【第278話】一人では、行かせません
どうして思いつかなかったのだろう。
ドクに指摘されるまで、すっぽりと頭から抜け落ちていた。
クリスティーナの剣の腕は確かだ。
ミリアムの話によると、オルタンシアとも互角以上に渡り合っていたという。
「明日、ちょっと出かけてくるから。学院には二人で行って」
夕食の後、ハーティアの淹れてくれた紅茶で寛ぐ中、シリューはソファーの向かいに座るミリアムとハーティアの二人にそう告げた。
「一人で、ですか?」
「何か急用でもできたのかしら?」
やろうと決めたことは、すぐ実行に移さないと気が済まないのは、シリューの昔からの癖だ。
「いや、別に急用ってわけじゃないんだけど、友達に剣術を教えてもらえないか頼みに行こうと思って」
それから、シリューが持ったままになっている、オルタンシアから取り戻した魔剣も早めに返しておきたい。
「お友達って、もしかしてあの赤い髪の剣士さん……ですか?」
ミリアムの声のトーンが、心なしか徐々に低くなってゆく。
「とても凛々しい美人だったわね、彼女……」
独り言のように呟くハーティアの顔には、冷たい微笑が張り付いている。
「確かに、クリスさんって、いかにもって感じの女騎士だよな」
シリューは、二人の変化にまったく気づかない。それどころか、二人を煽るようなことを、屈託のない笑顔で言い放つという暴挙に出た。
当然、ミリアムとハーティアには看過できない。
「ミニスカートの似合う綺麗な脚で、胸も大きかったわ」
「そうですね……シリューさんの好みにぴったり」
「いや、あの、ちょっとまって……」
ジトっとした半開きの目を向けられたシリューは、ソファーに座っているにもかかわらず、なるべく二人から距離を取ろうと無駄な後退りをする。
「シリューさんを見る彼女の目は、友達に向けるものってカンジじゃなかったですよねぇ……」
「そうね。もっと何か、情熱的なものを感じたわ」
逃げ場のないシリューに、二人は更なる追い打ちをかける。
「それは、勘違いだと思うんだけど……」
はたしてそんな様子が、クリスにあっただろうか。
考えてみても、シリューには思い当たるようなことがない。
好みか好みでないかと言われれば、もちろん好み。
クリスは年上で凛々しく、基本お姉さん気質なのに、時々見せる少女っぽさのギャップが可愛い。
ただ、彼女は騎士で義理堅いから、たったの一度助けたことに、未だ恩義を感じているのかもしれないと、シリューは本気で思っていた。
「とりあえず、シリューさん。そこに座って」
ミリアムは、既にシリューの座っているソファーを指さした。
「いや、もう座ってるんだけど」
シリューが答えても、ミリアムは突き出した指を下ろそうとしない。
「ひとまず、紅茶でも飲みなさい、シリュー」
半分ほど中身の減ったシリューのティーカップへ、ハーティアはティーポットの紅茶をなみなみと注ぐ。
二人の顔には穏やかな笑みが浮かんでいるものの、獲物を追い詰める肉食獣のような圧力を感じる。
「詳しい経緯を聞きましょうか、シリューさん」
「幸い、夜はまだまだこれからよ、シリュー」
ミリアムとハーティアによる尋問は、日付が変わっても終わることはなかった。
◇◇◇◇◇
結局、クリスには三人で会いに行くことになった。
シリューの話を聞いたミリアムとハーティアから、「絶対に一人で行かせるわけにはいかない!」と、口をそろえて詰め寄られ、断れるような雰囲気ではなくなってしまったのだ。
クリスの住むリスバーンの街までは、王都から西の街道を進み馬車でおよそ二時間。
その馬車は、朝早くからハーティアが手配し、冒険者ギルドから借りてきてくれた。
「魔剣をかえすのと、剣術を教えてもらえるように頼むだけだから、別に二人がついてくることないんじゃ……」
幌のない馬車の荷台に備え付けられた椅子に揺られ、シリューは御者席で手綱を取るハーティアと、その隣に座ったミリアムに声を掛けた。
「シリューさん、リスバーンの街は初めてでしょう? 道案内が必要です」
「そうかもだけど、お前の道案内だけは要らない」
例え街道をただ真っすぐに進むだけだとしても、ミリアムの案内では無事にたどり着けると思えない。
そもそも、ミリアムにしてもリスバーンの街は初めてのはず。
気が付いたら、国境を越えて隣の国だった、など十分あり得る話しだ。
「剣聖ジャーヴィス・F・ギャレットにお会いすることになるのよ。粗相があってはならないわ」
「子供じゃないし、最低限の礼儀くらい弁えてるし」
その礼儀作法を教えてくれたのは、他の誰でもない、ハーティアその人だった。
ハーティアにしても、そのことを忘れているわけはない。
当然だが、二人が口にした尤もらしい理由は上辺だけのもので、本当のところはもちろん別にある。
今のところ、シリューがそれに気付く気配はまったくないが。
「ほら、見えてきた。あれがリスバーンよ」
ハーティアが指さす方向に目を向けると、なだらかな丘の牧草地とそれを囲むように点在する家々が見える。
丘を縫うように流れる小川が、きらきらと日の光を映す様は抒情豊かで、どこか懐かしさを感じさせる。
物流の中継点であったマナッサとは随分違い、農業が主産業のリスバーンには素朴で牧歌的な風景が広がり、街というより村と呼ぶ方がしっくりくるほどだった。
街の入口には木製の簡素な門があるだけで、城壁はもちろん柵も見当たらない。
門を潜り抜けた所が中心街のようで、雑貨屋や食料品屋、農機具等を扱う店がまばらではあるものの数件並んでいる。
「看板は……無いようね」
ゆっくりと馬車を進めるハーティアが、きょろきょろと辺りを見回して肩を竦めた。
かの剣聖が営む道場ならば、案内の看板くらいは出ていると思っていたハーティアの当ては外れたようだ。
「この辺りじゃないみたいですねぇ。誰かに聞いてみましょうか」
とミリアムは言ったものの、この時間、住人たちのほとんどは畑や牧草地で働いているらしく、人影は見当たらない。
通りを更に進み商店街を抜けた先で、街外れに向かって歩く老人を見つけ、ハーティアはそっと近づき馬車を止める。
「こんにちは。すみません、道をお尋ねしたいのですが」
「おや、こんにちは。誰かお探しかね?」
野菜の入った籠を担いだ老人は、小柄な体躯にもかかわらず、年齢を感じさせないきびきびとした動作で振り返りにっこりと笑った。
「はい。剣聖ジャーヴィス・F・ギャレット様のお住まいを探しています」
「ほう、ジャーヴィス殿の……」
ゆっくりと車上の三人を見渡した老人の視線が、荷台で会釈したシリューで止まる。
「もしかして、弟子入り志願かね? だったら残念だが、彼は随分前に道場を閉めてしまってね。今はもう弟子をとっていないみたいだよ」
未だにジャーヴィスの元を訪れる若者が後を絶たないらしいが、彼はそれを全て断っているという。
既に独立した弟子たちが、各地で道場を開いているので、そちらに行くようにと促すのだそうだ。
「俺たち、友人のクリスティーナさんに会いに来たんです」
「おお、そうだったのかね。これはとんだ早とちりをしてしまって、申し訳ない。ほら、そこの橋を渡って最初の分かれ道を、右に折れた先がジャーヴィス殿の家だ。建物は道場だった頃のままだから、すぐにわかるはずだよ」
老人は手振り身振りで道を示してくれた。
「ありがとうございます。あなたも家に帰るところなんでしょう? 一緒に乗って行きませんか、
シリューが涼し気に微笑んで誘うと、老人は目を見開いて驚きの表情を浮かべた。
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