顔こそ前を向いているものの、猫耳がひょこひょこと動いている。


 ただ、シリューだけは何も感じていないようだ。


「へぇ、クリスさんにそこまで思わせるなんて、相当凄い人なんだろうなぁ……」


 もちろん、シリューは本気だ。


「馬鹿なの……シリュー。本気で心配になってきたわ……」


「ホントに……アホの子です。ダイジョウブですか? シリューさん……」


 ハーティアとミリアムの表情は怒りを通り越し、もはや憐みの色で塗りつぶされている。


「いや、いきなり何だよ……」


 今の話の流れなら、ミリアムたちの言い分は絶対に正しい。


 それが解っていないのは、シリューただ一人。


「はははは、君は面白いねぇ」


「えっと、よくわからないけど、そうですか……?」


 どこに面白い要素があったのか、シリューは首を傾げる。


「ああ、いやいや。気にしないでくれ。それよりほら、そこが家だよ」


 ジャーヴィスが指さした先には、古くはあるが立派な門構えの家があった。


 最盛期には五十人以上の門弟がいたという道場兼住居は広い敷地を持ち、道場を閉めた今でも、時々かつての門弟たちが訪ねては掃除や庭の手入れを手伝ってくれるのだそうだ。


 門を潜った先に、もう使われていない厩があり、その前で馬車を止める。


「さあさあ、こっちだよ。何もないところだけど、せっかく訪ねてくれたんだ。お茶くらいは振舞わせてくれ」


 乗り込むときと同じように、ひょいっと馬車から飛び降りたジャーヴィスは、シリューたちを手招きして歩き出す。


「あ、いえ、お構いなく。俺たちはクリスさんに会いに来ただけなんで」


「おお、そうだったね」


 遊びに行った友人宅で、その親にもてなされるのは何となく気が引ける。


 シリューがやんわり断りを入れると、ジャーヴィスは少し気まずそうに頭を掻いて、道場へ向かい大声でクリスを呼んだ。


「お帰りおじいちゃん。馬車の音が聞こえたけど、誰かお客様……って、え!?」


 首に掛けたタオルで汗を拭いながら道場から出てきたクリスは、ジャーヴィスの後ろに立ったシリューに気付き目を見開いて固まった。


「し、シリューくん!? まっ、ちょっ……おじいちゃん! 何で言ってくれなかったのっ。ちょっと待ってて、すぐに着替えてくるからっっ」


 真っ赤になった顔をタオルで隠し、クリスは大慌てで住居の奥に掛けて行った。


「……クリスさん……何であんなに慌てたんだろう……?」


 クリスが走り去った廊下を眺めて、シリューは不思議そうに呟く。


 髪が少し乱れていたような気はするものの、わざわざ着替えるほど衣服が乱れていたようには見えなかった。


「本気で言っているのよね、シリュー……」


「こうゆう時のシリューさん、超鈍感です……」


 ハーティアとミリアムはお互いの顔を見つめ、はあぁと大きくため息を零した。


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