【第275話】明白かつ現在の危機
午前中の授業が終わってすぐ、昼食の前にシリューは学院長室を訪ねた。
「そういえば、報告がまだなんだって? 学院長が呼んでたよ、昼休みに院長室へ来てくれってさ」
一時限目の授業の後でドクにそう言われ、気は進まないものの数分で切り上げようと、こうしてやって来たのだ。
コンコンコン、とドアをノックし中から「どうぞ」と返ってきたその声に、何となく違和感を覚えたが、シリューは気にせずドアを開けた。
「あれ?」
部屋の中にいたのはタンストールではなく、まったく見覚えのない壮年の男性。
背はシリューよりも若干高く、金髪で髭を蓄えている。
上品な服装に凛とした立ち姿。
穏やかな表情の中に、鋭い眼光を隠している。
只者ではない。
若輩ながら、幾度も死線を潜り抜けてきたシリューの勘がそう叫ぶ。
「あ、間違えました……って、あれ?」
シリューがドアのプレートを見直してみると、そこにはしっかり『学院長』と書いてあった。
「ここは学院長室だよ。まあ、そんな所に立っていないで、入り給え」
よく通るハスキーな声で、その男性が手招きをする。
「あの、もしかして、新しい学院長ですか?」
後ろ手にドアを閉めたシリューは、思わず弾んだ声でそう尋ねた。
「タンストール先生は、怪我が元で引退したんですね」
オルタンシアに刺された傷は、もう少しシリューたちの到着が遅れていたら、命に係わるほど深かったらしい。ミリアムの治癒魔法によって一命をとりとめたとはいえ、出血のダメージは大きかったのだろう
タンストールが助かったのが喜ばしいことである以上に、彼と今後顔を合わせなくて済むことが喜ばしい。
と、思ったのだが。
「いやいや、そうではないよ。彼は今離席しているようでね、私も勝手に待たせてもらっているんだ」
ぬか喜びだった。
「……残念……」
「え?」
心の中の呟きがついつい漏れてしまうほど、シリューの落胆は大きかった。
「いえ、こちらの話ですので、気になさらないでください。では、失礼します」
わざわざここで、知らない男と一緒にタンストールを待つ気にはなれないし、これ以上タンストールに時間を割くのは惜しい。
そもそも、タンストールに直接雇われたわけではないので、彼への報告などどうでも良いのだ。
そう考えたシリューが踵を返してドアノブに手を伸ばしたとき、ガチャリと音がしてドアが開きタンストールが入って来た。
「あら、キッド君?」
鉢合わせになったタンストールは、シリューの髪色が黒いことに気付き首を傾げる。
「変装は、もういいの?」
「まあ、依頼も果たしたし、もう偽名を使う必要はないですから」
誰かのお陰で、すっかり身バレもしてしまっている。
「じゃあ、これからはシリュー君と呼んだ方がいいわね」
「シリュー? 君が、あのシリュー・アスカ君かね?」
壮年の男性が目を見張って尋ねた。
「あら、久しぶりねウィル。またお城を抜け出して来たの?」
「いいえ、今日はしっかりと諸々の手続きを取って来ましたよ、タンストール先生」
男性はタンストールの教え子のようだが、容姿からは男性の方が年上に見えるし、威厳と貫禄も雲泥の差だ。
それに、城を抜け出して来た、というのも気になる。
「それで、二人とも今日はどんな要件かしら」
「俺は、学院長が呼んでると聞いたんで、報告にきたんですけど……」
「あら、そうだったかしら? でも、来てくれて嬉しいわ」
何だか少し、雲行きが怪しくなってきた。
口ぶりからすると、タンストールはシリューを呼んだわけではなさそうだ。
となると、ドクは一体どういうつもりであんなことを言ったのだろうか。
「私は、どうしても会っておきたい人物がいたのですが……どうやらもう叶ったようだ」
そう言って、男性はシリューを振り向いて微笑んだ。
「ああ、紹介が遅れたわね。ウィル、彼が『深藍の執行者』にして『断罪の白き翼』こと、シリュー・アスカ」
タンストールはシリューを紹介し終えると、今まで見せたことのない厳かな立ち振る舞いで男性に向き直った。
「シリュー君。こちらはウィリアム・アイザック・アルフォロメイ様。アルフォロメイ王国の国王陛下よ」
「え? 王……様?」
これには普段冷静なシリューも虚を突かれてしまった。
城を抜け出して来たといっても、タンストールが「ウィル」と愛称で呼ぶくらいだから、せいぜい城勤めの役人か貴族だろうと考えていたのだ。
こういう場合、跪くのがいいのかそれとも最敬礼か。
以前エルレイン国王に謁見したときは、勇者一行という立場であったため敬礼さえする必要がなく、ただお辞儀をしただけだった。
「シリュー・アスカです」
とりあえず無難に最敬礼をとったシリューに、ウィリアム王は少しだけすまなそうな表情を浮かべる。
「いやいや、今日は忍びでやって来たんだ、そう畏まる必要はない、頭を上げてくれないか」
「はい、では失礼します」
ウィリアムに言われるまま、シリューはそっと顔を上げた。
一瞬だけ合わせた視線を僅かに下げる。
三大王国に不敬罪は無いものの、一介の冒険者が国王の顔をまじまじと見るのはさすがに無作法だろう。
〝そういうことか……〟
親子だけあって、全体的によく似ている。
つまり、これはドクが仕組んだことなのだ。
〝あいつ、一度シめとくかな……〟
だが、ドクへの意趣返しを考えるのは後回し、今はこの状況をどう乗り切るか。
「驚かせてすまないね。だが、こうでもしないと、君に会うことはできないと倅に聞いたものでね。君は王都を救ってくれた英雄だ。本来は然るべき手順で城に招待すべきなのだが、こんな方法をとってしまった、許してくれ」
国王にそこまで言われて、許さないわけにはいかない。
シリューは「はい」とだけ答えて頷いた。
「立ち話も何だ、掛けないかね?」
ウィリアムは応接用のソファーを勧めたが、シリューは丁寧に断った。
国王と同じ席に着くのは躊躇われるのはもちろん、話が長くなるのは遠慮したい。
「そうかね。では、私も」
ウィリアムは立ったまま、事の経緯を話し始める。
曰く。
魔神の心臓の封印については文字による記録はなく、歴代の国王にのみ口伝されていること。
封印から1500年も経ているため、もはや御伽噺程度の危機感しかなかったが、今後は『明白かつ現在の危機』として対処してゆくこと。
勇者召喚の目的は本来、大災厄に対するものであり、エルレイン王国の主導の元で行われること。
それらを踏まえた上で、とウィリアムは続けた。
「魔神及び魔族への対処は我が国が主導することとなってね。そこで君に協力を仰ぎたい」
今回の件で全てが終わったわけではないと考えているのは、どうやらシリューだけではなかったようだ。
それに、魔神の正体について何も語らないということは、エリアスやドクもシリューとの約束を守ってくれているのだろう。
魔神がもう一人の自分である以上、これからも否応なしに関わらざるを得ないのは明白だ。
アルフォロメイ王国の支援を得られるのは、大きなメリットでもある。
だがシリューは、それを受け入れるべきか迷った。
「おれ……僕は、個人的な理由でオルタンシアを追っていて、今回はそれが偶々王都を守る結果になっただけです。初めからそんなつもりはありませんでした」
一度はミリアムを絶望させたオルタンシアに、同じ絶望を味合わせてやりたかっただけで、国やこの世界を守るなど考えたこともない。
それに、結末の見えない長期の依頼を受けるのは躊躇われる。
「それで構わんよ。君はこれまで通り自由にやってくれればいい。もちろん報酬も出すし、少しばかり手を貸してくれないかね?」
あまり乗り気にはなれないものの、ここで国王の頼みを断るのも好手ではないだろう。
「そう、ですね……」
ならば、敵か味方かあやふやなままよりも、明確な味方にしておく方がいい。
「自由にやらせてもらえるなら」
シリューは差し出されたウィリアムの手を取った。
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